

私の唯一ともいえる趣味は、「読書」です。
あくまで「読む」ために買いますので、古本の場合は、安くて、探しやすいのが一番。なので、チェーン系の新古書店とか、オンライン古書店に、もっぱら頼っています。
また、若い頃は、読んだ本がなかなか手放せませんでしたが、今は、割合、さっさと手放してしまいます。いざとなればネット、という時代になって、身軽な読書生活です。
一方で、世の中には、古書マニア、古本マニアといわれる人たちがいます。
モノとしての本への情熱が溢れて、溜まるばかりの本との格闘ぶり、収集への飽くなき情熱が生み出す苦労話の数々・・・・「読むのが好き」というのが唯一の接点ですが、マニアの方々が書かれた本を、怖いもの見たさ、高見の見物、興味半分で「読む」のも、実は、私のひそかな楽しみ。
ひいきの古本ライターさんが何人かいますが、専業と言ってもいい岡崎武志さんの著書を、大阪出身ということでの親近感もあって、こまめにチェックしています。そんな彼が書いています。
古本のこと、わかってねえなあと一発でわかるリトマス試験紙
みたいなせりふがある。それは「買った本、全部読むんですか?」
というものだ。いったい、これまで何十回、この言葉を浴びせら
れてきたか。(「古本でお散歩」(ちくま文庫)から)
1年間に古本だけで1000冊は購入するといいますから、そりゃ無理でしょうね。それでも買ってしまう業(ごう)の深さ・・・・う~ん、私とはやっぱり無縁の世界。
さて、先日、新刊で、「無限の本棚」(とみさわ昭仁 ちくま文庫)を目にし、購入しました。
約半分ほどのページが、自身のコレクター人生を振り返るのに割かれています。漫画、映画のチラシ、中古レコード、ジッポーライター、野球カードなど、モノは様々ですが、その徹底ぶりが興味をそそります。でも、一貫して集めてきたモノが「本」。で、その先にあったのが、古本屋の開業です。
コレクターとしての活動の中で集まって来た本を中心に、仕入れて来た本なども加えて、2012年、「特殊古書店」(とみさわ氏自身の命名による)というジャンルの古書店が誕生しました。場所は、神保町交差点から徒歩1分。こりゃ行くしかないと、さっそく出かけてきました。
細長いビルの4階がお店で、1階にはこんな看板が。
こわごわドアを開けて、中へ。広さは8畳くらいでしょうか。正面と右手の壁一面がメインの本棚です(写ってはいませんが、左手の机に、ご本人が、パソコンに向かっていらっしゃいます)。
アート、映画、アイドル、オカルト、エロなど「まともな」ジャンルも充実してますけど、著書を読んでの予想通り、そのユニークなジャンル分けにあらためて驚きました。
まずは、「毛」のジャンル。「カツラー探偵が行く」「毛のない生活」「あなたの茶髪がアブナい!!」など。ご本人は、毛がふさふさなんですけど・・・
「方言」というジャンルが目につきました。北海道から沖縄まで、各地をカバーしてるんですけど、メジャーな「大阪」が、残念ながらない!!(あれば、買ったのに)
「お金持ち」「社長」なんてジャンルもあって、ご本人の志向、憧れなのかも。「奇人変人」コーナーには、ゴーストライターによる代作がバレた佐村河内守の本があって、思わずニンマリ。
「人喰い」コーナーには、「裸族」「ニューギニア高地人」「アマゾンの女たち」など、おどろおどろしいタイトルが並んでいます。
「尾籠(びろう)本」コーナーにあった「トイレは笑う」(プランニングOM編著 TOTO出版)を購入しました。古今東西のトイレにまつわるエピソードを集めた予想通りの「尾籠」な本でした。
「いや~、予想はしてましたけど、ユニークなジャンル分けですねぇ。本の仕入れは、今も続けてらっしゃるんですか?」と訊くと、「最近は執筆の方が忙しくて、あるものを売るだけですね」
「じゃ、書店としては、あまり儲かってないけど、作家業のほうで、なんとかやっていけてると?」
「はっは、まあそんな感じですね」
なんだか気になる本屋さんで、時々顔を出してみようと思っています。
いかがでしたか?次回をお楽しみに。
を読んだりするのは、好きなほうです。自分が行くわけじゃないので、危険が多ければ多いほど、血が騒ぐという困った性格。そんな私にぴったりの本と、最近出会いましたので、ご紹介します。
中米ホンジュラスの東部に、モスキティアと呼ばれる広大な地域があります。
面積は、8万平方キロもあり、雨林、湿原、沼、川、山が続くなど、自然環境が極めて厳しい地域です。
なにしろ、ベテランの調査隊が、1日10時間、大鉈やノコギリを振るっても、せいぜい3~5kmほどしか進めないというほど。
その広大な地域の一角に、幻の都市遺跡があるとの噂が、古くから言い伝えられています。
スペインの探検家コルテスが、モスキティアに大都市の遺跡らしきものがあると国王に報告したのが、500年ほど前のことです。幻の「白い都市(シウダー・ブランカ)」として、幾多の冒険家を引きつけ、小規模な遺構や遺物も発見されていました。
そんな殆ど未知、未開と言っていいところへ、最新の科学装置も利用して、探検した顛末を描いたのが「猿神のロスト・シティ」(ダグラス・プレストン NHK出版)という本です。
副題に「地上最期の秘境に眠る謎の文明を探せ」とあります。帯には、「21世紀にこんな冒険がありえるのか!?」とあって、なかなか煽(あお)ってくれます。
今回のプロジェクトでは、まず、「ライダー」と呼ばれる最新の装置で、密林に覆われた地表の状況を、空から探査し。候補地を3カ所に絞り込みます。あとは、現地を踏査して調べるしかないわけで、アメリカ人考古学者、生物学者、ジャーナリストなどを中心に調査隊が組織されました。
で、アメリカ人を中心に、プロジェクトが動き出すのですが、そもそも、ホンジュラスという国自体が大変なところ。
殺人事件の発生率が世界一。アメリカに流れ込むコカインの80%が、ホンジュラス産で、モスキティア経由で密輸されます。だから、モスキティア地方一帯は、麻薬組織の支配下にあり、極めて治安が悪いのです。
現地入りの拠点となるホテルで、ウッディと呼ばれるジャングルでの戦闘、サバイバルの専門家から、隊員が申し渡されたのは、「武器を持った護衛なしでの外出厳禁」「ホテルの従業員がいるところで、プロジェクトの話をするのも禁止」「公衆の面前での携帯電話使用も禁止」など。
現地に入る前から、対策は始まっているというわけです。
さて、ジャングルに入ってからの注意事項もいろいろ申し渡されます。
最大の危険は毒ヘビです。この地域にいるフェルドランスというヘビは、恐ろしい。毒牙から、1.8m以上毒を飛ばすし、どんな分厚い革ブーツでも突き破る。一度襲ったあと、再び襲うこともあるという。だから、特製のヘビよけの着用は必須。
実際、現地では、何度かこのヘビに遭遇し、あわや、という事態に至っています。
昆虫も恐ろしい。サシハリアリに噛まれると、銃で打たれたくらいの痛みがあるという。
また、リーシュマニア原虫が寄生したハエに刺されて発祥する「白いハンセン病」も恐ろしい。鼻や唇の粘膜を侵し、顔に大きな「びらん」ができる。
木々の下生に大量に潜む凶暴なヒアリという蟻がいる(最近、日本でも、その存在が確認されました)。枝が少しでも揺れると、ヒアリは、雨のように降り注ぐ。下にいる人の髪の毛から首筋を伝い降りて、皮膚から毒を注入する。
そうなれば、すぐにジャングルから運びださいないと命にかかわる。
さて、軍のヘリコプターの協力も得て、3カ所のうち、2カ所の調査に入ります。ヘリが離着陸できるだけの場所を切り開き、その周辺を調査することなります。
そんな困難を乗り越えて、小規模なピラミッドらしきもの、都市の遺構、石像、祭壇らしきもの、などの発見には至ります。どうやら。周辺で栄えたインカ、マヤとは別の都市文化が存在したのは確からしい、との推測は成り立つものの、更なる調査が必要、というのが、結論です。
調査の成果と言いう面では、食い足りない部分が残ったものの、それを上回る危険話、冒険話が満載で、十分に楽しめました。
さて、帰国した探検隊のうち、4人が「白いハンセン病」を発症します。原因となる原虫の種類によって、治療も手探り状態。猛烈な副作用を伴う薬液の点滴で、とりあえずは、全員回復するのですが、再発のリスクは、抱えたままだというから、恐ろしい。
それでも、探検隊のメンバーの中には、「また行きたい」「もっと探査したい」と言う人がいるというのですから、アメリカ人って、ホントに「困った」人たちですが、その冒険魂には、ほとほと頭が下がります。
いかがでしたか?次回をお楽しみに。
以前、空耳英語を取り上げました(第225回ー文末にリンクを貼っています)。日本語としてそれなりに意味のある言い回しが、英語としても、「通じる」(例:「岐阜には割烹着で来い」="Give me a cup of coffee.")というもので、遊び心を楽しむ「工夫」ではありました。
英語に限らず、新しい言葉を習得するのに、文法とか発音とかも大事ですけど、「単語」を覚えなければ話になりません。他の国、他の言葉の場合どうなのか、よく分かりませんが、いかにも日本的で、脱力系の工夫だなぁと思うのは、「語呂あわせ」
開高健のエッセイに、彼が終戦直後の古本屋で見つけた明治時代出版の英和辞典の話が出ています。
democracy 民主主義、なん「でも暮らし」よいがよい
money 金(かね)はある「真似」、ない「真似」、苦しい「真似」
doctor 医者を「毒たぁ」、これ如何(いか)に
中学校時代の学習雑誌にもそんな趣向の付録が付いてました。今でも覚えているのは、
「狂える(cruel)とは、あまりに「残酷な」」というベタなもの。受験英語として重要度は低そうで、「ムダっ」と思いながらも、覚えてしまったのが、我ながら、可笑しかったです。
で、私らの世代で、英単語でバイブル的存在といえば、「赤尾の豆単」(旺文社)。でも、どういう基準で選んだのか分からない単語の意味と例文が、アルファベット順に載ってるだけ。受験英語としての重要度とか、関連単語の引用とか、今にして思えば、もっと工夫の余地はあったのに、と思います。
それでも覚えるしかないかと、最初のページを開いたら、(アルファベット順なので)いきなり、abandon(捨てる)という単語に出くわして、不吉な予感がしました。
womb(子宮)なんて絶対入試問題に出ない単語が載ってるのも不思議でした。これも興味本位で覚えてしまったのが口惜しいですけど。
さて、英単語を覚えるための参考書も進化しているようで、「萌える英単語もえたん」(渡辺益好/鈴木政浩 三才ブックス)というのがあります。こちらです。
英語が苦手で、合格が危ない「ナオくん」に、「ぱすてるインクちゃん」という「萌え系」の女の子が、萌えるオーラ出しまくりで、英単語の勉強のお手伝いをする、という設定です。
例文がとにかく秀逸で、いやでもアタマに残るように工夫されているのに感心します。「うんこ漢字ドリル」の英語版といったところでしょうか。さっそく、いくつかを、ご紹介します。
broadcast
[動詞]~を放送する、~を吹聴する
[名詞]放送
(例文)国民的アイドルのパンチラが、全国ネットで放送された。
They broadcasted a peek at the panties of the national icon.
consume
[動詞]~を消費する、~を食べる
(例文)彼は一日にティッシュ一箱を消費する
He consumes a box of tissues a day.
naked
[形容詞]裸の、むき出しの
(例文)彼女は、変身のたびに半裸になってしまう。
She becomes half naked at every transformation.
いかがですか?
放送のところでは、日本語にあわせて受身形にせず、Theyを主語にした自然な英語にしています。アイドルって、icon(アイコン)でええのか~。そうなんですよ。覚えときましょうね。
ティッシュ一箱をconsumeする彼、きっとひどい風邪なんでしょうか?「一日に」を、”a day "で表現できるのも、受験生には必須の知識かも。
変身(変形)なんて、難しい単語も、これで身に付きそう。「~のたびに」の "at every "も応用が効く言い回しですね。
私らの時代に、こんな参考書が出てたら、もっと「萌えて」「楽できた」(?)かどうかは、分かりませんが・・・「第225回 空耳英語」へのリンクは、<こちら>です。
いかがでしたか?次回をお楽しみに。
私が小さい頃ですから、昭和30年ちょっと過ぎまで、父親とよく聞いていたNHKラジオの番組に「とんち教室」というのがありました。こんな画像が残っています。
「とんち」なんて、今じゃほぼ死語ですけど、「笑点」(日テレ系)の「大喜利」のラジオ版、というのが、手っ取り早い説明になるでしょうか。
昭和24年の放送開始から、番組終了までの20年間、教室のセンセイ役をお務めになったのが、青木一雄アナウンサーです。
センセイからの課題に答える生徒さん役は、ずいぶん入れ替わったようですが、私の頃だと、石黒敬七さん(柔道家)、長崎抜天さん(漫画家)、三味線豊吉さん、落語家の春風亭柳橋さんなどの名前を覚えています。
学校ですから、宿題(聴取者(PTA)への課題)が出たり、修学旅行と称する地方での公開録音があったりと、「当時の」NHKとしては、ずいぶんノリのいい、画期的な番組でしたね。毎年、生徒の皆さんが、「落第」して、番組が続く、というのも恒例でした。
さて、その青木センセイがお書きになった「「とんち教室」の時代」(1999年 展望社)という本があります。教室での名答、珍答、奇答などを、当時の世相と重ね合わせて紹介したものです。
この本を懐かしく読みながら、思ったのは、日本古来の「言葉遊び」の伝統です。様々な「言葉遊び」を切り口に、上質な「とんち」の世界にご案内しようと思います。
まずは、<なぞかけ>です。同音異義語が多い日本語の特徴を活かした遊びで、全く関係なさそうなものを、「かけ言葉」で無理やりつなげてしまうのが、王道といえます。とんち教室でも、定番です。
公衆電話とかけて、共布(ともぎれ)の少ない洋服のやぶれと解く。
そのこころは・・・あまり長いとツギ(次、継ぎ)が困る
うちのお父さんとかけて、停電の時のローソクと解く。
そのこころは・・・一本(ローソク、晩酌)つけると明るくなる。
花火大会とかけて、眼鏡と解く。
そのこころは・・・オトシテ(落として、音して)からでは見えない。
節分の豆まきとかけて、新婚早々の奥さんと解く。
そのこころは、初めのうちは声が出ないが、馴れてくるとだんだん大きくなる。
洋服の継ぎといい、停電といい、時代を感じさせます。最後の作品は、見ようによっては、アブナいですけど・・・
さて、「解く」ほうを先に答えさせておいて、あとから、「かける」ほうを出して、ツジツマ合わせをさせる<やりくりなぞかけ>という難易度が非常に高いのがあります。
四国松山での公開録音で、春風亭柳橋師匠が解いたのは、「古いズボン」
で、会場から出た「かける」ものは、場所柄、「瀬戸内海」。さて、どうする?
師匠のこころは・・・・「ツギツギ(次々、継ぎ継ぎ)にシマ(島、縞)が見える」という見事なもの。会場からの大拍手も当然でしょうね。さすが落語家!
大喜利でも時々やってますが、<折句>というのがあります。俳句の五・七・五のアタマに、指定された3文字を配置するもの。シバリをかけた俳句、というか川柳作りというわけです。なにはともあれ、作品を。
「すいか」の折句をふたつ。
スカートは いまになくなる かもしれぬ
スルメとは 烏賊(いか)を干したる 戒名か
「すすき」では
すばらしい スタイル顔が 気に入らず
「おとそ」で
おごらされ トイレで蟇口(がまぐち) そっと見る
お題と、中味のギャップを楽しむお遊びと言えそうですね。ハードルも高くはなさそう。
と、2つの遊びを紹介したところで、かなりの長さになりました。まだまだご紹介したい遊びがありますので、いずれ続編をお送りするつもりです。ご期待ください。それでは、次回をお楽しみに。
<追記>続編(第291回)と続々編(第312回)も合わせてお楽しみください。