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第389回 トリヴィアな知識を楽しむ

2020-09-25 | エッセイ

 あまり役に立ちそうもない雑学とかムダ知識を集めた本を、時々目にします。飲んだ時などに、そんな知識を「ひけらかしたい」という需要に応えているのでしょう。たまたま「超辞苑」(B.ハートストン/J.ドーソン 訳:本田成親/吉岡昌起 新曜社)という本に出会いました。

 著者である英国人が考えるトリヴィアな知識って何だろう、と読み進むうちに「ひけらかし」ではなく、ちょっと「ご紹介」したくなりました。私なりのコメント(というかツッコミ)とあわせてお楽しみください。なお、各項目のタイトルは、私が独自に付けました。 

<賢明な占い>
 フランスのルイ11世から、自分自身の死期を占うように、と専属占い師のマルテイウス・ガレオッティが求められました。その答えです。
 「あなたの24時間前です、王様」
 これなら、王より先に死んでも、王が先に死んでも、占いの当たり外れを問われることのない賢明な「占い」です。その後、王から十分な保護を受けたのも当然でしょう。

<婉曲表現大賞>
 今もやっているかどうかは分かりませんが、アメリカ的ジョークとして、ニューヨーク・タイムズ紙が、優れた婉曲表現に、大賞を授与していたことがあります。受賞「2作品」です。
 CIAによる「特殊暗殺部隊」を、「健康改善委員会」
 ギリシャの薬局では避妊薬を直接名指しで購入するのは法律違反。そこで「保健薬」

<危険な踊り>
 世界で一番危険な踊りとされているのが、ポーランドの「ジボジニッキ」と呼ばれるもの。
 どういう踊りかというと、男性のパートナーは、地上で円を描くように斧を振り回します。 
 一方、女性は、斧が回ってくるたびにそれを跳び越える、というもの。確かに危険極まりない「踊り」に違いありません。

<仕事さまざま>
スペインのアルフォンソ13世はひどい音痴でした。こちらの方。

 王ですから歌う必要はないのですが、音程を聴き取る能力に大いに問題がありました。国歌の合唱に際しては、しかるべきところで起立しなければなりません。その起立のタイミングを教えるためだけの係官を採用していました。

 日本の鉄道で、ラッシュアワーに、乗客を電車に押し込む「押し屋」が、たぶん、唯一の日本ネタとして、取り上げられています。英国で鉄道が押し合いへしあいになるってことありませんから、著者にとっては、いかにも不可解な仕事に見えたのでしょう。だいぶ古い話題ですが。

 1911年、ロンドンの地下鉄アールズコート駅にエスカレーターが初めて設置されました。
とても安全で、悪魔の発明ではないことを証明するために、義足の男が雇われ、安全性PRに一役かったといいます。

 1905年に、アメリカの国防省に、エディス・キングという若い女性が配属されました。任務は脱走兵を発見し、逮捕するのに協力するというもの。報酬は、ひとり発見するごとに50ドル(100年以上前の50ドルです)です。色目を使って兵士を誘惑し、500人を法廷に送るという大きな「成果」をあげました。さぞ、魅力的だったことでしょう。

<フーバーのこだわり>
死ぬまでFBI長官であったエドガー・フーバー(1895-1972)は、骨の髄まで反共主義者として有名でした。なので、お抱え運転手の車に「左折」を許しません。出かける先によっては、大変な回り道を強いられ、運転手、関係者は知恵を尽くしたルート選定が必要だったといいます。歴代大統領をも震え上がらせた独裁者ならではのエピソードです。

<史上最低の射撃術>
 1981年に、77歳と76歳の老人の決闘が行われました。昔からの遺恨に決着をつけるべく、骨董品のピストルを持ち出す事態に。ふたりは、5フィート離れて立ち、それぞれ12発ずつ発射しましたが、全部外れました。
 ひとりは、緑内障をわずらい、もうひとりは、杖がないと立てない体だったというのです。
 史上最低の射撃術として、歴史に名を残す(?)結果になりました。いやはや。

<コウモリ大作戦>
 第二次世界大戦中、アメリカは、コウモリを利用した作戦準備を着々と進めていました。3000万匹のコウモリを準備し、200万ドルの費用をかけました。
 コウモリに時限装置付きの爆薬を装着して、ドイツ本土を爆撃しようというのです。1945年には実用化のメドが立っていましたが、「脱走した」コウモリが自軍の格納庫と将軍の車を「爆撃」するという事故が起き。計画は中止。なんとも間抜けな結末です。

 いかがでしたか?まだネタがありますので、いずれ続編をお届けする予定です。お楽しみに。


第388回 和製英語でいこう-英語弁講座29

2020-09-18 | エッセイ

 英語弁講座らしからぬ大胆なタイトルを付けましたけど、和製英語って、何が不都合?な~んも問題ないんじゃないの、というのが趣旨ですので気軽にお付き合いください。 

 そこそこ英語ができる人には、目ざわり、耳ざわりな存在のようで、トーンがどうしても「上から目線」で「ひけらかし」調になります。
「芸能人などをタレント(talent)と呼ぶけど、これは「才能」って意味だからねっ」
「分野によっては、エンタテイナー(entertainer)とか言わないと英語として通じないわけよ。知ってた?」のように。
 
 だけど、和製英語は「英語」が由来ではあるが、「日本語」だと考えれば、ずいぶん話の筋道がスッキリするような気がします。現に、日本人同士だったら(まんま英語として通じないだろうなとは感じつつも)セクハラ、パワハラ、コンビニ、スーパー(マーケット)などの省略形を便利に使って、スピーディーに意思疎通してますからね。

 「テンションが高い、低い」という言い方も、気分の高揚の程度を表現する「日本語」としてすっかり定着しています。「朝からすごくテンション高いけど、どうしたの?何かいいことあったの」で何の誤解も生じません。
 ちなみに、英語のtensionは、本来、ヒモなどがピンと張った状態のことで、そこから、精神的な緊張、不安を意味します。と、つい「ひけらかし」調になってしまうのですが、話を先に進めましょう。

 で、相手が英語話者の場合がどうかということなります。当方(日本語話者)の英語レベルが低ければ、そもそも会話が成り立たず、「和製英語」が会話に入り込む余地はないはずです。
 それなりのレベルであれば、つい使ってしまって、ということはあるにしても、英語と英語でコミュニケーションが一応できるわけですから。以上、終わり・・・でもいいんですが、あまりにも手抜きですので、もう少しお付き合いください。

 「和製英語」(スティーブン・ウォルシュ 角川ソフィア文庫)という本があります。日本語にも堪能そうな著者が、日本の町の中から拾ってきた「和製英語」を取り上げて、その「英語」が英語話者にはどう聞こえるか、どう間違ってるか、そして、正しい「英語」でどう言うかを解説しています。

 通読してみて分かったのですが、日本人同士の会話の中に登場する「和製英語」がどうも著者をイラッとさせるようなのです。「あ~、そんな英語はない」「意味が分からん」「間違ってる」等々。

 先ほども書きましたように、「和製英語」って「日本語」ですからね、「もう少し「日本語」を勉強して」と言いたくもなるのですが、せっかくですので、彼のイライラに少しだけ耳を傾けてみましょう。

 まずやり玉にあがるのが、ヴァイキング(Viking)です。ホテルの朝食などでおなじみの定額食べ放題のシステムです。北欧の海賊の豪快な食事風景からの連想で名付けられたらしいのですが、日本的呼び方だろうとの推測はできます。英語だと、buffet(ブッフェ)または"eat all you can"
(食べ放題)がそれに相当するというのは、知っててもいいかもしれません。
 日本式に「バイキング」と発音して招待したら、biking(自転車ツーリング)の格好をして、相手が登場するかも知れませんよ、とのイヤミに笑ってしまいました。こちらと間違える人はいないと思いますけど。

 英語だと、"bar"(バー)とか"pub"(パブ(主に英国))に相当するものを、なぜか日本では、スナック(snack)と呼んでいます。英語では軽食、おやつという意味です。同僚の日本人たちとさんざん飲んだあとで、スナックに誘われた著者。飲んだあとに、なんで「軽食」に行くんだろうと不思議に思った経験が面白かったです。スナックって、いかにも通じそうな気がしますから。

 今はシェフ(chef)という本来の言い方が定着していますが、ホテルやレストランなどの料理人のことをコック(cock)と呼ぶ人がまだまだいそうです。でもこれはアブない英語です。
 「雄鶏」という意味もありますが、もっぱら男性性器を指す俗語で、いまやそちらの方が主流です。なので、雄鶏には"rooster"(ルースター)という言葉を当てています。
 日本人に連れて行かれたレストランで、「この店の「コック」を紹介する」と言われた時の著者の驚きぶりが目に浮かぶようです。

 和製英語のあれこれも、「知識として」知っておくのもムダではないかな・・・そんな感じでいいんじゃないでしょうか。

 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。

 <追記>当英語弁シリーズのタイトルは、以前の分も含め、内容タイトル、シリーズ番号の順に変更しました。引き続きご愛読ください。


第387回 笑いのヨシモト-強さの秘密<旧サイトから>

2020-09-11 | エッセイ

 このサイトで「書きたい放題」を始めたのは、2016年2月です。その前の3年ほど(第153回まで)は、行きつけのスタンドバーのHPの一角をお借りしていました。ブログなんて初めてでしたから、試行錯誤の連続で(これは今も変りません)、不出来なものが多いのですが、私なりに思い入れがあったり、今でも面白く読んでいただけそうな記事もあります。

 それらを選んで、時々、当サイトで紹介することにしました。今時のテレビで流行りの○○選、○○SPのノリです。タイトルには<旧サイトから>の表示を付け、適宜、コメント、画像などを追加することにします。
 古くからの愛読者の皆様には「二度読み」になりますが、ご容赦いただき、どうか引き続きご愛読ください。

 それでは、<旧サイトから>の第1弾をお届けします。
 「芦坊の書きたい放題」としては、記念すべき(?)第1回(2013年2月)の記事です。 
 「笑いのヨシモト」のユニークな人材育成方法を話題にして、コンパクトにまとめました。こちらは、そのホームグラウンド「なんばグランド花月」です。

★★ 以下、本文です ★★

 今や全国区で、バラエティーの世界を席巻している吉本興業(笑いのヨシモト)。だいぶ前のことですが、そこの課長(当時)の講演会を企画したことがあり、個人的にもいろいろ面白い話を聞くことができました。

 中でも「へぇー」と思ったのが、マネージャーの育成方法です。
 ヨシモトでは、マネージャーは、タレントのカバン持ちとか雑用係ではなく、いわば商品としてのタレントを育て、売り込んで行く営業マンと位置づけられています。事実、タレントのカバンを持つことは禁じられているとのことでした。ですから、優秀なマネージャーを育てるのには、タレントを育てる以上に力を入れている訳です。

 で、新人教育として、なにがしかのタレントさんを担当することになるわけですが、新人、若手のマネージャーにあてがわれるのは、例えば、かつての「やすし・きよし」とか「さんま」級の人気大物タレントだという。ベテランとか、人気タレントとかには、ベテランのマネージャーを付けて、ソツなく、タレント本人にも気持ちよく、と我々なら考えます。

 そこは、笑いを商売にしつつも、関西で生き抜いて来た会社。発想がまるで違います。人気、ベテランタレントが、例えば、テレビ局などに収録に行った場合を想像してみてください。
 大物プロデューサーやディレクター、場合によっては、役員、局長級の人物が、そのタレントと会い、挨拶を交わし、雑談したりする機会は多いはず。マネジャーは、当然、同席することになりますから、タレントの力を借りて、強力な人脈を築くことができるわけです。
 一方で、タレントのほうにも、新米マネージャーに、業界の仕組み、しきたりなどを身をもって教え、キーマンを紹介するなど、育てる役割を担わせます。ヨシモト流のしたたかなやりかたです。

 さて、そうして人脈、実力を蓄え、ベテランとなったマネージャーにあてがわれるのは、若手、新人タレントです。そこで活きるのが、それまでに、営々と築いてきた人脈。 


 「ねえ、局長、うちにおもろい新人がいてまんねんけど、いっぺん使おてもらえまへんかなぁ。抱き合わせ(人気タレントとの共演)でもよろしいさかい(ので)」「う~ん、あんたの頼みやったらしゃーないなぁ、ほな、使おてみよか」
 う~ん、まあ、こんな会話がごく自然に交わされて、新人が売り込まれていくことになるんでしょうね。

 ベテランも含めたタレント全体が、本業だけでなく、若手のマネージャーを育成するという仕事 も引き受けるのが当然で大事なことだ、という価値観を共有できてこその仕組みです。     
 そして、マネージャーの側も、ベテラン、若手を問わず担当することを厭わず、その育成、売り込みに全力を傾ける・・・・そんな企業風土がしっかり根付いている「笑いのヨシモト」。強いはずです。

 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。

<追記>少し前ですが、お笑いの世界を話題にしました(第343回 笑いも世につれーさんま、たけし、タモリ論)。リンクは<こちら>です合わせてご覧頂ければ幸いです。


第386回 中学の数学に学ぶ

2020-09-04 | エッセイ

 中学生生活を送ったのは、もう60年ほども前のことです。比較的マジメに勉強していた当時のことをふと思い出したりします。
 「人生に必要な教養は中学校教科書ですべて身につく」(池上彰/佐藤優 中央公論新社)を目にした時は、そんな昔のことを、という気もしましたが、今時の中学生って、どんな事を、どんな風に勉強してるのかな、と少し興味を引かれ、結局、通読しました。

 代表的な8教科の教科書(12社54冊)が素材の対談です。学習指導要領とか検定とかのシバリがある中、各教科とも、生徒が身近に感じたり、楽しんで学習できる素材、手法に知恵を絞り、創意工夫を凝らしているのがよく分かりました。

 今回は、数学を例にとって、ご紹介することにします。好き嫌い、得手不得手が分かれがちな数学という科目にどう生徒を引き込むか・・・腕の見せ所です。

 東京書籍「新編 新しい数学1」はいきなりこんなプロローグで始まります。

 「これまで引き算をするとき、小さな数から大きな数は引けませんでした。中学校では引き算の答えがいつでも出せるように数の世界をひろげます。」
 「小学校ではおもに数字を用いた式を使いました。中学校では文字を用いた式を学びます。文字を用いた式により、表現の手段もひろがるのです。」

 前段は、マイナスという概念の導入、後段は、方程式などにつながる宣言です。中学校の数学は、小学校の「算数」の延長じゃないよ、アタマを切り替えて、しっかり取り組めば理解できるからね、との激励とも読めます。これを読んで、すぐその主旨を理解できる中学生は少ないでしょうが、見事なものです。
 以前にも書きましたが、「算数」を苦手にしていた私が、方程式を学んでから、すっかり「数学」が好きになり、得意にもなりましたから、後段は特に腑に落ちます。

 さて、同教科書が、マイナスの便利さを体験させるために持ち出したのが、イチローの10年連続200安打以上という記録です。年ごとの安打数に加えて、記録達成を伝える新聞記事まで載せる懲りよう。教科書掲載のものかどうかは分かりませんが、偉業を伝える紙面です。

 設問は、「この10年間の年間平均安打数を、下1桁を四捨五入して求めなさい」というもの。
 これだけじゃ、「算数」の問題です。マイナスを使って、少し楽にやる手があるんですね。

 並んでいる数字をざっと見て、平均値を「仮に」230などと決めます、各年の安打数が、230を上回ったプラス分、下回ったマイナス分だけを合計して、10で割る。その結果に230を足せば、平均値が求められるというわけです。
 小難しい理屈抜きで、マイナスという概念の便利さを実感させるなかなかの手法です。

 文字を使って、数字のマジックの種明かしをしているのが、啓林館「未来へひろがる 数学1」の別冊。
 まず、各生徒は、好きな整数を思い浮かべます。その数字に、足したり、引いたり、掛けたりの操作をしていくと、最後はあらあら不思議、という手品(?)です。思い浮かべた数字をNとして、
手順と、その種明かしを( )内で示します。

 はじめに整数を1つ思い浮かべてください。(その数をNとします) 
 その数に5を足してください。( N+5)
 その答えを2倍してください。((N+5)×2=2N+10)
 その答えから4を引いてください。(2N+10-4=2N+6)
 その答えを2で割ってください。((2N+6)÷2=N+3)
 その答えからはじめに思った数を引いてください。(N+3ーN=3)
     
 どんな数を思い浮かべても、最後は3になるという他愛ないマジックです。文字の威力を思い知らせる秀逸な手法で、これなら方程式の学習もスムーズに進みそうですね。

 楽しそうだけど、この程度?と思われてもいけませんので、こんな事も扱ってるよ、という例だけ最後にご紹介します(前掲「東京書籍」版から)。

 車の渋滞がもたらす損失は、金額換算で12兆円になるとの試算、環境への影響などを前フリに、「渋滞学」という分野があることに話は及びます。そして、玉を使った渋滞モデルで、高速道路での解消方法を導き出すという課題です。
 本書に詳しいプロセスは載っていませんが、答えは「車の平均速度を50km近くまで下げた状態で、車間距離を空けて近づいたところ、平均の速さは80km以上に回復し、確かに渋滞は解消された」(同書から)というものだそう。

 う~む、「社会とつながる数学」ということなのでしょうか。今時の教科書作りの創意工夫とレベルの一端をご理解いただければ、ご紹介した甲斐があります。

 機会があれば、別の教科も取り上げようかと考えています。それでは次回をお楽しみに。