アカペラな日々 - "Sakata Coro a Cappella" Since April 9, 2009

合唱団"Sakata Coro a Cappella"で指揮の傍ら作曲・編曲,たまに歌に励むOyaji。の活動&日常

全国に行くためには行くなりの環境と努力

2016年02月10日 | 音楽系(合唱,作曲・編曲など)
前にも書いたが,私は仙台に5年いた。
仙台市地下鉄が開業した月に赴任し,べにばな国体の時に庄内に戻った。
最初は「合唱サークル」レヴェルだった男声合唱団は,色々な経緯でグリーン・ウッド・ハーモニーや六月の歌声など全国でも名だたる団体の指揮者である今井邦男氏を常任指揮者に迎え,相前後して私が副指揮者(兼トレーナー)となり,日々のパート練習で実力を蓄え,ビルの1階でロビー・コンサート,上階には自前ホールで演奏会と,恵まれた状態で少しずつ上を目指していく。
コンクールにも出場していたが,しばらくは「東北大会万年銀賞」との声も聞かれてた。

そして私が5年目というか仙台で最後の夏から秋,主催行事で東北7年の県庁所在地で,各地の女声合唱団とジョイントコンサート。
しばらく譜めくりをしてくれたSさんから「東北大会は本当に良かった」と言われ,福島県庁に勝ち,おかげさまで第44回全日本合唱コンクール全国大会(岡山)に出場,けれど東北をピークに桜は散った。

その後,中十年は全国に行けなかったようだ。
たまたま福島県庁が不出場の年も,たまたま「じゃない団体」に足をすくわれ,銀賞にとどまっていた。
やがてまた春は来た,ただその時は,またしても福島県庁が不出場,今回は全国の切符を手にする。
そして第55回全日本合唱コンクール全国大会(滋賀)は,団体初の「全国銀賞」となった。
一応,東北では銀賞とかのオマケでなく「金賞・代表」だった。

この勢いで,翌年は福島県庁とのガチ勝負となったようだった。
出ても聴いてもいない私が分析はできないのだが,審査員には福島好き仙台嫌い?な鈴木輝昭氏がいるものの,一方では合唱界では御大の皆川達夫氏もいて,何とか勝ち抜けたようだ。
そして初めての連続出場となった第56回全日本合唱コンクール全国大会(三重)では,連続銀賞となった。
ちなみに同年のコンクール東北支部大会(秋田)は,こっちが順位で1,1,2,2,1,あっちが2,2,1,1,2である。

十年おいて全国となった団体も,私はもう少し近ければ「遠隔地団員」という名称どおり参加出来たろうが,残業だらけ,単身赴任続きでは無理だった。
赴任した当地の合唱団に顔を出したこともあったが,続かなかった。

ということで酒混でフォーレを歌ったりしたくらいで中十年以上も空けて,ボロボロになって「やっぱり合唱」と復活したわけである。
そして団体も,また全国に進めなくなったようだったが,あの大震災で活動休止というか縮小,今はコンクールにも出ていないし,私は実情も知らず,というか知ろうともしない。

...何か途中から内容がずれてしまった(苦笑)

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