前回マンホールを紹介させて頂いた東彼杵町です。
緑豊かな、のびのびとした街並みです。
踏み切りがありました。
日常生活で、踏み切りを渡る事は有りません。ドキドキして渡りました。
トンネルの出口が見えます。
この先は海。。。
地域の氏神様、彼杵神社様。
長崎街道沿いにあり、当時は宿泊施設が建っていたみたいです。
看板には、シーボルトや伊能忠敬の名前もありました。
銀行の門も大切に保存されていました。
肝心のお昼ごはん。
喜久寿司さんで、かつ丼を食べました。
これで、605円。安い。ボリュームたっぷり美味しいお昼ごはんでした。
おごちそうさまでした。
お店の前。
長崎街道沿いの眺めです。
海の方へ行ってみました。
船着場がありました。
江戸から明治にかけて、大変賑わっていたそうです。
看板を撮り忘れましたが、この港には悲しい逸話もありました。
長崎には、駅前、西坂の地に26聖人記念館があります。
日本全国で、キリスト教を布教していた宣教師達が捕らえられ、処刑された場所です。
そこへ向かう宣教師達が、この船着場から出港したそうです。
どのような想いを抱いて上船したのでしょう。
複雑です。
宣教師は、日本を植民地化する先遣隊の役割を果たし日本人を奴隷として輸出もしていました。
日本乗っ取り計画半ばで敗れた方々です。
しかし、彼等にも国元には愛する家族が待っていたはずです。
他所の国を奪うという発想は、どうにかならないのでしょうか。
地産地消、自国内で、平和にちんまりと暮らすだけでは、物足りないのでしょうか。
今現在も不穏な雲行きですが、二度と日本人が、奴隷として海外に輸出される時代が繰り返されませんように。
長崎にいると、憤りを感じます。
日本人がたしかに暮らしていたのに、それを無視して海外の人が見つけて開拓した地と主張する人々がいます。
そうすると何か都合の良い事があるのでしょうか。
しかし、長崎には開港前から日本人が住んでいました。。。
八坂神社様が海辺にありました。
綺麗な松林が続いています。
この平和な時間が続きますように。