SAKURA ふるきよきうつくしきもの 

包む 結ぶ 遊ぶ いにしえに学ぶ

羽子板 二

2007-01-11 23:49:29 | 
泉水温をふくむ 候となりました

ひなたぼっこに心地よい日が続きます。日も日毎に伸びてきて夕方五時でも明るいのは嬉しいことです。
もうお正月気分も抜けてしまいましたがもう一つ母から頂いた羽子板があります。これは90㎝ほどの大きさで「汐汲み」です。
これには祖父の手で昭和二年十二月二五日と箱書きがあります。
12月26日に昭和天皇が即位されましたから、昭和元年は5日だけですぐ昭和二年になりました。祖父にとっても特別な思いがあって箱書きしたのかもしれません。








羽子板は古くは胡鬼板(コギイタ)と言われました。胡粉などで彩色されたものでした。胡人は中東の夷(野蛮人)を指すように、胡鬼は唐土の鬼として恐れられていたでしょう。
七草粥の七草を叩く時に「唐土の鳥が日本の国に渡らぬ先にストトンパタリトンパタリ~~♪」と歌いましたが 疫病などの邪気は皆唐土から来ると考えられていたようです。
そのコギをおい払ったり羽根返すのが胡鬼板で、羽子板へと変遷しました。 今では景気を羽根上げるなどと文字って縁起物として暮れの市を賑わしています。
里に羽子板が多いのも祖父が縁起物として求めたからでしょう。熊手のようにだんだん大きな物になったのかもしれません。

羽根の先の黒い玉はむくろじの実です。むくろじは、無患子と書きますから子供の無病を願ってつけたものでしょうね。



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4 コメント

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Unknown (風花)
2007-01-11 10:43:14
七草の歌、実際に聞いたことはないのですけれど本で読んだことがあります。「なずな七草 おんどの鳥とめんどの鳥とわたらぬ先に てんてんてらどんどんどん」と歌詞は違いますが意味は同じ感じですね。
羽子板の由来、初めて知りました。
我が家にも「汐汲み」の羽子板があります。
結婚のお祝いに頂いたものです。
こちらでは羽根突きをして遊ぶことは難しいのですけれど、飾ってみるだけでもお正月らしくていいものですね。
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Unknown (yaya)
2007-01-12 07:03:35
私が書いた七草の呪文?は小さい時から耳覚えたもので、七草の日は必ず唱えていました。ストトンパタリトンパタリ のところが少々不安なのですが私はこう覚えています、風花さん。この呪文は地方によっていろいろあるようなので調べてみたいといつも思いながらそのままでしたので風花さんが教えて下さってありがたいです。どの辺で使われていたのでしょうね~?
私も久しぶりで羽子板を出してお正月気分を味わいました。慣れ親しんだものを見ているとなぜか落ち着く気がします。
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Unknown (さくら)
2007-01-14 00:18:18
こちら博多では今でも女の子の初正月に羽子板を贈る習慣が今でも続いています。
私の娘にも実家から贈られて来ました。
もう娘は嫁いで母親になりましたがその羽子板は今でも綺麗な状態で我が家にあります。
羽子板の由来を教えていただいて初正月に羽子板を贈る習慣は子供が元気に育つようにと言う事が良く分かりました。
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Unknown (m-tamago )
2007-01-15 12:27:04
羽子板のお話、楽しく拝見しました。
昔ながらの玩具、習慣、最近みなくなってしまいましたがいいものだなあと思います。
お茶の世界でも、昔のお正月玩具、ぶりぶりというものを象った香合が使われます。今は意味がわからないけれど、昔の習慣やふるきよきものが残されているのが茶道のいいところでもあります。
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