サラリーマン時代、身内の宴会の「締め」といえば、「いよ~、ポンッ」と、一本で締める「関東一本締め」が恒例でした。一本という割には、気持ちはシャキッとせず、やれやれ、終わったという徒労感だけが残ったもの。 江戸ゆかりの祭りなんかだと、三本締め。こちらは、粋で気持ちが引き締まる。
昔、テレビのニュースでは、「ナリチュウ」が定番だった。世の中、いろいろ揉めたり、議論が白熱したりしてるのを、一通り伝えた後で、「今後の「成り行き」が注目されます」と無責任に締めるもの。さすがに最近は聞かない。
代わって頻繁に登場するのが、「~としています」というやつ。例えば、「今回の事故を受けて、××省では、早急に対策を取りまとめ、再発防止に全力で取り組むと「しています」」
受身形でなく、能動形なのが、クセモノで、騙されやすいが、「一体、誰が言ってるのか」「誰が責任もってやるのか」は曖昧なまま。とはいえ、報道する側にも、される側にも、無難で、都合が良いらしく、マスコミ各社も御用達の「締め」。
テレビのニュースといえば、国営テレビ局では、国会でのやりとりを報道する時は、安倍(または大臣)の答弁で必ず「締める」ようにという厳格なルールが定められているとの週刊誌報道があった。いくら野党から厳しく突っ込まれても(それも、最近は、ほとんどあり得ないが・・)、安倍とかの答弁で締めれば、いかにも一件落着、野党も納得(するはずないが)したような印象を与えられるからに決まっている。いかにも子供騙しの手法で、国民、視聴者をナメている。
さてと、私も関わっている「書きもの」の締めをどうするか。書き出しが「ツカミ」だとすれば、「締め」は、着地。好印象持って貰えるかどうかも締め次第、というのは分かっているが、これがなかなか厄介。
新聞の投書をたまに読んでると、時の政権のキャッチフレーズを逆手に取って、文章を締めくくる、というテクニックによく出くわす。
第一次安倍政権では。「美しい国へ」とかいうキタナイのが、キャッチフレーズだった。
団塊世代が、大量定年時代を迎えることに絡んで、将来への不安と国の政策への不満、夫婦の絆を基本に生きて行く決意などを、一通り語ったあとに、「首相は、「美しい国へ」を目指すなどというが、将来への不安、家庭崩壊の危機などを抱えたままではその実現はほど遠いのではなかろうか」などと締めるのがそれである。
例えば、テーマを待機児童問題に、そして、キャッチフレーズを「一億総活躍社会」「地方創生」などというイカガワシイものにアレンジして、いくらでも使い回せる。
一見、国、首相に異を唱えているように見えて、「理念、理想はいいんだが、具体的な政策、対策がどうも・・・」と、いかにも公正中立で、偏ってないように「見える」。そんなわけで、マスコミも採用しやすいのかも知れない。あいかわらず、よく見かける。
作家の井上ひさしがどこかで書いてたが、「「人生いろいろである」というフレーズを最後に持ってくれば、あらゆる文章は、うまくまとまる」というのがあった。こじつけで、島倉千代子さんの「人生いろいろ」のジャケット画像を挿入させてください。
なるほど、他人(ひと)のことを、非難したり、あげつらったりせず、そして自身の旗幟は鮮明にせず、とりあえず無難に締めるにはもってこい、というわけで、使い勝手はよさそう。
とまあ、いろいろ書いてきて、私なりの締め、といっても、恥ずかしながら、言うほどの工夫や方針はない。情報提供的な記事が多いので、「人生いろいろである」的な感想をちょいと書き足して終わり、というパターンが多いなあ、と自覚はしている。
で、お約束の「締め」は、コレで勘弁してください。
いかがでしたか?次回をお楽しみに。