神戸スポーツボクシングクラブ【KSBC】リュウ会長のリュウ流ブログ

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決断は一秒あればいい

2012-07-26 11:22:07 | コーチング・指導

桜井 「勝っているのは感性があるからでしょう。私は弟子たちに考えることを全部捨てさせ、「一秒の原則」で麻雀を打たせています。」

たけし 「ビデオを見たらすごい。あんなに速く進むとは。」

桜井 「あのスピードで、手順間違いを一回でもしたら失格なんです。人間というのは、結構、無駄な思考と無駄な動作を持って生きている。だから、迷いがものすごく入るし、間違えた方向に行きやすい。頑張って間違えたほうに行ってしまうんです。だから、要らない思考とか、要らない行動を消せば、無駄なものがなくなるじゃないですか。」

たけし 「おいらはとてもあんな速く手が動かないよ。それにしばらく考えるもの。」

桜井 「なぜ考えるかというと、やっぱり、わからないからでしょう。考えると、そこに弱気とか迷いとか不安が出てくるんですよ。私からすると、弱気とか迷いというのは、もう勝負の上では負けることなんです。速く打てば、迷いや弱気が消えてくる。だから強くなっていくんです。」

【達人に訊け!ビートたけし】


大学生の時に麻雀を見て、みんなが数をそろえようとして苦労しているのを見て、「ただの絵じゃないか」と思って、やってみたら最初から勝ち続けて、裏の世界のプロに引き抜かれた桜井章一氏。

それに対してたけしさんは、「将棋の羽生さんも将棋は絵だと言っていた。自分に合う絵だと勝てるけど、調子の悪い絵だと劣勢だから、自分とってのいい絵にしていこうと」。

理屈ではなく直感

左脳ではなく右脳

「考えるな、感じろ」の世界。

あれこれ考えれば考える程「直感」というものが鈍りますね。

麻雀なんかでも、「あ~やっぱり最初に思った方にしとけばよかった。。」

考えれば考える程、結果的には「駄目な方」を選んでしまっていた。

それはふっと湧いた自分の直感を信じきれず、定石、セオリーにすがりたい自分の「弱さ」からくるものだったり、「迷い」だったり、何かの「欲」がそうさせて、気付いたら本来選ぶべきものと違う方を選んでしまっていた。

そんな経験は誰にでもありますね。

人間に本来備わっている「勘」というものを働かすには、「決断」「一秒」あれば十分なのかもしれません。

格闘技やボクシングなんかのスポーツでも、一秒もあれば何発もパンチが飛んでくる訳で、コンマ何秒かの勘を常に働かせていかないといけないですね。


サイコロ思考

2012-07-22 13:47:57 | コーチング・指導

ひつつの事柄に対して多面的な方向から物事をとらえることをサイコロ思考というらしい。

最低でも6面から考える必要があることからサイコロの名がついていたようです。

「人間は一般に、ワンパターン思考に陥りがちで(日常的に楽?)、しかもネガティブな方向に陥る傾向がある。サイコロ思考は、頭の柔軟性(創造性)やポジテイブ思考を養うのに効果がある。

様々な方向、立場から、物事を見ることが必要であることは、色々指摘されている。

例えば、“ある人”に対して、いつもすごく腹が立つとしたら、その“ある人”に対して、いつも一つの“ものの見方”しかしていない可能性があります。」

野口嘉則氏のブログから引用すると、例えば、花子さんは、職場の上司(課長)に対して、すごく腹を立てているとします。

その課長は、怒りっぽくて攻撃的な性格です。
花子さんが仕事でちょっとミスなどすると、すごい剣幕で怒ってくるのです。
しかも、職場の中で一番叱られるのが花子さんなのです。

花子さんは、そんな課長に対して、次のように考えていました。

「あの人は性格が悪い。自己中心的なのだ。あの人のせいで、私は仕事を楽しめない。あの人のせいで私の人生ボロボロだ。悪いのはあの人で、私は被害者だ」

課長に対して、いつもこのような一つの“ものの見方”しかしてい
ないので、いつも腹が立ち、恨みが積もってしまうわけです。

さて、他にどんな考え方ができ得るでしょうか?

例えば他に、

・課長は私に期待してくれているのだ。期待がゼロならば、私を叱ることもないはずだ。

・課長は、精神的には未熟な子どもなのだ。だから怒りっぽいのだ。
一方、私は大人だ。子どもには言いたいだけ言わせておけばいいのよ。私は大人なんだから。

・あの課長の下で働くのは、いいトレーニングになる。怒りっぽい人への免疫力と対処法を身につけるトレーニングだ。これを身につけたら、その後の人生、怖いものなしだな。

・不満ばかり募らせるのはやめて、何か行動を起こしてみよう。思い切って課長に言ってみようかな。「いつも怒られてばかりで辛いです」って、やんわりと言ってみようかな。このことを専務や部長に相談するのもいいかもしれない。とにかく、何か行動を起こしてみよう。

・「人生は鏡」っていうけれど、もしかしたら、私があの課長にいつも責められるのは、私が心で誰かを責めているからかもしれない。あの課長は、そのことに気づかせてくれてるのだ。そう考えてみると、私は言葉にこそ出さないが、お父さんのことを心で責めているな。この機会に、そのことに向き合い、父親への思いを整理してみよう。

というような物の見方、考え方があります。

なるほどといった感じですね。

また、これと同じように、コーチングや指導でも全く同じ事が言えると思うんですよね。

例えばボクシングであれば、ジャブ一つをとってみても、「基本」は、教科書に載ってるような真っ直ぐ最短距離で打つ、スピード、引きを意識したジャブ。

最初に初心者の方に教えたりするのも勿論こういう「基本」のジャブです。

しかし、見方、考え方を変えると、他にもある事に気付きます。

例えば、

・パンチを貰わないよう、「頭を横に動かしながら」のジャブ。

・下から払うようにスナップを利かせるような「軌道を変えた」ジャブ。

・ダメージを与えるような威力を伴う「左ストレート」のようなジャブ。

・相手が来るタイミングに「カウンター」で合わせるジャブ。

・「リズム」をとる目的だけのただ出すだけのようなジャブ。

他にも相手との「距離」を測る目的のジャブ、相手を「一定の距離に入らせない」目的のジャブ(ストッピングジャブ)などなど、

色々あると思います。

しかし、これがひとつの物の見方しかできないとしたら、「基本」のジャブのみに囚われてしまい、極端に言うと、他の事は「間違い」のような捉えられ方をしてしまう事もあります。

スポーツに於いては、学校のテストなんかのように、こうこうこうやればこうなる。というような単純に答えがあるようなものではないと思います。

例えば、「1+1=2」の式があるとします。

1を「基本」の要素にし、2をボクシングでは当てる事が一番重要なポイントなので「当たる」という風にした場合、

1(真っ直ぐ最短距離で打つ)+1(スピードを速くする)=2(当たる)

になるのですが、真っ直ぐスピードを速くすれば必ず当たるのでしょうか????

決して必ず当たるとは限りません。

逆に答えから導き出す式だと、2(当てる)=1+1以外にも、1.5+0.5だったり、1.6+0.4だったりと無限にあります。

こちらの視点から考えると、要はやり方なんて無限にある。と思うんですよね。

サイコロ思考と同じく最低でも6つ位はあるんじゃないでしょうか。

それを自分で発掘する事、それが「考える」という事なんだと思います。

けど、一つのみの見方に囚われて、これが絶対正しい!これしかない!というような考え方で当てはめてみて、人にもそれを強制したり、それ以外の事は間違いだと決めつけるような人も実に多かったりしますね。

そういう人に限って教科書だけで培ったような知識でしかないような事を言ってたりするのですが。

教育で「そういう思考」になってるから仕方ないのですかね。

けど、画一的に一つのやり方に当てはめるのは、そのやり方がもし合わない場合、その人間の個性や才能を潰してしまうような事と同じじゃないんだろうかと思います。

人間、筋肉の付き方や骨格の違いなどがあり、また感性も違うので、それにより身に付くものも違って当たり前、なので、一つのやり方のみに囚われてしまうと非常に危険です。

まぁ色々なやり方を試す前に最初に「基本」が大切である事が間違いなく、まず最初に身に付けるべき事であるのは言うまでもないですが。

そして基本を踏まえた上で、他の事を試しにいったり、やっぱり基本に戻ったりと、その辺は自分で考えながらやるしかないですね。

結局は自分自身によるという事になるのでしょうけど。

そういう意味ではこちらから提供できるものはあくまでも一つの要素であり、「ヒント」だけですね。 それ以上の物を与える事はできないですね。「答え」なんかでは決してない。

指導者が「答え」を持ってるなんて思ったら全然間違いで、答えは自分自身の中にこそあり、それを見付からないまでも探す努力はしないといけないですね。


カンブリア宮殿 日本代表前監督

2012-07-16 22:50:14 | コーチング・指導

こないだカンブリア宮殿でポーター、吉田カバンの社長が出ていて、吉田カバンは決して「海外生産はしない。大量生産も、安売りもしない。頑固なまでに職人を守り続ける」という企業姿勢にいいな~と感心していたのですが、それと同時にちょっと古いけどの岡田監督がゲストの回を観ていて、いくつかいい言葉がありました。

【自分の責任でリスクを冒すのが究極のエンジョイ】
選手によく話すんですけど、究極のエンジョイってのは、自分の責任でリスクを冒すことだと。要するに、監督が「ここだ」と行ってる。でも「オレはここだ」。これで成功した時にこんなに楽しいことはないんですよ。

だからギャンブルでね、自分のなけなしの金で賭けてるから、無くなったら大変だ!勝ったらこれで何を買おうかという喜びがあるわけですよね。スポーツはお金賭けないでできるギャンブル。そこが本当の楽しみなはず。最高に面白いところだぞ、ここはと。

言われたことをこなすだけじゃ面白くもクソもないだろうという言い方をするんですけど、でもリスクを冒して失敗したらオレは怒るぞと。怒るかもしれないと言いますけどね。だからリスクなんですよ、怒られるからリスク。「リスクを冒して失敗しても褒めよう」なんてそれはリスクじゃなくなるんですよ、それは。


【「監督に言われたから…」は選手じゃない】
ここに敵が二人いたらね、ボールを持っている方に必ず味方一人がディフェンスに行きますよね?敵がもう一人いてもそこに行ってはいけないんで、カバーリングのポジションに下がれとボクは言う。でも、ボールを持つ敵がおどおどしていてパスを出さなそうならそこに行けばいい。敵が逃げたら2人で行く。これは選手が判断する。ボクはココが正しいポジションだと言う。「監督に言われたからここにいました」これでは選手じゃない。この傾向が(日本人は)外国人よりちょっと多い。岡田武史


「スポーツはお金を賭けないでできるギャンブル」
これはちょうど最近、自分自身も思ってましたが、ギャンブルでの強さとか、スポーツでよいパフォーマンスを上げるには共通する資質というか能力が多分にあると思います。

熱さの中にも冷静さが必要だったり、相手の心理を読む洞察力が必要な所、最終的には直感ひらめきというものが一番重要だったり。リスクを冒す勇気が必要だったり。

その辺のほとんどの事で共通するような気がします。


また、番組内でトルシエ前監督がいっていたという言葉、

「未成年の時は日本人は親、教師に従っていれば良い。成年になれば上司に従っていればいい。だから自分で考えない。」

という言葉には、やっぱり日本人は実際、教育現場や社会で
「教えられる事、指示される事に慣れすぎ」ているのか、確かにそうなんだとは感じます。

しかしことスポーツにおいては、自分で考える判断するという事は必要不可欠です。

それを大切にする為にも、「ドリブルするな/しろ」と直接指示するのではなく、映像を観ながら「このドリブルいいね」と独り言のようにつぶやく。といった岡田監督のテクニック等はなるほどと思いました。


また番組途中で、倉本聰さんが言ってた、
「芝居の感動がスポーツの感動に負けるのはなぜなんだろうとずっと追い求めて来たんですよね。
やっぱりどうも役者とアスリートじゃかく汗の量が違うんじゃないかという。」
これはなるほど。

また、
「重圧やプレッシャーは重力みたいなもの。それがないと、筋肉がダメになる」岡田武史

「自分がどのくらい弱いのかを把握できなければ、人も組織も進化できない。」村上龍

などいくつか名言もありました。

プレッシャーや緊張感はいつも自分自身に与えていかないといけないですね。

無重力空間から帰還した宇宙飛行士なんかも歩けない、立てない位に筋力が低下するといいますし。。

しかしこれ観て思い返しましたが、南アフリカワールドカップでのマスコミと世間の手のひら返しは凄かったというかほんと酷かった。。
ほんと結果「しか」見ないんだな~という事に怖さも感じますね。

この出来事は辞書に「手のひらを返す」の意味で「サッカーのW杯~・・」というような感じで載せてもいいんじゃないかという位の事でした。


王貞治 「努力とは」

2012-07-13 13:19:27 | コーチング・指導

入団からまったく打てなかった王選手。

1年間で畳を5回も変える位の素振りをして押されてもびくともしない体の軸、ぶれない身体を身に付けた。



コーチいわく「普通の人は王の半分も努力できない」と。

これこそ努力の賜物。

「努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのなら、それは­­まだ努力とは呼べない。」 王貞治


ラッキー、アンラッキーの法則

2012-07-11 20:11:36 | コーチング・指導

数年前、オンラインでランダムに選んだ400人を対象に、迷信と幸運についてのアンケートをとったことがあります。

彼らにラッキーかアンラッキーかを尋ね、次に、迷信に関する質問をしました。

その結果、ラッキーな人たちはラッキーをもたらすという迷信を信じていくつかの行為をしていることがわかりました。

たとえば、ラッキーチャームを身につける、とか指をクロスする(人差し指の上に中指を重ね、幸運を祈る)といった行動をよくする、などです。

ラッキーな人たちの49%が幸運を祈って指をクロスしているのに対して、アンラッキーな人たちはわずか30%の人しか指をクロスしていないことがわかりました。

また、ラッキーな人たちは不吉な迷信をあまり信じていません。

一方、かなり多くのアンラッキーな人たちは不吉な迷信を信じているうようでした。

ハシゴの下をくぐったり、鏡が割れるのは不吉だと信じ、13という数字を恐れていました。

実際、アンラッキーな人たちの55%が13という数字を恐れているのに対し、ラッキーな人たちではたった22%だけがこの数字を恐れていたのです。

つまり、ラッキーな人たちは自分たちが気分がよくなる迷信を信じ、アンラッキーな人たちは自分たちの不安をさらに濃くする迷信を信じているようなのです。

これはあきらかに自己達成的予言と言えるでしょう。

つまり、私たちは自分で運を決められるということです…よくも悪くも。

『いますぐ「ラッキー!」な人になれる』サンマーク出版 スティーヴ・ギルマン


自分の心持ち捉え方次第で幸も不幸も運さえも自分で引き寄せる事ができるという事ですね。

目に見えないものの力ってそういった所にあるのでしょうね。

そういえば周りを見渡せばパワーを貰えそうなものがいっぱいありました。

こういうものもいいように信じていけばラッキーが訪れそうです☆


健康管理は体に悪い?

2012-07-10 12:04:14 | コーチング・指導

無能唱元師の心に響く言葉より…

朝日新聞の「天声人語」欄に、次のような興味ある記事が載っているのを、読んだことがあります。

かつて、フィンランドの保健当局が、栄養指導や健康管理の効果について、科学的な調査をしたことがある、というのです。

まず、40歳から45歳までの男性を600人選び、彼らを定期検診し、ビタミンやカルシウムなどをはじめとする栄養的管理を徹底させ、酒やタバコの類(たぐ)いを控えさせ、毎日適度の運動をしてもらい、こういう生活を15年続けてもらったのです。

その効果を比較して調べるため、同じような条件にある男性600人を選び、こちらは、いかなる健康管理の対象にもせず、ただ、健康状態の調査のみをして、同じく15年間調べました。

15年後、二者の間に、恐ろしいほどの違いが現われました。

心臓血管系の病気、高血圧、死亡、自殺、いずれの数も、一方が他方よりずっと多かったのです。

それがなんと、健康管理をした方のグループだったのです。

医者たちは仰天し、その実験結果の公表を控えたそうです。

この実験結果が言わんとしているのは、なにも「健康管理は不用だ」といった短絡的な結論ではありません。

そうではなく、「過保護は人を依存的にする」ということなのです。

自立自律とつながっています。

われわれが、他者依存的になったときは、自律組織によって生ずる自然な抵抗力を失ってしまうのです。

自らを救うのは、まさに自分自身なのです。

健康管理が他律的に行われるとき、恐るべき自己喪失がそこに生じ、それが自らの心身を守るエネルギーを失わせてしまうのであります。

『小さなサトリ』河出書房新社

無能唱元師は、「幸せ」とは、心身が「弛緩(しかん)」(リラックス)している状態であり、「不幸」とは、過度にこわばった緊張が弛緩しないでいる状態だ、と言う。

人から管理されたり、コントロールされているときは、緊張が続いている。

人は、自ら決定し、自発的に動くと、限りないエネルギーが湧いてくる。

やらされていると感じたり、義務だと思ってやっていると、それがストレスとなり元気は出てこない。

世界最長寿と認定された、泉重千代さんは、「長生きの秘訣は?」と問われ、「酒とタバコ」と答えた話は有名だ。

また、「どういうタイプの女性が好きですか?」との質問に、「年上の女かのぉ」 と答えたそうだ。

健康、健康と騒ぐような、いわゆる「健康オタク」はいただけない。

「健康のためなら死んでもいい」という言葉を地で行っているからだ。

こだわりを捨て、もっとリラックスして生きて行きたい。

【人の心に灯をともす】http://merumo.ne.jp/00564226.htmlより


人に管理されるのではなく、自分を自分で管理していかないといけないですね☆

「しつけの目的は、自分で自分を支配する人間をつくることであって、人に支配される人間をつくることではない。」(スペンサー)


ネオフィリア

2012-07-09 11:10:46 | コーチング・指導

人間の脳は、新しいものを好む「ネオフィリア」という性質を持っている。

地球上で人間だけが進化し繁栄したのは、人間がこの性質をもっていたからだといっても過言ではない。

これは裏を返せば、人間の脳にとっては退屈が一番の敵だということである。

「いつも楽しいことを探し出しているから、退屈なんてしないよ」という人はいい。

しかし、特に新しいことをするでもなく毎日を惰性で生きているだけなのに、退屈を感じなくなるとしたら、それはちょっと危険信号である。

退屈の空気の中に長い間浸っていると、人間の脳はだんだん退屈に慣れて成長がとまってしまう。

そうならないうちに、自分の退屈感を察知して、ネオフィリアを満足させる行動を新たに見つけ出すことが大切である。

僕の場合は、本を読むことでネオフィリアを満足させている。

本は読み始めれば、一瞬で違う世界に連れて行ってくれるものである。

僕は数冊の本を並行して読む癖があるが、これも1冊の本を読むのに飽きたら別の本を手に取ることが出来るという、退屈予防のための作戦だ。

脳は退屈するとどうしても、考えなくてもいいようなネガティブなことを考えてしまう癖がある。

退屈しないように生きていくことで、脳を健康に保つこともできるのである。

「脳と心の整理術」茂木健一郎 著


基本的に飽き症だとは思っているのですが、それも脳にとってはいいみたいですね。

ちなみに最近お風呂に浸かる時間が暇で仕方がないので浸かりながら本読んだりするんですが、こないだどれ位の時間なんだろ?

って試しに計ってみたら1時間近く経ってました(笑) さすがにいい汗かけます


何歳からでも筋力や体力は向上する

2012-07-08 12:13:30 | コーチング・指導

人間は何歳になっても、筋力や体力を向上させることができる。

何歳であろうとも、運動を始めるのに遅すぎる年齢というものはない。

スポーツ医学の研究結果によれば、人は一日寝たきりでいると、筋力が3%低下し、一ヶ月なにもしないと30%もの筋肉が落ちてしまうという。

逆に、効果的な運動を半年つづけると、5歳若返るという。

僕もこのことを、実体験している。

60歳で引退を考えて不摂生な日々を送っていた僕は、500余メートルの山にも登れず、生活習慣病寸前だと医師に警告された。

その僕が、エベレスト登頂に向けて65歳から再び体を動かし始めた。

すると半年ほどで体力が戻ったことを実感したのである。

以前登れなかった山も、軽々と登ることができるようになっていた。

半年でこれほど違うものかと驚いた記憶がある。

そして、一年後には最悪だった血糖値などの数値もよくなり、体中に力がみなぎってくるのが自ら分かった。

じっとしているより、少しでも体を動かすことである。

自分にとって、楽しくて、心地よい運動を、ちょっとずつつづけることである。

でも、その運動のために、ほかのことを犠牲にするようではいけない。

また、疲れたらサボることである。

僕も大好きな食べ放題、飲み放題は止めずに、貫きとうした。

自分に都合よく考えながら運動をする。

それでもつづけることによって、効果は必ず出てくる。

大切なのはつづけることである。

最初はのんびり気分で15分ほど歩くだけでいい。

2~3日サボっても、ぜんぜんかまわない。

気にすることはない。

最初から気負いするのが、一番いけない。

自分にあれこれと規制をかけてしまったり、ムリな運動を始めても、持続は不可能なのである。

運動は、自分にとって都合のいいプランを立てることによって成功する。

『人生はいつも「今から」』三浦雄一郎

運動している実感として体動かしている方がやっぱり身も心も若返りますね。

年は「取る」ものではなく「重ねる」ものと言いますが、いつまでも若くありたいですね。


【KSBC】神戸スポーツボクシングクラブ

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