★★★ 芦坊の書きたい放題 ★★★

   
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第189回 「締め」の研究

2016-10-28 | エッセイ

 サラリーマン時代、身内の宴会の「締め」といえば、「いよ~、ポンッ」と、一本で締める「関東一本締め」が恒例でした。一本という割には、気持ちはシャキッとせず、やれやれ、終わったという徒労感だけが残ったもの。 江戸ゆかりの祭りなんかだと、三本締め。こちらは、粋で気持ちが引き締まる。

 昔、テレビのニュースでは、「ナリチュウ」が定番だった。世の中、いろいろ揉めたり、議論が白熱したりしてるのを、一通り伝えた後で、「今後の「成り行き」が注目されます」と無責任に締めるもの。さすがに最近は聞かない。

 代わって頻繁に登場するのが、「~としています」というやつ。例えば、「今回の事故を受けて、××省では、早急に対策を取りまとめ、再発防止に全力で取り組むと「しています」」
 受身形でなく、能動形なのが、クセモノで、騙されやすいが、「一体、誰が言ってるのか」「誰が責任もってやるのか」は曖昧なまま。とはいえ、報道する側にも、される側にも、無難で、都合が良いらしく、マスコミ各社も御用達の「締め」。

 テレビのニュースといえば、国営テレビ局では、国会でのやりとりを報道する時は、安倍(または大臣)の答弁で必ず「締める」ようにという厳格なルールが定められているとの週刊誌報道があった。いくら野党から厳しく突っ込まれても(それも、最近は、ほとんどあり得ないが・・)、安倍とかの答弁で締めれば、いかにも一件落着、野党も納得(するはずないが)したような印象を与えられるからに決まっている。いかにも子供騙しの手法で、国民、視聴者をナメている。

 さてと、私も関わっている「書きもの」の締めをどうするか。書き出しが「ツカミ」だとすれば、「締め」は、着地。好印象持って貰えるかどうかも締め次第、というのは分かっているが、これがなかなか厄介。

 新聞の投書をたまに読んでると、時の政権のキャッチフレーズを逆手に取って、文章を締めくくる、というテクニックによく出くわす。

 第一次安倍政権では。「美しい国へ」とかいうキタナイのが、キャッチフレーズだった。

 団塊世代が、大量定年時代を迎えることに絡んで、将来への不安と国の政策への不満、夫婦の絆を基本に生きて行く決意などを、一通り語ったあとに、「首相は、「美しい国へ」を目指すなどというが、将来への不安、家庭崩壊の危機などを抱えたままではその実現はほど遠いのではなかろうか」などと締めるのがそれである。

 例えば、テーマを待機児童問題に、そして、キャッチフレーズを「一億総活躍社会」「地方創生」などというイカガワシイものにアレンジして、いくらでも使い回せる。
 一見、国、首相に異を唱えているように見えて、「理念、理想はいいんだが、具体的な政策、対策がどうも・・・」と、いかにも公正中立で、偏ってないように「見える」。そんなわけで、マスコミも採用しやすいのかも知れない。あいかわらず、よく見かける。

 作家の井上ひさしがどこかで書いてたが、「「人生いろいろである」というフレーズを最後に持ってくれば、あらゆる文章は、うまくまとまる」というのがあった。こじつけで、島倉千代子さんの「人生いろいろ」のジャケット画像を挿入させてください。


 なるほど、他人(ひと)のことを、非難したり、あげつらったりせず、そして自身の旗幟は鮮明にせず、とりあえず無難に締めるにはもってこい、というわけで、使い勝手はよさそう。

 とまあ、いろいろ書いてきて、私なりの締め、といっても、恥ずかしながら、言うほどの工夫や方針はない。情報提供的な記事が多いので、「人生いろいろである」的な感想をちょいと書き足して終わり、というパターンが多いなあ、と自覚はしている。
 で、お約束の「締め」は、コレで勘弁してください。

 いかがでしたか?次回をお楽しみに。


第188回 目が泳ぐー村松友視の場合

2016-10-21 | エッセイ

 「私、プロレスの味方です」(角川文庫ほか)以来、村松友視の軽妙なエッセイとか、うんちく本を愛読している。こちらの方です。



 ちょっと古いエッセイ集だけど、「怪しい顕微鏡」(青春出版社)をたまたま読んでいたら、著者が、クレジットカード詐欺事件の犯人と疑われて、任意同行を求められた「事件」の顛末が書いてあって、興味を引かれた。

 彼が東京駅の構内を歩いていた時のこと。黒い革ジャンの男が近づいてきて、「お急ぎのところ恐縮ですが、ご協力いただけないでしょうか」と声をかけてきた。男は、警察手帳を見せた上で、カード詐欺グループの捜査を担当していて、服装を目当てに探すしかない旨を村松に告げる。そして、手持ちのクレジットカードを見せて欲しいと要求される。

 いつのまにか、村松は、3人の男に取り囲まれる形になってしまった。

 普段、見る機会なんてない警察手帳を見せられただけで、相手が警察官だと信じる方が、お人好しだし、まして、いきなりクレジットカードを見せろとは、怪しい限り。こいつらこそカード詐欺グループじゃないのかと思うのは当然である。

 そこは、村松も冷静に、近くの交番でなら協力しましょうという事になって、交番の2階で所持品検査が始まった。カードはもちろん、現金、領収書のたぐい、ハンカチ、サングラスなど、すべてをテーブルの上に並べた。
 嫌疑が晴れたのは、たまたまパーティー用に持ち合わせていた8枚の自分の名刺。「あなたがこの名刺の本人だという証拠はありますか」と、執拗に食らいつく警官に、もう一人の警官が「まあ、これだけの数を持ってるんだから」となだめて、村松は解放された。最後は、改札口まで送りに来て、「先生、何番線でお帰りですか・・・」と声までかけてきたという。
 権力を後ろ盾に、剛と柔を使い分ける警察のいやらしさがよく分かる。

 さて、黒のコートというなんの変哲もない服装だけで、あらぬ嫌疑をかけられた村松には、その理由が思い当らず、腑に落ちない。そこを、かなりの説得力を持って解き明かしたのが、知人の糸井重里。

 後日、観劇で一緒になった糸井に、事の顛末と、気持ちをぶつけると、村松の場合、怪しまれても仕方がない、という返事がいきなり返って来た。糸井によれば、そもそも駅の構内というところは、何番線とか、タクシー乗り場とか、自分の目的を定めて、まっすぐ神経を向けて行く場所だ、というのだ。

 その上で、糸井の説明が続く。「俺なんか(店へ入っても)周囲なんて関係なくすっと自分の席へ向かうわけですよ。ところが、ムラマツさんは神経というか意識というか、それを泳がせてから席へ着く。(中略)東京駅の構内でみんなが目的に向かって直線的に歩いているときに、周囲に神経や意識をくばって歩いていたら、そりゃ公安官の目からみれば怪しいでしょう」(同書から)

 理路整然たる説明と、自分でも気がつかなかった「怪しい」クセを指摘されて、村松も納得せざるを得なかった、というのがオチです。公安官とか警察官の目の付けどころにしろ、糸井の指摘にしろ、日頃からの鋭い人間観察のなせるプロのワザ、と感心しました。

 知らない場所で、キョロキョロするのはやむを得ないけれど、「怪しく」目を泳がせないよう呉々も注意しましょう、というのが、本日の教訓です。

 いかがでしたか?次回をお楽しみに。


第187回 奇人列伝−3 川端康成ほか

2016-10-14 | エッセイ

 前回までのシリーズで、「万国奇人博覧館」(J・C・カリエール/G・ベシュテル 守能信次訳 ちくま文庫)の中の、ユニークなエピソードの紹介をひとまず終えました(文末にリンクを貼っています)。

 根が好きだから(?)なんでしょうか、そのテの本が集まってくるようで、今度は、「昭和超人奇人カタログ」(香都有穂(こと・ゆうほ) ライブ出版)という、これまた面白い本に行き当たりました。対象は、作家、文化人、企業人など、昭和の時代の有名人です。同書をベースに、私自身のコメント、感想も交えて、いくつかエピソードをお届けします。

<川端康成>
 ロリコンの噂が絶えなかったり、自殺の真相も謎のままの「国際的」な作家。ノーベル賞を受賞してるくらでいですから、きっとそうなんでしょうけど、私なんかは、あまり実感はありません。ご存知こちらの方。



 で、同書によれば、この作家の別の顔は、「借金の天才」。
 大正10年のことです。菊池寛の家に、川端がやってきました。菊池は、一人将棋をしていましたが、川端は黙ったまま、1時間ほども口をききませんか。しびれを切らした菊池にやっと川端が、
 「200円(現在だと200万円くらい)いるんです」ぽつんと言いました。
 「いついるの」
 「きょう」
 仕方なく、菊池が金を渡すと、「さようなら」の一言だけを残して、サッと引き上げました。
 「借金の天才」というからには、断る方でも天才、名人級です。借金取りが来ても、平気の平座で、逃げもしません。
 「ないものはない。いずれ払います」と言ったきり、ミミズクが驚いたような目をむいて、何時間でも無言のまま。相手が閉口して、退散したといいます。

 それで思い出したのが、落語の「にらみ返し」。大晦日、借金取りたてを、にらみ返すだけで撃退するのを商売にしている男。あまりの効果に、「追加のカネを払うからもう少し」と引き止める客に「そうもいかねぇ。これから帰(けえ)って、自分の分をにらみ返さなきゃならねぇ」と答えるのがオチです。「小さん(5代目)」が絶品でした。あの柔和な顔が、鬼の形相に変わるスゴさ、可笑しさを思い出します。

<永井荷風>
 以前、私が読んだ本でのエピソードで、永井の人嫌いぶりを物語るものがありました。居留守の常習で、自宅を訪れる編集者、来客に対しては、お手伝いのおばさんが、窓から顔だけ出して、「先生はいません」とだけ言って、誰彼となく、追い返していたそう。追い返された当人が怒りを込めて書いていたといいます。
 さて、自ら変人であることを認め、「偏奇館主人」と称していた作家ですが、同書で、その常軌を逸したケチぶりが、紹介されています。
 出版社から送られて来た虎屋のヨウカンを、自分でも食べず、お手伝いのおばさんにもあげません。便所に箱のまま捨ててあって、中を見ると、カビだらけ。「カビをはやして捨てるくらいなら、くれればいいのに」とは、おばさんの弁。
 戦後、ケチぶりに拍車がかかり、電車はいつもタダ乗り。切符は買わず、発車間際まで待って、改札を走って飛び乗り。降りる時は、駅員交代のスキを狙って、改札をサッと出ました。

 昭和29年、自宅へ帰る途中、国電の中に、いつも全財産である現金を入れて持ち歩いているカバンをスラれました。幸い、見つかったのですが、現金、預金通帳、小切手など、2000万円相当であることが、バレてしまったのです。
 今なら、億単位。ケチもここまで行けば、立派で、うらやましい限り。


<泉鏡花>
 幻想的、夢想的な独特の文学を開花させた鏡花がなにより嫌いなのが、カミナリ、犬、浪花節でしたが、一番怖がったのが、「バイ菌」であった、とはよく知られた事実で、同書でも紹介されています。一度、赤痢にかかったから、とも言われますが、バイ菌には異常なほど神経質でした。

 外出の時には、アルコールランプを絶えず持ち歩き、出されたお菓子は火であぶってから恐る恐る食べました。水は、沸騰させたものしか飲まず、酒は沸騰寸前の超熱燗。豆腐が大好物だが、当然、湯豆腐だけ。しかも、「腐」の字を嫌って、「豆府」と書いていました。
 一種の強迫神経症だと、私も思いますが、晩年のハワード・ヒューズを彷彿とさせます。彼の奇人ぶりについても、いずれ紹介したいですね。

 いかがでしたか?前回までの記事は、<第156回><第175回>です。いずれ続編をお送りする予定です。それでは次回をお楽しみに。



第186回 大阪弁講座ー21 難読地名その1(柴島ほか)

2016-10-07 | エッセイ

 難儀な(むつかしい)読み方やなあ、とか、どう考えてもそんなん読めへんやろ、といういわゆる難読地名というのは、全国あちこちにあります。大阪にも、もちろんあります(と、ムキになるほどの話でもないですが・・・)。
 ただ、大阪の場合は、「それはないやろっ」とツッコミを入れたくなる難読地名が多いような気がします。

 というわけで、私自身の思い出、思い入れがある難読地名に、ネットから拾ってきた地名を加えて、シリーズでお届けしようと思います。なお、難読度は、あくまで「大阪のオッチャンが読めるか読めないか」を基準にした5段階評価(5が最難度)。独断と偏見の参考値程度に考えてください。

 ほな、さっそく第1弾を。

<< 柴島(大阪市東淀川区 難読度5) >>
 JR大阪駅から、新大阪に向けて、淀川を渡ってすぐ右手に、「柴島浄水場」というのがあって、大きな看板が目に入ります。フリガナなんか振ってありません。それを見るたびに、「確か、変わった読み方するんやけど、なんやったかなぁ」と思ってました。けど、別に困るほどの事でもないので、ほったらかしのまま、今日まで来ました。この難読地名シリーズを始めるにあたって、調べて分かりましたよ。「くにじま」と読むんですね。

 大阪のオッチャンも、新幹線を利用する時には、目にしてるはずですが、正式な読み方は知らなさそうで、難読度は5。「簡単な字ぃやし、「しばじま」じゃアカンのか?簡単な漢字やから、読み方だけ、勝手に変えたんちゃうか」そんな怒りの声が聞こえてきそう。
 いつの間にか、立派な「水道記念館」が出来てました。



<< 松屋町(大阪市中央区 難読度1) >>
「「まつやまち」じゃあないんですかぁ?」
 「あんさん、東京のヒトでっか?これはな、「まっちゃまち」と読んでもらわなアカンのです」
 五月人形、ひな人形など人形や、おもちゃの卸、小売りの店が集中してるエリアです。誰でも、普通にしゃべったら「まっちゃまち」になるはず。でも。それを「正式な読み方」にしてしまうところが、いかにも大阪やなぁ、と思います。

 ベタなCMソングですけど、木魚でポコポコとリズムを取りながら、こう歌うのを、昔、イヤになるほど聞かされました。
 「「まっちゃまち」の福板屋(ふくいたや)、ニンギョとユイノ」
 「ニンギョ」は、「人形」、「ユイノ」は「結納」のこと。確かに、こう歌ってました。ホンマ、大阪人は略すのが好き。

<< 私市(大阪府交野市 難読度4) >>
 まずもって、所在する「交野」が、難読っぽいですが、「かたの」と読みます。大阪と京都の中間辺りの南寄り。郊外の住宅地といったところでしょうか。
 若い頃、ゴルフを始めて、コースデビューが、「私市カントリー」。というわけで、読み方を、その時覚えました。スコアは、120くらいやなかったですかなぁ。その後、大して上達もしないまま、退職を機に止めましたけど・・・そうそう、「きさいち」と読んでください。

<< 丼池筋(大阪市中央区 難読度3) >>
 繊維の町船場(せんば)のちょっと南。まわりは、繊維関係の会社、商社とか、洋品店などの店が密集しています。今みたいに衣類のディスカウントとか、量販店がなかった頃には、よく足を運んでました。 

 大阪では南北の道を「筋(すじ)」、東西の道を「通り」と称しますが、最近では、自ら「丼池(どぶいけ)ストリート」なんて呼んでいるようです。横文字もエエけど、「丼」を「どぶ」と呼ぶセンス、なんとかならんかな、とも思ったりします(余計なお世話ですけど)。でも懐かしい。

 第一弾、いかがでしたか?いずれ、続編をお届けする予定です。お楽しみに。

<追記>続編へのリンクです。<第199回><第213回><第231回>

合わせてお楽しみください。