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第604回 21世紀への伝言by半藤さん-5

2024-11-29 | エッセイ
 シリーズ最終回の第5弾になります(文末に、直近2回分の記事へのリンクを貼っています)。ネタ元は、作家・半藤一利さんの「21世紀への伝言」(文藝春秋刊)です。著者が21世紀に伝えるべく選んだエピソードの中から、楽しい、スゴい、興味深い、ものなどをセレクトしてお届けしてきました。今回は、1970年代を中心とした時代の話題をご紹介します。
 <  >内の私なりのコメントと併せて、気楽にお楽しみください。

★いい夢を見させてもらった★
 プロ野球での金字塔、空前絶後の記録はいろいろあります。タイガースファンにとっては、オールスター戦での9打者連続奪三振にとどめを刺しそうです。達成されたのは、1971(昭和46)年、西宮球場での試合です。スポーツニュースだけでなく、一般のニュースまでが大きく取り上げました。
 誰も達成したことがないこの記録を本人が予告していたのも驚きです。日本での18年の現役生活を終え、大リーグに挑戦しましたが、夢は叶いませんでした。「いい夢を見させてもらった」という江夏の言葉が残されています。こちらは、記録達成の瞬間です。

<テレビのニュースで何度も見て、興奮したのが懐かしいです。一塁ファールフライを「取るなっ!」と捕手の田淵に叫んだ、との噂(真偽は不明)を耳にしたのを覚えています>

★すぐやる課★
 市民からの要望があればとにかく駆けつけて相談にのる、処理する、
をモットーに、千葉県松戸市の「すぐやる課」ができたのが、1969(昭和44)年10月です。どぶさらいから蜂の巣処理まで、名前に違わぬ活動ぶりが随分マスコミでも話題になりました。
 当時の松本清市長(故人)の思いは脈々と受け継がれ、98年度で年間3千件あまりを処理していると本書にあります。
<現在も立派に活動しています。もっと追随する自治体が出てもいいと思うのですが、組織の壁は厚いようですね>

★サングラスを買った男が最初の客★
 1960年頃、大半の日本人は、夜は10時前に床に入っていました。それが、1975年には、その時間に寝ているのは4人のうちわずか1人。そんな生活時間の変化に合わせるように、日本初のコンビにであるセブン・イレブンの1号店が豊洲でオープンしたのが、1974(昭和49)年5月15日です。
 「どしゃぶりの雨の朝、サングラスを買った男が最初の客でした」との当時の店長が回想しているのが愉快です。
<ATMと公共料金、通販料金の支払いがもっぱらですが、ありがたい存在です。365日24時間営業の必要性なども話題に上るご時世に、時の流れを感じます>

★文章を書くのは脳なんです★
 ハイテクなんて言葉も随分古びてしまいました。東芝から日本で最初のワープロが売り出されたのが、1978(昭和53)年5月のことです。今やパソコン、タブレット、スマホとその手の機器の進化はとどまる所を知りません。当時の開発者の言葉です。
「使う道具が万年筆でもワープロでも、文章を書くのは脳なんです」
<パソコンで「便利に」ブログの記事を書きながら、ハッとさせられました>

★歴史は遡るように読むべきだ★
 「文藝春秋」の2000年2月特別号が、各界の著名人に行った「私のメモリアル・デイ」というアンケート結果を特集しています。
 1位が太平洋戦争の敗戦、以下、2位が三島由紀夫の割腹自殺。3位、昭和天皇崩御。4位、太平洋戦争開戦。5位、アポロ11号月面着陸。6位、2・26事件。同順7位、ベルリンの壁崩壊、阪神・淡路大震災と続きます。
 本書の最後で、著者は、フランスの歴史学者で、ゲシュタポに射殺されたマルク・ブロックの名言を引用しています。
 「歴史を古代から時代順に読むから考えなくなってしまう。歴史は現代から遡るように読むべきだ」<この記事を締めくくるにあたり、この言葉をしっかり噛みしめました>

 最後はちょっと真面目な話題でしたが、お楽しみいただけましたか?冒頭でご紹介した直近2回分へのリンクは、<第529回><第565回>です。それでは次回をお楽しみに。

第603回 タケシのトンデモTV企画集

2024-11-22 | エッセイ
 お笑いの世界で、一番親しみ、楽しんだタレントといえば、同世代でもあり、ビートたけしさん(以下、「タケシさん」)です。
 次々と飛び出す連発ギャグに仕込まれた風刺と毒に笑い転げました。少し古い本ですが、「コマネチ! ビートたけし全記録」(北野武編 新潮文庫)は、タイトル通り、タケシさん自身による思い出話、楽屋話などのほか、対談、お仲間からの寄稿、人気番組の誌上再録など盛りだくさんの内容で構成されています。こちらは、表紙です。

 今回は、本書の中から、タケシさんによる「だからTVは狂ってる」に拠り、ご自身や、お仲間が若い頃に関わったTV業界のトンデモ企画、失敗企画をご紹介することにしました。項目名と<   >内のコメントは、私が付けたものです。どうぞ最後までお楽しみください。

★ファミレスで落雷騒動★
 地方の大きなファミレスのお客さんを驚かそうという企画です。タケシさんは、雷様の格好で店の裏でクレーンに吊されます。照明と音でガラガラピカピカとやって、放水車から水を撒き、突然の雷雨を演出します。何事かと客が出てきたところへ、雷の紛争で太鼓を叩きながら、クレーンに吊るされたタケシさんが降りてきて、みんなを驚かそうという趣向です。道路使用許可を取ってなかったので警察が来る騒ぎになりました。スタッフは逃げてしまって、タケシさんは宙吊りのまま、こってり油を絞られたそう。最後は、プロデューサーが謝って、地上に降ろされました。<文字通り、人騒がせな企画でした>
★土佐犬と勝負?★
 身体じゅうに肉の塊を巻きつけたタレントのアゴ勇さんを、土佐犬がたくさんいる檻の中に垂らすという企画が実行されました。犬がジャンプしても届かないあたりまで、そぉーっと降ろして様子を見ることになっていました。ところが、降り始めた瞬間に紐が切れ、どーんと群れの真ん中へ。「アゴが犬を全部にらみつけてワワワワンって言ったら、土佐犬がみんな逃げちゃって助かった」(同書から)
 すぐに係員が犬を取り押さえて事なきを得ましたが、アゴさんは「怖かったよ~」とあとで泣き出したのをタケシさんは目撃しています。<とっさのワンワン芸で身を守れたのが何よりでした>
★死にそうになった手品★
 人が入った箱に、四方八方から剣を刺して、本人は平気、という手品があります。タケシさんが箱に入り、剣が刺さるごとに「痛い、痛い、ホントに刺さってるよ。話が違う」と叫んで笑いを取る趣向でした。でも、剣を入れる穴を間違えたヤツがいて、刺さってしまいました。「痛い、痛い、本当に刺さってる」と言っても、「またまた~」などと皆んな笑っています。幸い脇腹をかすっただけで済みました。<ひどい連中だ、と思い出して、怒ってるのが、笑えました>

★観光バスで○Xクイズ
 日本一の大型クレーン2台で、40人乗りくらいのバスを熱海の海岸から海の上に吊します。クイズが出て、不正解だとバスは下げられます。そのうち、下げ過ぎて、バスが丸ごと水の中に浸かってしまいました。待機していた20人の潜水夫が救助に当たりましたが、一人だけ上がってきません。なんとバスの天井に張り付いていて、そこの空気で助かりました。「あれは怖かったな」「よく無事終わったと思うよ」とタケシさん。<皆さん、よくぞご無事で>
★スポンサーにご用心★
 漫才などの舞台を生中継するときには、楽屋に、スポンサーの一覧が貼り出されます。薬品メーカーだと風邪ひきネタはダメ、酒造メーカーだと酔っ払いネタ、自動車メーカーだと事故ネタもダメ、というわけです。そこを際どく縫って笑いを取るのも芸ですが・・・
 キリンビールがスポンサーの時、タケシさんは、「「キリン 一番搾り」って、今まで二番絞りを飲まされていたの?」とか「「あなたはビール工場のビールを飲んだことがありますか?」って、今までは何の工場のビールを飲んでいたんだ?」との、ちょっとアブないツッコミで笑いを取りましたが、スポンサーから特に文句はなかったそう。<オトナのスポンサーでよかったですね>
★本音ニュース★
 例えば、ニュースで「○○さんが落とした虎の子の50万円を届けた正直運転手、感謝され金一封を贈られる」というのがよくあります。それをパロディにして、本職のアナウンサーが読み上げます。
「ばかやろうが酔っ払って落としたボーナスを、何をとち狂ったか、偽善者ぶりやがって警察に届けた奴がいて、2割取ろうと思ったところ、2万円しかもらえず、歯ぎしりして悔しがり、猫ばばすりゃよかったと思ったそうです」(同前)との原稿です。露木アナが読みながら吹き出してしまい、せっかくの企画は、1~2回でボツになりました。<今どきの政治ネタを「本音ニュース」で是非やってもらいたいものです>
 
 いかがでしたか?テレビがこんなに過激で、元気な時代があったですね。すっかりテレビ離れしている私は、懐かしく感じました。それでは次回をお楽しみに。

第602回 愉快で楽しい日本語たち2

2024-11-15 | エッセイ
 続編をお届けします(文末に前回記事へのリンクを貼っています)。日本語の乱れだ、誤用だなどとムキにならず、日本語を面白がろうという趣向で、ネタ元は前回と同じ「若干ちょっと気になるニホン語」(山口文憲 筑摩書房)です。前回に引き続き、お楽しみください。

★デーモン小暮閣下さん★
 ロックバンド・聖飢魔IIのボーカルをつとめるミュージシャンに「デーモン小暮」さんがいます。ド派手なメーキャップのこの方です。

 地獄からの使者なので、ファンには「デーモン小暮閣下」と呼ばせています。音楽活動もさりながら、評論家を名乗るほどの大相撲マニアとしても有名です。私もだいぶ前に、テレビ中継のゲストとして、あのメイクで出演しているのを見たことがあります。
 著者もたまたま彼がテレビ中継に「出演」しているのを見たそうです。彼が画面に登場して、さてどういう名前で紹介されるのかと注目していると、テロップには「デーモン小暮閣下さん」と出たというのです。
 NHKも随分迷ったんでしょうね。「デーモン小暮さん」だと、ファンから苦情が来そう。「閣下」って尊称ですから、「デーモン小暮閣下」で十分なようですが、呼び捨てのような響きもあります。え~い、面倒だ、閣下までをタレント名とみなして、それに「さん」を付ければ文句はないだろう、とNHKが考えたのかどうかは分かりませんが、笑えました。
 同じような例をもうひとつ。頭にハコフグの帽子を乗せた「さかなクン」というタレントがいます。れっきとした魚類学者で、科学系のバラエティ番組で知識を披露します。こちらの方です。

 自ら「「さかなクン」だよ~ん」などと軽いノリで名乗って登場したり、解説するのはいいのです。困るのは、司会が彼を紹介する時。「「さかなクン」さんで~す。」とならざるを得ないこと。司会者の戸惑いぶりを、私は面白がってました。

★海のミルク★
 そういえば、昔、「海の牛乳」というキャッチフレーズがあったような気がします。「牡蠣(かき)」のことです。栄養価が高い食材ですが、かつてはあまり高級感はありませんでした。そこで、栄養面で申し分なく、当時としては比較的高級感のあった牛乳(ミルク)を引き合いに出して、販促を図ろうとしのでしょう。でも、今は立場が逆転しました。栄養的には変わらないのでしょうが、牡蠣はやや高級な食材、そしてミルクは身近な飲みものになりました。時代の移り変わりを感じます。
 大豆を「畑の肉」という言い方もあります。どちらも高タンパク質の食材です。肉の高級感はだいぶ薄れたとはいえ、こちらは今でも十分通用する説得力があります。

★変換ミス★
 パソコンで日本語入力した時の「変換ミス」もすっかり日本語として定着しました。著者によると、日本漢字能力検定協会がネット上で常時開催している「変「漢」ミスコンテスト」というのがあって、本書執筆の前年の対象候補を紹介しています。
 「帰省中で渋滞だ」のはずが「寄生虫で重体だ」
 「大阪の経済波及効果」となるべきが「大阪の経済は急降下」
 「今日は見にきてくれてありがとう」が「今日はミニ着てくれてありがとう」
 「言わなくったっていいじゃん」のつもりが「岩魚食ったっていいじゃん」など。
 著者のお気に入りながら、大賞を逸したのは、
 「うちの子は耳下腺炎でした」
ー>「うちの子は時価千円でした」
 「地区陸上大会」ー>「チクリ苦情大会」
 「作った」ぽいのもありますが、それもユーモア精神と割り切って、私なりに楽しみました。

★流れでお願い★
 以前から、とかくの噂があった大相撲の八百長を巡って、2011年に当事者同士のメールが暴露されるという「事件」が起こりました。その文章がなかなか含蓄に富む、というので著者が取り上げています。こんなやり取りです。
「立ち会いは強く当たって流れでお願いします」(清瀬海から春日錦へ)
「了解致しました!では流れで少しは踏ん張るよ」(春日錦から清瀬海へ)
 二人の間で交わされたメールは24、5通あるとのことで、「流れで」とあるのは、この2通だけだといいます。
 立ち会いだけは、段取りして、あとの細かい段取りはなし。自然な「流れ」に見えるよう、適当に押したり、引いたりしながら、勝ち負けは、お約束どおりで、、、
そんな感じでしょうか。
 「流れ」の一言にそこまでの思いを込めるユニークさに、八百長問題を忘れて感心してしまいました。

 いかがでしたか?前回へのリンクは、<第563回>です。併せてお楽しみいただければ幸いです。それでは次回をお楽しみに。

第601回 沢村栄治と日米野球の秘話

2024-11-08 | エッセイ
 大谷翔平、山本由伸両選手の活躍もあり、ロサンゼルス・ドジャースが見事ワールド・シリーズのチャンピオンに輝きました。シーズン中から両選手とチームに声援を送ってきただけに、嬉しさひとしおです。そんな中、沢村栄治やベーブ・ルーズといった伝説の野球人が登場した日米野球に想いが及びました。のち程ご紹介する本に、興味深いエピソードが溢れていたのを思い出しましたので、お伝えすることにします。どうぞ、最後までお付き合いください。

 野球にあまり関心がなくとも、伝説の大投手・沢村栄治の名前はご存知の方が多いでしょう。そして、日米野球で、かのベーブ・ルースから三振を奪ったことも。
 「その時歴史が動いた」(NHK取材班・編 KTC中央出版 全8巻)は、かつてNHKが放映していた同名の番組を書籍化したものです。第1巻でこの話題が取り上げられています。沢村が力投した第10戦がハイライトになりますが、大会実現までのいきさつ、試合を戦う中での日米野球の交流、そして、伝説の試合の微妙な勝負のアヤ・・・など興味が尽きません。さっそくご紹介します。

 昭和の初め頃は、満州事変、我が国の国際連盟脱退などで、日米の緊張が高まっていました。それに対して、日米親善野球で融和を図ろうとした中心人物が、読売新聞社社主の正力松太郎です。その意向を受けて、外務大臣の幣原喜重郎がニューヨーク総領事を通じて働きかけをしました。
 大リーグは、選抜チームを、昭和9(1934)年のシーズン終了後に日本に派遣することを決定しました。選ばれたのは、ベーブ・ルースを含めたトップクラスの選手たちです。ただし、ルースの参加はすんなりとは決まりませんでした。力の衰えを感じて引退の意思を固めていたのです。球団からマイナーチームの監督を打診されたことへの不満もあり、日米野球どころではありませんでした。そこへ、正力の意を受けて説得に乗り出したのが、鈴木惣太郎(のちのセ・リーグ顧問)です。「日本へは行かない」の1点張りのルースに鈴木が見せたのが、真ん中にルースの似顔絵が大きく描かれたこの大会ポスターです。「ポスターを見たルースは、突然笑い出し、こう答えました。「OK! 日本に行こう」」(同書から)

 さて、迎え撃つ(と言うにはいささか力の差がありますが)日本側の体制です。当時、野球といえば、中等学校野球(現在の高校野球)と、早慶戦に代表される大学野球でした。全国から優秀な選手を集める中で、ひときわ目立ったのが、京都商業5年生(最終学年)の沢村栄治です。

 球種は、伸びのある快速球と縦に割れるカーブ(当時はドロップとも)の2つだけです。地区予選のある試合では、16回を投げ抜き、36奪三振というとんでもない記録を残しています。番組ゲストの池井優氏の言葉です。「これ(2種の球種)で抑えきったということは、よほどのスピードがあったということです。「手元へ二段に伸びる気がした」と当時のバッターは言っていますけれどね」
 実は、沢村は、大学野球に憧れ、慶應大学への進学を希望していました。プロと戦う全日本に入ることは、健全なスポーツを見世物にする、という偏見もある中、7人の家族を抱える家の経済事情を考え、苦渋の決断でした。

 昭和9(1934)年11月2日、ついに全米選抜チームが来日し、親善試合が始まったものの、とても歯が立ちません。迎えた第5戦の先発は、期待を一身に背負った沢村です。しかし、沢村は打たれました。12安打、3本塁打を浴び、10対0の完敗です。
 試合の後、沢村は大リーグの選手からこんなアドバイスそ受けました。「投手は肩を休めることも必要で、絶対に無駄な球を投げてはいけない」(同前)というもの。なにしろ、試合の直前でも300球近くを投げ込む激しい練習を課していましたから。半信半疑ながら、次の試合まで肩を休ませ、チーム9連敗の後、運命の第10戦(草薙球場(静岡))に、沢村は満を持して登板しました。それまでに10本の本塁打を打ったルースが3番、このシーズン三冠王のゲーリッグが4番に坐る超豪華・超強力打線です。試合はラジオ中継されました。1回、ルースとの対決です。2ストライク1ボールからの4球目で、見事、空振り三振を奪いました。
 アドバイスに従って肩を休ませたのが良かったのでしょうか、その後も好調に投げ続け、得点を与えず迎えた7回裏。ルースは、沢村がドロップを投げる時、口が「への字」になるクセに気づき、その落ち際を叩くよう指示します。球速が落ちるからです。しかし、ルースは凡退しました。時刻が午後3時を回って、打者には逆光で、沢村の表情が読み取れなかったのです。それを伝えられた次打者のゲーリッグは工夫をします。帽子を目深にかぶって、逆光を防ぎ、見事、「への字」で投じられた沢村のドロップをホームランしたのです。結果は1-0の惜敗でした。パワーだけでなく、変化球のワンポイントをとらえて打球を飛ばす技術、投手のちょっとしたクセから球種を見抜く抜け目のなさ、肉体の酷使を避ける意識、など当時(約90年前)から大リーガーってスゴかったのですね。
 先の大戦で戦死した沢村の墓(三重県伊勢市)には、生前から宝物と呼んでいたベーブ・ルースのサインボールが納められている、というのに感動を覚えました。

 いかがでしたか?ネットのおかげもあり、すっかり身近な存在となった大リーグ。日本人選手の活躍も含め、エキサイティングな試合を大いに楽しむつもりです。それでは次回をお楽しみに。

第600回 ゼロは異端の数だった

2024-11-01 | エッセイ
 区切りの600回を迎えることができました。ひとえに、ご愛読いただいている皆様のおかげと、心から感謝申しあげます。
 数字のゼロが並んだ記念の回にちなんで、旧サイト(ブログを始めた一時期、間借りしていました。現在は廃止)で取り上げた記事をお届けすることにしました。たかが数字のゼロが、世界観、宇宙観と関連がある、という話題に、お気軽にお付き合いください。

★ 以下が本文です ★
 書店で、「異端の数 ゼロ」(チャールズ・サイフェ 林大訳 早川NF文庫)という本が目にとまりました。副題には「数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念」とあります。
「異端」といい、「危険」といい、この本が発する妖気のようなものに誘われて読んでみると、なかなか知的興奮を誘う内容でした。私なりの理解で、そのエッセンスをご紹介します。

 ピタゴラスを中心とするギリシャ数学の世界は、図形の課題を扱う幾何学が中心でした。数字のゼロという概念は、必要性が薄いことに加え、そもそも非常に都合の悪い存在とされました。
 「ある数にその数自体を足すと、違う数に変わる法則(1+1=2のように)」(アルキメデスの公理)というのが、彼らの前提です。ゼロはいくつ足してもゼロですから、この公理に反します。また、ある数をゼロで割ったり、ゼロをゼロで割る計算が厄介なこともご存知の通りです。

 やむなく数字を扱う場合でも、全ての事象は、整数と整数の比率(racio)で表現されることが基本で、かつ合理的(rational)とされました。ですから、彼らが扱うのは、整数と分数までです。正方形の対角線の長さが、無理数(1辺が1の場合のルート2)であることは、ピタゴラス学派の最大の秘密とされてきました。
 計算のしやすさ、記数の便利さなどを犠牲にしてまで、数学的な統一性、美しさにこだわり、ゼロという概念を拒絶したのがギリシャ数学の特質であったわけです。

 さて、それだけなら、学問上、実務上のテクニカルな問題ともいえます。でも、アリストテレスに至って、「ゼロ」(無)と、それと裏腹な関係にある「無限」と言う概念を拒絶することは、のちのヨーロッパのキリスト教的世界観を理論面で支えることになります。2000年にわたり、なぜそうなったのか、ですが・・・・
 
 アリストテレスの宇宙観は天動説です。宇宙の中心は、地球であり、静止している天体です。
 その地球の周りを、惑星を内包する天球(水晶球のようなもの)がいくつか運動しているというのです。一番外側の天球の「向こう側」などというものはなく、最後の層で宇宙は突然終わります。宇宙の大きさは有限で、物質に満ちています。「無」も「無限」もそこにはありません。こんな宇宙観でしょうか。

 で、天球はそれぞれの位置で自転しているとされるのですが、その運動の原因は、天球自身でしかありえません(地球は静止していますので)。そして、一番外側の天球を動かす力(第一動者)こそ、「神」にほかならない、というのがアリストテレスの主張です。キリスト教世界観と実にうまく適合し、長年、その世界観を支えていくことになります。
 かくして、17世紀、ニュートンによって、「無限」を利用した微分、積分の手法が確立するまで「ゼロ」と「無限」の概念はヨーロッパでは、タブーであり続けました。

 一方、インドを中心とする東アジアでは、仏教の「色即是空」、「空即是色」及び諸宗教における「輪廻(りんね)」などという概念に代表されるように、「無」とか「永遠」(時間における「無限」)と言う概念は、かなり普遍的なものであったと言えます。
 「ゼロ」(無)がインドで「発見」されたというよりは、「ゼロ」という概念を「受け入れる」下地があって、記号化、記数法として確立した、と言えそうです。
 そして、その概念と記数法は、「アラビア数字」との呼び名に象徴されるように、イスラム世界でも受け入れられ、広まっていきます。ついには、近世ヨーロッパ、キリスト教世界でも「使わざるを得ない」状況に追い込まれていったというわけです。

 「ゼロ」(無)の背景に、これほどの文化的、哲学的、宗教的世界が広がっていたことを知り、眼からウロコの読書体験でした。

 ちょっと壮大なテーマに挑んでみましたが、いかがでしたか?これからも、楽しくて、タメになる記事をお届けし、700回を目指す決意をあらたにしています。引き続きご愛読ください。それでは次回をお楽しみに。