カン・ドンウォンに会いたい

カン・ドンウォンに会えたら想い残すことは無いと思っていました。
でも、違った…また、会いたい…

カン・ドンウォン、外見が超能力?

2012-05-10 21:37:03 | 超能力者

 関東地方、今日の午後は突然の暴風雨でした

お昼までは、こんなにいい天気なのに雨なんか降るのかな~? 

 

 

 

みるみる真っ暗になって・・・

風が吹いてきたかと思ったら

 

大雨 

 

 

ちょうど、仕事が早く終わって帰る時間だった私は

嵐の中を車で帰宅・・・

買い物にも行けず、つい

 

 

爆睡!! 

 

 

しまった!ちょっと寝るはずが・・・

せっかく仕事が早く終わったのに~~~~~ 

 

 

 

「何もしないで寝てんじゃないぞ!」(夫)

「ご、ごめんなさい…」

 

「けんちゃな!」

ドンくんの笑顔に救われます…

 


 <過去記事> 

カン・ドンウォン"外見が超能力? 本当に狂っているいるようだ"

 2010.10.28 翻訳サイト使用

http://star.mt.co.kr/view/stview.php?no=2010102808152309628&outlink=2&SVEC

カン・ドンウォン. 'チョンウチ'と'義兄弟'で1年間に1170万人を集めた。 彼は流行の言葉で'ガゼンデ'と呼ばれるが相変わらずだった。 人気を土台にCFに出演することもせず、入隊を控えて'超能力者'をとったが"したいようにしただけ"とゆっくり話す。

熱烈な歓声も、卑劣なゴシップも彼は気にしなかった。 思えばカン・ドンウォンはいつもそうだった。 'オオカミの誘惑'で一気にスターダムに上がった時から'M'で苛酷な非難に苦しめられる時も一緒だった。

映画の中のカン・ドンウォンは名前がない人物とたびたび出合った。 'デュエリスト'でも彼は悲しい目であり、'私たちの幸せな時間'では囚人番号であった。 カン・ドンウォンは漫画の中から飛び出してきた容姿とあがめられるが名前がない人のほうがもしかするともっと幸せに見える。

11月10日封切りする'超能力者'(監督キム・ミンソク、製作映画四集)はそのようなカン・ドンウォンの魅力を十分活用した映画だ。 カン・ドンウォンは人を思いのままに操縦できる超能力者として登場する。 その超能力のために暗い過去を持ち、平凡に生きたがる。 やはり名前はない。 どこかカン・ドンウォンと似ている。

カン・ドンウォンも平凡に暮らしたいか? いやカン・ドンウォンが考えている平凡とは何か?

-'超能力者'は自身の超能力のために傷を抱いて暮らす人物だ。 傷ついたり暗い過去を持った人物が好きなようだが。

▲'義兄弟'にも引かれたし、'彼女を信じないで下さい'にも引かれた。 日常でおきることや人より日常には起きないことに引かれる。

-'超能力者'では平凡に生きたかった、が副題のように追いすがる。 だが、自らは平凡に生きたくないといったが。

▲まだ平凡に生きたくはない。 今が良くて幸せだ。

-今仕事が良いから副次的に追いつく私生活制約、デマ、例えば情報誌に飛び交った結婚説のようなものも甘受することができるという意味なのか。

▲仕事をするにあたって別に重要でなければ。 酒の席でシビアにしばしば体験することで、そこに行かなければ良いことで。 時々は道を歩きたいが、歩かなければ良いということだから。 20代にできる楽しみが多いが私はやはり映画撮影会場で得る楽しみが多い。

それでもユ・ヘジン先輩がこういう話をする時かなりいらいらしていた。 焚き火のところでデビューして10年の間働くだけかといった。 すると痛ましい目で見て後でかなり憂鬱だといった。 格別考えなかったがその話を聞くと少しそう思った。

-'超能力者'は会ってはならない人々に会って起こることを描いたが。

▲実際にそのような人はいなかった。 まあ、善と悪の対決というのだろうか。 コ・ス先輩が善で私が悪で。 それと共に過去は似ているところもある。 日本漫画'ナルト'で私がサスケで、コ・ス先輩がナルトだろうか。

-コ・スは唯一超能力がかからない人物として出てくる。 逆に言えばカン・ドンウォンにだけ通じる超能力を持っているともいえる。 多くの人々を操縦できるがひとりにだけ通じない人とその人にだけ通じる能力を持った人が出会って破滅に向かう。 まるで危険な愛の物語のようだ。 女性ファンらの中にはそのような話を望む人もいるだろう。

▲私たちの映画に女優が出てこないと思っているだろうが出てくる。(笑い)話をどのように受け入れるかは見た方々の役割なので。

-人を思いのままにできる超能力というのは魅力が極大化されたように聞こえるが。 カン・ドンウォンの容貌が超能力なのか。

▲そう言うと狂ったというだろう。(笑い)ただ、私が'チョンウチ'で頑張ったと考えて選んで下さったのではないか。

-'戦友分'では明るいキャラクターを、'義兄弟'では静かなキャラクターを、'超能力者'では暗いキャラクターを引き受けた。 入隊する前に多様な姿を見せようとしているようだ。

▲まず入隊ではない。 公益要員なので。(笑い)それとは関係ない。 あるとおりにするだけでだ。 行ってきても別に違いはないようだ。

それでもこういうことがあった。 '義兄弟'が終わって今まで吸収する段階としたら今はもう少し発散するという段階に変わったようだ。

-相手役もなくて演技するのが容易でなかったようなんだけど。

▲'義兄弟'が終わって解くことが出来ない宿題が一つできた。 何もしなくても充分だということを悟った。 俳優の欲では何かをしようとするが、何もしなくても映画で充分に表現された。 '超能力者'ではそういうことを活用したのでとても楽しかった。

-パーマ頭は誰のアイディアだったか。

▲私のアイディアだった。 キャラクターにとても似合うと思った。 写真撮影で一度テストをして監督に提案した。 監督は平凡な頭を希望されたがそれでは'義兄弟'と外見的に似ているようだった。 それで何をもとめているのかと尋ねた。

-写真撮影はしても、CFはあまりしない。 モデル活動もそうだ。

▲写真は私がファッションに関心があるので。 CFはそのまま私の役割ではないようで。 モデルは人々が服を見るべきなのに今は違うものに関心を持つようだからできない。

-入隊も外部に知らせないで静かに行こうとして、ある人々は神秘主義とも言うけれど。

▲それは違う。 以前にある記者の方が遮断主義ではないかといいましたが。 性格がそうなので。 私が決めた日常があり、その日常は私の日常だ。 これをおかされればそういうこともあるようだ。 それは違うようだ。

-1170万人が1年の間劇場で見た人なら責任感も特別でなければならないようだが。

▲最小限興行に対する責任感はいつもある。 今回出来なければ次回には必ず報いるという心. こういうものもある。 今回もデビュー監督と作業をした。 '義兄弟'チャン・フン監督も二番目の作品であったし。 漠然と以前から持つ考えは韓国映画を発展させた先輩らよりさらに発展させなければならないという義務感がある。 私たちと同じ若い空気で、もっと上手くやらなければならない。 何かこういうことだ。

-余談だが小中高時期に女子学生が訪ねてくることはあったか。

▲小学校の時は多くなかった。 中学校1学年の時154㎝であったが卒業する時184㎝になった。 ちょっとあった。 距離をおいた。 私を好きになってくれるのは有難いが私が好まないのにややもすると誤解を与えて傷を与えることがあるので。

 

コメント (8)
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