今現在は三月三十日な訳だが、、今日の敵のやり方を見ていても、やはり自分の死亡の可能性は決して否定し得ない。
そこで、、以前の記事において触れた事件の顛末を記して行きたいと思う。
以下、妙に格好がいい内容になってしまうことを御許し頂きたい。
余りにも犬死的な事件の流れにせめてこんなことで格好の一つもつけたい、との想いは正直言ってあるにはあるし、特に舐められに舐められたF組織の誰かに対し突っ張りたいとの思いは絶対にあるが、、本当の狙いはそこにはない。
最後まで読んで頂けたら御解り頂けるのでは、と思います。
その頃、、私は某大学の法学部生だったのだが、判で押した様な生活を送っていた。
午前零時までは法律の勉強をし、その後遅い夕食を取ってから一休みをすると、体を鍛えに深夜の運動場に向かう日々ではあった。
この時間の流れでは運動場に着くのは大抵午前二時を廻っていた。
私の住んでいたのは郊外の住宅街であり、その運動場から先は広い空き地・山・ゴルフ場となってしまい、そこいらは照明も全く無く、恐ろしいと言えば恐ろしい所で午前二時ともなると人っ子一人いなくなるのであった。
そんな処であるからその時間帯になると運動場を巡る道路には車輌など絶対的に存在しなくなるのであった。
それが或る夜を境にいつも車輌が停まり始めたのである。それも全く同じ場所に停まっているのであった。
最初は建築関係の車輌が一時の駐車場所にでも使っているのか、と思い特に気にも止めてはいなかった。
しかし、それが一週間になり二週間になり、となると流石に妙な気持ちがしてきたのも事実ではあった。
或る時、思わずギョッとなった。 無人だとばかり思い込んでいたその車輌の排気管から煙が上がっていたからである。 その日は寒い夜で今まで気付かなかった煙に気付けたのであった。
翌日から注意深くその車輌の排気管を観察していると必ず煙が出ていることが解り、こんな時間帯にも拘らず車輌には人間が乗っていることが判明した。
そこで、、わざと運動場に行く時間を早めにして午前零時にしてみたり、逆に遅めにして午前三時にしてみたりすると車輌はいないのであった。
(ここは記憶頼りで時間など間違いがあるかも知れない。)
そして大雨の日に傘を差しつつ運動場にわざわざ行ってみたのだが、果たして車輌の姿は見えず暫し呆然となって立ち尽くしてしまった。
けれども、こちらは単なる一学生の身で狙われる訳もなく気のせいだとの結論に達し自分の心を宥めた。
ところが、、煙を排気筒から流しつつ停まる車輌の姿は毎夜毎夜続いたのである。
それが遂に一ヵ月もしくは二ヶ月になった時、遂に意を決した自分はひと運動が終わった後、真っ直ぐにその車輌へと歩を進めた。
そして車輌に近づくと、小型ワゴン車だったが、その窓にカーテンがかけられており、窓の中央部に小さく隙間が出来ているのに気付いたのである。
車輌のすぐ横に来ると私は立ち止まり、露骨なまでにそのカーテンの隙間から中を覗いた。
そこには、そこはほんの小さな明りもない薄暗い車内が広がっていたのだが、、体格の非常にいい見るからに屈強そうな男性が四人車座になって座っていたのである。
その時の四人がギョッとなって氷の様になって固まっている感じは今でも明確に記憶に残っている。
そこから僅か数秒で私の脳はフル回転をした。
「作業服を着ている。軍靴の様な靴もはいている。・・絶対に軍人だ。」
「いわゆる特殊部隊員だろう。北朝鮮か?俺を拉致でもするのか?」
私の母の実家は福井県小浜。北朝鮮による拉致が数件も起こった土地であり、拉致の噂を当時すでに聞いていたのである。
「そうか・・俺の部屋に何度も侵入をしていたのは北朝鮮だったのか?」
「確かに・・・」
ここは今は記せません。北朝鮮という国が私を狙ってくる明確な理由があるのであった。(但し、私が政治活動歴があるとかエージェントをやっていたりしたなどの理由ではありません。当局の方ならごく簡単にその理由が御解りになると思います。私という個人が理由ではなく土地柄が理由である、とだけ今は記しておきます。)
自分の背部は運動場。その奥は小さな公園。そしてその先がようやく寝静まる住宅街。 照明もそこかしこについているのでした。
こちらに逃走をするのは危険だ、と思いました。スタンガンなども所持している可能性が高く、人数もこちらは一人に対し敵は数名。 住宅街に辿り着くまでに彼らに体を押さえ込まれる危険性が高いと思いました。
むしろ山だ、、この真っ暗な方向に逃げてやるぞ、、そう即座に心に決めました。 落ち着け、、悠然と歩け、、僅かも動揺はするな、、自分に言い聞かせました。 実際、不思議と全く動揺はありませんでした。自分でも惚れ惚れするほどでした。
勿論、計算がありました。敵は戦力では圧倒的に上。そこを焦って住宅街の方に逃げたならば、非常にまずい場面も目撃され敵は傘にかかって必ず私を追いかけて来ることは必定なのでした。
それなら、むしろ危険なことを平然と行えば敵はむしろうろたえるのではないか、と考えたのです。 こいつは何らかの武器を持っているのでは、と疑ってくると思ったのです。
どの道、彼らは私のことを一般市民とは思っていないに違いありません。室内に何回も侵入をし、二ヶ月近くも深夜に数名で車輌で待ち構えているのです。
真っ暗な道をそのままゆっくりと歩き続けました。
もし、車輌から人が出てくる音が聞こえたら、即座に走り出そうと準備していました。
自信があったのです。その頃、坂道を自転車で毎日上がったり鍛錬を繰り返していたので短距離には自信があったのです。
そして何と言っても土地勘が完璧にありました。真っ暗闇でも星明り頼りで山にそのまま入り鎌倉まで抜けていく道を私は知っていたのです。
・・・勝算は充分あったのです。
ただ、、非常に怖ろしかったのは銃器を使用されることでした。
車座の男達の場所には拳銃を除けば銃器類はあるように見えませんでしたが、運転手と助手席は全く確認をできず、そこから銃器を突き出されて撃たれたら完璧におしまいだと思いました。
今か、、今か、、背中に鋭い痛みが走り拉致されて永遠に行方不明になる自分の姿が目に浮かびました。
なぜあんなに平静でいられたのか、、今でも不思議に思います。若さとは怖ろしいものだ、とも思います。
結局、彼らは何もしてこず、事の顛末を警察に言いに行こうと思いもしましたが、私は何浪もしており、それでいて高校卒業時の成績は充分東大進学可能なものでしたから、何らかの活動家であることを警察が疑わない方がおかしいので、面倒に思い行けなかったのです。
今から思うと馬鹿の極みなのですが、、翌日も同じ午前二時頃に手ぶらで運動場に向かい車輌が綺麗にその姿を消しているのを認め、それがその後の一夜一夜にも続きようやく安心が出来たのです。
さて、、、 ここいらから先が本当に怖ろしい話・事実に触れなければならないこととなります。
しかし、今は触れないでおきます。けれども当局の方ならば私が言おうとしていることがたぶん御解りだと思います。
けれども、やはり触れます。あれから時間が三十年以上経ちました。
私の自宅、、ここから歩いて僅か五分もかからない場所。
そこには北朝鮮外交部の日本における最高位の者が居住をして居ります住居がありました。
この者に対し私は日々、調査を行っている・・そう疑われたのだと思います。
そして、もうひとつの事実に関しても私は思い当たる節があるのです。勿論、私の人生に何ら問題があるのではないのですが、私のある行動、毎日の様に取っていた行動が誤解を産んだ可能性があるのです。
その行動は勇気を要する行動であり、この住宅街の人はほぼ誰もしないことだったのです。 それを若気の至りで私が毎日の様にしてしまった為に疑われている可能性があるのです。
更にその後にもかなり特殊な行動・・・とは言っても単に体を鍛えていただけなのですが・・・を毎日の様に取った為、北朝鮮のことも含め私は疑われていた可能性が高いのです。
恐らく何らかのエージェントであると私は判断されたのだと思います。
でなければ、、両親・妹の居る室内に何度も侵入をしたり、果ては上記の様なことを彼らがする訳がないのです。
そして遂には、、毎夜毎夜、五名ないし六名の人間が車輌で私を待ち構え、それが二ヶ月近くにまで及ぶことになったのですから・・
さて、、、大きな問題となるのは、この車輌事件の時に余りにも私が的確な行動を示してしまったことにあります。
(格好がいいことを記すことに理由がある、と冒頭で記しましたことはこのことです。)
非常な恐怖に誰しもが襲われるに違いない時に、極めて冷静に大胆不敵な行動を場数を踏んだ者として実行をしてしまったのです。
この時、なぜか私は完璧な平常心でもって行動をしてしまったのです。
彼らは私のことを単なる一般市民間の協力者とは考えなかったでしょう。
プロフェッショナルな人間だと考えたと思います。
「成績も体格もよく明るい性格のあの男はなぜ何浪もしているのだ?」
「アイツには絶対に裏がある。 何らかの組織に所属している人物に違 いない。」
「何浪とかいう時期に実際は何をしていたのだ?」
ただでさえ確認が取れているだけでも十回近く自分の部屋に侵入されていたのです。もっと大掛りなマークが始まったとしても何ら不思議ではありません。
実際、この後、色々と奇妙なことが続きました。気にしていたら切が無いので忘れるようにしましたが・・
その後、F組織さんに色々と調査をされました時にも「ああ、またか」とこれらの事件絡みだと考え全く気付かなかったのです。
やや長髪の男性に露骨に追尾を二・三回かけられた時も、単にまいて済ましまさかF組織さんだとは夢にも思いませんでした。
この事件、、仙台におけるこの事件は余りにも奇妙な部分があり過ぎます。
その理由のひとつとして上記の事共をどうしても考えずにはいられません。
本当にF組織さんだけが、この事件の主因なのか?
F組織に対しても含め彼らはどうしてこんなにまで突っ張るのか?
確かに1007.8号室の暴走で本件は著しく拡大して行くのですが、、果たして単なるこの一族の騙しくらいでここまで大騒ぎな事件となるのだろうか?
その根本に上述の事実があるのではないか?
F組織はああ言うこう言う、アイツ自身も色々と言う。
しかし、、アイツは本当は本物のエージェントなのではないか?プロフェッショナルとしてこのマンションに自分達のことを調べに来たのではないか?自分達を騙まし討ちに来たのではないか?
こう考えている可能性があるのです。
確かに団体の者達はそんなことは何も知らないのですが、団体上層の者はそう考えているのではないか?
こんな出来事がありました。
寒さ攻撃という名の殺人が遂に私に向かって始まりました。(実際は惨殺された1007号室の主人が考えついただけなのですが。)
これには長期間耐えて来た私も遂にぶち切れ、それまでの温厚謙虚な自分をかなぐり捨てて、カメラに向かって怒鳴り始めました。
『団体代表! 貴様を絶対に殺してやる!
貴様の専用車は解っているのだ。乗り降り時に包丁で貴様を必ず
仕留めてやる!』
すると、どうでしょう?
体格が良く貫禄たっぷりな典型的な番長風の代表がうろたえにうろたえたのです。
専用車の周りにはいつも数台の団体の車で囲み、果ては鉄板入りの護身用の特殊カバンすらも共の者に持たせ始めたのです。
私はこの時、既に五十歳を超えて居りました。
おまけに朝から晩まで電磁波などで苦しめられ、睡眠も短時間分断睡眠へと日々追い込まれ、心身共に極めて疲弊していました。
外に出るのもせいぜい十日に一遍くらい、一階のごみ捨て場に行って帰ってくるだけなのでした。
私の行動もカメラ・装置などで二十四時間完璧に監視下に置いていたのです。
その私に柔道数段レベルの代表がなぜここまで警戒をしたのでしょうか?
私は上述の様なことを上位の者から聞いていたに違いない、と思うのです。
この事件は単なるF組織絡みだけのものでは決してないのだろう、と思います。
※大分以前に勢いに任せて書いた文章であり読み返しもきちんとしていないので、不適当な箇所が幾つもあると思う。 今後も適宜、書き直しをして参りますので宜しく御願い致します。
今朝は睡眠時間は一時間。
そしてたった今は暖房・マスクでも風邪を引きかねない程の寒さを吹き上げてくる攻撃。
この調子なので乱文を許されたい。
以下事実を書き連ねていきたい。
三月二十八日火曜日、令嬢は仙台に来ていると思う。外出をしていないので推測にしか過ぎないが令嬢はかなりの確度でこの日、仙台に来ていると思う。(調査に行けぬように、と1007号室女はその時間帯に私を眠らせたのだ。) ここの団体はこの時点では令嬢の仙台来訪を知らない。
この為、、翌三月二十九日水曜日朝方にかけて何とか睡眠を取ることができた。
しかし、、三月二十九日水曜日に会談を持つなどして令嬢が仙台に来たことを彼ら団体は知るところに及んだのである。 すると、、途端に彼らは睡眠妨害を始め三月三十日木曜日の朝方まで一時間しか私は眠られず強制的に起されたのである。
この様なこと、、令嬢が仙台に来ると途端にごく短時間の睡眠しか私に許さないことは、数限りなくこれまで起こっていることなのである。
それを一々文字上とは言え記録に私は取っているのであるが、、例えば僅か二日間しか仙台を令嬢が離れることがなくても、見事なまでに令嬢の動きに合わせて彼らは私に睡眠妨害を激しくかけてくるのである。
それはなぜか?
令嬢と私が直接会わないようにする為。
ごく短時間の睡眠時間で疲弊した私が外に出れないようにする為。
では、なぜ令嬢と私が会っては困るのか?
令嬢が私経由でいまだ知らぬ事実を知ることが起こらないようにする為。
つまり、事実を知らぬように令嬢を騙している者がその周辺にいるのである。
その令嬢に知られたくない事実って、、一体何なのだ??
そして、、 黒幕の貴方・・貴方は、本音では令嬢と私を『永遠に』会わせたくないのではないか?
私は令嬢と今後会う気など「全く」ない。
茨の道と解り切っているものを、、サポートも無しに歩む馬鹿がどこにいるというのだ。
かと言って、別に貴方方サイドを意図的に害そうという気もまた全くない。
(事態が最悪的に推移して行くならば闘死する為に貴方方と遣り合うが。)
大仰な表現にはなるが、、もし貴方方サイドに誤りが本当にあるとしたら、それは天帝・天主が御裁きになられるであろう。 私如きが出る幕ではないのです。
午前五時過ぎに僅か一時間で眠りから叩き起され・・・苦痛な電磁波を浴びせられ・・・体を熱くされ・・・、この苦しみが起き出すまで四十分間続いた。
昨日三月二十九日夕方頃、母にわたしは言った。
『お母さん、、例の財閥の一件、、事を進めるかも知れない。
けれども甘い夢など描いていないから。
散々罵倒され屈辱を浴びてから路上に放り出される覚悟を持って事を進める』
御令嬢・・・色々と眺めていると(偉そうで申し訳ないのですが)この件を推し進めていくのは到底無理です。
そして、、それは批判されるべきことでは絶対にありません。
貴女は貴女の「自然な」流れの幸いを掴まれますように・・
私は一秒でも早く「自活」しなければならないのです。
こんな場所で赤恥を晒している場合ではないのです(笑)