シリーズでアップしている沖縄。
今回は、琉球王朝の1400年代に築城され、
2000年に世界遺産に認定された中城(なかぐすく)城跡です。
→Mapion
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敷地の入口には世界遺産認定の碑が。
訪れたのが平日だったからかもしれませんが、
客は他に2人だけで、
世界遺産という肩書きの力のなさを痛感します。
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でもおかげでじゃまをされずに見放題!
城郭跡は大きく3つに分かれた造りで、
観光路の入口から入ると、裏門から見ることになります。
裏門の横には3の郭があり、
その城壁は「亀甲乱れ積み」ですが、
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その先の2の郭、1の郭は、
整然と積まれた「石切り積み」です。
積まれた石は上へ行く程小さいくなっていて、
実際より高く見える構造になっています。
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乱れ積みで作られた外側の城壁は、
高さが一定でなく、またゆるやかに蛇行しています。
地形を活かしたためか、
それとも意図的に作ったものかはわかりませんが、
規模は別として、その形だけ見る限り、
万里の長城を彷彿とさせます。
外壁の内側へ急勾配で奈落へ落ちてゆく様な階段があります。
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降りてみるとそこは「ウフガー(大井戸)」と呼ばれる、
かつての井戸の跡だそうです。
今でも奇麗な清水が沸き出しているのか、
水はとても澄んでいて、
画像では水があるかどうかわからない程です。
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2の郭は城壁の上へも登れます。
高台に作られた城の構造から、
相当外敵を警戒していた様に感じます。
特に一番高い位置にある1の郭の城壁からは、
2の郭や3の郭は勿論、周囲の様子が全方位一望できます。
眼下には中城湾の工業地帯が見えますが、
かつてはきっと奇麗な沖縄の海が見渡せたんではないでしょうか。
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画像中央には1の郭の城壁がみえます。
1の郭同様、2の郭も3の郭も、
北東面だけは直線的に作られていますが、
それ以外の面は外側の城郭同様、
かなり蛇行した形で造られていて、
この直線と蛇行のミックスが、
とても奇麗に見えます。
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1の郭の先には南の郭と呼ばれるスペースがありますが、
ここに数々の御嶽(うたき)が設置されています。
御嶽とは有名な沖縄独特の拝所のことで、
王朝時代にはむやみに人が入れなかった、
神聖なエリアですね。
この御嶽は、琉球創世の島と言われる、
久高島を拝む為の遥拝所。
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画像は同じ南の郭にある「雨乞いの御嶽」
この他南の郭にある「首里遥拝所」をはじめ、
城内の至る所に御嶽が点在しています。
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南の郭に先には正門があり、
そこを出て城郭のもっとも南端へ行くと、
カンジャーガマと呼ばれる鍛冶屋跡があります。
どのように使われ、なにを作っていたか等は謎だそうですが、
妙に吸い込まれるパワーを持った場所でした。
◆
九州南部からの移民がその発祥とも言われる琉球。
1400年代の初頭から明治まで存続しながらも、
1600年代以降は薩摩の支配下にあった琉球は、
常に日本と清の間に立ち、
その短い歴史に泰平ということも殆どなかったんではないかと、
中城をみて思いました。
◆ シリーズ 沖縄 ◆
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今回は、琉球王朝の1400年代に築城され、
2000年に世界遺産に認定された中城(なかぐすく)城跡です。
→Mapion
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敷地の入口には世界遺産認定の碑が。
訪れたのが平日だったからかもしれませんが、
客は他に2人だけで、
世界遺産という肩書きの力のなさを痛感します。
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でもおかげでじゃまをされずに見放題!
城郭跡は大きく3つに分かれた造りで、
観光路の入口から入ると、裏門から見ることになります。
裏門の横には3の郭があり、
その城壁は「亀甲乱れ積み」ですが、
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その先の2の郭、1の郭は、
整然と積まれた「石切り積み」です。
積まれた石は上へ行く程小さいくなっていて、
実際より高く見える構造になっています。
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乱れ積みで作られた外側の城壁は、
高さが一定でなく、またゆるやかに蛇行しています。
地形を活かしたためか、
それとも意図的に作ったものかはわかりませんが、
規模は別として、その形だけ見る限り、
万里の長城を彷彿とさせます。
外壁の内側へ急勾配で奈落へ落ちてゆく様な階段があります。
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降りてみるとそこは「ウフガー(大井戸)」と呼ばれる、
かつての井戸の跡だそうです。
今でも奇麗な清水が沸き出しているのか、
水はとても澄んでいて、
画像では水があるかどうかわからない程です。
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2の郭は城壁の上へも登れます。
高台に作られた城の構造から、
相当外敵を警戒していた様に感じます。
特に一番高い位置にある1の郭の城壁からは、
2の郭や3の郭は勿論、周囲の様子が全方位一望できます。
眼下には中城湾の工業地帯が見えますが、
かつてはきっと奇麗な沖縄の海が見渡せたんではないでしょうか。
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画像中央には1の郭の城壁がみえます。
1の郭同様、2の郭も3の郭も、
北東面だけは直線的に作られていますが、
それ以外の面は外側の城郭同様、
かなり蛇行した形で造られていて、
この直線と蛇行のミックスが、
とても奇麗に見えます。
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1の郭の先には南の郭と呼ばれるスペースがありますが、
ここに数々の御嶽(うたき)が設置されています。
御嶽とは有名な沖縄独特の拝所のことで、
王朝時代にはむやみに人が入れなかった、
神聖なエリアですね。
この御嶽は、琉球創世の島と言われる、
久高島を拝む為の遥拝所。
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画像は同じ南の郭にある「雨乞いの御嶽」
この他南の郭にある「首里遥拝所」をはじめ、
城内の至る所に御嶽が点在しています。
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南の郭に先には正門があり、
そこを出て城郭のもっとも南端へ行くと、
カンジャーガマと呼ばれる鍛冶屋跡があります。
どのように使われ、なにを作っていたか等は謎だそうですが、
妙に吸い込まれるパワーを持った場所でした。
◆
九州南部からの移民がその発祥とも言われる琉球。
1400年代の初頭から明治まで存続しながらも、
1600年代以降は薩摩の支配下にあった琉球は、
常に日本と清の間に立ち、
その短い歴史に泰平ということも殆どなかったんではないかと、
中城をみて思いました。
◆ シリーズ 沖縄 ◆
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なんてこともありましたが、ここは分類するとそっちでしょうか。
宗教的聖地に比べると政治の中枢であったところへの興味はやや劣るのですが、
(なので『城マニア』にはなれません)
時代が遡るとそれらが混然となっているようで、惹かれます。
(フォロ・ロマーノにもそれは感じました)
で、やはり御嶽があるんですね。
いまだ未訪の沖縄ですが、最も行きたいのは斎場御嶽です。
ヨーロッパなどは確かに古代のもので、フォロ・ロマーノなんかもそうですが、
アンコールワットやマチュ・ピチュなどは、実はそれほど古くなく、
この琉球王朝とそれほど変わらない時代なんですよね。
でも見た目は古代遺跡感満載なのが不思議だと思います。
城内に御嶽があるように、
琉球王朝も政治と宗教が一体化した国家だったと思います。
斎場御嶽は今日の記事でアップ致しましたので、
ご覧になって頂ければと思います。