わが地元,というか詩人「吉野弘」さんの出身地でもある酒田市資料館で,追悼展が開催されている。
以前,広報さかたの記事に釣られて行った「吉野弘朗読会-心の四季-」というので大失敗な事件もあったが,こちらは問題ないでしょう。
酒場所は田市一番町8-16ですが「大通り」側から車では入れませんので,裏側からグニャグニャどうぞ。
と語っている本人も,多忙&逃げの行動のため,未だ行っていません,悪しからず。
なお,目を凝らして見ると分かりますが,吉野さんから「祝婚歌」を送られた姪の高山さん(合唱をされる方です),吉野さん以外でも「佐藤十弥」さん,そしてその娘でいらっしゃる田中先生(私の拙いピアノのお師匠で,仲人もしていただきました)と,いろいろお名前が出てきます。
近いうちに行きたいと思います。
追伸 資料館は酒田大火の資料を「常設展」として公開しています(たぶん入場100円とかだと思います)
なぜなら,大火跡の再開発で道路を4車線化し,大通り公園を作り,北西風が吹いても延焼しないような作りのさらに東側に作られたから...
以前,広報さかたの記事に釣られて行った「吉野弘朗読会-心の四季-」というので大失敗な事件もあったが,こちらは問題ないでしょう。
酒場所は田市一番町8-16ですが「大通り」側から車では入れませんので,裏側からグニャグニャどうぞ。
と語っている本人も,多忙&逃げの行動のため,未だ行っていません,悪しからず。
なお,目を凝らして見ると分かりますが,吉野さんから「祝婚歌」を送られた姪の高山さん(合唱をされる方です),吉野さん以外でも「佐藤十弥」さん,そしてその娘でいらっしゃる田中先生(私の拙いピアノのお師匠で,仲人もしていただきました)と,いろいろお名前が出てきます。
近いうちに行きたいと思います。
追伸 資料館は酒田大火の資料を「常設展」として公開しています(たぶん入場100円とかだと思います)
なぜなら,大火跡の再開発で道路を4車線化し,大通り公園を作り,北西風が吹いても延焼しないような作りのさらに東側に作られたから...
高校生の時、コンクールで祝婚歌や心の四季をうたわされましたね。
合唱をつづけていると、心の四季と”お付き合いさせて頂く”場面が多いですよね。
混声も女声も歌い、都度パート変更の為、「歌ったことある」はずなのに、演奏の機会があっても暗譜で歌えない恐ろしい曲のひとつです。歌詞はしっかり入っているのに・・・。
高田三郎の曲って言われると、毎回焦ります。
今年もそんな目にあった気がします・・・。
酒田市出身ですが,没地は静岡県なのですけれど,酒田のコミュ誌に連載されていて,そこ経由でお手紙を出したところ,ちゃんと電話をいただきました。
「素人ですし,いつになるか分かりませんが,作曲させていただきたい」と申し出ると「私の詩でよければ」と諒解されました。
著作権で声高な「谷●」さんとはかなり雰囲気が違います。
祝婚歌は,贈られた方が酒田の合唱団の先輩です。
他所の方は作曲されるでしょうが,私ごときではまだまだです。
>演奏の機会があっても暗譜で歌えない恐ろしい曲のひとつ
これはなかなかな表現ですね。
一方だけだと曲線的に記憶するのだけど,両方だと二曲線になり面積も出る,みたいな。
私は30年も前,初めて任された大人の女声合唱で「旅」を選んだのですが,大ブーイングでした(佐藤真の女声版はイタダケないですし)
>高田三郎の曲って言われると、毎回焦ります。
>今年もそんな目にあった気がします・・・。
「今年の」が気になる。
今年のは残念ながら吉野さんの詩ではありませんでした。
水のいのちの雨を歌う機会があり、
指揮者の先生に「どこを歌いましょうか?」と聞いたところ
「どこでもよいよ」と言われたにもかかわらず、
練習の度にパートを動かされ、結局、2つか3つのパートの複合パートということになってしまいました。
次に歌えと言われたら、また戦々恐々とするのでしょう。
いえいえ,そんな深い意味ではなく,声楽家さんなのか,或いは別の器楽家さんなのかな?
どんな発表をされたのかな?
などという,普通の疑問が沸いただけです。
「どこを歌いましょうか?」と聞かれるお立場なのがすごいですね。
これを自分に置き換えて考えてみましたが,私みたいに「歌は下手だが指揮者として長い」者は,全パート歌ってはいるので,7,8割り方,似たようなものと思います。
少し違うかな?(笑)
事前に聞かずに自分の都合でパートを選ぶと、
練習が進んでから、「ここのパート誰歌ってるの?」と言われ、パートを変わることを目線で指示されることを避けるための自己防衛の方法ですが・・・。
今回は「好きなパートでよい」と言われたのに、
ラスト2回の練習で、思いっきり複合パートになってしまいました。
そんな器用でも、上手でもないのに。
ちなみに、演奏会をするような、プロの演奏家ではないですよ。
なんちゃってって感じでしょうかね。
音楽でご飯を食べている方々とセッションする機会に恵まれているだけですよ。
oyaji。さんのように音楽を大事にしてるかなって、
改めて思いますよ。
>パートを変わることを目線で指示されることを避けるための自己防衛の方法
それ,よくわかります。
G.W.Hに帯同したときも感じましたが,レベルの高い低いに関係なく,使える人を最大限に使いたい時がある。
私の所は「約」10名で,そういう人は3名。
男性除き女声8名で5部とかやってましたし,プロムジカの多人数向け得意曲を当人たちに披露して,指揮者のデーニシュ・サボーにかなり言われたり..
>ラスト2回の練習で、思いっきり複合パートになってしまいました。
私だと,PCで作って,シラーッと1パートっぽくしてるかも。
誰々さん用,何々さん用,って名前で保存したりもしてます。
>oyaji。さんのように音楽を大事にしてるかなって、
他で書いてますが単に「合唱バカ」なだけです。
「キチ」でも同義ですが...
好きでやってるだけかな。
>誰々さん用,何々さん用…
そんなマメにしてくれる訳はなく、
メインは○○、このフレーズは△△、
この小節から□□へ移って…。
練習中の恐ろしい指示。
パートをさらってきた意味がない((+_+))
という感じなので、そんな風に事前にしてもらえたら、
何の文句もありません。喜んで従いますよ。
閑話休題…。
久しぶりに吉野さんの詩集を出してきました。
高校生や大学生の頃、20代とその時折に感じたこととは
この年になると懐かしいものですね。
昔、想像でしか知らなかったこの詩集の事象を、
解説してくださった方がいらっしゃいました。
その後暫くたってから、
そのことを実感するような事象に
2,3年さらされることになりましたが…。
詩集を読みながら、感慨に耽っておりました。
高校生の頃に祝婚歌を歌いましたが、
なんだか実感もなく歌った気がします。
選曲した恩師は、どんなつもりだったのかしらん…。
今更聞いても忘れてそうだから、止めておきます。
そんなの歌ったっけ?って言われそう…。
>好きでやってるだけかな。
迷っている段階で打ち込んでいるのでしょう。
でなければ,行くに迷いがあるとか,或いは義務的に感じている筈ですから。
>何の文句もありません。喜んで従いますよ。
実は,やらかしまして...「新人に楽譜渡してなかった事件」(苦笑)
あと約十日,テストと行事と三つ重なって寝る間もない,という大学生に..さつすがに失礼した。
今までと目つきが違っていた(それはそうだ)
曲目に追加したことと「去年良かった曲なので大丈夫だろ!?」的な軽い感覚だったと思います。
かつてない大ポカ。
初めてのため予算,スケジュール,印刷物,教会との調整等々,やはり仕事を持ちすぎていました。
プログラムはほぼ仕上がり,司会の内容も同様,あとはタイムテーブル(教会の技術スタッフ含め)です。
私も色々と吉野弘さんの詩(曲)には考えさせられますね。
「心の四季」の初っ端,「風が」の第1音,ピアノの音がなぜアウフ・タクトなのか,とか...
「春がそれだけ弱まってくる」のは,本当に弱まっているのか,とか。
囲碁の一手目を何十分も考えるみたいに。
若くて理屈っぽい自分と古くなっても理屈っぽい自分との対話。
先にザックリ書いた朗読会の司会者は,某印刷会社の人で,有料?ってくらいに立派な元コミュ誌「スプーン(SPOON)」の編集長。
非常に吉野さんに詳しく詩にも詳しい。
今考えると,詩をお借りして曲をつけたいと,吉野弘さんから一度だけ電話いだいたが,とりなしてくれたのも,彼女だったのかも知れないな。
(話があちこちでスミマセン)