先日、実家に行った時は父とは何の問題もなく。
一方、母の方はというと、とりあえずランチに行こうと連れ出し、車の中で○○に行こうと思うと話したら、行きたくないと言い出す。こんなにはっきり私に嫌だと言うのは珍しい。気分が悪い、今日は調子が悪い、死にたい時ってこんな気もちなのかな、そして、こんな格好で行くのが嫌だ。そこだったんだ。
今回行くのは繁華街にある美術館。(ミニチュアの展示を私が見に行きたかったし、母も楽しめるんじゃないかと思って)確かに母はブラックジーンズにアイボリーのジャンパーとラフな格好(午前中父と散歩に行ったらしく、そのままの恰好)そんなの誰も見てないよと言っても、自分は同年代の人がどんな格好にしているのか見ると。珍しく頑固だ。
そこで第2候補の猫カフェに行ってみようと誘ってみるが乗って来ない。とりあえず行けば気が変わるかもと、まずはランチへ。するとパスタを残さずペロリ。だいぶ調子もよくなってきた感じなので、猫カフェへ。私も行くのは初めてだ。元々犬や猫が好きなので、母も楽しそうにしていた。子猫が母の膝に乗って来て眠ってしまったし。1時間ほど滞在してドリンク込みで1100円。これが安いのか高いのかはわからないけれど、猫ちゃんたちのご飯代や病院代になると思えば高くはないか。
母にとっては映画や美術館よりも猫カフェの方がいいのかもな。また機会があったら、連れて来よう。
その後はツタヤに寄った。すると母がスケジュール帳を買うと言い出す。「前に買ったから家にあるんじゃないの。探してなかったら買ったら?」と言うと、棚に戻すも、しばらくするとまた手に取ってレジに行こうとする。もうそこは言ってもしょうがないと止めず。短期記憶は持たないが、買い物はまだまだ普通にできるだんよなー。
一旦家に帰りゆっくりしてから、買うものをメモし、近くのスーパーへ。母はすぐメモを持ってきていることを忘れてしまうので、その都度「メモは?」と聞いて一緒に商品を探す。一通りかごに入れたのでレジに行こうとしたら、母が「夕飯も」と言うので、「そうだったね」と私。まだまだ母もしっかりしてるんじゃ。作るのが面倒なので、お弁当を買って。
それから、持ち手の取れてしまった真っ黒なフライパンを使っていたので、ホームセンターで購入。ついでにやかんも笛吹きケトルに買いかえ。またこれもどこかしまい込むんじゃないかと思ったけれど、翌朝も使っていたのでよかった。
そういえば、アイボリーのジャンパーを家に帰ってから見てみたら、本当に薄汚れている。でも、翌朝それをデイサービスに来ていくと言うので、洗濯するかクリーニングに出した方がいいと言うと、そうすると。でも、きっと私が帰ってしまったら、また忘れて着続けるんだろうなと思い、洗面台で洗濯することに。ところが、洗剤がない。「あれ?洗剤は?洗濯の時どうしたの?」と聞くと、「買ってくるの忘れたから、石鹸を溶かして入れた」と。おーーい、どういうことだ!昨日買う物メモして行ったけれど、そこは気づかんかったわ。で、「本当にないの」?と洗面台下の扉開けたら、詰め替え用の洗剤が入っとったわ。
そして、洗濯して脱水へ。これが洗濯機の音がとんでもなくでかい。かなり年季が入っているから買い替えた方がいいんだろうけど、新しくなったら使い方がわからなくなるかも…と思うと、どうしたものかと。
そして、デイサービスだったので、送り出してから帰る。
まぁ、今回は前回の修羅場著は打って変わって平和に。
それにしても新たに出て来たお金問題。認知症になるといろいろ面倒なんだなぁ。
もし父が死んだら、もし母が死んだら、もし施設に入れるとしたら…とかいろいろ考えてたら際限なさ過ぎて気が滅入る。本も買ってざっと目を通したが、とにかく面倒くさい。起きるであろう問題は明日かもしれないし、5年後かもしれない。それなのに毎日どうなるんだろうどうなるんだろう…と考えながら生活するのも疲れる。ある程度準備しておいて、なった時はなった時でしょうがない。
不毛な戦いをしたからといってそのままにしておくわけにもいかず、2週間後にまた実家へ行くつもりで手紙だけ送った。(特に用事もなかったけれど、間が空くとやっぱりなんとなく気になるもので)それに、次女の成人式の振袖を予約した際に撮った写真もあったので、同封。(母も孫の話になると表情が全然違うので、少しでも笑顔になってくれればと)
さて以前の日記にも書いたが、1月に突然義父が亡くなり、夫が手続き等に振り回されここ1カ月以上は本当に大変そうで(最近やっと落ち着いた感じ)。
そこで、「これからあと3人送らないといけないから、メモっておいて」と言ってはみたものの、夫は仕事も忙しく、なかなかそこまで手が回らない様子。そこで(夫からなんとなく話は聞いていたものの)どんな感じなんだんだろうとネットで調べたり、図書館で本を借りてきて、ざっくりでもいいので頭の中に入れておくことに。(実際のところやってみないとわからんけど、雰囲気だけでも)
ちなみに借りて来た本は「定年直前から死んだ後までお金の手続きがすべてわかる本」主婦と生活社
2016年刊行だが、だいたいの流れなどが知りたかったので、特に問題無し。
そんなざっくりとした気持ちで目を通していたら、「認知症になった人は法定後見人制度を利用しよう」というのがあって、はっ??となる。何それ?初めて聞いた。いやいや家裁とか超面倒くさそうだし、本当に必要?とにかくわからなさ過ぎて、早速ネットで調べまくる。
そうすると、えっ!認知症だと口座が凍結されるの?!いや、それは困るわ。(死んだ時だけじゃないんだ)
でも、普段は父親がATM使ってるだろうし、窓口には行かないから大丈夫か。
万が一の時は後見人立てなきゃいけないの?前もって本人が後見人を立てる方法もあるらしいけど、認知症と診断されてるから無理らしい。(まだ今は、短時間話しただけじゃ認知症だとはわからないレベルだし、短期記憶力は落ちているけれど、一応買い物とか料理や洗濯もやってはいるけど)
いっそのこと口座解約しちゃうか。いやいや、年金は本人名義の口座じゃいけないらしい。
とか何とか、頭の中をぐるぐる。
こんなこと誰も教えてくれなかったよー。認知症についてネットで調べたり、本を読んだり、友達や知り合いに話しても、一切お金の話とか出てこなかったよー。
そんなこんなでネット漁りまくってたら、
2020年3月全国銀行協会からの通達により
・戸籍抄本などで家族関係が証明できる ・施設や病院の請求書によってお金の使い道が確認できる場合は、家族が引き出したり振り込んだりすることができるらしい。
ふーっ助かったー。でも、これも絶対ではないらしく、詳細や現状がいまひとつわからん。とりあえず母については今すぐどうこうということではないので、こういう選択肢もあるということで頭に入れておこう。
そして、相続のことも気になり調べてみたら、相続人の中に認知症の人がいると、通常の相続の手続きができないらしい。オーマイガー!
しかもここにも出て来た、後見人!それにこの後見人、親族を候補にして申し立てをしたとしても3割くらいしかなれないらしく、後の7割は弁護士などの専門職が選定されるらしい。すると、報酬を払わないといけないし、お金を引き出すのにも相当の制約がかかってくるらしい。しかも、一旦選定されたら死ぬまで変更不可。メリットはどこ?!
と思ったら、親族がなれない場合って、訴訟を起こしていたり行方不明だったり未成年だったり、あとは財産が高額だったり複雑だったりするケースらしいので、我が家は大丈夫だとは思うんだけど。(父曰く預金は葬式代くらいしかないと言ってたし。それもどうかと思うけどー)
すると、遺言書があれば後見人を立てたりする必要がなく、相続もスムーズにできると書いてある!
遺言書で、認知症である母ではなく私や妹が相続するように書いてくれれば、手続きも煩雑にならずに済むし、私が管理した方がその後も何かとやりやすいだろう。
そこでとりあえずネットで得た情報をプリントアウトしたものと(ここに書いたのは一部で、ひたすらネット上をさまよい、必要な情報を選び、頭を整理するのに数日かかった)、ワードで要点をまとめたものを父に渡して遺言書を書いてもらうことに。
父は元々まめできっちりとした性格なので(これがいい方向に働いている時はいいが)、本人が納得してスイッチが入ってしまえば、完璧な遺言書を書き上げるんじゃないかと。
そこで、最初ざっくり説明して、持って来たプリント類を渡そうとすると、本人もなんとなくは知っていたようで。(おいっ知ってたんかい)しかもけっこう楽観的な様子。(更においっ!)
口座はATMで下ろせばいいけど、相続の時が大変なんだ、後見人を立てないといけないんだと。すると、立てればいいと。いやいや、家裁に行って手続きが面倒だし、何カ月もかかるらしいと。遺言書があれば手続きがやりやすいからととりあえずプリント類を渡して、母とランチに出かける。
頭はしっかりしているので(性格に難はあっても)、じっくり読めばちゃんと理解してわかってくれるんじゃないかと。
すると、夜、父が役所関係は手続きは大変だからなとか、向こうはこっちの事情とか関係なく、法的にあーしろこーしろとか言ってくるからなとか言うので、おーわかってるじゃないか!と全力でそうそう!と相槌を打つ。すると、遺言書は書くからと言ってくれたので、今すぐじゃなくてもいいので…とお願いしてきて、まずは一安心。
今回はとにかく父との関係は平和そのものだった。昼間は母と二人で出かけ、夜は父は気晴らしに飲みに行ったので(前回のこともあり多少の気まずさはあったのか)、一緒にいた時間が少なかったというのもあるんだろうけど。私もとにかく波風立てないことを意識していたし、お互い地雷を踏まないように気をつけていたような気はする。
さて、義父の死きっかけではあるが、お金関係のことが知れてよかった。お義父さん、ありがとう。
途中いろいろ不安になり過ぎて気持ちが滅入って、ネットでめっちゃ占いを検索したけれど(^^;)(普段占いとかほとんど見ない人なのに、何かにすがりたかった)
なんだかんだいっても二人とも今は元気そうだけど、いつ何があるかわからないからな。準備しとくに越したことはないな。
その2の続きの前に。
タイトルを「無用な戦い」としてたけど、ふと「不毛」だよな…と。なんか違和感あったんだよなー。
ただそれだけです。どうでもいいことだけど、タイトル一応変えました。
では、続き。
やりあってる途中で「ビデオに撮ってもらってもいい」と父が何回も言うので、こっそりスマホで録音した。家に帰って夫に聞かせたら、「大変だったね」と。夫も父の傍若無人ぶりは体験済みだが、それでも相当あきれていた。私もあらためて聞いてたら心臓バクバクしてくるし、二度と食って掛かるのはやめようと思った。どんなに言っても通じないし、時間の無駄だ。何か伝えたいことがある時はしらふの時にもっと上手く伝えないと。
それにやりあっている内に「どうせ俺が悪いんだ。みんなで俺を悪者扱いすればいい」とか言い出す(駄々っ子か)。「だからどっちか片方が全部悪いわけじゃないし、悪者とかじゃない。お互い様なんだから」と言っても聞かない。ほんと100か0か、この思考回路どうにかして欲しい。
俺が何をされたか話してやろうか…の内容も結局母の親戚の悪口。(母がお風呂に入っている間に聞かされた)内容はここには書けないが、まぁ同情すべき点は少しはある。でも、何十年前の話だ?それに母の性格とは関係ない。(中にはそれを娘に話す?みたいな内容もあって、墓場まで持っていこうかと思ったけど。夫に話したら、全部が本心じゃないんじゃないかとは言われたけど、それを実の娘に話す神経にあきれる)親戚がそんなだから、母が血や育ちで何もできない、言うことを聞かない人間になったというのは無理があり過ぎるし、まさに人権侵害。
結局自分に原因があるとは1ミリも思っていないらしい。あっ、でも以前「自分が完璧主義だから母がこうなたったんじゃないか」とは言っていたな。でも、それは完璧主義じゃなくてモラハラだから。
結局私が2階に行っても追いかけて来て、あーだこーだ言って。やっとリビングに下りて行ったから風呂に入ろうとしたら、今度はリビングから父が母に説教している声が聞えてきて、またリビングに戻り母を先に風呂に行かせて、また父の相手。さすがに私もへとへとだったんで、それからは特に口答えせず話を聞き、「とにかく何かあったら協力するから」と言うと「特にすることはないけど」みたいなことを言って来る。そこは「その時は頼む」でよくね?
母がお風呂から上がって来てからも二人きりにはさせたくなかったので、父が寝室に行くのを待ってから私はお風呂へ。しばらくすると、また父が母を叱っている声が聞えてくる。「どうしたの?」と聞くと、「寝る時に危ないから、懐中電灯を持てと言ったけどどうのこうの…」と。私も内心「で?」という感じで言葉が出ず。わけわからん。怒鳴ってまで言うことか。父からしたら俺の思いやりを無にしたとか、こいつは何も言うことを聞かんということなんだろう。そして、父は寝室へ。
2階へ上がった母の所へ行って、「ごめんね」「我慢できんかった」と。あーこの会話7年くらい前にもしたわー。その時は父が次女に「バスケをやめろ」だの「勉強を頑張ってない」だの意味不明なこと言い出して、「○○(次女)は頑張ってる」「私が一番そばで見てる」と言ってキレたんだった。私は何を言われてもいいけど、家族のことを言われると我慢できん。
「いずれはお母さんは施設に入った方がいいかもね」と言うと、「そうだね」と。「でもお金がいるからねー」とか話をしていたら、母が「お父さんは最近やっぱりおかしい」と「昔からやん」と私。そして「デイサービスに行ってる時、お父さんは何してるのかなぁ」と言い出す。(父はいつ「迎えに来てくれ」という電話がかかってくるかわからないので、家で待ってるみたいなことは言ってたけど)「(父が女性に)ふられたのかな。それでイライラしてるのかな」って。おーい、結局そこかい。やっぱり変な夫婦だ。
結局父が「離れろと言われる意味がわからない」と言っていたのは、俺は何も悪いことはしていないし、尽くしているのに(毎日午前中はどこかへ連れ出していると言う)。何もできないし言うことを聞かないのは妻なのに、なんで離れろと言われるのかわからない…ということなんだろうか。私にはさっぱりわからん。
まぁ、頭に来ていろいろ言い返しはしたけど、意外と頭の中は冷静だったような。でも、途中から身体的におかしくなりそうというか、心臓バクバク、手は震える、胃がムカムカするような感じ。二人とも寝てしまってからテレビで気分転換しようにも、なんとも気持ち悪い感じが抜けず。興奮して寝付けそうになかったので、とりあえず手帳に思い出せることはメモってみたら、少しはスッキリしたけど。
翌朝は何事もなかったかのように普通。母は覚えていないのかな。その方がいいけど。
帰りの車の中であれこれ思い出すも、あきれるやら情けないやら。そして、なんであんな不毛な戦いを挑んじゃったんだろうという激しい後悔。あー無駄な時間を過ごしちまった。でも、そこに悲しいとか寂しいとかいう感情はなく、涙も一滴も出ない。
ところが、娘達や夫のことを思い出してなんとしても頑張らないとな…と思うと涙あふれる。今の家族があるからなんとか頑張れる。一人だったら、どうなってたかわからんな。
まぁ収穫があったとすれば、私も父や母に似ているところはあるし、欠点だらけの人間だということだ。そして、それを両親や環境のせいにして生きて来たところがあるということだ。それをあらためて気づかせてくれただけでもありがたいと思わなければな。
相変わらず自分に自信がないし、なんでこの年になってもこんなに変われないんだろうと思うことはあるけれど、今からでも遅くはない。ちょっとでも変われればいいなーと思う五十路の春です。
その1の続き。
とにかく堂々巡りが延々続く。
お母さんが何もできないっていうのはおかしい。そういう時もあったかもしれんけど、全部が全部じゃないやろう。→いや全部だ。
お母さんが言うこと聞かないわけないやろう→絶対「はい」「ごめんなさい」「どうしたらいいんですか」と言わない。
夫婦なんだからお互い様。片方だけが悪いっていうことはない→俺は何も悪い所はない。
じゃぁ50何年もなんで夫婦やって来れたの?→俺が我慢してきたからだ。
怒らないで。優しくして。→しつけや行儀だ。直さないといけない。
認知症だから言っても忘れるから、怒らないで。→認知症じゃない。料理とか洗濯とかやってるし、普通に人とも話せる。→冷蔵庫の中を見てよ(豆腐が何丁も入ってたり、いつのかわからない食材もある)今は認知症初期だけど、その内料理とかもできなくなる。
やたら母の声が小さいと言うので、じゃぁ補聴器つけたら→俺は他の人と話す時は不自由に感じたことはない。何度言っても声が小さい母が悪い。(そりゃこんな風に日常的に言われたら、委縮するわ)
仕事に定年はあるけど、家事に定年はない→料理なんてたいしたことない。俺だって忙しい。
「お母さんはちゃんとやってきた」と言うと、小馬鹿にしたように笑う父。「そこ、笑うところじゃないよね」「お前は知らないだけ」不気味過ぎる。
母は向上心や好奇心がないとか言い出す。いやいや、前は絵手紙とか押し花とか山登りとか趣味もいっぱいあって、お母さんは誰にも負けないとか言ってたよね(母は小さな声で勝ち負けじゃないって言ってたけど。私も同意)
思い出すだけでもこんなにある。これが何度となく繰り返されるカオス。
あまりにも父が「何もできない」「全然言うことを聞かない」と言うものだから、母も合間合間に「そんなことはない」と口を挟んでくるが、父の勢いがすごすぎる。そして、結局母は「私が悪かった」と言い出す。「お母さんは悪くない。お母さんは頑張って来た」と言うけれど、それをまた打ち消しにかかる父。ほんと黙れ。
やり取りの間にデイサービスを週2から3回に増やすかという話になった時も、母に振ると、その時々で2回でいいと言ったり3回でと言ったり、自分の気持ちというより波風立てないことを優先しているようにも見える。
そういえば、母が言うことを聞かないという具体例として父があげたのが、レストランの話。
レストランで食べ終わって、俺がお茶を飲んだり一服しようとしたら、さっさとお母さんは会計に行く。それを何度注意しても直らない。(それがずーっとだと言う。でも、今は認知症なんだし、その時に優しく言えばいいのにできないんだ)でも、母の友達の○○さんと食事に行った時は「どうぞゆっくりしてください」とちゃんと気を利かせると。やっぱりなーとここで合点がいく。
母は日頃からあれができないこれをしろと言われ、友達の○○さんはちゃんとできるのにとか見習えとか言われたんだろう。その劣等感や嫉妬が浮気妄想につながってるんだろうなあ。これはまあ予想通りだ。
そして、やたら「責任」と言う父。売り言葉に買い言葉で私も「お父さんには愛情はないかも」(本当は全くないけど「かも」で濁す)と言うと、「それと同じだ」と言われる。一瞬意味がわからず。父は母に対して「愛情じゃなく責任で面倒を見ている」と断言。へーーーー。そこまで言い切るのは逆にあっぱれというか。この人すげーなと。しかも、娘に向かって。(私も同罪か)
私が責め立てたことが気に食わず、「俺がどんな目に遭って来たかわかるか、聞かせてやろうか」と急に被害者面しだす。「過去の話は聞きたくない。今の話をして」と言うと、「お前は自分の言いたいことだけ言って俺の話は聞かない」と言い出す。一体母が父に何をするんだと思ったら、母の親戚や育ちの話らしい。「母の血に問題がある」とまで言い出す。「そんなこと言って失礼だとは思わないの」と言っても聞かない。ほんとにこの人はおかしい。
それから、「お前は俺とは子供の頃何も話さなかった」とか言い出す。「それはお父さんが怖かったから」
父は夜遅く帰ることが多くて、帰って来ても機嫌悪そうで、勝手にテレビのチャンネル替えられても何も言えなくて、話しかけられる雰囲気でもなかったし、話しかけられても委縮して普通には話せなかった。ある程度の年齢になると2階に上がって避けていたのも事実だ。それって私が悪いのか。
しかも、「何もかも自分たちで決めて全部事後報告だった」と。ていうか、母親を通して何でも許可を取ってから動いてたけど。漫画本買うのも、門限もガッツリ決められて、進学の時も県外はダメだと言われて。
とにかく自分は家族に相手にされなかったという口ぶりだ。それも全部私たちが悪いんだろう。
挙句の果てに私の家族のことまであれこれ言い出す。「挨拶もろくにできない」「挨拶してる」と言っても、「普通は少し腰をかがめて、おじいさんお元気ですか…とか言うもんだ」とか(どこの貴族だ)、「孫たちは来てもただ黙って座ってるだけだ」「お世辞でもいいから山登りするってすごいですねーとか言うもんだ」と(お世辞でいいんか)。まぁ実際のところ私達家族は愛想笑いしながら黙って聞いてるだけだけだから、それは否定できないけど。ていうか、来てくれるだけでもありがたいと思え。(7年前に縁を切ればよかった)
実際、主語のでかいネガティブな話(テレビはくだらん、日本はだめだ、国会議員は云々)や説得力のない自慢話(家族からこんなに疎まれてるのに本当にそんなに慕われてるのか甚だ疑問)や説教じみた話(同じ話を会う度に何度も。言われんでも友達おるし、趣味もあるし。私の趣味の話しても難癖つけられるだけだから言わんだけじゃ、ボケ!)ばっかりだし、自分の物差しでしか判断できないのに、孫が懐くか!
あんまり頭に来たのと、疲れたのと、やりあってる途中で食ってかかったことを後悔してとっとと終わりにしたかったので(話しても通じない相手だとわかっていたはずなのに、無駄な時間とエネルギーを使ってしまったという後悔)「ごめんなさい。私の育て方が悪かったです」「もう風呂に入ります」と2階へ。でも、これがまた追いかけて来るし、ほんと勘弁してくれ。
その3へ。
あーやってしまった。
2月半ばに次女と共に実家に泊まった時は特に何事もなかったのに。母が次女に「身長何センチ?」と3度ほど聞いたくらいだ(もはや通常運転)
ところが、先週母の病院に付き添い、実家に泊まった時にやってしまった。
その前に、まず病院での父の話。
特に母の症状は変わらず。記憶力は相変わらずだし、指輪がないというので買ってあげたとか、お金が無くなる(使った?)度に1万あげているという話。
以前は母が買い物している間、父は待っていたが、今は後をついていっているとのこと。私が前に手紙で「お母さんは買う物をメモして、お父さんは冷蔵庫などにある物をメモして行って、ある物を買おうとしたら止めて欲しい」と書いたけど、それは実行しとらんのか(期待はしてなかったけど)。でも、父のあの口調で母に指摘したら、それはそれでストレスがたまりそうだしな。
デイサービスについては、最初の4~5回は渋ることもあったが、最近は自分で準備をして待っているとのこと。本人も楽しいと言っているらしい。(後で連絡帳を見せてもらったが、お手伝いやパズルなどをして楽しそうにしていると書いてあった)
しかし、家では相変わらず物を投げたり、妄想(父の浮気を疑う)はあるらしい。2月初めにうちに連れて来た時の母は穏やかで特に問題無かったけれど、やっぱり父といるとストレスがたまるんだろう。先生は薬の効果はあまり期待できないので(今までいろいろ試したけれど、大きな効果はなかった)、それよりも二人が離れる時間を増やした方がいいと。デイサービスを増やすとか(週2から週3に)、もしくはデイケアでもよいとのこと。しかし、父はあまりピンと来ていない様子。
先生が父の母への対応について聞くと、「自分の耳が遠くなってきたのに、(母の)声が小さいのでそれを叱責することがある」という(ほんとにやめてくれ!ていうか、よく先生に言えるな。自覚がないのか)。先生も怒っても何も変わらないし、ネガティブなことは言わない方がいいと言ってくれるけれど、これまたピンと来ていない様子。父からすれば、大きな声を出さない母が悪いということなんだろう。
(私のメモによると、この話をしている時だったか?父が「生まれつき」とか「遺伝」とか口走ったんだけど、先生はスルー。私もその時はあまり気に留めなかったんだけど、これが夜の修羅場につながる)
そこで、先生が「奥さんが癌だったらどうされますか」と聞いてくる。そうすると、父も「優しくする」と言う。「それと同じですよ。体は元気に見えても病気なんですから」と。父自身が「変わること」が大切だと先生はおっしゃってくれるが、どうも響いていない模様。(お手上げじゃー)
私も先生に何を相談していいんだか。私が言いたいことは先生がおっしゃってくれたし。でも、どうしても変わらないこの親父をどうしていいんだかさっぱりわからない。(母の症状が停滞していることだけが救い)
この後看護師さんともお話をして、「離れる時間を増やした方がいい」とおっしゃってくれたが、やっぱり納得いかない様子。看護師さんも「たいてい男性の方が寂しがる」とか「離したがらない」とか言われていたが、父の場合それとも何か違うような。何かはわからんけど…。私もたまに手紙を書いたり話をすることもあるが、何をどうしていいのかわからない。今のところはまだ何とか生活もしているので、様子を見るしかないかと。
すると、夕食の時に父が「離れた方がいいと言うけど、意味がわからない」と言い出す。「ずっと家に一緒にいるよりそれぞれの時間を作った方がいい」とか、「家で別の部屋で過ごしているとは言っても、家にいればお昼ご飯の準備とか気になるし」とか、「先生が言うんだから、とりあえず試してみたら」とか言ってみるが、納得しない。私もどうしたらわからない。
そして、何の話の流れだったか忘れたが、突然「何にもできないから」と言い出す。はっ?誰が?自分のことを全肯定する父が自分のことをそんな風に言うか?でも、母は認知症とは言っても料理や洗濯はやっている(掃除はあまりしてないみたいだけど)。そして、父は家事はほぼできないので(風呂掃除くらいか)、思わず「えっ誰が?お父さんが?」と聞くと、「お母さんが」と言う。「何もできないわけないやろう。毎日料理も洗濯もしてるし」と言うと、「いや何もできない」と断言。そして挙句の果てに「俺の言うことは聞かない」とまで言い出す。「そんなことはないやろう」「全部が全部っていうわけじゃないやろう」と言っても「いや絶対に聞かない。聞いたことがない」と。開いた口が塞がらないとはこのことか。ここで私のスイッチが入ってしまった。そして、長い無用の戦い始まる。
「お母さんだって頑張ってる」とか「家事や子育て頑張って来た」と言ったら、なぜか森さんの話を持ち出して「俺は女性を尊敬している」「国会議員はろくなやつがいない」とか、得意の主語がでかい話にすり替える(そんな話いらんわ)。「女は出産・育児と大変なことをしている」「結婚しなくていいとか子供を産まなくていいとかいうのは間違った考えだ」いや人それぞれやろ、ていうか何の話だ?!
主語がでかい話の時、一見真っ当そうなことを言うけど、その内あれっ?ってなって、それが身近な話になると真逆になるのは父の得意技だ。
とにかく「そういう話はいいから、お母さんを怒らないで。優しくして」と言うも、「間違ったことはしてない」「しつけだ」とか言い出す始末。はっ?いくつだと思ってんだ。
そして、なんでこの話になったかわからないけれど、「俺は未だに部下にもメーカーの人にも慕われて、今でも連絡が来る」「定年した時に他の会社から誘いがあった」とか自慢話始まる。いやいや家族みんなから疎まれてるけど。頭に来たので、「じゃぁなんで○○(妹)は寄り付かなくなったの?」「親不孝だから」「お父さんが肝心の時に守ってくれなかったからでしょ!」と言うと心外だという感じ。過去の話をしても「そんなことはない」「俺は記憶力がいいから全部覚えてる」と全くなかったことにする父。「都合の悪いことは全部忘れて!」とキレる私。
少なくとも私の記憶じゃ妹は父から3度は拒絶されてる。私も仲直りできないかと手紙を書いたり、実際に父に話しに行ったこともあるけれど、それも全部忘れてしまったんだろう。昔からそういう所があるとは思っていたけど、ここまでとは。特殊能力か!
この後も堂々巡りの会話が続くが、長くなったので、続きはその2で。