相も変わらず凶暴な事件、とんでもない事件が発生し、そのたびに「おっ、おいしいコンテンツ!」とばかりに、取材と報道が過熱します。とはいえ、取材を受けた関係者が実名で登場することはまれですし、映像もモザイクがかかったり、首から下だけ、というのが多いです。
人権、プラバシー、本人の意向なども尊重すれば当然の配慮でしょう。ただし、情報源としての信憑性のチェックが出来ない、警察頼みの取材になって、公正、適正な捜査が行われているかのチェック機能が働かない(今でもその傾向はありますが)などのマイナス面もあります。
さて、紳士の国と言われるイギリスですが、マスコミによる事件の取材、報道は「過激」です。猛烈な取材の結果だとは思うのですが、事件に直接かかわる人だけでなく、周辺の人たちが、堂々と「実名で」登場することが多いのに驚きます。新聞の場合だと、高級紙、大衆紙を問わず、競うようにして、時に10ページを超えるような大特集を、連日のように組む、というのも珍しくありません。
英国で起こったある重大事件の新聞報道ぶりを通して、新聞記者たちの使命感や悩み、捜査当局との関係などを、幅広くかつ丹念に取材したのが、「英国式事件報道」(澤康臣(さわ・やすおみ) 文藝春秋)です。まずは、事件の経過を追いながら、その報道ぶりを、「実名報道」を主な切り口としてご紹介します(引用は、同書から)。その表紙です。
事件の舞台は、英国東部のイプスウィッチという街。2006年12月のことです。25歳の売春婦ジェマ・アダムズの全裸死体が小川で捨てられているのが発券され、まもなく、19歳のやはり売春婦のタニア・ニコルの全裸死体が発見されました。
被害者二人の写真と詳しいプロフィールが各紙に載ります。ジェマについては、両親が取材に応じて、「父ブライアンさんは、「彼女は性格がよく。明るく賢かった。何か頼めば上手にこなした。家では何のいさかいもなかった」と語った」とあります。
また、タニアについては、ホーリーと名乗る元同級生が、彼女が売春婦として働いているのに驚いた、とのコメントを載せています。
報道が過熱しだしたのは、3人目の被害者が出て、さらに二人が行方不明なのが明らかになってからです。結局、売春婦五人連続殺人事件という大事件に発展します。
被害者のひとりアネットの従姉が実名で取材に応じ、既に二人が行方不明になっているのに、売春を続けるのは異常だからやめるよう街角で客引きをしている彼女を説得したと語っています。その3週間後にアネットは遺体で発見されるのですが、「家にひきずって帰ればよかった」と悔やむ従姉。
別の被害者ポール・クレネルの父親ブライアンの悲痛な叫びも伝えています。
「このケダモノは逮捕されなければならない。一体どんな人物だ。この者は普通にその辺を歩いているに違いない。だが、彼は人間ではない。犯人を知っている人がいるはずだ。私はイプスウィッチに行き、その男を探し出す。次の殺人が起こる前に、何かしなければ」
ジャッキーと名乗る元売春婦の生々しいロングインタービューが掲載されたりと、報道がエスカレートする中、容疑者のひとりとみなされていたトム・スティーブンスという男が、大衆紙サンデーミラー紙の独占取材に応じました。
「私は無実だ」と言いつつ、5人の被害者全員と友だちであるがアリバイがないこと、これまで警察の事情聴取を4回受けていることなどを明かします。
そのインタビューが掲載された翌日、スティーブンスは逮捕されます。各紙色めき立って、大報道合戦が繰り広げられるのですが、彼は真犯人ではありませんでした。その翌朝、別の容疑者が逮捕されます。フォークリフト運転手のスティーブ・ライト48歳です。
結局、スティーブンスは釈放され、スティーブが起訴されました(日本でなら、誤認逮捕で大問題となるところですが、あくまで「容疑者」の逮捕ということで、英国では、ままあるようです)。
そして、一時的に、スティーブをめぐる報道で過熱した報道も、舞台が公判へと移るにつれて沈静化していった、というのが、事件とその報道の主な経過です。
事件の関係者(特に被害者側)とすれば、「そっとしておいて欲しい」「マスコミに登場するのは勘弁して欲しい」というのは人間としてごく自然な気持ちです。イギリスでも、皆んなが皆んな自主的にマスコミに登場している、というわけではないようです。
それでも、被害者の人間としての尊厳を守る、犯人逮捕につながる可能性がある、など動機とか判断の根拠は区々でしょうが、発言すべきと考えれば、「実名」も厭わず、きちんと対応していく人がいるーー個人としての主体性の持ち方の違いが、あらためて印象に残りました。もちろん、「事件報道」に取り組むマスコミの「過激な」姿勢、国情の違いも。
いかがでしたか?次回をお楽しみに。
以前、アメリカの1コマ漫画をご紹介しました(第268回ー文末にリンクを貼っています)。アメリカならではのジャンルで、もう少しご紹介したいネタが残ってましたので、お付き合いください。なお、< >内がキャプション(登場人物のセリフ)です。
まずは、「精神分析医」です。かかりつけの分析医がいるのが、ひとつのステータスとされるアメリカ。日本人だったら、酒場で仲間にクダまいて解消するような悩みを、いちいち分析医に相談するのもアメリカ。
アタマの部分が高くなった長椅子に横たわる患者と、分析医という構図の中で、とんでもない悩みと、とんでもない医者の言動(章のタイトルは、「頭のねじれ」)が展開します。
ネイティブアメリカンの患者。
<マンハッタン島を24ドルで白人に売った先祖の事を考えると、くやしくて眠れません>
気持ちはよく分かる。
雄大な妄想をかかえた患者も来訪する。
<今までのことをお話しください>と促された患者がしゃべり始める。
<まず天と地をわけ、夜と昼を創り・・・・・>
なんとスケールの大きい妄想!!
ヌーディスト・キャンプ内の分析医へ女性患者が訴えている。
<あたし時々、着物をつけて、大通りへかけ出したいとの衝動にかられるのです>
ヌーディスト・キャンプならではの、「深刻な」悩みです。
分析にかかる治療費は決して安くないようです。
<財産のことが心の重荷になっています>と訴える患者に、
<ご心配なく。私におまかせになれば、すみやかに軽くしてさしあげます>
お次は、特許申請の代行、コンサルなどをする「 弁理士事務所 」を舞台にした漫画(章のタイトルは、「ぬれ手でアワ」)も、取り上げられてます。一攫千金を狙って、突飛な発明を持ち込むというシチュエーションのものが定番です。こんなエロチックな発明を持ち込む人物も現れます。
事務所のスタッフが言う。
<どこが発明ですの。私にはただのガラスにしか見えませんけど>
弁理士事務所の前で、ふんぞりかえってる若き日のエジソン。ドアを開けた弁理士が叫ぶ。
<You again!(また君か)>発明王は、特許申請王でもあったはず、というオチです。
こんなひねったネタもあります。どこからともなくやって来た原始人が、火や車輪を持って、事務所の前で待っている。世が世なら、確かに偉大な「発明」には違いないですが・・・・
さて、仏教的世界観だと、「極楽」ですが、キリスト教的世界観だと「天国」ということになるでしょうか。「雲の上の連中」とのタイトルで紹介される天国も、漫画となると、極めて人間臭い世界のようで・・・
夫婦で天国に召されたとおぼしきカップル。亭主が車がわりの「雲」を運転しています。
女房がうるさく指図している。
<ほら、スピードを落として。ハンドルを左へ。その雲にぶつかるわよ>
ぶつかっても、「死亡事故」にはならないはずなんですけど・・・・
平穏なはずの天国も、夫婦で、となると話は別。
夫人はハープなんぞをかなでて、満足の態だけど、亭主は
<永久にこの繰り返しなのか>とうんざり顔。離婚も浮気もできず、酒も飲めないのですから。
なかには、夫人にかまわず大っぴらに浮気する亭主が現れる。夫人が文句を言うと、
<うるさい。結婚した時の誓いは、「死が二人を分つまで」だ>と怒鳴り返している。これには思わず大笑い。
雲に乗ってる二人の男。ひとりが言う。
<地上でなにかあったらしい。あっという間に、数十億人がやって来たと思ったら、あとは、ひとりもやってこない>
ちょっと不気味なブラック1コマ漫画です。
前回(第268回)へのリンクは<こちら>です。
いかがでしたか?次回をお楽しみに。
先の戦争では、日本各地への空襲で数多くの非戦闘員の命が奪われました。極めつけが、広島、長崎への原爆投下という大量虐殺です。
が、なぜ京都が空襲されなかったかについて、まことしやかに伝えられていたのが、歴史的遺産、文化財を守るためのアメリカの「配慮」だというものでした。小さい頃、母親からよく聞かされたのは、「あれはな、自分らが日本を占領した時の「観光用」に残しといただけや」というもの。当時は、ふ~ん、そんなもんかなと思ってましたが・・・
「日本の古都はなぜ空襲を免れたか」(吉田守男 朝日文庫)を読むと、そんなアメリカの配慮は、虚構であり、それどころか京都に原爆が投下される寸前であったことが、歴史的事実として浮かび上がってきます。歴史学者である著者の緻密な考証、検証の跡をたどりつつ、ご紹介します。こちらの本です。
まず、戦後、アメリカの配慮という虚構が作られたプロセスです。
戦争中、そして戦後も、なぜ京都が空襲を受けないかを不思議に思う日本人が多かったようです。そんな中、日本の知識人の間で噂になっていたのが、ハーバード大で日本美術を教えているウォーナー博士が政府に働きかけたから、というものでした。そして、この「噂」にお墨付きを与えたのが、GHQの民間情報局のヘンダーソン中佐です。彼は、ウォーナー博士の教え子で、日本文化の研究者でもあったので、これを美談に仕立てることを思いつきます。原爆投下でくすぶっている反米感情を少しでも和らげる格好のネタですから。
1945年11月11日、(天下の)朝日新聞に「京都・奈良無傷の裏 作戦、国境も越えて人類の宝を守る。米軍の陰に日本美術通」が出て、「ウォーナー伝説」が確立しました。「大本営」に続き、「GHQ」のお先棒も担いだことになります。
博士が政府の委員会の一員として、日本の文化財のリスト作成に関わったのは事実ですが、政府への働きかけは、一貫して否定しています。日本人は「東洋的な謙遜」と捉えているようですが、本人は最後まで否定しています。原爆投下そのものの阻止を働きかけたのならともかく、京都だけを救ったとしても、名誉でもなんでもありませんからね。「伝説」はあくまで「伝説」で、根拠がない、というのが著者の主張で、十分に説得力があります。
なにより、京都が原爆投下の候補地であったという事実の前に、こんな「伝説」や「美談」は吹っ飛んでしまいます。
1945年5月、マンハッタン計画に携わった科学者と軍人による秘密会議が開かれ、京都、広島、横浜、小倉、新潟が、原爆投下予定都市に選ばれます。
特に京都は、人口100万を抱える大都市である上に、かつての首都であり、心理的効果が大きいことなどから、陸軍の最重要補給基地である広島と並んで、最有力候補地とされました。
同年6月、米統合参謀長会議は「別命あるまでいかなる部隊も京都・小倉・広島・新潟を爆撃してはならない」という命令を出します。
原爆の破壊力を検証するためには、「まっさらの状態」にしておいて、投下後の状況とを比較する必要があります。整然とした京都の町並みは、まさにうってつけというわけです。歴史的遺産、文化財云々とかは、全くもって考慮の外、原爆ありきだったということが分かります。
一旦決まった候補地ですが、7月25日の原爆投下命令まで、京都の除外を主張するスチムソン陸軍長官(文民)と、既定方針にこだわる目標選定委員会(軍人)との間で、激論が続きます。
スチムソンがトルーマン大統領と交わした私信では「そこ(京都)は日本の旧都であり、日本の芸術と文化の聖地であった。われわれはこの町を救うべきことを決めた」と、美談風に書いています。一方、彼の日記には本当の理由が書かれています。
「もし、京都が除外されなければ、かかる無茶な行為によって生ずるであろう残酷な事態のために、その地域において日本人を我々と和解させることが戦後長期間不可能となり、むしろロシア人に接近させることになるだろう」
戦争終結後の東西冷戦も視野に入れた「文民」らしい冷徹な判断が読み取れます。
すったもんだの挙げ句、結局、最初の投下地は広島(8月6日)に変更され、長崎を追加(8月9日)します。(当初は、小倉が第2順位だったが、当日の視界が悪く、代替の長崎になった、という説もあります(芦坊注))
とはいえ京都が消えたわけではなく、第三の投下地(8月17日)に延期、という形で「妥協」が成立していました。
8月17日・・・・・そうです。8月15日にポツダム宣言を受諾しましたから、「ぎりぎり」投下を免れたのです。
広島、長崎という尊い犠牲を払って、第三の惨禍が、回避されたとも言えますが、私たちの心に残るのは、救いようのない憤りと無力感だけです。。
負け方も考えずに無謀な戦争に突き進んだ日本という国の馬鹿さ加減をつくづく思い知らされます。そして、冷静、冷徹、冷酷に戦ったものが最後は勝つという冷厳な真実も・・・
いかがでしたか?次回をお楽しみに。
裁判の傍聴は,カラダさえ運べば誰でも簡単にできるというのを知って、ちょっとした好奇心から離婚裁判を傍聴したことがあります。私の場合は、その時だけでしたけど、世の中には「裁判傍聴マニア」とでも呼ぶべき人がいます。その代表例が、「阿蘇山大噴火」というインパクトのある芸名というかペンネームで、傍聴コラムを書いたり、メディアに登場しているこの方です。
2009年まで、TBSラジオで「ストリーム」という番組があり、多彩なゲストが登場してトークを繰り広げるコーナーが人気でした。好評だったトークを集めたのが「コラムの花道 2007傑作選」(TBSラジオ「ストリーム」編 アスペクト)という本です。
そこで、阿蘇山氏が披露しているのが、手品の実演ショーが行われたという前代未聞にして抱腹絶倒の裁判話。なにはともあれ、本書によりながら、ご紹介することにします。
罪名は「貨幣損傷等取締法違反」。起訴の根拠となっている「貨幣・・取締法」は、戦後まもなく制定された随分古い法律です。当時10円銅貨の銅価格が額面以上あったため、溶かして金儲けを企む不心得者を取り締まることを本来の目的としています。
被告は、マジックショップのオーナー、店長、店員の男3人。ギミックコイン(手品のネタに使うため、削ったり、穴をあけたりした硬貨)を、台湾の業者に発注(3種類の硬貨を各100枚)したものの、日本の税関で発見され、起訴に至ったものです。
3人の被告人は罪を認めていますが、弁護士の方針は、「これは表現の自由の侵害である」というもの。つまり、マジシャンにとってギミックコインは商売道具であり、それを使うのは、職業上、仕方がないし、表現の自由の範疇だ、という理屈を持ち出しました。そして、ギミックコインを使ったマジックがどんなものかを立証、証言させるために用意した証人が、なんと、日本奇術協会の理事長という大物です。
弁護人とのやり取りは、ギミックコインを使った手品の歴史から始まります。「石(当時のオカネ)を消すマジックというのはエジプトの壁画に描かれているんですよ」と誰も実証のしようのない事をぬけぬけと答える理事長。なかなかの役者ぶりです。
その後、ギミックコインを使ったマジックの歴史とその仕掛け、日本での歴史、最近の動向などのやり取りがあって、やおら、弁護士が、「ま、ギミックコインを使った手品ってたくさんあると思うんですけれども、この場で口頭で説明してもらっても分かりづらいですから、実演していただけますでしょうか」と持ち出すのです。
で、理事長は、「かねて用意の」500円玉を取り出して、実演に及ぼうとするのですが、当然、検察官は「こんな証人尋問は不適切です!聞いたことありません!!」と机をたたいて大抗議に及びます。実演は裁判記録として「文書」に残しようがありませんから、検察官の抗議はもっともではあるんですが・・・
当事者も傍聴者も固唾を飲んでいると、裁判長から「まっ、裁判所としては、やっていただいてもいいですよ」との一言。怒り心頭、ふてくされる検察官を前に、実演が始まる事になりました。すべて事前の段取り通りなんでしょう、理事長もやる気まんまんです。
で、手品が始まるのですが、裁判長に向かって証言していた理事長は、何を思ったか、くるっと後を向いて、傍聴席に向かって手品を始めようします。何しろ珍しい裁判ですから、傍聴席は超満員です。理事長もいつものクセで、つい「客席」に向かって演じようとしたんですね。すかさず、弁護士が立ち上がって、「あの、すいません。裁判長の方を向いてやってもらえませんか」
というわけで、阿蘇山氏を含む傍聴者には見えませんでしたが、500円玉が10円玉にすり替わるという手品の実演が成功したようで、裁判長も思わず「うお~っ!すげえ!!」
人類の歴史とともにあるギミックコインを使った手品の歴史、そして、それが人々を驚かせ、感動させる”罪のない”ものであるかの立証に、弁護士は成功したようです。
検察も意地になってだか、ムキになってだか、オーナーに懲役8か月、店長と店員に同6か月と重めの求刑をしました。で、判決の刑期は、求刑通りでしたが、いずれも執行猶予3年が付いたごく妥当なもの。古色蒼然たる法律で、マジック業界を狙い撃ちにしたような微罪の取り締まりに狂奔する前に、検察もやるべきことが他にあるんじゃないの・・・そんな声が聞こえてきそうな裁判の顛末でした。
いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。