泉水温をふくむ 候となりました。
七草を過ぎると急に日が伸びて五時を過ぎても明るいのは嬉しいことです。お正月気分も薄れたのにまた三連休で気が緩みます。
1月は出来るだけ綺麗な物を載せたいので手作りのものばかりではありませんが ふるきよきうつくしきもの を手持ちから探してみました。
この簪は私達姉妹が使ったものでもう50年ほども前のものですが月見さんが保管しておいてくれました。
写真は撮みの簪が主ですが他にも櫛と共に多数あり、笄 後ろ挿 手柄 丈長 菅糸 元結 など二箱に入っていました。どれも半世紀の時を経てまだ型崩れもしていないのに驚きです。丁寧に作られた細工は長持ちするのでしょう。
その箱も昔のままに版画の浮世絵の箱でした。
娘達が日本髪を結うと父が喜ぶので毎年ではありませんがよく姉妹で結っていました。桃割れ 鴛鴦 結綿 高島田 銀杏返し と年齢に寄って結う髪形が代わりますので「鴛鴦を結いたい」とか、姉の高島田を見ては「いつか私も」と思ってお正月を楽しみにしていました。丸髷がゴール?でしたがこれは結婚しないと結えないので希望は叶いませんでした。 丸髷にはしっとりと落ち着いた大人の女性の風格を感じます。
昔は年齢や身分によって結う髪型から着る着物まで決まっていたのでお芝居や時代劇を見て素性の分からない人も「役者か~」などと推測がつきます。
先日サントリー美術館『鏑木清方展」を見ましたが「和の宮様」「御殿女中~」など解説を見なくても分かるのはそうした決まりが守られていたからでしょう。
こうした決まりや約束事が忘れられるのは残念なことです。
せめて役者さんにはその身なりをしたらその雰囲気が醸し出せるような修養を積んでほしいと思います。
私の祖母は明治生まれですから日本髪は普通の時代だったのでしょう。
形に煩いのか髪結いさんが家に来るとやかましく注文をつけていたようです。
その髪結いさんには祖母、母 我々と三代お世話になりました。私達の髪も特別念入りに結ってくれたように思います。
踊りの会などもお世話になり成長してからも長い付き合いをした懐かしい人です。
> 祖母の笄と櫛もあるのですが、使う機会はないのですよね。
大事になさるといいですね。
丸髷をお結いになるチャンスがあればいいですが、今の世の中にはそぐわないでしょうね~ 相当な勇気がいりそうです。
昔の役者さんは清元や踊り、お茶などお稽古するのが普通でしたが今はそうではありませんから仕方がないのでしょうね。
正座をしない時代ですが正座こそ日本の文化の基本のように思います。
新年から、急にまた書き込みができなくなりご挨拶が遅くなってごめんなさい。
本年もどうぞよろしくお願い致します。
日本髪、よいですよね。
私が結ったのは桃割れくらいで、その後は新日本髪といわれる類のものになってしまいましたが…。
我が家も私が着物を着ないとお正月が来た気がしないと申しますので、髪を結えないながらも着物だけは毎年着ています。
撮み簪、懐かしいです。
笄と櫛も子ども用のもので高価なものではありませんが、まだとってあります。
祖母の笄と櫛もあるのですが、使う機会はないのですよね。
昔はお姫様役の女優さんはほんとうにお姫様に見えたし、武家、商家、下々の人まで、ちゃんとその雰囲気を醸し出してましたよね。
今はそういう雰囲気を出せる役者さんがとても少ないように思います。
でも簪は出ないので見る機会もありませんがそんなにお高いですか~
職人さんが少なくったと言うことでしょうね。
写真に撮った稲穂の簪も50年物ですが稲穂がたわわです。稲穂ってこんなにも保存出来るものとは知りませんでした。
薬玉にしろ稲穂もぴらぴらも揺れる簪は可愛いです。そういえば犬張り子や風車の揺れる簪もありましったけ~
時々仲見世で簪を買ったのも父との遠い思い出です。
そうそう左側の箸の銀色の簪をすすきの簪と言います。いつかこのお話もしたいと思い一緒に撮りました。
出かけて暗くなると何だか遅い時間になってしまったようで帰り急ぎしなければなりませんから。
綺麗な撮みの花簪ですね。
昔の品は職人さんが丁寧に仕上げられたのでしょうね、本当に綺麗ですね。
きっと保管なさっていた月見さんが大事にしまっていらっしゃたのでしょう。
昨日此方のデパートで京都展が開催されていましたので覘いてみました。
京簪のお店も出店していました、撮みの簪も売られていましたがとても高価でしたよ。