米原万里さん(ロシア語通訳、エッセイスト)の幅広い話題とユーモアに富んだエッセイを愛読し、当ブログでも何度か取り上げました(文末に、直近2回分へのリンクを貼っています)。
今回のネタ元は、「魔女の1ダース」(新潮文庫)所収の「モスクワのジプシー」です。

私自身が小さい頃、そして親になってからも、出かける時に注意を怠れなかったのは、迷子にならない、させない、ということでした。本エッセイには、ロシアの子育て専門家・ニキーチン夫妻が登場し、この問題に取り組むきっかけとなった体験が語られます。そして、この問題が子育ての本質に変わる興味深いものだと教えられました。
まずは、きっかけとなったエピソードをご紹介し、後半では、その経験を日々の子育ての中で活かし、実践しているお二人の様子をお伝えします。最後には、「猫育て」にも応用している米原さんの体験をご紹介しますので、どうぞお気楽に、最後までお付き合いください。
モスクワ郊外に住むニキーチン夫妻の一家が大都会モスクワを訪れた時のことです。下から2番目の息子が迷子になってしまいました。これをきっかけに、ニキーチン氏は、「迷子」という現象に多大の関心を寄せるようになり、「流浪の民ジプシーの子は決して迷子にならない」との説を知るや、早速その検証に取りかかりました。
モスクワの地下鉄の駅でのことです。二人のジプシーの母親が立ち話に夢中になっています。その子供と思われる4~5人の少年少女(6歳未満くらい)が、プラットホームじゅうを駆け回って鬼ごっこをしています。二人の母親は話に夢中で、子供たちを一瞥だにしません。子供たちは、遊びに興じながらも、ほぼ定期的にチラッチラッと母親たちを見やります。そのうち、母親たちは、子供たちに視線さえ走らせず、エスカレーターのほうへ歩き出しました。一方、子供たちは、親の動きを察知して、遊びを続けながらも少しずつエスカレーターのほうへシフトしていくのです。「われわれは親の側が子どもが迷子にならないように配慮するあまり、子ども自身の迷子にならないようにという注意力と努力の余地を奪ってしまっているのです。ジプシーは親がそんな気配りをしないおかげで子どものほうにその能力が育つのです。迷子を作らないためには、そのほうが確実なのです」(同書から)と、ニキーチン氏は、米原さんへの話を結んだといいます。
幼児が本来秘めている能力をスポイルすることなく最大限引き出し、伸ばしていくことが育児の基本だ、という理論です。
この理論に沿って、夫妻は、乳幼児のおしめを外す時期を早めることに取り組みました。ロシアでは、1歳半くらいまでおしめを外せませんが、アフリカの場合は、半歳くらいで解放されるのが普通と知って、おしめを外す時期をどんどん早めていきました。すると、わずか3ヶ月ほどで、夫妻の子どもはちゃんと、しかも喜んで便器で用を足すようになったというのです。子どもにとっても、その方がはるかに快適で、おしめから解放された幼児は精神的に安定したともいいます。
ロシアでは、子どもが風邪をひかないよう、冬には着膨れするほど衣服で包み込みます。でも、ニキーチン家の子供たちは、屋内では裸足で過ごすだけでなく、真冬でも裸足裸体で雪の中を走り回らせました。子供たちは嫌がるどころか、喜んで走り回り、全員が風邪をひくこともなく、すくすくと育ちました。
子どもは好奇心の塊で、周りには危険がいっぱいです。親としては心配で、ついつい「あれはダメ、こっちは危ない、それには近づくな」などと口うるさく言いがちです。
でも、それだといつまでたっても子どもは自身で危険の本当の怖さをできないし、危険度を推し量る能力を身につけられない、と夫妻はいうのです。
ですから、ニキーチン式子育てでは、いたずらに子どもを危険から遠ざけません。熱したアイロンに子どもが興味を持ったら、軽く触らせるくらいのことはするといいます。自らの痛みを伴う経験を通して、身の回りには危険なものがあることを学ばせるというわけです。
さて、愛猫家の米原さんは、常時3~4匹飼っています。小さい頃から望むままに自由に外に出させていて、交通事故に遭った猫は一匹もいません。ところが、隣の一家もほぼ同じ数の猫を飼っていますが、交通事故で3年の間に2匹が死亡、2匹が身体障害者になりました。米原さんが、ニキーチンさんに倣って調べたところ、そこの猫たちは、小さい頃は、ずっと室内で飼われていたことがわかりました。猫の世界でも、過保護にされて危険予知能力が身につかないと、悲劇が起るという夫妻の理論を、身近な例で実感した米原さんでした。
いかがでしたか?夫妻の理論は「子育て」「猫育て」に限らず、家庭、職場などにおける「オトナ育て」にも応用できそうだな、と感じたことでした。冒頭でご紹介した記事へのリンクは<第483回 裁判所に出頭した猫の話>、<第536回 米原万里さんの通訳裏話>です。併せてご覧いただければ幸いです。それでは次回をお楽しみに。