雪が止むことだけが決まっているなら

モラハラの父と認知症の母と…

そろそろ?いやまだまだ?

2021-11-12 16:52:16 | 日記

一ヶ月前、実家に行った時の日記を書きかけのまま放置してた(^^;)

私が実家に着いた時、まだ母はデイサービスで父と二人だったので、少し話。

ケアマネジャーさんから、母も「いずれお風呂やトイレも自分できなくなるだろう」と言われたと父。私が「その時は施設に入れたら」と言うと渋る。母自身もずっと施設に入れてくれと言っていたし、私が同じ立場だったとしても家族の世話になるより施設がいい。渋るのは、金銭的な問題かと思えば、「虐待が心配だ」と言う。えっ???「そんなのはほんの一部やろう。身内の方がなんでできないのかってイライラしたりするけど、向こうは仕事だから、お母さんが忘れたりできなくても割り切ってお世話してくれるよ」といってもスルー。
「食事は買ったり弁当を頼んだりすればなんとかなるし」と父。いやいや、肝心なのはお風呂やトイレの世話だろ。
「自分の兄夫婦はそうやって自宅で亡くなるまでやっていた」と父。いやいや、そもそもお世話していたのはおばさんで、うちとは真逆だ。しかもうちの父親は何も家のことできないのに、無理。「ヘルパーとかに頼めばいい」というが、「毎日来てくれるわけじゃないし、24時間いるわけじゃないよね」と。
私も仕事あるし、同居する気はないし(父とひとつ屋根の下とか絶対無理)、介護とかできる自信ないし(正直、下の世話とかしたくない)、本人も施設の方が安心だと思う。
だったら、俺が家事をする!とか覚える!とかは絶対言わない。他人様にどうにかしてもらうにも限界があるし。
ただ単に一人になるのが寂しいのか。

そして、母は料理もだんだんできなくなっている、洗面所も水びたしにしたと。残り湯の汲み取りポンプを使うのをやめた方がいいと言ったが、鈍い反応。そもそも洗濯機の使い方がわからないのか。そこで、ポンプは使わないように私が持って帰って、「水道水で洗濯してください」と張り紙をしておく。

そして、「近所の人もみんなお母さんのこと(認知症)を知っている」と言う。「いいことじゃないの」と言ったら、特にそれに対しては何も言わない。(何だろうー。私の受け答えに対して、ちょいちょいスルーされるんだけど)
「卓球にも行ったけど、みんなが相手にしない、相手してくれるのは一人だけだ」と言う。認知症になる前は楽しみに行っていたけれど、不快な思いをするくらいなら行かなくてもいいんじゃないかとも思うが、それは言わず。

とにかく父と話していると、反応がなかったり、話が変わったり。聞こえないのか、聞きたくないのか。とにかく会話のキャッチボールが成り立たないので、やりにくい。ボケとか言うより、昔から自分のペースで話し、自分の興味のないことや意にそわないことは聞かない人だからな。

そして、「遺言書を書こうと思う」と。まだだったんかーい。それに関してまとめた紙を渡される。特に「異存はない」と私。
相談したら、公証役場で書いた方が言われたとのこと。どうぞどうぞ。
成年後見人は私にした方がいいと言われたと。わかってはいたけど、いろいろ面倒そうだなー。まぁしょうがない。

妹にも後日電話をして事情を話す。最初は不動産は私、預金は妹にしてもらおうと思ったが、妹は何もいらないと。そう言うだろうとは思っていたけど。実際、預金がびっくりするくらい少なくて(よくこれで老後やっていこうと思ってるな)、父の死後は葬儀だったりで物入りで、たいして残らないだろうから、結局不動産も預金も私が全部相続することに。こっちにいる私がいろいろやらなきゃいけないので、その方が面倒じゃなくていいかなと。

病院では、「いよいよ記憶力も判断力もだめだ」と言う父。毎回だ。私はそこまでとは思わないけど、一番一緒にいる父が言うので何も言わない。
「買い物も前は冷蔵庫を見てメモをしていたけど、今は何を買うのかわからない」とか。そんなに?「料理もできなくなりそうだ。本人も不安みたいだ。でも3食作っている。」と。
すると、先生は「もう料理はさせないで下さい」という。「楽しいことやできることをするのがリハビリで、つらいことや大変なことをやるのは苦行です」。先生にしては珍しく強気だ。
でも、言いたいことはわかるが、料理をさせないというのはどうだろうと思っていたら、私に振られたので、
「今は料理ができているから、まだ大丈夫と思っている部分があると思う。料理ができなくなったらダメになると思っているようなところがあるので、やめさせるのはどうかと。回数を減らすとかで今はいいのではないか」と伝える。
先生も「本人が苦しくなければ別にいいけれど、ここまで進行していて料理をするのは珍しい」というか「無理がある」と言う感じだった。
確かに、診察室での母は無表情で聞かれたことに対して、いつも決まった答えをするだけだから、そう見えるんだろう。元々社交的ではないし、口数も多い方ではない。
でも、家では普通に会話もするし(話が弾むという感じではないが。私も何を話していいのやらという所もある)、とんちんかんなことはそこまでない。とにかく短期記憶がダメなんで、そこは周りがフォローすればまだやっていけそうな感じだ。

家に帰ってからは、母と二人で衣替えをした。急に冷え込んだにもかかわらず、母はいつも着ている七分のシャツに薄手のカーディガンだった。「もう長袖を着ないと」言うと、「長袖が無い」と言うので、「そんなはずはないやろう。去年着てたやつがあるはず」とタンスを見てみる。
ハンガーに掛かっている下に山積みの服。全部引っ張り出してみると、長袖が4着ほど出てきて、内タートル3着だけど、もう着てもいいだろう。
破れたり穴が空いたりしている服は私が持って帰って処分することに。

買い物に行く前に、二人で冷蔵庫を見てメニューを考え、メモする。この間にも同じ質問が無限に繰り返される。酢豚を作るのには何が必要かは自分でわかっているが、ただピーマンが冷蔵庫にあるということが覚えられないので、何回も聞いて見に行く。買い物中も似たような感じ。
帰って来てから、メニューを台所に貼って、私は買って来たハンガーに洋服をかけたり他のことをしていたら、いつの間にか勝手に酢豚作っている。本人も「作れるかなー」と言っていたのにちゃんと手順は覚えているらしい。味付けは薄かったけど、問題無し。
他にもほうれん草のごまあえを作ろうと言ったら、なぜか鍋にお米と水が入っている。炊飯器にはご飯はほとんどない。そして、なぜかレンジの上に冷やご飯(せめて冷蔵庫に入れてくれ。それは処分することに)そして、お米を炊飯器に。

朝は朝で、炊飯器にご飯が炊いてあるのに、鍋にもお米と水が入っていて、おかゆを作ると言う。なぜかと思ったら、父が「今日歯を抜くので、今日の晩御飯からはおかゆにしてくれ」と言ったらしい。いやまだ朝だし。父も夕方に言えばいいのに、母は早速おかゆを作っているが、どうしたらいいかわからないと。とりあえず火をつけるが、結局時間が経てば水分を吸ってしまって、ただの柔らかいご飯がたくさん出来上がる。結局私が持って帰ることに。
炊飯器いっぱいのご飯は私が小分けにして冷凍庫に入れておいたら、空の炊飯器を見た母が、またお米と水をいつの間にかセットしている。どんだけご飯炊くねん!!

父も「お母さんがおかゆの作り方がわからないと言っている」と言うので、「スーパーに行けばレトルトのおかゆが売ってあるから。買ってきてあっためればいいよ」と言ってもまたスルーだ。自分が納得しないと、いつもそうだ。
一人でぶつぶつと、「○○さん(母との共通の知り合いの女性)に聞いて見ようかな」とか言っている。いや、スーパーに行け。ていうか、前回のレトルトカレー同様、どうやって食べるのかわからんのやろ。それくらい出来るようになってくれ。

夜はお酒が入って、俺は優しい、俺は頭がいいと自慢話。そして、主語のでかい話。本はよく読むし、確かに知識はあるんだろうけど、全く響かないが、ひたすらうんうんと聞く。

また来週、実家に行くので(父はカラオケ)、母と一緒に買い物したり外食したりのんびり過ごすかー。
そうそう、髪が真っ白なので、白髪染めしてあげるかなー。やったことないから、できるかわからんけど。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする