雪が止むことだけが決まっているなら

モラハラの父と認知症の母と…

母の退院、リハビリは…

2022-07-22 16:12:21 | 日記

早く更新しなければ…と思いつつ、あっという間の1週間。
先週、母は無事退院できたものの、その後もバタバタと忙しく、空いた時間があると録画消費に追われ、アップするのがすっかり遅くなってしまいました(^^;)

さて、母の退院はいつになるのかなーと書いたの夜、結局夜まで父から何の連絡もなく、もやもや(日曜には予定も入っていて、どうしたもんかーと)。そこで、夜7時ごろ父に電話してみたところ、転院先の都合で退院は19日になると言われたとのこと(えっ、あと5日もか!ていうか、教えてくれ)でも、父は入院が長引くのはあまりよくないと思ったらしく、早く退院させて欲しいと病院にお願いし、今はその返事待ちだと。(なんだよー。途中経過教えてくれよー。日曜の予定やシフトをどうするかで、ずっともやもやしてたわ)そもそも1週間くらいの予定だったから、もう退院しててもおかしくないんだよなぁ。
それに、確かにずっと入院したままだと認知症がどんどん進みそうで怖いし、足腰もどんどん弱りそうだし(少しは歩いたりもさせてくれるんだろうけど)、個室代もばかにならないし(これも重要)、術後の経過が問題ないのであれば一旦家に帰った方がいいよなー。

そして、8時過ぎに父から電話があり、先生の許可が出て明日退院とのこと(急だな!)早速シフトを交代してもらい、明日の泊りの準備をしたり、洗濯機を回したりとバタバタ。
翌朝は7時半に家を出て実家へ行き、病院へ。話を聞くと、父は前日に病棟に行って母にも会ったらしい。(しかし、母は無反応だったらしいが…)そして、歩いているところを見たり、看護師さんと話して、そこで退院の話も聞いたらしい。じゃぁ昼間には退院の話聞いてたんかい。

さて、病棟には一人しか入れないので、私が行くことに。ところが、看護師さんが母の服がないとおっしゃる。いやいや、入院した時に着てた服があるはずですけどー。ズボンはあるが、なぜか上がないと。大部屋ならまだしも個室だし、謎だ…。とりあえずローソンに買いに行くと、病棟から電話が。なんと母がパジャマの下に着ていたと!(なんだ、そりゃ。とにかく買う前でよかったわ)

そして、しばらく待っていると、車いすに乗った母登場。やはり無反応だ。私は看護師さんと話したり、父と会計をしたりとバタバタ。そして、父が車を取りに行っている間に母に「やっと家に帰れるね。よかったね」と話しかけると、「うん」「頭とか痛くない?」と聞くと「痛くない」と、まぁ会話は普通にできるけど、たぶん今の状況が理解できないというか、すでに忘却の彼方なんだろう。

車に乗ってからも、自分が入院していたという事実が思い出せないらしく、父が「看護師さんは優しかったか」とか聞いても「覚えてない」と。そして、自分が覚えていないという事実を受け止めようとしている感じは、入院前と同じだ。
帰りにスーパーに寄ったが、ゆっくりではあるが歩けるのでカートを押してもらう(院内では車いすだったので、不安だったけど)。昼食と夕食用に弁当や総菜を買ったが、同じものをまたかごに入れようとしたりとある意味普段通りだ。帰ってからも、何度もカレンダーを見に行ったり、まだお昼まで時間があるのに準備しようとしたり、夕飯まで時間があるのに何度も炊飯器のスイッチを入れようとしたり、これもまた普段通り。
やはり家に帰ると、ルーティーンであれをしないと、これをしなくては…となるんだな。症状が進んだり意味不明なことを言われたらどうしようと思ったが、あまりにも普段通りで拍子抜けするくらいだ。本人は入院や手術の記憶が一切消え去り、いつもの日常が続いているような感じなんだろう。

そんな感じなので、持ち帰った荷物も私がタンスに戻したり、洗濯かごに入れたり。すると、母が下着がもぞもぞすると言うので見てみると、リハビリパンツを履いている。そこで、普通のパンツに履き替えさせたが、リハビリパンツは濡れていなかったみたいなので、念のために履かせていたということか。今までも失敗したという話を聞いたこともないし、これもまだ大丈夫そうで一安心だ。

看護師さんから、転倒にだけは気をつけてくださいと言われていたので、母がお風呂に入って10分後くらいに様子を見に行くと、もう下着をつけている(早っ)。しかも、髪が濡れていない(もう10日くらい洗ってないんじゃ?)「髪を洗った方がいいよ」と言うと、「もう入りたくない、洗面台で洗う」とか言い出す。「いやいや濡れるから」「風邪ひくから」と言うが、結局洗わず。もう少し早めに声をかけるべきだったな。
そういえば、白髪のことをよく気にしている母。夕方、風呂場に置いてあった毛染め用のシャンプーのことを聞いて来たので、お風呂の直前にそれで洗った方がいいよと声をかければよかったなー。だったら、洗ってくれたかも。

夜は漢字クイズを一緒にやってみたら、やはり漢字はほぼほぼ覚えている!(数分前に聞いたことも忘れちゃうのに)。問題文を理解するのに時間がかかったりするので、そこは私が説明しながら一緒に解いていたが、私が飽きても、次のページ次のページとやる(恐るべし、集中力)

入院で弱っていたらどうしようと思っていた足腰も、左足を引きずるような感じはなく。階段もゆっくりではあるが、手すりにつかまって下りれるようになっていた(入院前は、階段に座ってお尻をずりずりしながら下りていたけど)
しかも、私がお風呂から上がってくると、父の指導の元、階段を上ったり下りたりしてリハビリしている母。まぁ素人判断のリハビリに多少の疑問は残るが、まぁこの分じゃ入院するほどでもないだろう。でも、やっぱり専門の先生に診てもらった方がよくないかと思い、父に「リハビリは通院でもできるんじゃないの」と言ったが、「歩けばいいんだろー」という短絡的な答えが。いやいや「ちゃんと専門の先生に診てもらった方がいいんじゃないの?」と言ったが、連れて行く気はさらさらないらしい。専門の人が診れば、可動域やどこの筋肉が弱っているとかで、こういう運動やストレッチをした方がいいとか教えてくれるんだろうけどな。何の知識もないくせに思い込みで判断するのは、もはや父親の得意技だ。でも、どうせ私が言っても聞く耳持たないのでしょうがない。来週、実家に行くので、またその時の様子を見てからだな。

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母の入院、父の一人暮らし

2022-07-14 10:51:42 | 日記

母が入院し、父はしばらくの間一人暮らし。家事はほぼできない父だけど、なんとかやっているようで。

先日、父(胃カメラを受ける)を病院まで車まで送って行った際、胃カメラの後の診察の時間まで2時間以上あるので(実家まで往復1時間弱)、私は一旦実家に帰り掃除をすることに。(父は風呂の浴槽ぐらいしか掃除しないので)

さて、まず洗濯はやっているのか…。洗濯機の使い方は一応書いて貼ってあるんだけどなと思い、洗面所に行くと、洗濯かごは空っぽ。洗濯してるんだーと思い、ベランダに行ってみると、肌着とパンツが1枚ずつ干してある。たぶん手洗いしたんだろう。まぁそれだけでもかなりの進歩だ。

そして、掃除機を全部屋にかけ(あっという間に汗だく)、玄関の掃き掃除をざざっと。それから、台所に行ってみると、お玉が入った鍋がある。嫌な予感…。父が料理をするはずはないので、もしかしてーー?と開けると、みそ汁が!!そうだったーー。5日前、母を病院に連れて行った日の朝、母はみそ汁を作っていたんだよなー。すっかり忘れてた!!母を入院させた後、実家に帰り、冷蔵庫の豆腐や野菜などの食材や、賞味期限切れや傷んでいた物(前日に冷凍庫にぶちこんでおいた)はクーラーボックスに入れて持ち帰ったんだけど、なぜかみそ汁のことはすっかり抜け落ちていた。完全に腐敗しとるし。とりあえず汁は流し、具材はポリ袋に入れて冷凍庫にぶち込む。(三角コーナーや排水口にも食材のくずがだまっていたので、それも一緒に)そして、父を迎えに行った後、クーラーボックスに入れて持ち帰る。

そして、流しや三角コーナー、排水口を掃除し、風呂場をのぞいて見ると、パッと見大丈夫かと思ったが、よく見ると洗面器と椅子が黒ずんでいたので、掃除。カビキラーを忘れて来たので、普通の洗剤で。

これで1時間弱。(1時間でこのくらいはできるという目安はわかったかなー)少し時間が余ったので、エアコンで涼みながらパンを一切れ食べてから、また病院へ。

病院では父と一緒に検査結果を聞き(問題無し)、お昼ごはんを食べて帰って来た。それにしても、病院でいつ父が文句を言い出すかというヒヤヒヤ感はほんと勘弁してもらいたい。今回は小声だったからよかったけれど。(この病院は時間がかかるなって。これだけ大きな病院、どんだけの患者さんをさばいていると思ってるんだ)

掃除は私がざっとしたけれど、父の食事はどうしているのかは特に聞いてない。洗ったトレーとかあったから、買ってきて食べてるんだろう。レトルトの味噌汁もあるし(さすがにお湯は沸かせるからな)

という感じで、なんとかやっている模様。
しかし、ふとシーツとかずっと洗濯してないよなーとか、冬物はどうした?とかいろいろ気になるけれど、母が退院してからまた考えよう。

話変わって、一昨日の夜父から電話があり、母から電話があったとのこと。その時に看護師さんに代わり、タオルとか肌着とか持ってきて欲しいと言われてたが、よくわからないから私に聞いてみてくれと。母に電話するが、看護師さんはもういないらしく、要領を得ない。会話はできるけれど、とにかく今の状況もちゃんとわかってない様子。もう少しで退院できるからねと言って、病棟にかけ直してみる。

すると、洗濯物を取りに来て欲しいということと、タオルが足りないので持ってきて欲しいと。それにリハビリパンツか尿取りパッドも言われたが(トイレが近いので)、正直私にもよくわからないし(仕事で行けないし)、父は尚更なので、病院で用意してもらうことに(入院費用に加算)肌着はいまのところ大丈夫だと言われたので、持って行ける時間帯を聞いて(病棟によって持っていける時間帯が決まっている)、父へ電話して、とりあえずタオルを5枚持って行ってくれるようにお願いする。
短期間(10日程度)の入院だから、このくらいで済みそうだけど、長期だといろいろ大変なんだろうな。私が近ければいいけど、片道2時間弱。仕事もあるし、なかなか難しい。

そして、肝心の母の退院は週末になるらしいが、転院先の都合もあり、まだはっきりしないとのこと。あー仕事や用事もあるのに、予定が立たないなー。さすがに今日は連絡あるかな。

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手術も無事終わり、あとは…

2022-07-11 17:08:03 | 日記

今日は父が胃カメラだったので、送っていき、一緒に結果も聞いたところ、問題無し。また4ヶ月後も胃カメラです。そして、その後も1年おきに5年後まで。帰りの車で、父は「そんなに生きとらん」と言っていたけど、ガンガン生きてそうで怖いわー(^^;)

では、母の入院の続きです。入院の翌日には手術となったけれど、今はコロナで付き添いもできないので、家で連絡を待つことに。しかし、私は前日からの頭痛が治まらず、早朝に目が覚めてまた薬を飲んで寝る。その後も体がだるくて、とりあえず洗濯だけして、ひたすらゴロゴロ(休み取っといてよかったー)

すると、父から着信入っていたので折り返すと、「昨日は手術のことをちゃんとおまえにも相談せずに勝手にすぐ決めてしまったけど、よかったのかな」とか(頭の手術ということだし、父もいろいろ思うところがあるようだ)、私もその場ですぐ同意したし、放置するともっと大変なことになる可能性もあるので、そのことに関しては全然いいんだけれど、さすがの父もかなり弱気になっているようだ。「いつかお母さんとも別れることになるんだな」とか「一人でいると、悪いことばかり考えてしまう」とそういうことを話す相手も私くらいしかいないんだろう。私も「今は手術がうまくいくことを祈るしかないよ」と言うしかなかった。まぁ、いろいろ切ないな…。父のことはきっと今からも好きにはなれないけれど、確かに辛いし寂しいだろうな…と。

その後も私はとにかく体がだるく、手術のことも心配だしで何もやる気が起きなかったので、たまった録画を見ながらひたすらゴロゴロうとうとしたりして父からの電話を待ち、15時ごろにやっと復活!しかし、16時を過ぎても父から何の連絡もない。まだ手術してないってあるか?と思い、父に電話してみると、午前中に病院から電話があり手術は午後だと言われたが、その後連絡がないと。そして、数分前に母からも電話があったと。じゃぁ、まだ手術してないってことか?そこで、父が病院に確認しみてると、緊急手術が入って時間がずれこみ結局17時からとのこと。病院側も忙しいのはわかるけれど、一言連絡欲しかったかなー。一日中まだかまだか…と待っていたので。

そして、結局病院から連絡が来たのが19時過ぎ。無事手術は終わったとのことで、一安心。そして、翌日の午後には集中治療室から出られたらしく、順調に行っている模様。しかし、その後母から私には電話はかかって来ず。そしたら、今日父と昼食を食べていたら、母から父に電話。「あまり調子が良くない」みたいなことを言っていたらしい。父も「もう少しだから」となだめていたが、確かに早く退院したいだろうし、家にいた方がやることもあるからいいんだろうけど、今はしょうがない。

まぁいろいろあったが、とりあえずちゃんと診断がつき、手術できたのでよかった。それにしても、一体何が原因で、いつ頃から症状が出て来たのかは謎だが。父が母の調子が悪いと言い出したのが、3~4月頃。元々よく2人で歩いていたのが歩きたがらなくなったり、無気力だったり、妄想が始まったり、物を投げたり。それがちょうど薬を変えてしばらく経ったタイミングだったので、私は薬のせいだとばかり思っていたけれど、硬膜下血腫の症状も同時期に始まっていたんだろうか。

確かに父は薬のせいじゃないような気がすると言っていたんだよなー。しかし、薬を変えた結果、妄想は無くなり精神的にも少し落ち着いたように感じたので、やっぱり薬だったかーと私は思っていたんだけど、歩くのが極端に遅くなったりしていたことは確か。左足がしびれるとかも言っていたんだよな(私はまたまたーと思っていた。不覚!)まぁ、なんとも判断難しいが、結果的に見つけることができ、処置してもらったのでよかったよかった。退院は今週末になり、その後はリハビリのため転院。

脳への圧迫がなくなったことだし、前みたいにとまでは行かなくても散歩できるくらいになってくれるといいなー。あと記憶障害はもうどうにもならないだろうけど、不安感とかが少しでも治まってくれれば尚よし。

まぁ、人生いろいろあるな。って、まだまだこれからもいろいろあるんだろう。怖いなー。あんまり考えないようにしよ。

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母の診察、入院、父はクレーマーでへとへとに その2

2022-07-10 10:40:24 | 日記

さて、また看護師の説明があるからと待たされ、その間書類にサインをしたりして待っていたが、父がだんだんイライラしてきているのがわかる。「急な入院だし、準備があるから」と言っても聞かない。そして、看護師さんにプレッシャーかけに行く(やめてくれ)

しばらくすると、看護師さんが「お昼ごはんを先に食べて来られていいですよ」と。私が「荷物も取りに行きたいんですけど」とか話していると、父が口挟んでくる!「とにかく時間がかかり過ぎる」(しょうがないやろ)「わけがわからん」(お前だ!)「俺は病院のために言っている」(何様やねん!)しかし、看護師さんは慣れていらっしゃって、穏やかな受け答え。さすがプロ。(ほんとにごめんなさい)周りに患者さんや付き添いの方もいらして、とにかく恥ずかしいし、「ご飯を食べに行こう」と逃げるように立ち去る。

院内のレストランでカレーを食べた後も「病院のメニューとは思えん」と。いやいや付き添いの人が食べるんやろ。病人は病院食食べるんじゃーーー。黙っとけーー。片っ端からケチをつける父。めっちゃ疲れる。

そして、看護師さんに昼食から戻って来たことを伝え、荷物を取りに行きたいんですが、どうしたらいいか聞いてみると、もうすぐ病室が準備できるので、病棟に行かれた後に取りに行かれたらどうかということだったので、そうすることに。父にも「もうそろそろだから」と言うと、「病院のそろそろは1時間だ!」とかのたまう。(ほんと黙れ。うるさい!)そして、また看護師さんにプレッシャーかけに行く。(ほんとにごめんなさい)

そもそも病院で待つのは覚悟していたし、私からすればもっと待つと思っていたので想定内だったんだけど、とにかく父親がうざくて、そっちの方が疲れる。しかも、この日は朝から私は体が重くて徐々に頭が痛くなり(午前中に薬を飲み)、夕方また痛くなって(帰りの車中でまた薬を飲み)、夜また痛くなる(薬は飲まずに21時半に布団に入る)という万全とは言えない体調で、もうへとへとだった。

話を戻して、やっと病棟の看護師さんがお迎えに!すると、父がその看護師さんにもクレーム。「そもそも組織が…」とか主語がでかくなっとる!ほんと黙れ!!しかし、病棟への付き添いは一人だけということで私がついて行くことに。(静かでいいわー)
病室は個室。(緊急入院ということもあり)しかし、個室は金額がかかるので、どうされますか?と。自費だし私では判断できないので、父に後で確認すると、お金のことはいいというので個室でお願いすることに。(母は被爆者手帳があるので、医療費はただ)

そして、父と一緒に母の着替えなどを実家に取りに帰る。父に「荷物は私が一人で持って行って、そのまま私は家に帰るから」と言うが、「送っていく」と聞かない。確かに実家に寄ったとしても10分くらいのロスだろうが、私は一人が気楽でいいんだよー。しかし、父はそれが俺の思いやりだ!と思っているので、しょうがなく受け入れる。

しかも、荷物の準備している間も父が立って待っているので、バタバタ。(すわって茶くらい飲んどけ)そして、病院に着くと、「わざわざ駐車場に止めなくてもいいだろう、そこらへんで待ってる」と。おいおい、すぐに戻って来れるかはわからんよー。駐車場に止めてから涼しい待合ロビーでゆっくり待っとけよ!と言いたいが言えない。

急いで、院内のローソンでシャンプーなどのトラベルセットを購入。しかし、病棟に上がるのも受付しないといけないので、すぐには上がれない。上に行くと、「病室変わったんですよ」と言われ、母はトイレに行っているとのこと。看護師さんが、母は「ここはどこ?」とか「お父さんのことを何度も聞かれる」とか「なんで自分はこうなったんだろう」とか言って、1分前のことも忘れてしまっていると。そういえば、待っている間も「どうするの?」「入院するの?」「どうして?」「何も持ってきてない」とかいう会話を何度繰り返したことか。
そして、「さっきお父さんに電話かけたんですよ」と。びっくりするくらい依存しちゃってるんだなーと今更ながら…。

母と少しお喋りしていたら、携帯が震えてる。父だ!(だからー)
とりあえず付箋紙に「治療が終わってよくなったら迎えに来るね」と書いて、母の携帯電話に貼っておくが、すぐ無くしちゃうんだろう。でも、今回は携帯電話も持ち込み可なので、よかった。しかも、個室なので自由にかけていいとのこと。
そういえば、写真(孫たちの)も持ってくればよかったなー。前回の入院は準備期間があったけど、今回はバタバタだったからな。

なんとも不安気な母の表情。でも、嫌だとか帰りたいとかは言わない。それが母。これで少しでも症状がよくなってくれることを信じて、病院を後に。

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母の診察、入院、父はクレーマーでへとへとに その1

2022-07-09 10:45:08 | 日記

さて、母ですが、昨日の午後には集中治療室から出られたようです(父から電話あり)とにかく今は付き添いや面会ができないので、もどかしい部分もありますが、まぁ順調にいっているようなので一安心。

では、経緯を順を追って。
父と一緒に母を脳神経外科がある病院に連れて行くため、私は前日の夜に実家へ。母はやっぱり歩くのもゆっくり、座ったり立ち上がったりするのも大変そう。でも、トイレは一人でできているみたいだし、そこまで深刻な感じはしないと思ってはいたけれど…。そして、明日のご飯を炊飯器にセットしたか何度も見に行くのは、もはやルーティーン。

そして、翌朝。ズボンを立ったまま着替えようとしているので、座った方がいいよと椅子に座らせるもいつの間にか床に座って、しかも片方に両足を突っ込もうとしている(これが噂に聞いていたやつか。ほんとにやっちゃうんだなー)とりあえず足を入れ直して、椅子に座らせようとしていたら父が手伝ってくれる。突然介護っぽくなってきた状況に若干深刻さが増すが、なぜかピンと来ない私。なんでだろう。原因がわかったからかな。手術をすれば、少しはよくなるかも…という望みが出て来たからだろうか。(楽観視はできないけれど)

それから、母はいつものうように洗濯機もまわしている。私が2階で化粧をしていると、父が洗濯物は2階に運んでいるようで、母に来いと言っている声が聞こえる。お前が干さんのかい!と思いつつ、運んでくれるだけでもいいのかなと。その後、私が下に降りようとすると、母はまた階段を座った状態でずりずり降りている。「ゆっくりでいいよ」と声かけしながら。

そして、父の運転で病院に9時前に到着。入口の前で降ろしてくれたのはいいが、母が降りてドアを閉めると同時に発車。(おいおい危ないだろがーー。こういうところなんだよ!)まずは受付。その後看護師さんの問診。その時にアルツハイマーだということも伝え、看護師さんが母にいろいろ質問するが、ここがどこか?とか今日は何日?とかはもう答えられない。(年齢は奇跡的にピンポン!普段私に何度も聞いてくるし、うっすら覚えてるんかな)
そして、両腕を前に水平に上げて目をつぶって10秒そのままでと言われ(こういうの見たことあるわ)、やってみた所、左腕が下がることはなく(上半身には症状は出てない模様)、やはり左足か。

そして、CT。前に紹介された病院でMRIも撮ったらしいが、母が途中でトイレに行きたいと言ったので、画像も予定の3分の1くらいしか撮れなったらしい。ということで、待っている間にトイレに連れて行く。がしかし、やっぱり歩くのが遅いー。ズボンをちゃんと上げられなかったりするので、手伝う。

その後、11時半頃に診察。やはり「硬膜下血腫」だと。薬で治療する方法もあるが、脳の周りにぐるっと血液がたまっているので手術した方がいいでしょうと。しかも、今日入院で明日手術できますよとのこと。(えっそんなにすぐ?ありがたいことだけど)早速お願いする。でも、入院のためにいくつか検査が必要だということ。まだまだ長くなりそうだー。

まずはコロナの抗原検査。私が付き添い、唾を出すために私が「梅干しー」とか言うと、うっすら笑う母。しかし、母の好きな食べ物何だろう?意外と知らないんだよな。その後、看護師さんに「車いすを持ってきましょうか」と言われ、歩けるしまいっかーと思ったが、「けっこう移動しますよ」と言われ、お願いすることに。

確かに、この後も血液検査や尿検査、心電図にレントゲンと行ったり来たり。これは実際助かった。母を歩かせていたら、もっともっと時間がかかっていただろう。でも、車いすなんて押すのは初めてで、とまどうこともあったけれど、何とか。(しかし、翌日腕の付け根が筋肉痛)
一通り検査が終わったら、入院の申し込みをしに。

そして、13時半頃にまた診察室へ。手術が実際どんな感じで行われるのかの説明も聞いたが、母は聞いていないのか自分のことだと思っていないのか、無反応。私のようなド素人からしたらとんでもない手術に思えるし、もし自分が…と思うと怖くてしょうがないけれど(注射針を刺すのも見れない私)、母はこういう状態なので恐怖心とか感じず、結果よかったのかもしれないと。不安感はあるだろうけど。

・手術当日も付き添いはできないので、電話で連絡。
・局所麻酔と聞いて、えっ意識あるの?とびびったが、鎮静剤で眠らせるとのこと。(そりゃそうだ)
・左右1カ所ずつ開けてチューブを入れる。
・手術は片方30分なので、1時間ほど。
・すぐには抜けないので、翌日まで集中治療室。
・高齢者は若者と違って脳に張りがないので、血を全部抜き切ることは難しいが、残っても問題はないとのこと。
・ただし、再発する可能性は10%。再発したら、また手術。
・手術で血を抜いたからといって、足がよくなるとは言い切れない。(でも、脳が圧迫から解放されるだけでもいいよな、きっと)
・術後は、勝手にチューブを抜いたりしないように身体拘束もあり得る(認知症なのでしょうがない)
・キズは1週間ほどで治るので退院できるが、その後リハビリが必要。ここではリハビリできないので、転院になるだろうと。

その内、とっとと話を終わらせて先へ進みたい父が「お昼ごはんがまだだ」とか言い出す。私もつい「荷物を取りに帰りたい」と言ったが、「それはまた看護師が」と先生(そりゃそうだ)せっかちの父は渡された書類にすぐにサインしようとしたり、「それはまた後で」と言われ、父がだんだんイライラして来ていて、嫌な予感。

続く。

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