★★★ 芦坊の書きたい放題 ★★★

   
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年末始の記事アップにつきまして<芦坊>

2022-12-30 | エッセイ
愛読者の皆様へ

 いつも「芦坊の書きたい放題」をご愛読いただきありがとうございます。
 2022年は、「第504回 笑い納め2022年」が最終の記事となります。
 2023年は、1月1日(日)に新年のご挨拶とミニ記事をアップし、
 1月6日(金)から、通常の記事をアップの予定です。
 引き続きのご愛読をよろしくお願い申し上げます。
 皆様方におかれましては、どうか良い新年をお迎えください。

   芦坊拝

第504回 笑い納め2022年

2022-12-23 | エッセイ
 いいことがあったのか、なかったのか、よくわからない2022年も暮れようとしています。なにはともあれ、「笑い納める」のがなによりと恒例の企画のお届けです。
 ネタ元は、「最後のちょっといい話」(戸板康二 文春文庫 1994年)で、今回が第4弾になります(文末に過去分へのリンクを貼っています)。引用は、原文のままとし、いささかお古いネタですので、必要により人物に関する情報などを<  >内に注記しました。
 なお、年末始の掲載予定を、リンクに引き続きお知らせしています。最後までお付き合いください。

★初代中村鴈治郎<上方の歌舞伎役者 1860-1910>が巡業先で、汽車を待っていたら、弟子たちが遅れて来たので、むろん汽車は定刻、発車していた。鴈治郎は大きな目を剥いていった。「何で、わてが乗ることがわかっていて行ってしもうたんや」

★百貨店の刃物売場にハサミを買いに来た客が店員に「よく切れるかね」といったら、「使いようで切れます」と答えて、散々叱られたという話である。

★池部良<男優 1918-2010)画像あり>は、イケベリョウである。本名なのだが、いつも「いい芸名だね」といわれるそうだ。実父は洋画家、そして私には時事漫画での記憶が濃い池部鈞だ。その父から孫に鍬吉という名を継がせろといわれたが、それを区役所に届けにいく途中、道でつまづいた時に度忘れした。たまたまその前のマーケットに「良質菜種油」の看板があったので、ヒョイとその一番上の「良」をとったのだという。



★安藤鶴夫<小説家、演芸評論家 1908-1969>は話術がうまい人で、同時に効果的にスピーチをしめくくる趣向にも長じていた。松本ひろしが「娑婆に脱帽」という本を出版記念会の日、おくれて来た安藤にさっそく司会者が指名した。安藤は「ほんとにおもしろい芝居です。ぼくは脱帽しました」といったが、じつは20分ほど前にスピーチに立ったディレクターが、「この娑婆に脱帽のうまさに私は思わず脱帽しました」といっていたのだ。安藤に近寄って私がそれを告げたら、苦い顔をして「全く、遅刻なんかするもんじゃないね」

★黒柳徹子がNHKの放送劇団五期生となって間もなく、自分の名前をアナウンサーがよく云いちがえて、クロヤナギトッコと読んだりするので悩んでしまい、芸名をつけようと思った。それで、いろいろ考えて、「リリー白川」というのに決めて、芸能局長吉川吉雄に届けたら、ふきだしてこういった。「およしよ。おまえさん、そんなストリッパーみたいな名前」

★昭和20年代のNHKラジオに「わたしは誰でしょう」という番組がある。ヒントを順々に出していくのだが、やがてアナウンサーが助言する。「カルメン」のドン・ホセの時、「お昼の午砲、そのあとは天気のいい時にふとんをどうするか命令形で」といったら、回答者が「ドン・ホシナサイ」

★次の週、花柳章太郎<はなやぎ・しょうたろう 新派の女形 1894-1965>がこの番組を聞いていると、自分の名前が出題。なかなか当たらない。アナウンサーが「電柱に病院の広告がありますが」といった。花柳病科の看板のことだ。花柳苦い顔をして「冗談じゃない」<花柳病(かりゅうびょう)=性病の俗称>

★酔っぱらって他人に物を渡す癖の人がいるらしい。開高健が新宿西口の飲み屋にいると、隣にいた酔漢が「おまえが気に入ったが、何もやるもんがない。これでも持ってけ」といって、履いている靴の紐を一本抜いてくれたという話がある。
 吉行淳之介は、印鑑を渡してしまったそうだが、さすがにこれは必要なので、相手をおぼえていたから取り返すことができた。吉行がこの話をして、「受け取るやつも、どうかと思うねえ」といっていたのが、じつにおかしい。

 いかがでしたか?笑い納めていただけましたでしょうか。過去分へのリンクは<その1><その2><その3>です。

 なお、本年は、これが最終記事になります。来たる年は、1月1日(日)に新年ご挨拶とミニ記事をアップし、1月6日(金)から通常の記事をお届けする予定です。
 本年も「芦坊の書きたい放題」をご愛読いただき、ありがとうございました。2023年も引き続きご愛読ください。
 皆様方のご健勝、ご多幸を心よりお祈りいたしております。

  芦坊拝


第503回 司馬遼太郎のリヴァプール

2022-12-16 | エッセイ
 若い頃からアイルランドに憧れていました。きっかけは、何かの本で読んだ丸山薫の「汽車に乗って」という詩の冒頭(旧かな)です。
 汽車に乗って/あいるらんどのやうな田舎にゆかう/ひとびとが日傘をくるくるまはし/
 日が照っても雨のふる/あいるらんどのやうな田舎にゆかう/

 サラリーマン時代は、ギネスビールにハマり、首都ダブリンあたりのパブで、現地の人たちとワイワイできたらなぁ、なんて夢を抱いていました。手前のイギリスまでは何度か行く機会があったのですが、もう1歩が遠かったです。そんなわけで、司馬遼太郎の「愛蘭土(アイルランド)紀行 1」と「同 2」(朝日文芸文庫 1993年)を古書店で目にした時は、迷わず購入しました。

 読み始めたのはいいのですが、1巻の半ばあたりでも、司馬はロンドンあたりをうろうろするばかりで、大丈夫かいな、と心配になりました。が、そこは氏のこと、アイルランドと切っても切れないイギリスとの関係史などに想いを馳せ、関連する施設を訪問するなどの「予習」の時間だったのです。その一部ですが・・・
 イギリスの支配下にあったアイルランドは、第1次大戦後の1922年に、自由を勝ち取り、第2次大戦後の1949年に、アイルランド共和國が誕生しました。
 人口は350万人で、大きな産業はなく、農業が中心です。中堅サラリーマンの税率は58%、付加価値税率(日本の消費税相当)は25%ですから、暮らし向きは大変そう。
 宗教の面では、90%がカトリックというアイルランドに対して、イギリスは、プロテスタントとそれに近い英国国教会が主流です。そんな両国が仲が悪いのも無理はありません。アイルランド人が、イギリス人を罵って言う定番が「このプロテスタント野郎!!」だ、というのを読んで、(不謹慎ながら)頬が緩みました。

 さて、予習を終えて、ロンドンのユーストン駅から西海岸のリヴァプールへ、2時間32分の鉄道旅です。世界初の大都市間を結ぶ本格的な路線として開業し、かつては重要な輸送の担い手でした。でも、司馬の車両には他に4組の乗客がいただけ、というのが今のリヴァプールを象徴する旅立ちです。
 おいおい分かってきました。司馬がこの地に立ち寄ったのは、そこがイギリスでありながら、極めて「アイリッシュな街」だからなんですね。左がその夜景です。落ち着いた港町の風情です。右の地図をご覧ください。赤丸は、右下から左上へ、ロンドン、リヴァプール、そして、アイルランドの首都ダブリンです。

 地図でおわかりのように、リヴァプールは、アイルランドの首都ダブリンのほぼ対岸に位置します。産業革命当時は繁栄を誇りました。東部の工業都市マンチェスターで作られた製品をアメリカなどに向けて輸出する重要な港だったからです。
 また、アイルランドでの厳しい生活に見切りをつけた人々がまず目指したのがこの街でした。留まる人々もいましたが、大望を抱いて新天地アメリカを目指した人々も多く、かのケネディ大統領やレーガン大統領のご先祖もここから新天地を目指しました。その結果、在アメリカのアイルランド系の人口は、2000万から4000万人ともいわれます。在イギリスは100万人、そして、リヴァプール市民の4割がカトリックだというのが、何より象徴的です。

 大きな産業もない中、重要な観光資源となっているのが、(いまだに)かの「ビートルズ」です。司馬の訪問時も、ビートルズ観光ツアーが続々とやって来ていたといいます。氏にビートルズは似合わない気もするのですが、そこにアイリッシュなものを感じた氏の薀蓄(うんちく)話に、しばし耳を傾けてみましょう。
 Beatlesというバンド名の由来については、諸説あるようです。beetleなら、カブト虫ですが、イギリスには棲息していません。当時流行していたBeat(ビート)音楽に逆らって、Beatless(ビートのない)をもじって、Beatlesとした、との説は説得力があります。
 4人のメンバーのうち、リンゴ・スターの出自はよく分からないそうですが、他の3人はアイルランド系とされています。厳しい生活の中でもユーモアを忘れなかったアイルランドの人たちの血が流れているのでしょう。こんなエピソードを紹介しています。
 アメリカ公演での記者会見で、記者が「ベートーヴェンをどう思う?」というバカな質問をしました。「リンゴ・スターは「いいね」と大きくうなずき「とくに彼の詩がね」」(本書から) と答えたといいます。
 女王陛下から勲章を受章した時には、第二次大戦でもらった軍人が抗議のため、勲章を返上する騒ぎが起きました。それに対するジョン・レノンの言葉です。
「人を殺してもらったんじゃない。人を楽しませてもらったんだ」(同)反骨精神もなかなかのものです。

 リヴァプールからは、船でなく飛行機でアイルランドの首都ダブリンを目指す司馬の一行に時代の流れを感じました。
 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。

第502回 人名いろいろ-5(海外編)

2022-12-09 | エッセイ
 シリーズの第5弾をお届けします。文末に過去分へのリンクを貼っていますので、合わせてご覧いただければ幸いです。で、今回は英語圏を中心に海外の人名のあれこれを話題にします。なお、清水義範さんのエッセイ「名前の起源あれこれ」(「雑学のすすめ」講談社文庫所収)を、一部、参考にしました。

英語圏で割合目にするのが"son"が付く名前。元々は、「あれは、○○の息子(=son)だ」と呼んでいたのが、一家の名前として引き継がれているもので、そのまんま、分かりやすいです。
 ジョンソン(Johnson)、ジャクソン(Jackson)などの例を思いつきます。
 英国では名前に"s"を付けて、「~の息子」または「~家」を表す方式もあります。
 "Williams(ウィリアムズ)"、"Adams(アダムス)”のように。
 デンマークだと、"son"が「セン(sen)」になります。童話でお馴染みのアンデルセンは「アンドリューの息子」というわけです。ドイツ語で息子は"sohn(ゾーン)"です。音楽家のメンデルスゾーンは、「メンデルスの息子」という意味だったんですね。

 スコットランドでは、"Mac"または"Mc"が「息子」を表し、姓になります。
 "McDonald(マクドナルド)"がお馴染みです。戦後日本の総司令官マッカーサも、
"MacArthur”、つまり、「アーサー(アーサー王の伝説のアーサーです)の息子」というなかなか由緒ある名前だったんですね。
 
 そして、コンピュータのアップル社の初期の製品ブランド名です。
実は、"McIntosh(マッキントッシュ)"という名前のリンゴの品種があるんですね。アップル社にふさわしいと社長のジョブスも気に入って、綴りは、"Macintosh”として、世に送り出したと伝えられています。
 その後、"Mac"が、MacBook、iMacなど主力製品群のブランド名として、また、愛称として定着しているのはご存知のとおりです。

 さて、欧米人には、聖書に由来する名前が多いです。
 代表的なのは、聖ヨハネにちなむもので、"John(ジョン)"、"Jack(ジャック)"、"Jan(ジャン)"などのバリエーションがあります。聖パウロが、"Paul(ポール)になります。ポール・マッカートニーを思いだす人が多そうです。大天使ミカエルが、"Michel(マイケル)"で、思いだすのが、こちらのマイケル・ジャクソン。

 フランスではミッシェルとなり、アメリカのオバマ元大統領の夫人がこの名前です。女性名になるのが面白いですね。
 聖ヤコブが、"James(ジェームズ)"、ダビデ王にちなむのが、"David(デイビッド)"など、この辺にしておきましょう。聖人とか偉大な人物にあやかった名前をつけるのって、日本人的には、ちょっと恥ずかしい気もします。

 名前の由来といえば、ご先祖様が携わっていた職業に関わるものも多いです。有名人にちなむものをご紹介してみます。
 小説、映画のシリーズで人気を集めたハリー・ポッターですが、ポッター(=potter)は、ポット、つまり、壷などの土器を作る職人さんのことなんですね。
 アメリカの元大統領のジミー・カーター(Jimmy Carter)さん。カート(=cart 荷車、二輪車)を作る人、または、御者という意味です。これは気がつきませんでした。
 カーペンターズ(Carpenters)という兄妹デュオが、アメリカにいました。トップ・オヴ・ザ・ワールドなんてヒット曲を懐かしく思いだします。ご先祖様の職業は・・・そう、大工さんですね、
 シェパード(Shephard)は、羊飼いですね。同名の犬種があります。牧羊犬として利用されていたことから名付けられました。歌手の千昌夫さんの最初の奥さんがシェパードさんでした。彼が「うちの奥さん、シェパードっていうんだよぉ、なんかさぁ、ワンちゃんの名前みたいで・・」とテレビで笑いを取っていたのを思いだします。

 エリザベス・テイラーという大女優さんがいました。テイラー(Tailor)は、洋服の仕立て屋さん。ご先祖様も、あの世でさぞ誇らしく思っておられることでしょう。
 昔、アブドラ・ザ・ブッチャーというリングネームのプロレスラーがいました。ブッチャー(Butcher)は肉屋さんです。凶器攻撃専門の悪役(ヒール)で、たいしたワザはなかったですが、肉屋みたいにお前のカラダを切り刻むぞ、といわんばかりのファイトぶりが印象に残っています。
 喜劇王のチャップリン(Chaplin)は、礼拝堂の牧師さん。ご先祖様は、随分お堅い職業に従事しておられたのですね。
 名は体を表す、といいますが、ご先祖様のお仕事を表すのが結構あるというのをあらためて知りました。

 海外の方々の名前に親しみを感じていただけましたか?過去のシリーズ記事へのリンクは、<その1><その2><その3><その4>です。合わせご覧いただければ嬉しいです。
 それでは次回をお楽しみに。

第501回 村上春樹の英語術 英語弁講座40

2022-12-02 | エッセイ
 村上春樹は相当な英語の使い手(のはず)です。現に、数多くの翻訳を手がけています。また、1991~92年の2年間、米国のプリンストン大学の客員研究員としてセミナーの講師も勤めました。ですから、相応のコミュニケーション能力もあると踏んでいます。でも、彼のエッセイで英語に関わるエピソードを読んだ記憶はほとんどありません。謙虚なキャラに加え、自慢するほどのことでもない、との認識なのでしょう。プリンストン時代のあれこれを綴った「やがて哀しき外国語」(講談社文庫)でも、中古レコードショップで珍しいレコードを見つけたとか、珍しい場所を訪れたとかの日常的な話題が中心です。

 ところで、「村上さんのところ」(新潮文庫)という本があります。期間限定のサイトで、彼への質問を受け付け、回答するという企画が行われました。その中から選んだ質問・回答を書籍化したものです。そこでは英語についても、「珍しく」いくつかのやり取りをしています。彼が英語に向き合う姿勢に共感し、有益なアドバイスも得たのを思い出しました。私なりのコメントも含めてご紹介することにします。なお、<  >内は、本書から引用した村上の回答部分です。

★英語なんて必要ないじゃん★
 高校の英語教師から、「将来、英語なんて使わないから必要ないじゃん」という英語嫌いの生徒へ、どう対応するかのアドバイスを求められました。<僕は基本的に、語学というのは興味がある人がどんどん自分で深めていくものだと思っています。やりたくない人にいくら無理にやらせても、単なるエネルギーの消耗じゃないかと。>
 ホントにその通りです。回答の後半では、コンピュータの世界ではすでに英語が共通語になっていること、イタリアとかフランスとかでも英語が通じる時代なったことなどを書いています。ネットでいろんな情報を集めるのに「便利」だ、とか、いろんな国の人と交流できて「楽しい」、とかも出発点にして、興味のおもむくままに「付き合っていく」のが、私の経験上も、おススメです。

★英語の本を読む秘訣★
 彼が英語をどのように学習し、身につけたか、というもう少し具体的な質問には<僕の場合は、「外国語で小説を読む」という行為そのものの素晴らしさそのものにすっぽりはまってしまいました。高校生のときです。日本語にまだ訳されていない本も読めますし、そこには「他人と違うことをしているんだ」という喜びもありました。>
 どうしても読みたい、という気持ちがきっかけで、結果的に英語が身についた、という説明にナルホドと納得できます。私も若い頃、どうしても読みたいペーパーバックを、がんばって読破した経験があります(←ちょっと自慢)。最初の回答の各論として、役立てて欲しいです。

★無人島に持っていきたい文法書★
 仮定法現在と仮定法過去の使い分けができないというニッチでコアな質問に、<「表現のための実践ロイヤル英文法」(綿貫陽、マーク・ピーターセン著 旺文社)は優れた本です(無人島に持っていってもいいくらいです)。>とススメています。
 私もさっそく通読しました。700ページほどと大部ですが、確かに優れモノと断言できます。
 中学、高校で学んだ項目を幅広く、詳しくかつ丁寧にカバーしています。「表現のための」とあるように、作り物でない自然な例文が実に充実しているのが何より素晴らしいです。例えば、
・この近辺では強盗が多いが、殺人は少ない。
・チンパンジーでもその仕事を楽々とできるはずです。
・僕の背中をかいてくれれば、君の背中をかいてあげる。
 およそ文法書らしからぬこんな砕けた例文なら身につけたくなりますよね。数多くの語学書を手がけているマーク・ピーターセンとの共著はダテではありません。
 さらに、2~3ページ毎くらいにコラムがあって、それを読むだけでも楽しめます。
 例えば、" find "という動詞は、「見つける、発見する」などというちょっと重たい日本語が思い浮かびます。でも、コラムによれば、「単に「思う、感じる、印象を受ける」」という日本語があてはまるケースが多いとあります。「それをするのは難しかった」は、
"It was difficult to do that." より、
"I found it difficult to do that."のほうが、「(やってみたら)難しかった」との感じが出せて、「英語らしい」というのです。なるほど、なるほど。

 いかがでしたか?最後はちょっと講座っぽい内容になりました。この記事がきっかけで、「自分なりに」英語をやってみようかな、という人が増えれば嬉しいです。なお、冒頭部分でご紹介した「村上さんのところ」でのやり取りを、以前ネタにしています(第284回「村上春樹がくれたアドバイス」リンクは<こちら>です)。よろしければ是非お立ち寄りください。
 それでは次回をお楽しみに。