前回の記事でアップした埼玉県の吉見百穴は、
古墳時代の集合墳墓跡という以外にもう1つ、
軍需工場跡という側面も持っています。
山の裾野の一角に、
かつての地下軍需工場への入口があります。
勿論軍需工場用なので、
入口の大きさは墳墓のそれより遥かに大きく、
人が歩行したまま入れます。
内部は照明が設置されているものの、
それほど明るくはなく、
少しひやりとした空気を感じます。
通路は縦横に整然と掘られています。
解説板を要約すると、
第二次世界大戦末期、都内にあった中島飛行機の工場の疎開地として、
この吉見付くが選ばれ、
工作機械が搬入されてエンジンの製造がはじまったものの、
結局本格的な製造が行なわれることなく、
敗戦を迎えたとあります。
掘削の使役には3500人もの朝鮮人がかりだされ、
昼夜問わず掘り続けたそうです。
入口付近は照明も施され、
そこそこ見えますが、
奥に行くに従って照明もなくなり、
漆黒の闇がどこまでも続くかの様です。
見学出来るのは全体のほんの一部で、
深部は全て柵で頑丈に塞がれています。
現在では、製造工場で使われた什器等は一切なく、
がらんどうの地下空間が広がるばかりですが、
壁面や床面に残された手掘りの掘削の跡が、
戦火の過酷な状況を今に伝えています。
昭和の時代には仮面ライダーやウルトラマンなどの
特殊撮影の舞台としても使われた吉見百穴。
今では脱力系のお土産屋が数件建ち並び、
いい感じのほっこり具合です。
悠久の古墳時代と過ぎ去りし戦争時代に想いを馳せながら、
埼玉名物「五家宝」を頂きました。
古墳時代の集合墳墓跡という以外にもう1つ、
軍需工場跡という側面も持っています。
山の裾野の一角に、
かつての地下軍需工場への入口があります。
勿論軍需工場用なので、
入口の大きさは墳墓のそれより遥かに大きく、
人が歩行したまま入れます。
内部は照明が設置されているものの、
それほど明るくはなく、
少しひやりとした空気を感じます。
通路は縦横に整然と掘られています。
解説板を要約すると、
第二次世界大戦末期、都内にあった中島飛行機の工場の疎開地として、
この吉見付くが選ばれ、
工作機械が搬入されてエンジンの製造がはじまったものの、
結局本格的な製造が行なわれることなく、
敗戦を迎えたとあります。
掘削の使役には3500人もの朝鮮人がかりだされ、
昼夜問わず掘り続けたそうです。
入口付近は照明も施され、
そこそこ見えますが、
奥に行くに従って照明もなくなり、
漆黒の闇がどこまでも続くかの様です。
見学出来るのは全体のほんの一部で、
深部は全て柵で頑丈に塞がれています。
現在では、製造工場で使われた什器等は一切なく、
がらんどうの地下空間が広がるばかりですが、
壁面や床面に残された手掘りの掘削の跡が、
戦火の過酷な状況を今に伝えています。
昭和の時代には仮面ライダーやウルトラマンなどの
特殊撮影の舞台としても使われた吉見百穴。
今では脱力系のお土産屋が数件建ち並び、
いい感じのほっこり具合です。
悠久の古墳時代と過ぎ去りし戦争時代に想いを馳せながら、
埼玉名物「五家宝」を頂きました。
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