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「両親の介護丸投げで遺産だけもらおうなんて」家族会議でハゲタカ義姉を完全撃退した嫁の痛快な啖呵

2021-07-03 15:30:00 | 日記

下記の記事はプレジデントオンラインからの借用(コピー)です

アルツハイマー型認知症の義父母を自宅で介護することになった30代の嫁の前に現れたのは、義姉。介護には一切、手を貸さないにもかかわらず、親の実家売却額の分け前や遺産分割を求める。ワガママ言い放題の義姉に対して家族会議で嫁が発した痛快な啖呵とは――。
義父母の「遺産」目当てに義姉がしゃしゃり出てきた
2018年12月。中部地方に住み、介護認定調査員の仕事をする能登千秋さん(仮名・30代後半)夫婦は、結婚して他県で暮らす義姉を交えて家族会議の場を設けた。当時、義姉は40代。大学生の息子と高校生の娘がいた。義姉は自分の子どもたちに入学や卒業など何かお祝い事があってもなくても、頻繁に義母に金の無心をしてきた。
義両親は認知症になる前、まだ元気な頃は、義姉家族とよく旅行や外食に出かけていたが、費用だけでなく土産代まで、すべて支払っていた。
義姉は、能登さん夫婦がアルツハイマー型認知症で生活に不安がある義父母の実家を売却して、自宅に招いて同居することになったと知り、「千秋さんはそれでいいの?」と聞いてきた。能登さんが「嫌だって言ったらお義姉さんがみてくれるんですか?」と訊ねると、「いや、ウチは子どもたちが今就活や受験で……」と慌てて、自分が両親をみる覚悟はさらさらない。
義姉は10年ほど前、母親や今は亡き祖母に「実家に帰ってくるなら事前に連絡して、手土産ぐらい用意する!」と怒られてから、実家に寄り付かなくなっていた。
夫が両親に700万円の借金があることについて話すと、「家を処分して返せばいいじゃない」と義姉は即答。
親の介護放棄「姉ちゃんは人として間違ってる」
続いて夫が義父母に、「父さんたちは相続について何か考えはある?」と訊ねると、義父は「お前に一任する」と言った。
「ありがとうお父さん。俺の考えは、両親は俺たちが引き取って同居する。借金は家を売却して返済。残金は2人の老後の資金として、死亡後の口座凍結に備えて、父さんと母さんの口座に半分ずつ。借金さえ完済すればギリギリ年金で生活はできるから、貯金は施設に入るときに使う。だから姉ちゃんには、相続を放棄してほしい」
夫がそう言うと、「そんな! ウチだっていろいろ大変なのに!」と義姉が声を上げ、義母も「たった2人の姉弟なんだから、仲良く分ければ良いじゃない!」と続いた。
「お母さん、介護も家の売却も借金の返済も俺たちに丸投げ。なのに何もしない姉ちゃんに『財産を半分あげて』は変だろう? 俺らは別にお金にこだわってるわけじゃないけど、姉ちゃんは人として間違ってる。千秋も言いたいことあったら言っていいよ」
突然話を振られた能登さんは、「ただ娘だっていうだけで、親の介護もせずに財産がもらえるって、幸せだなって思います」と控えめに発言した。
義姉「そんなことないわよ! 私だって協力するもの!」のウソ
すると「そんなことないわよ! 私だって協力するもの!」と義姉。そこで能登さんはにっこり。
「お義姉さん、お義父さんとお義母さんの遺産を相続する代わりに、介護もやってくれるんですね! 以前、『プロらしく介護しろ!』って仰っていたから、てっきり私たちに丸投げするのだと思っていました。メインは私たちで構いませんが、たまにはお義姉さんのところに1〜2カ月行くのも、旅行気分で良いかもしれませんね! 私たちも助かりますし、お子さんたちもお祖父ちゃんお祖母ちゃんとゆっくり過ごせるし、お義姉さんも、お義母さんにいろいろ助けてもらえるからありがたいですよね?」
義姉は顔面蒼白で、「1〜2カ月はちょっと……」とぽつり。
「俺らは年単位でみるんだよ。姉ちゃんがお父さんとお母さんをみて、俺が相続放棄するっていうのでも全然構わないんだけど?」
夫が訊ねると、姉はか細い声で言った。
「お父さんとお母さんのことは、あなたに任せるわ。相続を放棄するかは、夫と話し合ってから返事します……」
我慢していた30代嫁がついに爆発、痛快な啖呵を切った
すると義母が、「ゆっくり考えればいいわよ! この子ばっかり責められて、かわいそうで見てられないわ」とかばう。その言葉を聞いた能登さんは、思いのたけを吐き出した。
「お義母さん、失礼ですけど、元を正せば、お父さんとお母さんの借金が原因ですよね? お義姉さんは家が遠いって言い訳してちっとも来ないし、かわいそうと言うなら夫のほうがよっぽどかわいそうですよ。都合の悪いときだけお義父さんや物忘れのせいにする母親! 親のことをみる気もないくせに、口ばっか出してお金のことは一丁前に主張してくる姉! 急激に認知症が進んでいる父親! 夫は全部一人で背負ってるんです! 感謝されても文句言われる筋合いはないと思います!」
思わず義姉は、「あなたにそこまで言われる筋合いないわよ!」と立ち上がる。しかし能登さんは、一喝した。
「それなら自分の親の介護くらいやりなさいよ! 文句ばかり言って、面倒なことは全部弟夫婦。何年も来なかったくせに、家売ってお金が入りそうとわかったら急にやってくる。弟の嫁が自分の思い通りになるなんて思わないでください!」
姉は絶句するしかなかった。
「千秋の言うことはもっともだと思う。これから千秋には絶対に迷惑かけるんだから、何回お礼言ったって足りないよ。姉ちゃん、両親は俺ら夫婦がみるけど、これまで通り何もしないなら相続放棄を頼む。それができないなら、俺はどんなことをしても、娘として親を見るという義務を果たしてもらうから。お義兄さんと相談したら、早いうちに連絡して」
夫がしめると、能登家最初で最後の家族会議は終了した。
2世帯同居「自分たちのことは自分たちで」はもろくも崩壊
12月25日。能登さん夫婦は子どもたちを保育園に預け、義実家へ。例によって義母は認知症の影響か「通帳を失くした」と騒いでいた。能登さん夫婦は探しているフリをしながら荷造り。一通り生活に必要なものがそろったところで、「今日から一緒に暮らそう。子どもたち楽しみに待ってるから、クリスマスパーティーでもしようよ」と夫が声をかける。
義母は初めは渋ったが、「2人とも本当にありがとう。感謝します」と言い、何かを手に戻ってきた。見ると、土地の権利所や実印、ネックレスや指輪などの貴金属類だった。
「ウチにはこれだけしかないのよ。後は図鑑や辞書、レコードやCDくらいかしら。そういうのは後で片付けるわ」
「わかった。これらは失くさないように千秋と一緒に管理するね」
能登さんと夫は、スマホのボイスレコーダーのスイッチを入れて、預かったものを一つひとつ確認しながら車に積み込む。
能登さん夫婦の家に到着すると、義母は泣きながら「ご迷惑おかけしますが、よろしくお願いします」と言い、義父は笑顔で「よろしく頼む」と頭を下げた。
義母は「掃除や洗濯は任せて」と言うが、能登さん一家は2階、義両親は1階で、「お互いのためにも、自分たちのことは自分たちでやりましょう」と言って聞かせた。
保育園から帰ってくると、子どもたちは「じいじとばあばだ〜!」と大喜び。
ところがその夜、「そろそろ御暇おいとましましょうか」と義母が立ち上がる。2人が引き止めると、「こんなボケた両親と一緒に暮らしてくれるなんて……こんな有り難いことないわよ」と号泣。
義母はその後も、能登さん夫婦の寝室のドアを何度もノックしては、「明日の朝帰りますからね〜」と繰り返し、能登さん夫婦はなかなか寝付けなかった。
深夜の義父の徘徊「ご苦労さま」と寝室に侵入してくる
翌日から能登さん夫婦は、義実家を片付けつつ、両親が2人で入れる施設探しを開始。
同居から1週間が経つ頃、義父の徘徊が始まった。深夜から明け方、「ご苦労様です〜!」と言いながら、能登さんたちの寝室に入ってくる。トイレの近い義父は、1〜2時間毎にやってきた。
一方、義母は毎日のように「通帳がない!」と騒ぎ、銀行に再発行の電話してしまう。能登さんは家事・育児・仕事に介護が加わりヘトヘトだった。夫は家事にも子育てにも協力的だったが、やはり自分の親相手だとイライラしてしまうようで、母親との喧嘩が絶えなかった。
施設探しも難航した。義母が世間体を気にするあまり、「私たちにはまだ早い」「ここは年齢が上の人ばかりで話が合わなさそう」などと言って行きたがらないのだ。
借金ありの認知症の親から金品をとろうとする義姉の神経
そんな中、まだ幼い子どもたちは、度々体調を崩す。しかし認知症の義両親には言ってもすぐに忘れてしまうため、寝かしつけ中でもお構いなしにやってくる。能登さんは気が休まるときがなかった。
2019年2月。義母が「お金がない」「お金を下ろしてきて」と何度も言うようになり、もしやと思った能登さんが聞くと、息子の就職と、娘の大学が決まったので、義姉がお祝いを催促してきたらしい。能登さん夫婦は、借金があり、認知症になった両親から金品をとろうとする義姉の神経を疑った。
能登さんは、図書カード5000円分ずつと、お守りを贈ることを提案。するとお守りが大好きな義母は大賛成し、近所の寺院に義父と一緒に行き、就職祝いに「学業成就」、大学入学祝いに「合格祈願」のお守りを購入。能登さんが郵送し、夫は義母のスマホから自分たちの連絡先以外を削除した。
義父はケアハウス入所も女湯に入ったり、トイレ以外で放尿したり
同年4月。義父は能登さんの名前を忘れてしまっただけでなく、態度がよそよそしくなった。今までは「千秋さんおはよう。いつもありがとう」とフレンドリーに接していた義父だが、「ご苦労さまです。いつもすみませんね」と他人行儀。少し怒りっぽくなったこと、短期記憶がかなり怪しくなっていることから、「文字が書けるうちに早く実家が売れてほしい」と願いつつ、片付けに焦る能登さん夫婦だった。
そして7月。能登さんは退職。育児と介護を両立するため、夫と相談の上、自宅に近いエリアで再就職を目指すことに。
7月末には、かねて申し込んでいたケアハウスに空きが出た。介護が付いたケアハウスは高額なため、付いていないところを選択。能登さん夫婦のどちらか、もしくはヘルパーが介助しに行く必要があるが、能登さんにとっては、家族水入らずの時間や一人時間が増えるのはうれしかった。
例によって義母は嫌がり、能登さんが「1階の床下の工事をする間だけ」と機転を利かせて入所させたが、平穏は長くは続かなかった。
義父の徘徊が増え、勝手に他人の部屋のドアを開けたり、女湯に入ったり、トイレでないところで放尿してしまうなど、問題行動があまりに多かったため、6日で退所することになってしまったのだ。
かなり症状が進んだ義父と再同居することに不安を感じた能登さん夫婦は、すぐに次の入所先を探す。6日間とはいえ、ケアハウスの利用料、ハウスクリーニング代などがかかるため、義父母の両方を施設には入れられない。
ひとまず義父だけ仮に預け、その間になるべく費用の安い施設を探す。やむなく再同居することになった義母は、夜間せん妄がひどくなっており、「家に帰る!」「お金がない!」などと繰り返し、能登さんは睡眠不足に悩まされた。
義両親にしてあげたことや使ったお金など細かく書き残す
やがて、介護認定調査の結果が出る。義父は要介護3。義母は要介護1。義父は泊まり中心、義母は通い中心で、同じ小規模多機能施設へ預け始めた。
能登さん夫婦は2人とも介護福祉士。介護には慣れているとはいえ、ピンチに瀕した際の連携プレーが素晴らしい。特に、能登さんの頭の回転の速さが際立っている。
しかし、まだ義実家が売れていないため、金銭的には苦しいはずだ。当初、能登さん夫婦は、義両親に使えるお金は、月15万円以内と考えていたが、約20万円になってしまっていた。それでも、能登さんは落ち着いていた。
「足りない分は夫が立て替えて、義実家が売れたときに返してもらうつもりです」
能登さんは、義両親との同居前に、相続に詳しい知人から「最近は嫁の介護に対しても相続が発生するから、義両親にしてあげたことや使ったお金など、細かく書き残すと良いよ」とアドバイスをもらったため、ずっと記録しているという。
ただ献身的に介護するのではなく、もらうべきものはもらう。そうした姿勢が潔い。能登さん夫婦は節約のため、義実家の片付けや物の処分は、業者に頼まず自分たちでおこなったが、おかげで2人とも腰を痛めてしまった。
義実家の片付けは順調に進んでいたが、市の無料相談で弁護士に相談したところ、名義人である義父の認知症がネックで、「売却はかなり難しいです」との返答。
能登さん夫婦が肩を落としていると、偶然数年ぶりに会った知人が、「先日、認知症になった親の家を売却したところ」だという。「渡りに船」とばかりに詳しく聞くと、知人いわく、「認知症でも、本人がうなずければOK」と言う。
翌日、知人が利用した不動産屋に電話で問い合わせると、「意思確認の時に名前が言えて、『売却しますか?』と聞かれてうなずければ問題なし」との返事。調べてみると、認知症になった人の不動産を専門に扱う業者もあることが分かり、専門の業者を含め、複数の不動産屋に査定を依頼した。
義実家は売却でき義父は特養入所できたが、嫁は病魔に襲われ…
2019年10月。能登さんは自宅近くで介護認定調査員として働き始め、家事・育児に義母の介護、義父の面会、義実家の庭の手入れなどに追われた。
12月。3歳の長男に原因不明の発熱が続き、かかりつけの小児科から総合病院を紹介される。検査の結果「ヒトメタニューモウイルス」が重症化したことによる、肺炎と気管支炎の併発と分かり、5日間入院。能登さんは病院に泊まり込み、つきっきりで看病した。
2020年2月。能登さんは仕事中に突然、激しい頭痛と目眩に襲われ、嘔吐してしまう。何とか子どもたちを保育園に迎えに行くが、家事まではできない。夜勤明けの夫に家事を頼み横になるが、翌朝も良くならない。無理やり仕事に行くが、途中で動けなくなり、夫に迎えに来てもらい、脳外科へ向かった。
脳外科では、CTを撮るも異常なし。医師からは、「極度のストレスと疲れ、筋肉の緊張からくる症状と思われます。漢方を処方しますので、様子を見てください」と言われた。
能登さんは仕事を減らし、義母のショートステイを増やし、夫のサポートを受けながら養生に努める。幸い、出された漢方薬が合っていたのか、症状は落ち着いてきた。
数日間ショートステイを利用すると、義母は入浴を拒否するらしく、いつもひどい臭いをさせて帰宅。臭いに敏感な長男は、あまりの悪臭に嘔吐してしまったこともあった。
コロナ禍で婦人科系の腫瘍の再発が発覚
2020年10月。義実家には何度か買い手が現れては頓挫してしまうことが続いたが、義父の立ち会いのもと、ようやく契約まで終了。コロナの影響であまり面会できず、久しぶりに会った義父は、少しふっくらして顔色も良く、要介護3の認知症とは思えないほどしっかりしていた。不動産屋と義父、夫とのやりとりを見ていた能登さんは、「やっとここまでこれた……」と感慨深く、涙がこみ上げて来るのを抑えられなかった。
2021年2月。能登さんは20代の頃に婦人科系の腫瘍(良性)の切除と甲状腺腫瘍(良性)の手術を受けたことがあるが、婦人科系の腫瘍の再発が発覚し、手術を受けることに。育児と介護がある能登さんは日帰り手術を希望し、義母を3日だけショートステイに預け、自宅で安静に過ごした。
そして3月。義父が要介護3になってから申し込んでいた特養に空きが出たという連絡が入る。
義実家が売却できたため、借金は完済し、これまで夫が立て替えた義父母の生活費もすべて精算済み。義父が特養に移れば、残った貯金と年金で義両親は生活できる。「義実家も売れて、お義父さんの特養も決まるなんて……夢じゃないよね?」。能登さんは自分の頬をつねった。
「ダブルケア(義父母介護と育児)をしていて最もつらいのは、かわいい息子たちに自分の全てを注げないことです。認知症の義両親は、子どもが熱を出したと伝えても忘れてしまうため、子どもの看病に集中してあげられません。子どもが病気の時が一番しんどいと思いました」
人としてダメな義姉に比べ、いつも影で支えてくれた実姉
能登さんがつらいとき、影で支えてくれたのは実の姉だった。姉は、小さい頃から能登さんの一番の理解者で、困ったときはいつも話を聞いてくれた。しかし、今は姉にも家庭があるため、つらい・苦しいはなるべくお風呂で泣いて流し、代わりに愛しい息子たちの笑顔とハグでパワーをもらった。
「私としては、仕事であれば介護にはやりがいや喜びばかりなのですが、身内の介護を始めて、『こんなにもやりがいや喜びがないものなのか!』とびっくりしました。義両親が楽しそうにしている姿を見たり、おいしいと言ってご飯を食べたりする姿を見ても、『良かったね』とは思いますが、やりがいや喜びに直結しません。きっとその一瞬一瞬よりも、自分たちの生活にかかる制限や負担感のほうが大きいからだと思います」
介護のプロである能登さん夫婦でも、在宅介護は楽ではないのだ。素人では難しいはずだ。
「実際に在宅介護をしてみて、『お金があったらな……』と何度思ったかわかりませんし、介護サービスを利用する際は、『お金はかかるけど、少しでも楽になるなら』と何度も思いました。お金は、健康なら働いて稼げますが、ストレスで健康を失えば、働くこともできません。今でも『嫁が家でみるのが当たり前』なんて言う人がいますが、嫁にだって生活がありますから。使える手段はすべて使ってほしいなと思います」
能登さん夫婦は、自分たちが経験した苦労を子どもたちにはさせないために、自宅のローンを完済して一息ついたら売却し、2人でケアハウスに入ろうと考えているという。
「子どもたちには『介護』という負担を少しでも減らせたらなと思います。そのためには、一生懸命働いて、お金を貯めなければいけませんけどね……」
現在、77歳の義父は特養。76歳の義母は在宅。長男は4歳。次男は2歳だ。能登さん夫婦のダブルケアはまだまだ続く。しかし、能登さん夫婦は自然に話し合うことができ、お互いを敬い、信頼し合っていることが大きな強みだ。これからも夫婦で協力し、困難を乗り越えてほしいと思う。


ホームレスになった年収1200万男性の悲劇

2021-07-03 13:30:50 | 日記

下記の記事は東洋経済オンラインからの借用(コピー)です

年収1200万円からホームレスへ
「40代を過ぎてからハローワークで求職しても見合った職はみつからない。会社を辞めるといずれ後悔する」
こう語るのは、高野昭博さん(61歳)。任意団体「反貧困ネットワーク埼玉」(さいたま市浦和区)などで、生活困窮者に相談を行っている。高野さん自身、親の介護で財産が尽きてホームレスにまでなった経験を持つ。
高野さんは高校卒業後、大手百貨店で正社員として働き、管理職になってからの年収は1200万円。休日にはスキーに没頭するという絵に描いたような独身貴族。その生活が一変したのは、咽頭がんを患う父の面倒を見るために介護離職をしたことがきっかけだった。
「母は病弱、6歳年上の兄は両親と折り合いが悪く家に寄りつかなかったから誰にも頼れなかった。親と同居していた自分が見るしかないと思い込んでしまいました。離職しないで済むようにさまざまな制度を使い倒せばよかったんですが、そこまで気がまわりませんでした」(高野さん)
かなり悩んだ末に離職を決意。ちょうどその頃、百貨店では早期退職を募っていて、流れに乗ってしまったという。ところが、退職して2週間後に父が他界。26年勤めた会社の退職金と預貯金を合わせて2000万円以上が手元に残った。
精一杯の親孝行のつもりで葬儀を執り行い、お墓を建てた。その費用は合わせて850万円。母の介護がはじまってからも想定外の出費は続いた。母は認知症の症状が出はじめ、高野さんが知らないところで、訪問販売などで布団やネックレスなど高額な商品を買い込んでいたのだ。
百貨店を退職してから2カ月後、知人の紹介でスポーツ店に正社員として就職する。スキーのインストラクターの資格を活かしてツアー添乗員などの仕事をしていたが、不況で人員整理がはじまり自ら身を引いた。3番目と4番目の勤め先は、小さな会社で業績も不安定だった。2年近く仕事をしたものの、賃金の未払いが重なった。2008年に母が亡くなり(享年86歳)、最低限の葬式を出して貯金が底を突いた。
月5万5000円の家賃を2カ月滞納したところで家主に追い出され、公園で寝泊まりするようになり、翌年11月、支援団体に保護された。その後、3年ほど生活保護を受けて自立できたのは、社会的包摂サポートセンターの「よりそいホットライン」で団体職員として採用されてから。電話相談員として生活に困っている人の悩みを聞き、サポートする側として活動の場ができた。そこで、介護離職の経験が役に立った。
「全国から電話相談だけでも年間500件ほど受けていますが、親の介護で疲れ切っている人からの相談は年々増えています。ここに電話をかけてくる人のほとんどが、崖っぷちの状態。親子共倒れにならないためにも、行政の支援に頼るなど早めにSOSを出してほしい」(高野さん)
親を看取れたのはいいけれど、その後、自分は仕事がなくて生活ができない、気がついたときにはハローワークで職探しをしても仕事がみつからない――。こんな人が介護破産に陥ってしまう。
介護がはじまってから1年以内が要注意
ワーク&ケアバランス研究所の和氣美枝さん(45歳)は、不動産会社の正社員だったが、7年ほど前に認知症の母(77歳)を介護するために退職した。介護に関する知識がなく、情報をどう集めたらいいのかわからなかった。次第に生活のすべてが中途半端になり精神的に不安定になった。
「介護者の不幸は選択肢がわからなくなることなんです。介護がはじまると『辞めるしかない』と思い込んでしまいます。病気になったら真っ先に病院に行くように、介護になったら真っ先に『地域包括支援センター』に行ってほしい」(和氣さん)
特に、介護がはじまって1年以内に退職した人が、介護離職者全体の半数以上にのぼるという調査結果もある。“介護の初動”をうまく乗り切る、そのためには、会社の制度や介護保険の1割負担で使えるサービス、自治体が独自に行っている安価なサービスを知っておく必要がある。
「地域包括支援センター」とは、在宅の要介護者や家族にとっての相談窓口で、市区町村の中学校区に1カ所設けられている。そこでは、要介護認定の申請やどんなケアプランを受けられるのかといった情報を教えてくれる。
介護の期間は平均4年11カ月(約3割は4〜10年未満)というデータ(生命保険文化センター「生命保険に関する全国実態調査」速報版2015年9月79ページ)があるように長期戦は必至。排泄や入浴介助が必要になったら介護サービスを利用してプロにまかせる。お金の面も含めて、家族の負担を最小限に抑えておくことが、破綻しないための一歩なのだ。
仕事と介護の両立は可能か
介護で一番辛いのは、睡眠不足に陥ること。夜中に排泄の介助のために起こされてそれから寝付けない。生活のリズムが乱れ、体調も悪化する――。そんな負のスパイラルに陥り、心身ともに疲労困憊する。
都内に住むヨウコさん(仮名、49歳)は2年前、父(享年92歳)と母(享年83歳)を相次いで看取った。二人の世話に明け暮れて夜も満足に眠れない生活が続いたとき、「定期巡回・随時対応型訪問介護看護」という新しいサービスを使い始めた。
このサービスは介護が必要になっても住み慣れた家で生活ができるように2012年度からスタートした。要介護1〜5の人が使える。
通常、訪問介護は原則1回、20分以上と利用の時間に制約があるが、「定期巡回・随時対応型訪問介護看護」の「定期巡回のサービス」は、短時間のケアを1日に何度も利用できる。自力でトイレに行くことができない人でも、ヘルパーがトイレの介助をしてくれるので寝たきり防止になる。週に1、2回、デイサービスに通うプランを組み合わせることも可能だ。
具合が悪くなったときのため、「随時対応サービス」でケアコールの端末機とペンダント型のブザーが貸与される。これを押すと、24時間いつでも介護事業所のオペレーターと会話ができ(通話は実費)、必要に応じてヘルパーを派遣する「随時訪問サービス」を受けられる。
ヨウコさんの母は亡くなる3年ほど前から認知症になり、要介護2と認定された。その母の世話をしていた父自身も心臓疾患を患い、介護が必要となってしまう。介護認定を受けると要介護1であった。
ヨウコさんには仕事もあり家庭もある。二人をデイサービスに通わせるのは困難だったので、同時に訪問介護が受けられるようにケアマネジャーに相談した。朝、昼、晩に30分間ヘルパーが入り、食事の世話、服薬の確認をする。訪問介護の時間は、一人あたり15分、二人で30分と事業所が配慮して決めてくれた。
「それまでは夜中でも『お腹がすいた』『トイレに行きたい』と言い出しては、同じ敷地内に住む私を呼び出すので、夜も満足に眠れませんでした。このサービスを使ってからは、夜もぐっすり眠れて仕事の最中に呼び出されることもない。本当に助かりました」(ヨウコさん)
利用料は介護保険サービスの自己負担1割(または2割)なのでサイフも痛まない。いい制度なのだが、「定期巡回・随時対応型訪問介護看護」のサービスを展開する事業所は少なく、必ずしも自宅の近くでみつけられるわけではないのが欠点だ。
ヨウコさんは幸いにも、歩いて5分ぐらいのところに事業所があったからよかったが、ヘルパーが頻繁に駆けつけることを考えると、自転車で1キロ圏内が限度。そもそもこうしたサービスを知らない利用者も多く、認知度を高めるためにも事業所が身近に増えることが望まれる。
「仕事は辞めない」という意識を持つ
休暇制度を使って最も辛い時期を乗り越えたのは、ユミコさん(仮名、50歳)。同居の母(享年68歳)が亡くなる2008年までの8年間、介護と育児、そして仕事が重なった。
「職場には育児と介護の家族を支える休暇がそろっていたので、片っ端から使いました」(ユミコさん)
母は肝臓病が悪化して入退院を繰り返していた。子どもはまだ小学生と保育園児で手がかかる期間。平日は週2回、18時に終業するとともに病院に直行した。ようやく退院がかなった母だが、介護が必要となる。要介護度は5。平日の週5回、朝昼2回の食事の世話を中心に訪問介護を入れた。夕方は自費でヘルパーを依頼し、母と子どもたちの食事をつくって食べさせてもらった。
「元気な頃の母は私が仕事を続けられるように、子育てをサポートしてくれたので、母の介護で仕事を辞めたくなかった。その分、母に恩返ししようと、疲れていても病院通いだけは続けました」(ユミコさん)
病院通いを続けたのは、少しでも多くの時間を母とともに過ごすことが一番の親孝行だと思ったから。病院から帰ってきて遅い食事を取り、母の洗濯物と一緒に洗濯機を回すのはいつも夜中になってしまった。朝は5時半には起床。睡眠不足が続いた。自宅での介護がはじまってからは、1時間単位で取得できる有給休暇を活用した。おかげで会社を休むこともなく介護を続けることができたという。
「『いつでも戻っておいで』という、上司のひとことがなければ、今の私はなかったと思います」こう振り返るのはマユミさん(仮名、35歳)。
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実家に住む父が末期がんと診断された。自営業で母は働き、祖母の面倒を見なければならない。近くに住む姉は子育てに追われている。
「父の世話ができるのは自分しかいないと思い込み、会社を辞めて実家に戻りたいと上司に伝えました。父は手術後すぐに抗がん剤治療に入ったので、退院したら介護が必要でした。あと何年生きられるかわからない、といった状況でしたので、できる限りのことはしてあげたいと思い、当時保育園に通う娘を連れて実家に帰りました」(マユミさん)
ところがそのとき、「うちの会社には介護に関する制度があるよ」といって介護休業を勧められた。ひとまず、介護休業を2カ月取得。そのあいだ、家族と父を介護するための態勢を整えた。仕事の引き継ぎを兼ねたミーティングでも、「いつか自分も同じ立場になるかもしれないから」といって、送り出してくれた。
「そのときも職場に迷惑をかけてしまったという思いから、辞めるつもりでいましたが、休みに入ってから上司が『いつでも戻っておいで』とよく声をかけてくださったので踏みとどまりました。その言葉がなければ仕事から気持ちが離れてしまい、本当に辞めてしまったかもしれません」(マユミさん)
会社の制度があっても、「介護はまだ当分先の話だから、詳しいことは理解していなかった」とマユミさんがいうように、社員に認知されていないことがある。会社を辞めないことを前提に、制度を使う風土づくりが従業員の側にも求められる。


眞子さま結婚問題の波紋 絶対に失敗できない佳子さまのお相手選び

2021-07-03 11:00:00 | 日記

記の記事はNEWSポストセブンからの借用(コピー)です

 秋篠宮家の長女・眞子さまの結婚問題は、一向に前進する気配がない。婚約内定者の小室圭さん側は、母・佳代さんと元婚約者との金銭トラブルについて「解決金」を渡す意向であることを明らかにしているが、事態は進展しないまま。世間からの小室さんに対する風当たりも強まるばかりだ。
 眞子さまと小室さんの結婚問題に注目が集まるにつれ、妹である佳子さまへの視線も変化しつつある。
「一時期は“佳子さまフィーバー”と呼ぶべき状態となり、ネット上でも大人気だったわけですが、眞子さまの結婚問題が秋篠宮家全体の問題として見られるようになり、佳子さまに対しても厳しい意見が増えてきました。特に佳子さまは、ここまでずっと眞子さまを支持するスタンスを取られていて、そこに対する反発も多い。さらに、過去にダンス大会に出られたことや、かつて報じられた少々派手めな私服などについても、“皇室にふさわしくない”といった感じで批判されることも増えています」(メディア関係者・以下同)
 佳子さまは、5月6日付で全日本ろうあ連盟に非常勤嘱託職員として就職された。当面は週3日のテレワークになるという。こちらについても、ネット上では〈週に3日の勤務はパートですよね…〉〈腰掛にしか見えない〉などと、かなり厳しい意見が投げかけられている。
過去の素行も調べ上げられる可能性
 社会人としての一歩を踏み出された佳子さまについて、近い将来、秋篠宮家の次なる問題として浮上することになるのが、結婚のお相手選びだ。
 2017年には富士急行の御曹司が佳子さまとの交際の噂が報じられたこともあった。さらに2020年には、イギリスのリーズ大学に留学していた際に知り合った男性と交際中だとの報道もあった。
「眞子さまの結婚問題も影響し、佳子さまの交際に対する注目度もどんどん高まっています。小室さんのように過去にトラブルを抱えてはいないかと、今後現れるであろう佳子さまのお相手についても、詳細にその過去が調査されるはずです。ここでもしも、トラブルが発覚してしまったら、皇室全体に対するダメージは計り知れないでしょう。皇室としては、まさに失敗できない状況であり、佳子さまのお相手選びは相当慎重になるものと思います」
 少なくとも“小室圭さんのようなお相手”とのご結婚は避けざるを得ないという状況だ。
 小室さんが、世間に受け入れられない理由として挙げられるのは、佳代さんが金銭トラブルを抱えていること、そして、現時点で学生であるということだ。
「もちろん職業に貴賎なしではあるのですが、やはり“皇族は特別”という考えが主流。安定した収入のある“堅い職業”こそが皇族のお相手にふさわしいという声が世間では根強い。小室さんは、弁護士を目指しているとはいえ、収入がない状態で結婚を望んでいるということで、反発されているわけです。佳子さまのお相手についても、相当に堅い職業の人物でない限り、ネットでは猛反発となるはずです。
 また、“過去のトラブル”だけでなく、過去の“素行”も重要でしょう。小室さんは、学生時代の“チャラい”写真が何枚も流出していて、『湘南江の島 海の王子コンテスト』に選ばれたこともある。いわゆる“パリピ”に近いイメージがあることもまた、小室さんが嫌われる大きな理由だと言えます。佳子さまのお相手候補となる人物も、間違いなくこういった過去がないか調べられることになります。それこそ、SNSのアカウントなどがあれば、不適切な投稿や写真が発掘される可能性も高い。そういった危険性がない人物でないと、佳子さまのお相手にはなれないでしょうね」
 どんな人でも、掘り返されたくない過去のひとつやふたつはあるだろう。佳子さまのお相手となるには、そういった過去が一切ないという高いハードルを超えなければならないのだ。SNSが普及した今、皇族のお相手選びはどんどん難しくなるばかりだ。


1日1000歩だけで筋トレ効果も 疲れない歩き方

2021-07-03 08:30:00 | 日記

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ただ長く歩けばいいわけではない。ウオーキングは「量」より「質」が重要だ。正しい歩き方さえ身に付ければ、普段の移動が筋トレに変身。それも、背骨と脚の付け根を結ぶ重要な部位である大腰筋や内ももの内転筋といった鍛えにくい筋肉を、歩くだけで強化できる。さらに、この2つの筋肉を適切に使うことで歩行姿勢も改善。全身の筋肉を効果的に使えるようになる。
腕は大きく動かし過ぎない
意識するのは大きく3つ。まずは、「みぞおちに股があるようなイメージ」で歩くことだ。
特に意識をせずに歩くと股下だけを動かしがちだが、正しい歩き方は違う。動きの基点をみぞおち辺りまで高く上げ、そこから脚が伸びているイメージを持つのがコツだ。こうすることで、「脚上げや股関節の屈曲といった高負荷のトレーニングを行わずに、大腰筋を動かすことができる」(ウオーキングプロデューサーの園原健弘氏)。大腰筋は弱ると脚が上がらなくなったり、つまずきやすくなったりする、まさに歩くための肝心要の筋肉だ。
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大腰筋を意識して歩くには、「腕を大きく動かし過ぎない」ことがカギ。ウオーキングでは「腕を大きく振って」と指導されることも多いが、腕や手といった末端部分をぶんぶん動かしてその反動で歩くと、大腰筋などのコアの筋肉は使えない。体の中心部から動作を始め、末端へ力を流していく意識を持つのが重要だ。
2点目は、太ももの内側をぶつけ合うくらいの意識で歩くこと。振り出した足が外側に広がらないように動かすことで、内転筋や臀(でん)筋を鍛えられて効率的な歩き方になる。この筋肉が適切に使えないと、膝や股関節が曲がったまま歩くことになり、O脚やがに股の原因にもなりやすい。
3点目は、かかとからしっかり着地することだ。爪先をすねのほうに立てるのがポイント。かかと着地を意識することで自然に膝が伸び、歩くたびにふくらはぎの筋肉が伸びたり縮んだりを繰り返す。すねやふくらはぎの筋肉が弱まるとつまずきの原因にもなるので、トレーニングをしておきたいポイントだ。また、ふくらはぎの筋肉を使うと、足から心臓への血液循環が促進されるのもメリット。「足のむくみの解消などにも有効」(園原氏)という。
気になるトレーニングに必要な歩数だが、園原氏は「1日に1000歩程度でも筋トレ効果が十分期待できる」と言う。ウオーキングの目安として「1日1万歩」とよくいわれるが、ハードルが高く挫折する人も少なくないはず。1000歩なら普段の歩行を「置き換える」だけで済むので続けやすい。試してみると、数日でコツがつかめ、姿勢の改善に加えて歩行速度も自然とアップ。内転筋が締まるのが体感できた。
慣れると、地面からの反動を効率的に利用でき、長距離の歩行がむしろラクに感じられるようになる。筋肉を鍛えながら歩きやすくなる一石二鳥のウオーキングといえる。
園原健弘さん
「ラバ・チューブ」代表、ウオーキングプロデューサー。