久しぶりにシリーズの第3弾をお届けします(文末に、過去記事へのリンクを貼っています)。
これまでと同様、「はじまりは大阪にあり」(井上理津子 ちくま文庫)の情報を参考に、大阪発祥のサービス、モノを、今回は2つご紹介します。どうぞ気楽にお付き合いください。
★柔軟な発想が生んだターミナル・デパート★
昔の国鉄(現JR)は、全国に鉄道網を展開してはいるものの、あくまで、ヒト、モノを運ぶ「輸送」が事業の柱でした。駅も乗り降りのための施設で、プラットフォームにキオスクと呼ばれる売店があるだけ、というのが多かったです。駅の様子が大きく変わったきっかけは、「民営化」と言っていいでしょう。
多くの人が行き交う「駅」は、商業立地としては見れば、最高の場所です。首都圏の場合、あれよあれよという間に、「駅ビル」として再開発され、大規模商業施設に変貌しました。
エレベーター、エスカレーターが整備され、トイレもきれいになったのが有難かったです。いろんな商店だけでなく、喫茶店、食事処などが揃っている「駅」も多いです。サラリーマン時代は、通勤の行き帰りに、そして、リタイヤ生活に入った現在は、散歩も兼ねての買い物に、と便利に利用しています。
今では常識となっている駅の多角的利用を、昭和初期から行っていたのが、民営の阪急電鉄です。1929年(昭和4年)に、梅田駅(大阪市)に直結する「日本初・世界初のターミナル・デパート」(本書から)である阪急百貨店(開業当時は「阪急マーケット」)をオープンさせました。
現在は、駅とデパートは、別の建物となっていますが、私が小さい頃は、改札を出ると、そこは、もうデパートの中でした。昭和9年頃のコンコースの様子です。

画面の奥が改札で、手前側はすでにデパートの中です。アーチ型の高い天井が目に飛び込んできます。立派なシャンデリアも輝き、高級感も醸し出す仕掛けです。交通の便が一番の売り物ですが、扱う商品は、雑貨とか実用品にも力を入れ、食堂まで備えていました。広く一般庶民をターゲットにしていたことが分かります。
でも、なぜターミナル・デパートなんでしょうか?通勤客の利用が見込めない日曜日の乗客をいかに増やすか、というのが、当時、大きな経営課題でした。ターミナル駅に直結した商業施設を作り、日曜日の買い物客の利用を当て込むというアイディアを発案、推進したのが、小林一三(こばやし・いちぞう:東京の銀行マンから転身した当時の最高経営責任者)でした。運賃収入増と、デパートの収益の2本立てで儲けようという戦略です。
彼はまた、通勤客も含め、乗客全体の増にも取り組みました。
沿線の宅地開発という今では当たり前の手法に先鞭を付け、沿線住民の増を図ったのです。輸送事業という枠にとらわれない柔軟な発想は、実を結び、大阪と言う地で見事に花開きました。今でも関西を中心に、その優れた経営センスから、伝説的な人物となっています。
★一瞬のひらめきとベタなネーミング★
最近は使う機会も減ったOLFAのカッターナイフ。てっきり、外国製と思ってました。実は、OLFAというのは、「折る刃」にかけたベタで遊び心にあふれたネーミングであること、そして、世界初のこの製品は、大阪で開発されたというのを、本書で知って、なるほどと合点がいきました。

開発したのは、岡田良男(1931-90)という人物です。旧制中学を中退し、苦労の末、発明の道へ進みました。危ない刃の取り替えをなんとかできないか、と考えていた彼に一瞬ひらめいたのが「板チョコ」です。「板チョコのようにポキッと折れるものを作りたいと考えたのです」(良男氏の弟さんの証言ー本書から)
1956年に開発が完成し、大手の文具メーカーに持ち込みましたが、「そんなけったいな(奇妙な)もの、売れるわけおまへん」(同前)と相手にしてもらえません。ならばと自ら事業に乗り出し、成功をおさめました。今や同種の製品が出回っていますが、OLFAの規格が世界標準だ、といいます。大阪発祥というのと合わせて誇らしいです。