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デルタ株にもコロナワクチンが効く理由

2021-07-27 15:42:25 | 日記

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研究者によると、新型コロナウイルスの初期型を標的としたワクチンは、デルタ型に対しても効果を発揮している。初期型ウイルスに比べ、デルタ株はワクチンの効果をすり抜けられるほど大きな違いがないためだ。
 それでもデルタ株にはそれなりの違いもあり、完全な防御に必要な免疫反応を得るためには、メッセンジャーRNA(mRNA)ワクチンを2回接種するか、1回接種型のワクチンに追加接種をしなければならないとの研究結果もあるという。
 現在も研究は続いているが、承認されたコロナワクチンに関しては、デルタ株に対する有効性はやや低下するものの、重症化を防げることが示されている。
 保健当局はワクチン接種がデルタ株に対する最大の防御策であるとし、予防接種を受けるよう呼びかけている。

サスカチュワン大学のウイルス学者、アンジェラ・ラスムセン氏は「陽性反応は出るかもしれないが、ワクチン接種を完了した人の大部分は、(デルタ株で)重症化しないか、全く症状が出ない」と述べている。
 昨年のワクチン開発中には存在していなかった変異株に対してワクチンが有効なのは、コロナウイルスのスパイクタンパク質を幅広く標的とした設計のおかげだ。
 コロナウイルスの表面に突き出しているスパイクタンパク質は、この病原体の特徴であり、免疫系の防御力を結集させようとするワクチン開発者が標的とするものだ。
 大半のワクチンと同様に、新型コロナワクチンはウイルスに感染したと体に錯覚させることで、本物の病原体が来たときに戦える分子の「武器」を作るように免疫系を備えさせる。
 ワクチンは、ウイルスが細胞内に侵入して増殖するのを防ぐ中和抗体を生成する。この抗体はスパイクタンパク質に結合することで、ウイルスが細胞に感染するのを阻止しようとする。
 ウイルスが突然変異によって変異株となるのに伴い、スパイクタンパク質の部位が変化する。そのため、ワクチンによって作られた抗体は、変異した部分を認識できない可能性があり、スパイクタンパクに結合することが一段と困難になる。
 イエール大学グローバルヘルス研究所のサアド・オマー所長は、「飛行機のある機種でパイロットの訓練をしておきながら、実際のフライトでは少し違うモデルが登場するようなものだ」と語った。
 しかし、ワクチンはスパイクタンパク質の大部分を標的としているため、今のところ、デルタ株を含む若干の変異株はどれも、ワクチンで生成された免疫防御を逃れられるほどスパイクタンパク質の変化は大きくない。
 研究者によると、ワクチン接種完了者で生成される抗体の数は非常に多く、十分な抗体がスパイクタンパクに結合してウイルスをブロックすることができる。
 2回の投与が必要なのは、1回だけの投与では中和抗体の効果がそれほど高くなく、変異株の存在を踏まえれば、より高レベルの抗体が必要となるためだ。
 また、2回の投与によって生成される中和抗体の量が増え、さらに強い免疫反応が起こる。
 イエール大学の免疫学者である岩崎明子氏によると、2回目の投与で感染予防の閾値(いきち)を超えるのに対し、1回目の投与だけでは、感染予防に不十分な準最適レベルの抗体が誘導される。
 また、2回目の投与では、二つの免疫系の武器も強化される。感染した細胞を追跡して破壊するT細胞と、血液中を循環してウイルスを検出し、抗体の生成を促すメモリーB細胞だ。
 ラホヤ免疫学研究所(カリフォルニア州)のウイルス学者、シェーン・クロッティー氏によると、どちらも重症化を防ぐのに役立っている可能性が高い。例えば、T細胞は中和抗体よりも多様な方法でウイルス細胞を認識するほか、変異株に対抗する強度を保持するとみられるという。
 米製薬大手ファイザーとドイツのビオンテックが共同開発したワクチンや、英製薬大手アストラゼネカのワクチンは2回の接種後、デルタ株に対する高い有効性を示した。医学誌「ニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メディシン」に21日掲載された研究で明らかになった。この研究は2万人近くを対象に実施された。
 イングランド公衆衛生局(PHE)がスポンサーとなったこの研究によると、ファイザーのワクチンは2回接種後のデルタ株に対する有効性が88%であったのに対し、1回目の接種後は36%だった。一方、アストラゼネカ製ワクチンの有効性は2回接種後が67%、1回接種後は30%となった。
(The Wall Street Journal/Jared S. Hopkins)


看取りに接する医師と看護師が伝える、 親を看取る前に知っておいてほしいこと

2021-07-27 15:30:00 | 日記

下記の記事はダイアモンドオンラインからの借用(コピー)です

人は自分の死を自覚した時、あるいは死ぬ時に何を思うのか。そして家族は、それにどう対処するのが最善なのか。
16年にわたり医療現場で1000人以上の患者とその家族に関わってきた看護師によって綴られた『後悔しない死の迎え方』は、看護師として患者のさまざまな命の終わりを見つめる中で学んだ、家族など身近な人の死や自分自身の死を意識した時に、それから死の瞬間までを後悔せずに生きるために知っておいてほしいことを伝える一冊です。
「死」は誰にでも訪れるものなのに、日ごろ語られることはあまりありません。そのせいか、いざ死と向き合わざるを得ない時となって、どうすればいいかわからず、うろたえてしまう人が多いのでしょう。
今回は、『後悔しない死の迎え方』の著者で看護師の後閑愛実(ごかんめぐみ)さんと、『「残された時間」を告げるとき』の著者で医師の西智弘(にしともひろ)先生という二人の医療者による対談を収録しました。
看護師、医師という2つの視点から、患者さん、あるいは家族が死とどう向き合っていってほしいかを語ってもらいます。(撮影:永井公作)(こちらは2019年1月9日付け記事を再掲載したものです)
最終目的は「穏やかな最期に着地させること」

後閑愛実さん(以下、後閑):私には、どんな最期であったとしても、どんな理不尽な死であったとしても、穏やかな最期に着地させたいという思いがあるんですね。そのために「幸せな死」と捉えてもらえるように、ご家族に次の3つのことをしてもらっています。「ぬくもりを感じること」「思い出を語ること」「ありがとうで見送ること」です。思い出を語って「最期までがんばりましたよね。ありがとうございました」と本人に語りかけるようにすると、家族も自然と「ありがとう」と言えて、穏やかな最期と捉えることができるんです。
西智弘先生(以下、西):僕が最近やっているのは、死亡確認するときに瞳孔の確認はしないってことですね。
後閑:どうしてですか?
西:瞳孔の確認をすると、人相が変わるからです。家族が見ている中で、目をぎゅっと開けて光を当てるのがどうも痛々しい……。基本的なスタンスとしてご遺体を尊重しているんです。日本人の中には、ご遺体といえども、生きている時と同じように接するという感覚があると思っていて、たとえば亡くなった後に身体を拭く時も、水ではなくお湯で拭いたり、場合によってはお風呂に入れてあげたりもするじゃないですか。日本人の感覚としては、まだそこにいるんですよ。心臓が止まる、呼吸が止まるは明らかにわかるわけで、目をぎゅっと開く代わりに、心臓の音をゆっくりと聞くようにしています。ぱっぱっ、と聞いて、「はいご臨終です」ではなく、聴診器を胸に30秒くらい当ていると、しーん、となるんです。その静寂を感じてもらったところで、「何時何分、ご臨終を確認させてもらいました」としています。厳粛で静寂な雰囲気を医師が作り、それを崩していくように看護師に感情的な部分を担当してもらえるといいと思っています。

後閑:その患者さんとは初めましての当直医に「カルテを見させてもらいましたが、この方はこういう人でしたね」とかいう感情的な部分を口にされると、「この先生、何がわかってるんだろう」と思うことがあります。西先生が言ってくださったように、医師は厳粛な感じで場を鎮めて、それを看護師が崩していくスタンスのほうが私もいいと思います。
西:医師が看護師の役割を奪っちゃダメで、そこはまかせるようにしています。緩和ケアの領域において、医者が前面に出ていって、俺が俺が、とやると、不自然なことが多い。緩和ケアや看取りの現場では、家族や本人の力というところをよりうまく支えて
最善を期待しながら、最悪に備える
後閑:西先生は『「残された時間」を告げるとき』という余命宣告の本を出されていますよね。余命や予後(病気や治療などの医学的な経過についての見通し)を医師が伝える時にはどんな気持ちで、また、伝えられたことに対して家族は医師にどうアプローチすればいいかなどということがあれば教えてください。
西:患者さんから余命を聞かれた時は、「それをなぜ知りたいのか」ということを僕は必ず聞くようにしています。「なぜ今、余命を知りたいのか」という理由をちゃんと自分の中で落とし込んでから聞いてほしいと思います。不安な気持ちが高まるあまりに、ついポロッと聞いてしまったのだとしたら、僕たちも不安を高めるようなことはお話しできません。ですから、場合によってはわかりませんとしか言えないし、あえて言わない、ということもあります。たとえば、「あと何ヵ月でわが子が小学校に入るので、入学式に出られるかを知りたい」「いついつに旅行を計画しているから」「とりあえず準備するための目安として知っておきたい」といった聞きたい理由がわかると僕たちも言いやすいです。
後閑:なるほど。家族や本人が、知りたい理由が定まってから医師に聞いたほうがいいということですね。
西:何となくでもいいですけどね。そうすると、余命の話だけでなく、何が心配で何を大切に思って生きていらして、これからの時間をどう使っていきたいと思っているのかに発展していけるんです。余命の話を聞きたいと思うその動機がすごく大事で、医師はそれを聞きたい。けれど実際には、余命の話をする僕たち医師のほうが話すことに慣れていないので、聞いたことで本人や家族がかえって傷つくというリスクもあります。まずは信頼できる看護師に、医師にこういうことを聞いてみたいと思うが、どう思いますか? と相談してみるといいと思います。そうしたら、こう話すといいんじゃないですかとか、あの先生はこういう話は苦手だから、みたいなことを教えてくれると思うんですよね。そうしたら傷つくリスクは下がります。
後閑:いきなり医師に意見を求めるんじゃなくて、いったん看護師に相談してから医師に聞くんですね。
西:そうしたら看護師から医師に、「あの患者さんがこういうことを気にされているようですけど、今度の診察の時に聞いてもらってもいいですか」と言ってくれたら準備もできるし、こちらもやっぱり患者さんから急に聞かれると、びっくりするんですよね。だから、事前に看護師と話しておくというのはすごくいいことじゃないかな。
後閑:医師からお母さんの余命宣告をされた家族がいたんです。その家族は、面談の時には娘さんが前に出てきて、お父さんはあまり話さないんです。それで娘さんに、「今、何が不安ですか」と聞いたら、「私はお母さんを苦しめたくないから、自然に枯れるように亡くなっていくのを見守っていきたいけど、お父さんがどう思っているのかわからない。それを言うこともできないし、聞くこともできない」と言うんです。でも、面談では娘さんしかしゃべらないので医師も娘さんとしか会話しないし、お父さんは「娘の言う通りに」としか言わない。それを医師に話したら、次の面談から医師がお父さんに聞くようになったんです。だから、間に入った看護師がそういう調整をするって大事だなって、今、お聞きしながら思い出しました。
西:家族がなぜそれを聞きたいのか、どういう気持ちなのか、が先走っちゃって、それは本人が聞きたいことなのか、あなたが聞きたいことなのか、本人がそうしてほしいと思っているのか、あなたが本人にそうしてほしいと思っていることなのか、って聞くと、そういえばってなりますね。家族は余命を聞きたがってるけど、本人はそうは思っていないこともあります。そういう調整をまず看護師がしてから医師に言ったほうが、コミュニケーションのエラーが少なくなるんじゃないかと思うんですよ。
後閑:西先生の本にある「最善を期待しながら、最悪に備える」って、確かにそうだなって思います。もちろん、もっと生きていてほしいとか、こういう希望があるということもあるんでしょうけど、やっぱり最期になってドタバタするご家族が結構いらっしゃるので、準備しておくのは大事だなと思いました。
西:そもそも緩和ケアというもの自体が、最悪を想定しながら準備していく医療なんですよ。災害に備えて水や食料を備蓄しておくのと同じ。そのうえで、がんが少しでもよくなる、少し寿命が延びるということを期待しながらやっていきましょう、って話をします。準備と期待は分けて考えましょう、とお話ししています。
後閑:具合が悪くなって痛くなってから緩和ケアに行く人や、「緩和ケアを紹介されちゃった、もう終わりかよ」と思う人もいるので、世間の思い込みには私たち医療者とギャップがあるように思うんですよね。
西:知っておいてほしいこととしては、本当にギリギリになって痛い苦しい、となってから緩和ケアに来られると、医師は痛い苦しいをとりあえず何とかしないといけなくなる。その人がどう生きてきたとか、あなたは何を大事に生きていきたいですか、ということを聞いてる場合じゃなくなる。もっと症状が出る前から関わっていれば、いざ症状が出てきた時に冷静に話ができるようになります。「お父さんはなるべく家で過ごしたい、って以前おっしゃってましたから最期まで家で過ごせるように考えましょうか」と言うと、家族も「そうですね」となったりします。「やっぱり気持ちが変わって入院のほうがいいです」と言われれば、じゃあそうしましょう、となるものですが、初対面の患者さんに、ただ痛い苦しいと言われたら、それを取り除くだけになってしまいますから、お互いあまりいいことがない。緩和ケアは早めに使ってもらうことが大事で、緩和ケアに来たらおしまい、ということじゃないんです、とは伝えたいです。人生をよりよく生きるために必要な備えだという認識でいてほしいと思います。
「あの時ああしておけば」は呪いの言葉
後閑:以前、西先生がネットニュースに書かれていた「あの時ああしておけばは呪いの言葉」という記事がすごく共感できました。
西:亡くなられた後とか、病気が引き返せないようなところまで来た時に、まわりが「あの時ああしておけばよかったね」と過去を否定することに目を向けるよりも、未来を見据えてこれからどうするか、本人の思いを忘れないといった、未来に向けた視点をもって関わる、悲しみを否定しない、といったことが残された人たちのよりよい人生につながると思うんです。
後閑:あの時は結果がわからない中で、あの時に最善と思われることをしてきたはずなんですよね。今現在、思ったような結果になってないというならば、それは医療のせいや誰かのせいではなく、病気や老化のほうが一枚も二枚も上手だっただけで、その時はその時に精一杯のことをしたんだって思ってほしいですね。先生は、「なぜあの時ああしておけばと思うのには原因が2つあって、それはマウンティングと無力感だ」と書いていましたよね。確かにそうだと思いました。今は結果がわかっているから、あの時ああしておけばって言えるわけで、自分だったらこうしたのに、自分のほうがいい治療を知っている、というマウンティングをしているっていうのと、本当に助けたかったという無力感から「あの時ああしておけば」と言ってしまう、と。
西:自分の親が病気になったら、僕は医者だから、「どうしたらいいと思う?」と意見を求められますけど、主治医の先生はなんて言ってるの? って聞きますね。親は北海道なんで、僕はこういう治療をしてほしいと言っても届かないし、邪魔なだけです。まず主治医の先生のことを信頼して、仮にちょっとそれは僕の考えとは違うと思ったとしても、その先生のことを親が信頼してるなら、「先生がそう言っているなら僕もそれがいいと思う」って後押しします。「僕も主治医の先生を信頼します。だからよろしくお願いします」としたいと思っています。じゃないと、あまりいいことがない。
後閑:外野がガヤガヤ言うんじゃなくて、当人同士に信頼関係があるのなら、もっとああしておけばよかったんじゃないのと言うより、後押ししてくれたほうが本人のためにも家族のためにもいいですよね。家族に対して、「いい悲しみ方」のアドバイスがあれば教えてもらえますか。
西:まず、悲しいって感情は悪い感情ではない。悲しいと思った時は、悲しい感情に浸ってもいい。たとえば夜に悲しいと思っても、一晩たてば日常に戻れる。また2日くらいして悲しいとなっても、また日常にという揺り戻しを何回か繰り返していくことで、悲しいと思う時間が短くなっていく。何かのきっかけでふと悲しみが襲ってくることもあるけれど、ああ来たな、その感情は悪いものじゃない、と向き合う。揺り戻しがなくいつまでたっても亡くなった人を思って悲しみ続けてしまうというのなら、専門家に聞いてもらいながら気持ちを昇華していくことです。悲しい時は、悲しんでください。僕が思うのは、子どもが母親が亡くなった時にまったく泣かないほうが不安。「わーん、お母さーん」って泣いてる人のほうが見た目派手だからみんな気にかけたりするんだけど、そのほうがどちらかというと安心で、いい悲しみ方ができているなと思います。優等生っぽい態度の泣かない子どものほうが心配。「悲しんでいいんだよ」ってアプローチしていくことが大事だと思います。
後閑:確かに、悲しいって悪い感情だけじゃない。悲しみの涙の奥には、別れをそれほど悲しめる関係性が築けた「幸せ」が隠されているから。ですから、今の話はすごく共感できました。ありがとうございました。最後に、『「残された時間」を告げるとき』はどんな思いで書かれたんですか。
西:それは医療者向けに書かせていただいた本なんです。巷で行われている余命の告知の方法があまりにも乱暴で、患者さん家族がすごく傷ついている状況があるので、どのように余命を伝えていくことが大事なのかをいろいろな文献や過去の日本人の文化や人類的な視点を取り入れながら書いてみたものです。漫画も入れていますので、漫画の部分だけ読んでも学べることがあるかと思いますから、医療者でない人にもぜひお読みいただければと思います。
後閑:医師向けだと思っていたんですが、読んでみたら看護師や臨床心理士の話も載っていて、看護師には教育者、サポーター、アドボケーター(代弁者)としての役割があると書かれていたりして、これは医師だけでなく看取りに関わるすべての人に読んでほしい本だと思いました。
【まとめ】親を看取る前に知っておいてほしいこと
1.穏やかな最期に着地させるための幸せな死の捉え方
(1)ぬくもりを感じる (2)思い出を語る (3)ありがとうで見送る
2.最善を期待しながら最悪に備える
人生をよりよく生きる選択ができるのが、早期介入の緩和ケアだと知っておく
3.「あの時、ああしておけば」は呪いの言葉
過去を嘆くのではなく、未来志向で「いい悲しみ方」をする

西智弘(にし・ともひろ)
腫瘍内科医、緩和ケア医、日本臨床腫瘍学会がん薬物療法専門医
川崎市立井田病院かわさき総合ケアセンター腫瘍内科/緩和ケア内科
2005年北海道大学卒。室蘭日鋼記念病院で家庭医療を中心に初期研修後、川崎市立井田病院で総合内科/緩和ケアを研修。その後2009年から栃木県立がんセンターにて腫瘍内科を研修。2012年から現職。現在、腫瘍内科の業務を中心に、緩和ケアチーム、在宅医療にも関わる。著書に『社会的処方:孤立という病を地域のつながりで治す方法』(学芸出版社)、『だから、もう眠らせてほしい 安楽死と緩和ケアを巡る、私たちの物語』(晶文社)などがある。
後閑愛実(ごかん・めぐみ)
正看護師。BLS(一次救命処置)及びACLS(二次救命処置)インストラクター
看取りコミュニケーター
看護師だった母親の影響を受け、幼少時より看護師を目指す。2002年、群馬パース看護短期大学卒業、2003年より看護師として病院勤務を開始する。以来、1000人以上の患者と関わり、さまざまな看取りを経験する中で、どうしたら人は幸せな最期を迎えられるようになるのかを日々考えるようになる。看取ってきた患者から学んだことを生かして、「最期まで笑顔で生ききる生き方をサポートしたい」と2013年より看取りコミュニケーション講師として研修や講演活動を始める。また、穏やかな死のために突然死を防ぎたいという思いからBLSインストラクターの資格を取得後、啓発活動も始め、医療従事者を対象としたACLS講習の講師も務める。現在は病院に非常勤の看護師として勤務しながら、研修、講演、執筆などを行っている。


「あら、まだできてないの?」働く母に代わり夕食を作る高1長女を襲った過呼吸…生まれながら「よい子」はいません

2021-07-27 13:30:00 | 日記

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お母さんに代わって夕食の支度を
 菜月さん(仮名)は、過呼吸のために思春期外来を受診した女子高校生です。
 単身赴任のため不在のお父さんとパートタイム勤務のお母さん、それに2歳年下の妹さんとの4人家族。菜月さんは、小中学校時代を通して優等生で、クラスのリーダー的な存在でした。学級委員を任されることが多かったということです。お母さんは、そんな菜月さんのことを、これまで一度も心配したことがありませんでした。
 高校入学後、もともと音楽好きの菜月さんは、吹奏楽部に入部し、熱心に練習に打ち込んでいました。ちょうどこの時期から、お母さんがパートタイムの仕事に出るようになっています。お母さんの帰りが遅いので、菜月さんはお母さんに代わって夕食の支度をして、妹さんとお母さんの帰りを待つという生活を続けていました。
繰り返し襲った過呼吸
 高校1年の11月、菜月さんは教室で突然、過呼吸を起こすようになりました。その後も繰り返して過呼吸を起こし、そのたびに保健室に運ばれました。そのため、保健室の先生の勧めで、高校2年の4月、お母さんと一緒に思春期外来を受診しました。
 診察時の菜月さんは、過呼吸を起こす原因になるような悩みごとは何もないと話していました。
 同伴したお母さんは、
 「勉強も部活も親に言われなくてもまじめにこなす子で、自宅では夕食を作ってくれるのでとても助かっています」
 と述べていました。
 お母さんと一緒に、定期的に通院することになりました。
吹奏楽部の先輩の言葉に傷つき
 通院を始めて1か月後、菜月さんは学校でのできごとを少しずつ話してくれるようになりました。
 「吹奏楽部の先輩から、フルートの演奏が上達しないので、やる気がないのではないかと何度も注意されました。私は高校に入ってから吹奏楽を始めたので、そう言われることがとてもつらく感じました。それと同じころに、いつも一緒にいるクラスの女子から、私が他のグループの女子と仲良くしていることを責められました」
 と、泣きながら学校でのできごとについて話してくれました。さらに続けて、
 「でも、こんな話をお母さんにはできません。だって、家族のために働いているお母さんに迷惑をかけたくないから」
 と述べていました。
夕食を作るのは当たり前?
 通院を始めて3か月が 経た つと、菜月さんの過呼吸を起こす回数は少なくなってきました。このころになると、学校では、部活の先輩やクラスの女子とそれなりにうまくやれているということでした。
 診察室での菜月さんは、お母さんとのことについて初めて語りました。
 「お母さんは毎日、遅くまでパートの仕事をしています。それで私が夕食を作るのが当たり前だと思って、これまでお母さんに代わって夕食を作ってきました。でも、お母さんに感謝されたことは一度もありません。先日、部活で帰りが遅くなって、夕食ができる前にお母さんが帰ってきました。その時にお母さんから『あら、まだ夕食ができてないの?』と言われて、とてもショックでした。お母さんは私が夕食を作ることを当たり前だと思っている」
 と言って泣き出しました。
 お母さんに面接すると、菜月さんが何も話してくれないので、何で悩んでいるのかがわからないと言います。
お母さんと一緒に支度を
 通院が始まって5か月後、菜月さんはお母さんに、夕食の支度をすることの大変さを初めて打ち明けることができました。
 その直後の面接で、お母さんは、
 「菜月は私に気兼ねして、我慢してきたんですね。パートから帰ったら、『疲れた、疲れた』とは言わず、もっと真剣に菜月の話を聞いてあげなくてはいけませんね。夕食のことも菜月に頼り過ぎていたと思います。これからは私が早く帰宅して、菜月と一緒に夕食の支度をしたいと思います」
 と述べました。
 その後は、一緒に夕食を作りながら、菜月さんと話をするようになりました。菜月さんも、学校でのできごとを、以前よりもよくお母さんに話しているようです。通院を始めて9か月後には、菜月さんの過呼吸はほとんどみられなくなりました。
つらい体験がこころの対処能力を超え
 菜月さんは部活やクラスでのつらい体験を、誰にも話すことができず、こころのなかにため込んでしまいました。ため込んだ気持ちが菜月さんのこころの対処能力を超えてしまって、過呼吸が起きるようになったと考えられます。通院を始めてから、菜月さんはその気持ちをお母さんに打ち明けることができました。
 生まれながらにして手のかからない子なんて、実は存在しないのではないでしょうか。家庭での親の様子を見て、子どもたちは「手のかからないよい子」という仮面を自然と身に着けてしまうのだと思います。親はそれが当たり前と思い、そのような子どもに特段、関心を向けることもなく、親自身の仕事や趣味に没頭しているわけです。
 しかし、子どもたちが思春期に至ると、手のかからないよい子としてだけでは生きていけない家庭や学校の問題に次々と直面し、子どもたちのこころを揺さぶり、よい子という生き方の裏側に潜む問題が 露あら わになります。
 菜月さんのお母さんは、これではいけないと立ち止まり、菜月さんと関わる時間を増やして、その気持ちを大切にするようになりました。よい子と言われる子どもたちは、親にもっと自分の気持ちを聞いてほしいのです。「どんなにひどいことを言っても親は自分を見放すことがない」という安心感があって初めて、子どもたちは本音を語り出すのです。(武井明 精神科医)


 小室圭さん「帰国せず」の理由は“日本国民への不信感”か

2021-07-27 11:00:00 | 日記

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ノーマスクで晴れやかな笑顔を見せ合う、ガウン姿の学生たち。卒業生全員の名前が読み上げられると、歓声とともに帽子が宙を舞う――。

しかし、この祝福の輪の中に小室圭さんの姿はなかった。

5月24日、小室さんの留学先であるニューヨークのフォーダム大学ロースクールで、対面での卒業式が開催された。キャンパスの前には日本のメディア関係者が集まったが、小室さんは卒業式を欠席した。

’18年8月、眞子さまを日本に残して渡米した小室さんには、成田空港からカメラが密着。新入生オリエンテーションの日には大学関係者に付き添われながら堂々と現れ、報道陣に一礼した。しかし、そんな派手な渡米劇から3年、小室さんはマスコミの前に一度も姿を現していない。

小室さんの代理人・上芝直史弁護士は5月中旬、本誌に「現時点で圭さんが帰国する予定はありません。記者会見の予定もありません」と語っている。

元婚約者は解決金の交渉に応じる姿勢を示している。誠意を見せるためにも、帰国して元婚約者と直接話し合ったほうが金銭トラブル解決に近づくはずだが……。

また、米ミシガン州弁護士の資格を持つ牧野和夫さんは「今年のニューヨーク州の司法試験はリモートで行われることが決まっています。日本に帰国して受験することも可能です」と語る。7月の司法試験を目指しているという小室さんだが、実は受験のためにニューヨークにとどまる必要はないのだ。

留学が終わっても帰国せず、マスコミを避け続ける小室さんの真意とは、いったい――。
■日本に小室さんの「理解者」は現れず…

「小室さんは、渾身の説明文書が“総スカン”だったことに、衝撃を受けたのではないでしょうか」

そう語るのは皇室担当記者。小室さんは4月、約4万字に及ぶ説明文書を公表。その目的は《これまで出回ってきた誤った情報の訂正》だと書かれていた。

「小室さんはマスコミの報道のせいで、自身の評価が歪められていると思い込んでいたのでしょう。自分の言葉で真実を説明すれば“誤解”が解け、評価は好転するはず……。そう考えて、あれほど長い文書を綴ったのだと思います。しかし実際には、文書発表後にも小室さんを支持する声が増えたとは言いがたい状況です。小室さんが抱いていたマスコミへの不信感は、いまや日本国民全体への不信感に変わりつつあるのかもしれません」(前出・皇室担当記者)

《この文書をお読みいただくことによって、これまでの事情を理解してくださる方が1人でもいらっしゃいましたら幸いです》と、切なる願いを文書にこめていた小室さん。だが日本では、小室さんの「理解者」はほとんど現れなかったのだ。

一方で、小室さんは在学中、論文2本がニューヨーク州弁護士会の発行する専門誌に掲載された。そのうち1本はコンペで年間2位に選ばれるという快挙も達成した。前出の牧野弁護士によれば、

「小室さんはフォーダム大学でJD(法務博士)の学位を取得しましたが、JDを取得する日本人留学生は、多い年でも全米で数人しかいません。3年もの間、ネーティブと競いながら学んだ実績は就職時に非常に高く評価されます。在学中に論文を書いて表彰されたことも評価されます。日系企業向けの仕事を取り扱うニューヨークの法律事務所などからオファーがあるのではないでしょうか」
■もはや“日本国民の理解”を得ることを放棄か

3年間の留学で築き上げた実績は、小室さんにとって大きな自信となったことだろう。だが、秋篠宮家の知人は、そうした学業面の成果は結婚にまったく関係ないと語る。

「そもそも、秋篠宮さまは高収入や高学歴を求めておらず、安定した生活が送れる程度の収入があれば十分とのお考えだったのです。もし小室さんが帰国しても、秋篠宮さまが面会に応じることはないでしょう。金銭トラブルが解決できていないのですし、会って話す意味もありませんから」

秋篠宮さまは「多くの人が納得し喜んでくれる状況」を求めていたが、仮に記者会見を開いたとしても、納得してくれる人はどれだけ増えるだろうか。

「小室さんは、もはや“日本国民の理解”を得ることを放棄してしまっているとしか思えません。日本では自分の価値は理解されない、それよりも自分の実績を評価してくれるアメリカにい続けたい――。小室さんはすでに、そういった思いを眞子さまに伝えているようです。このまま一度も日本に帰国しないまま眞子さまと結婚する可能性が高いと思われます」(前出・皇室担当記者)

もはや“逆ギレ”に近い帰国拒否だが、小室さんが眞子さまとの結婚を強行することはできるのか。宮内庁関係者は次のように語る。

「宮内庁も秋篠宮さまも、眞子さまには早く皇室から離れてもらいたいと考えているのです。政府は現在、女性皇族が結婚後も皇室にとどまれるようにする女性宮家制度を検討中です。この制度の創設後に2人が結婚すれば、小室さんが皇族になる可能性もあります。そうなるくらいなら、眞子さまには早く結婚してもらったほうがいいというわけです。また、眞子さまは独身のまま皇籍離脱されるという手段もあります。いったん皇族でなくなってしまえば、ニューヨーク行きも、婚姻届の提出も自由です」

秋篠宮さまが設定したハードルは無視して“駆け落ち婚”を――。

記者会見を開かないばかりか姿すら見せない小室さんの戦略のウラには、そんな大胆な計画があるのだろうか。


保育園生活で、ずっと心に残った先生の言葉

2021-07-27 08:30:00 | 日記

下記の記事はnoteからの借用(コピー)です

子ども3人、11年間の保育園生活が終了した。

保育園は子どもだけじゃなく親にとっても、
あったかい居場所だった。

疲れ果てて、ふらふらになりながら、
ギリギリの時間に滑り込んで、
「おかえりなさい」と笑顔の先生に迎えられて
その場にへたり込んだことが何度もあった。

うしろめたいような気持ちでいっぱいだったとき、
元気な「行ってらっしゃい」にどれだけ救われたか。
先生たちの言葉は、毎日の「心のハグ」だった。


真っ暗になった道を、小さな手をつないで歩いたことも、
自転車の前と後ろに1人ずつ乗せて、
その上で1人を歩かせて、
3人を連れてふらふらになりながら
お腹すいたー!と叫んで笑いあったことも。

もうすでに懐かしい。
過ぎてしまえば、大事な時間だったように思える。
43歳の私の11年間は、人生の4分の1以上。

人生の4分の1を支えてくれた保育園には感謝しかない。

目次
    1. ずっと心の支えになった先生の言葉
ずっと心の支えになった先生の言葉

2人目が生まれ、一番不安だった時に、保育園の懇談会である先生が話された言葉が、ずっと心に残っている。
そのときの投稿がFacebookにあったので、そのまま引用する。もう9年も前のことだ。
ーーーー
昨日、保育園の懇談会でした。
ひととおり話が終わった後、
その場にいた先生方が一人ひとりお話をされ、
最後に、いちばん年配の先生が、
「保育士の代わりはいても、お母さんの代わりはいません」と言われた。

きっとその後
「だから、忙しくてもお子さんとしっかり向き合ってあげて」とか
「だから、お子さんの甘えを受け止めてあげて」
という言葉が続くんだろうなと思って聞いていたら、

「保育士の代わりはいても、お母さんの代わりはいません。
だから、お母さんたちは、自分の体と心をちゃんと大事にしてね。
忙しいからって、自分のことを後回しにばっかりしないでね。
お母さんたちが元気で笑っていることが、お子さんにとってはいちばん嬉しいから。
忙しくて大変な時や、気持ちがしんどい時は私たちに言ってくださいね」と。

せ、せんせーっ と泣きそうになりました。
いや、ちょっと泣いたかも。

保育園に預けることに躊躇したこともあったし、
実際いろんなトラブルもあった。

でも、こんな風に思ってくださる先生方がおられるなら、
保育園って、子どもにとってだけじゃなく、
パパママにとってもすごくいい場所なんだなぁと思います。

(ちなみにその場にはたまたまお母さんばかりだったので、お母さんという呼びかけになっていますが、パパがいる時ももちろんあります。パパがいたら、ちゃんとお父さんお母さんという話になっていたと思います。実際、隣のクラスには、何人もパパの姿がありました)

2013年4月のFacebook投稿より
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新型コロナの影響で、保育園も今まで通りとはいかなくなった。うちの子供達が通っていた園では、去年の今頃(2020年4月ごろ)は、休園にはならなかったものの「可能な方は家庭での保育を」と呼びかけられていた。
1年以上ずっとコロナの非常事態の中で、どう考えても園児同士や園児と先生との密着度が高い保育園で、安全に過ごせるかを、いつも考えてくださっていたのを知っている。
子供達が皆帰った後の部屋や園庭の遊具を、先生たちが、丁寧に消毒してくださっていた。

私はこの11年間、保育園に、先生方に、どれだけ助けられたのだろう。子供達の根っこの部分をいっしょに育ててくださった先生方。不安で押しつぶされそうな時に、「お母さん、大丈夫」と言ってくれた、私にとっても、保育園は間違いなく「安心基地」だった。

本当はお世話になった先生とハグしたかったんだけど、今はそんなことできないから、手紙書こう。

小さくて重い命を預かる仕事、まだふにゃふにゃの心と体を育てる仕事。たいへんで、尊くて、欠かせない、保育士という仕事をしてくれている先生たちへの感謝を書こう。

保育士さんや、子どもたちに関わる職業の方が、今よりも働きやすく、幸せな環境でお仕事ができるように、何か自分にできることからしていきたい。