雪が止むことだけが決まっているなら

モラハラの父と認知症の母と…

突然の出来事と私自身の体調

2021-01-30 13:42:35 | 日記

自分の親のことで精いっぱいで、夫の方の両親のことは夫に任せっ切りにしていた。
夫は時々実家に顔を出していて、母ちゃんは元気にしているけど、父ちゃんの調子があまりよくなさそうだと(しかも、認知症の症状っぱいものも出て来ている)。そして先日入院。といっても特に重篤なわけでもなく、その内退院できるだろうとみんな思っていた。ところが容体が急変。数時間で帰らぬ人となってしまった。

私の父にもすぐ連絡し、コロナもあるので通夜や葬儀への参列は遠慮してもらうことに。(母を参列させることにもちょっと不安もあったし)。その後、母からは一切連絡はなく。以前の母だったら考えられないことだけど…ていうか以前は母に連絡していたからな。

そして、数日後落ち着いたので、母に電話しようとしたら着信が残っている。かけ直すと、出たと思ったらすぐ電話が切れて、またこちらからかけ直すと、「お母さん、電話したっけ?」と「着信があったから、かけたよ」と。すると、「今、デイサービスにいる」「来たくなかった」「帰りたい」「○○の声を聞いたら落ち着くかなと思って」「泣かないようにしている」と涙声。「今、何してるの?」「布巾を畳んでと言われたから、今から畳むところ」「具合が悪いなら、スタッフの人に言ってみたら」と会話していたが、私の声が聞きとりにくいらしく、その内「切るから」と。

父親に電話してみると、父にもかかってきたらしく、折り返しかけても出ないと。やはりデイサービスに行く前は、いつも行きたくないと嫌がるらしい。でも、お迎えが来ると行くと。
「もし何かあったら、スタッフの人から連絡はあると思うけど」と言って切る。

午後は私は仕事だったので、夜に母親に電話してみると、明るい声。
「今日、デイサービス行ったの?どうだった?」と聞くと、「楽しかった」と。朝、私と電話で話したことも覚えていないらしい。嘘みたいだ。でも、それが救いか。そして、本題に入る。
「お父さんから聞いてると思うけど、○○のお父さんが亡くなったから」と言うと、驚いて動揺している様子。そして、突然電話切れる。かけ直すと父が出る。「お母さんに話したよね」と聞くと、「何回も話した」と。「私が話したら、初めて聞いたような感じだったから」「じゃぁいいね。忘れてるだけだし」
こんな大変なことも忘れてしまうんだなぁ。

そして、やっぱり父と二人だと物を投げたりして大変らしい。それに「10秒前に言ったことも忘れている」と。そんなことを言ったかと思えば、「すぐ忘れる以外は料理とかもするし、普段は普通に会話もできるし、認知症じゃないみたいだ」と父。私からしたら、思いっきり認知症だけど。慣れちゃったか。

近いうちに両親にもお線香を上げに行ってもらおうかと思っていたけれど、大丈夫か。母のことは事前に事情を話しておけばいいか。

そういえば、葬儀の時に夫の妹さんには母の認知症のことを少しだけ話した。妹さんは介護の仕事をしているので、あまり家族が無理しないとか、薬と併用しながらとかアドバイスももらって。
その後、夫も妹さんと話をしたらしく、家に帰って来てからいろいろ私に言って来た。母の性格上グループホームはどうか?とか、二人とも離れられないだろうから、一緒に入ったらどうか?とか、お母さんが家事とかできなくなったらお父さんはどうするつもりなのかとか、次から次に。私は「今のことしか考えられない」「お父さんはトラブルメイカーだから、もめ事を起こすから入れられない(今は)」「わからん」と答えながら、脈が飛ぶような息が詰まるような感じになって来たので、夫には話をやめてもらう。心配してくれてるのはわかるけど、今のことを考えるので精いっぱいだ。

脈が飛ぶような息苦しくなるような症状は、秋くらいから出ていた(以前もたまにあったけれど)。ネットで調べてみると「期外収縮」要はストレスとか疲労とかが原因らしい。あまり気にしないのがいいらしい。後は動くこと。確かに安静にしている時に起こることが多い。
これにめまいや痛みなどが生じた場合は病院で診てもらった方がいいらしいけれど。

実は、4年くらい前から胸のある部分をぐっと押されるような感覚はあって、循環器科にかかって心電図を取ったりしたけれど、特に異常なし。後でネットで調べたら、更年期の症状のひとつ「微小血管狭心症」にあてはまる。とりあえずその内治まるかと思って、そのまま。頻度も徐々に減って来たし大丈夫かと思っていたら、今度は期外収縮か。

夏ごろから耳鳴りもずーっとだし。(難聴の症状はなく、薬ももらえず、ほったらかし)もう鳴ってて当たり前で、気になるか気にならないかとうい感じ。他のことに集中している時はほとんど気にならないし、静かな時や寝る時などに気になる程度。

年齢やストレスとか、しょうがないか。

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認知症専門の看護師さんと話してみて

2021-01-24 11:05:07 | 日記

病院に付き添って来た。
今回は認知症専門の看護師さんも同席。

いつも通り、まず母に先生があれこれ質問。答えは今までとたいして変わらない。「頭がぼうっとしている」とか。
「ご主人は優しいですか」という質問には「はい」と。父がいる前ではそう答えるしかないだろうし、具体的なことは覚えてもないんだろう。でも、これって私たちが同席しない方が本心が聞けるんじゃなかと思ったりもする。

父からは、相変わらず物を投げたりしていて前回と症状は変わらないと。先生がオランザピンを少し増やしましょうと。
薬に頼り過ぎるのもどうかと思っていたら(私と一緒の時やうちに来た時は物を投げたりとか妄想でおかしくなることはほとんどないので、対応や環境次第な部分もあるんなじゃないかと)、先生も「正論や事実には意味がない」「(母が)今どういう気持ちなのか考える」「心配しなくていいよと声を掛ける」「時には聞き流すことも必要」だといろいろアドバイスはくれる。
父にそれができればいいんだろうけど、私への手紙には「目覚まし時計を投げつけた」とか書いてあったし、一緒に興奮して取り乱しているんだから、難しい。

それから、一緒の時間を少しでも減らすためにデイサービスの回数を増やしたらどうかと提案された。(今は週一)
しかし、父は無理なんじゃないかと渋っている。私への手紙にもあったが、行きたくないと泣くこともあるらしい。でも、迎えが来たら素直に行くとのこと。具合が悪いと途中で帰ったことも3回ほどあるらしい。そういうこともあって父は渋っていたみたいだけど、先生たちからしたら父が母と離れるのが嫌なのか、もしかしてデイサービスに悪い印象があるのかと思われたみたいだけど、そこは父もしっかり否定。私もそれはないと思う。とりえあず回数を増やしてみましょうと。

その後、私に振られたが、前回うちに泊まりに来た時の様子(父の女性関係を疑って取り乱した時の)を話し、母に変わってもらうことは不可能なので、父に少しでも変わって欲しい(ずっと一緒だし大変なのはわかるけど)と伝えた。その時に時折父の方を向いても、目を閉じて黙っている。聞いているのか聞いていないのか(耳が遠いし)。

その後、看護師さんと父とでまず話してから、私と看護師さんとで話す。
今は認知症も初期の段階なので、妄想の症状が出やすいということ。いずれ妄想もなくなり、次の段階へ。そうすると、けっこうあっけらかんとしていると。
それは母にとってはいいことなのかもしれないという安心(辛さ苦しさから逃れられるという意味で)と共に、果たして本当にそうなるんだろうかとうい一抹の不安も。母の父に対する不満や受けて来たストレスは相当なものだし、性格的に自分が我慢してあまり感情も出さずに生きて来た人なので、そういう風にあっけらかんとなる母が全く想像できない。
でも、いつか妄想も終わると言ってもらえただけでも救いだ。その先にはもっと過酷な現実が待っているんだろうけど。今は考えないようにしよう。

そして「お父さんは変わらないですよ」と言われた。私にもわかっている。でも、「1~2年という長いスタンスで見ていきましょう」と。父にも真正面から受け止めないようにといろいろアドバイスはしていただいたらしい。看護師さんから見ても「母が怯えているように見える」とのことで、私の役割としては「愚痴を聞いて欲しい」と。あまり深刻にならずハハハと笑い飛ばすくらいで。やってるつもりなんだけど、母が深刻モードに入ると難しい。

今まで先生と話す時はいつも父と一緒だったので我慢していたのものがついついついあふれ出しそうになる。父は完璧主義だけど思いやりと両立していないとか、母が怯えているのは認知症になるずっと前からだとか、昔本気で離婚させようとしたことがあったとか。しかし、看護師さんはそこには一切踏み込んでこない。さらっと流して、今、これからどうするかを提案してくれる。今まで先生と話していた時とは違う感覚に初めて泣きそうになった。今までは冷静に伝えていたつもりだし、感情的になることもなかったし、逆になんで私こんな平静なんだろうと思うこともあったのに。なんで泣きたくなったのかはわからないけれど。

後になって、父をどうにかしたい、どうにかしなければ、なんでいつまでも変わらないんだという考え方はある意味父と一緒なのかもな…と思ったり。言っても変わらない母をどうにかしようとする父、言っても変わらない父をどうにかしようとする私。(父に関しては、最近は母が具合が悪い時は洗い物をしたりとちょっとは変わって来た部分もあるんだけれど)父をどうにかして変えたいと願う私は先生や看護師さんから見たら、似た者親子に見えたんだろうかとどうでもいいこと考える。

それにしても、父が看護師さんに「いろいろあった。娘にも言えないことがある」と言っていたらしいが、これ以上何があるんだ。恐ろしい。母は私たちにけっこう何でも話していたので、私たちが知らないと思っているだけかもしれないけれど。

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相変わらずの日々

2021-01-23 09:21:40 | 日記

実家に1泊してきたが、相変わらず。
3時ごろに着いてお茶。夕方父は一人で散歩に行って来ると(歩くのが日課)、母と二人になるも部屋を出たり入ったり落ち着かない。2階からなかなか下りてこないので行ってみると、片付けをしていたらしい。私が以前持って来たオセロゲーム(長女が小さい頃に買ってダイヤモンドゲームや将棋がセットになっている)のオセロや将棋の駒がほぼない。オセロの駒が壊れてしまって、小さい磁石がたくさん。どうしたの?と言っても覚えていないのか、特に答えない。
以前私が持って来た色鉛筆(24本セット)も白1本しか残っていない。これも聞いてもどうしたかなあという感じ。大人の塗り絵も1冊はあるが、もう1冊は行方不明。
前回、うちに泊まりに来た時にあげた娘たちの写真も見当たらない。まだ赤ちゃんだったりと可愛い写真だったのになぁ。

片付けている時に、「ほら」と額に入った金婚式の写真を見せてくれる。「飾ればいいのに」と言うと「お父さんの顔も見たくない」と。だからあの時に別れろって言ったじゃんと心の中で。かと思えば、「お父さんとどうなってる?」「離婚した?」と聞いて来る。「そんなわけないやろー」「なんで私が落ち着いてここにいるの?」という感じ。矛盾しているけど、結局母は父と離れられない。

夜、母がお風呂に入っている時に物音がしたので行ってみると、洗濯かごがひっくり返っている。意図的にしたのか、洗濯機の上からバランスを崩して落ちたのかはわからないけど。特に母には何も聞かない。

壁に穴があいていたりするので、「あんまり投げんようにしないと。危ないよ。」と言うと、「おとうさんには言い返せないから、お父さんが寝てから投げる」「泣きながら片付ける」と言う。「そんな時は電話して」と言ったら「そうだね」と言うが、どうせ電話はかかってこない。

テレビのクイズ番組を一緒に見ていたら、やっぱり漢字が得意で、私より先に答えたりするのにはびっくり。こういうのを録画して夫婦で見たりすればいいんだろうけど。録画の手順も危うくなってきたらしい。(父は全くそっちはわからず、母任せだった)

朝起きてリビングに下りて行ったら、父がキッチンで探し物をしている。「いらないものばかりあって、探し物が見つからない。捨てればいいのに」と朝からぶつぶつ。母も「(あるものは)必要だから。(食器棚なんて)どこもそんなものだから」と言っている。朝イチから嫌な空気だ。私だったらぶちぎれてる。(うちの旦那は私のやることにほぼほぼ口出ししないので、楽だけど)
命に関わるわけじゃないんだから、父もそんなこといちいち口に出さずに放っておけばいいのに。自分だって書斎に入って来て、あれは無駄だ捨てろとか言われたら嫌だろうに。

母が落ち着いている状態の時に、父が何を思ったか突然「(母が)地区のみんなから嫌われていると言っていた」とかいちいち蒸し返し始めた。母は「言っていない」と言う。私も「言ってないよねー」と同意。父が何?という顔をしているので(耳が遠い)、「言ってないって」と私が大きな声で伝えると、えっという表情に。まだわからんのか!母は覚えていないんだし、ネガティブなことをいちいち蒸し返すな!

とにかく会話は少ない。私からもあまり喋らないのも悪いんだけど、正直父とは何話していいかわからないし、母ともあまり会話が続かずどうしても話すのが面倒になってしまう。

近くの道の駅に行ったところ、母が米を買うと言う。私も米びつの中とかは見ていなかったので、買って帰ると、米びつの中にはまだいっぱい。結局私が持って帰ることに。

お正月に帰省できなかった次女が「ぜんざいを食べたいと言ってたよ」(うちの家族は母が毎年お正月に作るぜんざいを楽しみにしている)と言うと、「いつ帰るの」と。「春休みに帰ってくるから、その時に作っておいてね」と。確か一昨年は作らなかった、去年は小豆が少し硬くて、今年はおいしかったけどなぜか白い粒(もち米?)が入っていた。
「早く会いたい」と言うので、ハガキを書いたらと住所を渡しておいたけど、どうせ忘れてしまうんだろうな。メモも財布にしまっていたけれど、今度会う時には無くなっているか。

リビングにいると、新品の卓上グリルの箱を持ってきて、「これはお父さんが勝手に注文した」とか「間違ってよそのがうちに送って来たんじゃないか」とか「いらない?」とか言って何度も持って来る。5~6回あったか。さすがに私も最後の方は、見ただけで「いらないよ」と。ほんと短期記憶はさっぱりだめだし、これが毎日だと付き合うのも疲れるだろうな。

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何もかも忘れるわけじゃない

2021-01-19 09:46:04 | 日記

先日、母がうちに泊まりに来た時も1泊するのか2泊するのかわからなかったり、同じことをまた聞いていたりして、新しいことはもう覚えられないんだな…と思っていたけれど、デイサービスのことは覚えていたのにはちょっとびっくりした。

施設に行っても、お年寄りがぼーっと座っていたりして話し相手がいないということ。ヘルパーさんから「○○さん(母の下の名前)手伝ってくれませんか」と言われた時は食事の支度を手伝ったりすること。自分からは出しゃばっているようでできないけれど、言われたら手伝うとのこと。それはどんどん手伝っていいんじゃないかと話した。一度は途中で具合が悪くなって帰った(迎えに行ったという話は父から聞いているので、合っている)とか、けっこう覚えている。

何もかも忘れているわけじゃないんだなと。

最近、母との会話があまり弾まず、私もあまり喋らなくなった。正直何を話していいかわからない。例えば、「今日何をしたの」とか「この間、○○に行って楽しかったね」と話しかけたとしても、母が覚えてないことを自覚するだけのような気がして、話していいのか躊躇する。
でも、こうやって覚えていることもあるんだから、あまり気にせず話しかけてもいいのかもしれない…とふと思った。
私の話でたまに笑ってくれることもあるけれど、私も夫婦二人、仕事と買い物に出るくらいの生活なので話のネタもたいしてないし。それこそ嘘でも前に話したことでも何でもいいんだろうけど、昔みたいに話が弾むという感じがないので、話すのがついつい面倒くさくなってしまう。

そういうこともあって、私もなかなか気が進まなかったり気が付いたら夜遅かったりで、電話していない。父からハガキも来て、母は相変わらず父の浮気を疑って物を投げたり泣いたりして取り乱すことがあるらしい。離れている私に何ができるのか、やっぱり電話だよな。

実は、ここ数カ月たまにだけど、胸が苦しいような息が詰まるような感覚がある(たまに脈が飛んでいるような)。調べてみたら、ストレスで自律神経が乱れたり、加齢でもそういうことが起きるらしいので、あまり気にし過ぎないことか。

とりあえず明日は実家に行くので、今日は電話しよう。
そして、明後日は病院に行くので、先生に相談してみるか。しかし、きっと薬をどうするかとか、否定せずに穏やかにとかそういう話になるんだろうな。根本的な解決策は先生にもわからないだろうし、手探りでやっていくしかない。

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母の復讐、私の思い出

2021-01-16 16:24:35 | 日記

父からの手紙が届いた。父はメールもしないし、電話ではあまり込み入った話もできないので、たまにこうやって手紙が送られてくる。
私もその方がいいし、私自身もこっちに来た時の様子などや伝えたいことがあると、手紙にまとめて渡している。

先日、こっちに2泊した時の母はほぼ穏やかで(2泊目の夜にお父さんが浮気していると取り乱したくらい)、帰りの車の中では涙ぐんでいたらしい。(何の涙かはわからないけど)

しかし、その後家に帰ってからが大変だったらしく、また物を投げまくったらしい。しかも父も頭に来たらしく、目覚まし時計を投げつけてしまったと書いてある。だから、そういう時は放っておいて、しばらくして落ち着いてから声を掛けてと手紙には書いておいたのだが。
しかも、その日半日で3回も大暴れしたと書いてある。

父も「どうも自分に不満があるようだ」と書いてはいるが、実際自分が母にどんな仕打ちをしてきたのかの自覚はないだろう。「自分が完璧主義だからいけなかった」とよく言っているが、自分の価値観だけで母を自分の想い通りにしようとして、母に説教や人間性を否定するようなことを言い続けていたんだから。

とにかく母の妄想では、父の浮気相手は2人3人とどんどん増えているらしい。しかし、前回の母の様子を見て実感したが、この妄想を否定しても無理だし、意味はない。どうしたらいいのか。父親と顔を合わせないのが一番かもしれないが、でもきっと離れることもできないだろう。

今まで父に対する不満をずっと我慢して我慢して生きて来たのが、今は歯止めが効かなくなって爆発しているんだろう。まさに母の復讐だ。本人にそういう意識は全くないだろうし、どうしていいのかもわからないんだろうけど。私から言わせれば、父も自業自得だ。
しかし、一方では父に捨てられたらどうしようという不安も母にはあるんだろう。この間うちに泊まった時も私が気づかない内に父に2~3度電話して、いつ迎えに来てくれるのか…と聞いていたらしいし。

とにかくそんな中でも母は3度の食事は作っているらしいし、父もなんとかやっていると言うので、今の調子でたまに会いに行ったり、こっちに連れて来たりするしかない。

そして、父の手紙の2枚目には、私の能力に驚いたと書いてある。私がいろいろ手紙にまとめているのを読んで、そう思ったらしい。そして、思いやりがあると。まぁ思いやりがあるとしたらそれは母に対してだし(父のことは正直どうでもいい。母が少しでも穏やかに暮らすためだ)、やっぱり自分の今の生活が大事だし乱されたくないという思いからあれこれやっているというのもある。

そして、「さすが僕の子だ」と書いてある。相変わらず自己評価が高くてあきれる。確かに文章を書いたりまとめたりするのは好きだけど(父も母の症状を紙にまとめて主治医の先生に渡したりしている)、こんなに身勝手で自分が一番正しくて、未だに自分の状況が飲みこめてない人と一緒にされたくない。
それに私が男だったら立派な仕事ができていただろうとかずれたことも書いてある。性別の問題ではなく私の性格、生き方がそうなんだからしょうがない。そもそも自分に自信がないし、人前で自分の意見を言うのも苦手だし、とにかく前に出たくない、責任を負いたくない、なりゆき任せ人任せの人間だ。

そういう所も家庭環境に多少の原因はあるのかとずっと思っていた。でも、そう思いながらもこの年まで自分で自分を変えることもできなかった。
父親に褒められた記憶はほぼないし、小さい頃父はよく「お粗末」と言っていた。まだ私が「お粗末」と「ガッツ石松」の区別もつかない頃からだ。でも、それがネガティブな意味を持つことだけはわかっていた。それはテレビとか政治に対してだったり、時には私達家族に対してだったように記憶している。
私は父にちょっと注意されただけで、涙がぽろぽろこぼれた。泣けばそんなことで泣くな…と怒られる。ずーっと私は父に自分から話しかけることができなかった。父に伝えないといけないことがある時は、いつも母を介してだった。結婚して子供ができてだんだん少しずつ話せるようになり(その当時はそんなに父のことを嫌いじゃなかった。やっぱり7年前が決定的だ)、こんなに何の緊張感もなく話せるようになったのはここ数年だろう。父に対して所詮こういう人なんだと見切りをつけて、いろんな感情もわいてこなくなかったからだろう。

あれから母にはハガキを一枚送っただけで、電話はしていない。(本当に思いやりがあったら、毎日でも電話しているよな)
今夜くらいはちょっと電話してみるか。

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