今年は,暇にまかせて,珍しく「Nコン」の全国大会をたっぷり観賞した。
で,今日もHDDレコーダからハイビジョンで再生している(素晴らしい時代だ)
まず気になったのは,銅賞の2団体とも「兄弟」という曲だったこと。
漢字は昔,中国で生まれ,遠い日本に伝来したこと(歴史)
山,馬,風などの漢字は,その形に意味があること(象形文字)
さらには中国で生まれた四字熟語のこと等々。
確かに,詩の言っていることは事実なのだろうと思うし,漢字というものを根本から理解してもらいたい意図はわかる。
が,私のような凝り固まった思想の者が聴くと「中華思想万歳」「中国文化は偉大」としか感じられない。
ナショナリズムを語ることが,教育現場で未だにNGなのかは知らないが,この曲を全国レベルの指揮者(というより教員)が選曲してくる,というセンスがどうにも理解できない。
[閑話休題]
さて,さらに上位の銀賞は,弘前の小学校で,地元の津軽民謡を題材とした「あいや節幻想曲」という,大変ノリの良い自由曲。
欧米人の多数が日常的に歌うミサなどと同様,作為なく生活の中にある音や方言を歌う(歌える)ということに,素晴らしさを感じる,心を打つ演奏だ。
児童たちも「ネイティブ津軽人」にて目が活き活き,作詞・作曲が同一人なのもすごい!
自分も,このことには,かなり触発され,自称「アマチュア作曲家」としては,いずれ庄内地方(というか酒田・飽海地方?)の音と方言による曲を書きたいと,強く思った..と言いつつ,存命中に書けるかは不明。
最後に金賞は東京の私立の学校だった。
発声は紹介のあったとおり,かなり練れて質も良いのだが...
課題曲の詩の語尾が「~になる」とせっかく韻をふんでいるのに,全て「~になう」と聞こえてしまう。
てことで,私はなかなかプラスに取れないため,こういうのは「ノイズ」に感じるほうだ。
そんな意味では弘前のプラス要素がずっと好きである。
余談だが,レコーディング技術もテープから光メディアの時代になり,音のみから映像つきとなった。
それゆえ,私のような者にとっては,指揮者目線で,その団体が練習から本番までに「捨ててきたもの」「拾ってきたもの」がダイレクトに伝わってくる。
こちらのセンスが大いに問われることでもあるのだが,大変ありがたいことだ。
で,今日もHDDレコーダからハイビジョンで再生している(素晴らしい時代だ)
まず気になったのは,銅賞の2団体とも「兄弟」という曲だったこと。
漢字は昔,中国で生まれ,遠い日本に伝来したこと(歴史)
山,馬,風などの漢字は,その形に意味があること(象形文字)
さらには中国で生まれた四字熟語のこと等々。
確かに,詩の言っていることは事実なのだろうと思うし,漢字というものを根本から理解してもらいたい意図はわかる。
が,私のような凝り固まった思想の者が聴くと「中華思想万歳」「中国文化は偉大」としか感じられない。
ナショナリズムを語ることが,教育現場で未だにNGなのかは知らないが,この曲を全国レベルの指揮者(というより教員)が選曲してくる,というセンスがどうにも理解できない。
[閑話休題]
さて,さらに上位の銀賞は,弘前の小学校で,地元の津軽民謡を題材とした「あいや節幻想曲」という,大変ノリの良い自由曲。
欧米人の多数が日常的に歌うミサなどと同様,作為なく生活の中にある音や方言を歌う(歌える)ということに,素晴らしさを感じる,心を打つ演奏だ。
児童たちも「ネイティブ津軽人」にて目が活き活き,作詞・作曲が同一人なのもすごい!
自分も,このことには,かなり触発され,自称「アマチュア作曲家」としては,いずれ庄内地方(というか酒田・飽海地方?)の音と方言による曲を書きたいと,強く思った..と言いつつ,存命中に書けるかは不明。
最後に金賞は東京の私立の学校だった。
発声は紹介のあったとおり,かなり練れて質も良いのだが...
課題曲の詩の語尾が「~になる」とせっかく韻をふんでいるのに,全て「~になう」と聞こえてしまう。
てことで,私はなかなかプラスに取れないため,こういうのは「ノイズ」に感じるほうだ。
そんな意味では弘前のプラス要素がずっと好きである。
余談だが,レコーディング技術もテープから光メディアの時代になり,音のみから映像つきとなった。
それゆえ,私のような者にとっては,指揮者目線で,その団体が練習から本番までに「捨ててきたもの」「拾ってきたもの」がダイレクトに伝わってくる。
こちらのセンスが大いに問われることでもあるのだが,大変ありがたいことだ。