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 「早く死んでくれ」心の中でそう叫びながら、祖母を麻縄で縛るヤングケアラーの苦悩

2021-07-16 15:30:00 | 日記

下記はプレジデントオンラインからの借用(コピー)です

大腿骨骨折から本格介護へ
2016年ごろに祖母(当時87歳)は認知症と診断され、要介護1と認定された。週3回のデイサービスに加え、ショートステイを月2回ほど利用するようになっていた。
自ずと
その頃の祖母は、椅子に座ったままうとうとと居眠りをするようになっていたため、孫の湖西信治郎さん(仮名・当時高校生、現在大学4年)も、湖西さんの母親(50代)も、「椅子から落ちると危ないからベッドで寝て」と何度も注意していた。しかしその度に祖母は、「あんたなんかに指図されたくないわ!」と拒絶。
「さすがにカッとなって口喧嘩になることは時々ありましたが、私が手を上げたことは一度もありません。ただ、それまで祖母を介護してきて、祖母から感謝の言葉をかけられたことも、一度もありませんでした」
2018年11月。心配していたことが現実となった。89歳となった祖母がいつものようにうとうとしていたところ、バランスを崩して椅子から落ち、床に転がったまま痛みを訴え、起き上がれなくなったのだ。母親と湖西さんは救急車を呼び、病院へ。
祖母は大腿骨を骨折しており、入院することに。
2019年3月。祖母はリハビリ病院を経て、退院した。骨折前は杖をつけば自立歩行ができていたが、退院した祖母は、誰かの介助なしでは歩行できなくなっていた。医師から、「杖を使っての歩行は、転倒のリスクが高いため危険です。歩行器を使ってください」と指導を受ける。
「麻縄で縛りつけました。そうしないと、こっちがもたなかった……」
これ以降、トイレ介助や入浴介助は、母親と交代、または共同で行うことになった。
祖母は、4年ほど前から紙オムツをしている。にもかかわらず、深夜や早朝でもお構いなしに、頻繁にトイレに行きたがった。
「祖母が朝5時すぎに起きて『トイレに行く』というのですが、母曰く2時間前ぐらいにも行っているらしく、トイレに連れて行くけど、結局出ないで終わるのです。だから母は、『まだ大丈夫だから寝てて』と言うのですが、祖母は聞かずに『トイレに行く!』と言い張る。夜中のトイレ介助で睡眠不足からイライラしている母は、毎回朝から祖母と口喧嘩をくり広げ、私はその声に起こされていました」
歩行器を使わないと歩けない祖母は、それでも「自分はまだしっかりしている」と思い込んでおり、勝手に動き回ろうとするため、湖西さんも母親も手を焼いた。
「次、また骨折や大怪我などしようものなら確実に寝たきりになってしまいます。それを避けるため、私と母は、祖母がデイサービスから帰ってきたら椅子に座らせ、勝手に立ち上がって動き回ろうとしないように麻縄で縛りつけていました。おそらく、『非人道的だ』と思う方が大半だと思いますが、わが家ではそうせざるを得ないところまでいきました。そうでもしないと、こっちがもたなかったのです……」
人生を変えたコロナ禍
2020年、91歳になった祖母は、要介護4と認定。祖母は時々、母親と湖西さんの名前を間違えるようになっていた。
祖母を介護しながら地元関西の大学に合格した湖西さんは、将来、海外の大学院に進み、国際関係論の修士号を取得し、それを活かせる職業に就きたいという目標がある。そのため、湖西さんは大学2年の頃から留学を計画していた。
母親に相談すると、「行ってもいいけど、私も一緒に行く」という。
「私は最初、アメリカのコミニュティカレッジ(日本でいう短大相当)に入って、そこで一年勉強して、アメリカの公立大に編入するつもりでした。コミニュティカレッジは奨学金が使えないので、その分は母に負担してもらい、編入後は自分で奨学金を借りて通う予定でしたが、母は私を諦めさせるために『一緒に行く』などと言ったのだと思いました」
母親は、自分を残し、介護から逃れようとしている息子が許せなかったのかもしれない。それでも湖西さんは何とか母親を説得し、2020年に留学するため、大学を休学。
ところが、2019年末からの新型コロナウイルス感染症の世界的流行のため、留学は断念せざるを得ない状況に陥る。湖西さんは泣く泣く10月に復学した。
留学していれば、おのずと祖母の介護からは解放されていたわけだが、留学も祖母の介護からの解放もかなわなかった。湖西さんの貴重な時間が生贄になったも同然だ。
祖母介護のストレスを母には言えず、SNSに愚痴を吐き出した
緊急事態宣言の発令以降、大学はオンライン中心に。祖母のデイサービス先もショートステイ先も閉鎖になり、ほぼ一日中、祖母がいる自宅で過ごす。母親は保育士としてフルタイムで働きに出ている。祖母の介護によるストレスが1人で抱えきれなくなっていた湖西さんは、SNSに愚痴を吐き出し、ストレスを発散させるようになった。
SNSに愚痴の破棄場所を見いだした湖西さんは、気持ちが楽になるのを感じた。一方で、SNS上で他の人の介護の状況を知ると、「うちの祖母はまだマシかな」と思うと同時に、「うちの祖母もああなってしまうのかな」というとてつもない恐怖感に襲われた。
「祖母の介護が始まった当初は、愛情や優しさを持って介護しようと努めていました。しかし、愛情や優しさを持って介護すればするほど、祖母から暴言を吐かれたときにダメージが大きくなることに気がついてからは、できるだけ無の感情で介護をすることを心がけるようになりました。睡眠時間も自分の時間も削られて、介護家族は疲弊しています。認知症の祖母は、相手が身内だろうが他人だろうが暴言を吐き、どんなに尽くしても、『介護してくれてありがとう』の一言もありません。正直、『もう早く死んでくれ』と思っていました……」
湖西さんの疲労とストレスはピークに達していた。
家庭崩壊の足音
湖西さんと母親は、祖母の介護が本格的になる以前は良好な関係だったというが、最近はそうではなくなっていた。
ある日、湖西さんがアルバイトから帰宅すると、帰りが少し遅くなったことを母親に咎められる。
旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う

「母は、ちょっと過保護なところがあって、私の行動をすべて把握しておきたいみたいなんです。バイトや友だちと出かけるとき、何時に誰とどこへ行って何時に帰ってくるか、全部知っていないと気が済まないようで、何も言わずに出かけるとスマホに着信が何十回と入ります。その時の気分で機嫌が悪くなるので、高校生の時は母の顔色ばかり伺っていました。私が寝ている間に私の部屋に入って、私が自分で買った本やモノを『あんたなんかには必要ない』と言って平気で捨てられたこともありました」
おそらく母親自身、相当ストレスが溜まっていたのだろう。このときも、帰りが少し遅くなったため、執拗に責められた。
「まるで自分だけが犠牲を払ってるみたいに言われると、正直、『ふざけないでくれ』と思います。母1人で介護をしているわけではありません。親だからって言っていいことと悪いことがあると思いました」
湖西さんは、息子として孫として、10代の頃から十分すぎるほど母親と祖母をサポートしてきた。ましてや、湖西さんは母親に対して、一度も介護の不満や愚痴をこぼしたことがないという。
「母は、高齢でしかも認知症の祖母相手にいちいちカッとなるので、大人げないなあと思ってしまいます。介護の仕方ひとつとっても、母と私は衝突することが増えました。母は時間がないから何でもかんでもやってあげてしまうのですが、私は少しでも祖母が自分でできることは自分でさせてあげようと考えて、見守ろうとするのです」
母親の腕にはくっきりと歯型がつき、血が滲んでいた
「母娘」と「祖母と孫」、立場や関係性の違いもあるのかもしれない。だが、毎日のように母親と祖母が怒鳴り合うため、湖西さんは大学のオンライン授業や課題に集中できず、ほとほとまいっていた。
「介護そのものよりも、祖母と母の怒鳴り声を毎日聞かされているだけで病みそうでした。祖母とケンカすることでたまったストレスが私の方に向いて、今度は母と私とのケンカになるのです。母は祖母や私とケンカして怒鳴ることで、ストレスを発散しているような気がしました」
1度だけ、ヒートアップした母親が祖母に手を上げ、けがをさせてしまったことがある。湖西さんが仲裁に入ったから良かったが、誰もいなかったらと思うと恐ろしい。
とはいえ、91歳の祖母は、50代の娘に負けていない。湖西さんがアルバイトから帰宅すると、部屋の奥から「ギャー!」という母親の叫び声がする。びっくりして駆け寄ると、祖母と母親がいつものようにケンカをした末に、逆上した祖母が母親の腕に思い切りかみ付いたらしい。母親の腕には、くっきりと歯型がつき、血がにじんでいた。
湖西さんは2人をなだめつつ、母親の腕の手当をし、祖母のオムツ交換を済ませ、寝かしつける。その後も湖西さんは、母親と祖母の怒鳴り声が聞こえてくると、大学の課題の手を止め、SNSに向かった。どこにも吐き出せないストレスや愚痴をSNSに吐き出すと、心が軽くなり、救われる思いがした。
一筋の光
2021年5月。祖母が要介護4になってから、複数申し込みをしているうちの1つの特養から電話が入る。「6月か7月には空きが出るため、入所できるかもしれません」とのこと。
湖西さんは暗闇に一筋の光を見た気がした。しかし、ぬか喜びに終わるのが怖くて、本決まりになるまでは気を抜かないよう努める。
すると1週間ほど後に、本決定の連絡が来た。
それを聞いた湖西さんは、「SNSで同じように介護を頑張っている人たちに、自分だけ楽になる気がして申し訳ない」気持ちになった。
特養入所までは1週間ほど。その間に、契約書への記入のほか、看取りや急変時の延命措置、終末期の措置などについての同意書や宣言書に記入しなければならない。
「延命措置や終末期の介護に関して、私が、『人間らしく、なるべく苦しまないでほしい』と母に伝えたところ、母もそれに同意してくれましたが、いざそれを書類という目に見える形で意思表示をするとなると、ペンが重くなりました。母も同じ考えだったのは正直意外でしたが、家族として意見がまとまったのは良かったと思います」
このあと、湖西さんは少し「自分の人生の終わり方」「どういうふうに死にたいか」ということについて考えた。もちろん、答えは簡単には出ないが、「20代でこういう機会に恵まれる人は少ないだろうな」と思った。
特養に入ることを祖母に伝えたところ、祖母は「分かったけど分からん」と答え、特養に入所する前日の夕ごはんは、祖母の好物の鰻丼にしたところ、ぺろっと平らげた。
そして5月末。母親と2人で祖母をタクシーに乗せ、特養に送った。
10年と少し利用したデイサービスの職員たちにはこれまでの感謝を伝え、これから入所する特養の相談員や栄養士、看護師や理学療法士に挨拶して、約10年にわたる在宅介護を終えた。
湖西さんと母親は、この日初めて「お疲れ様でした」と、お互いを労い合った。
介護が子どもの未来を奪う
6月。オンライン面会で会った祖母は、変わらず元気そうだった。
「私は在宅介護には、やりがいや喜びはないと思います。ずっと、『この生活がいつまで続くのだろうか』と、半ば絶望を感じながらやってきました。2020年5月に、母親を介護していた20代の娘さんが、母親の首をしめて殺害した事件がありましたが、母親を殺めてしまった娘さんには本当に同情しました。もちろん殺人はダメですが、きっとつらかったんだと思います。私は絶対に殺しませんが、何度『早く死んでくれ』と思ったかしれません。介護って怖いですね……」
湖西さん自身、幼い頃は祖母のことが大好きだった。しかし、介護をするようになって、「幼い頃の楽しかった記憶が徐々に薄れてくる。ただただつらい記憶で上塗りされていく……」と苦悩していた。
「よく、『育ててくれたんだから、お世話になったんだから、介護をするのは当たり前』と言う人がいますが、介護経験があって言っているのでしょうか? 『思いやりのある介護』『介護される人の身になって介護する』といったイメージは、あまりに現実の介護と乖離しています。介護するとなったら腹を決めて、そんな理想は捨て去り、“介護する側”が介護しやすいように環境を整える。調べたり人に聞いたりして、少しでも情報を集める。最も重要なのは、必要以上に自分を責めないこと。これに尽きると思います」
湖西さんは現在、大学院進学と就活、両方で準備中だ。介護にとられていた時間を取り戻した湖西さんは、「TOEICや資格試験の勉強に充てたい」と話す。
「日本って、一度レールから外れたら、その後戻るのが簡単ではないと思うし、そのフォローが何もない気がします。だから、現在介護をしている人は、介護のために離職したり、学校や勉強をやめたりしないでほしい。何とかしてやめずにすむ方法を模索してほしいと思います。祖母の介護をしていてつくづく、介護されている方、介護に仕事として携わっている方が、今より報われるような社会になるといいなと心から願うようになりました。このままでは日本は、介護で崩壊するのではないかと危惧しています」
現在母親は50代後半。あと20年もしたら、今度は母親の介護が始まるかもしれない。
「私自身は、もし結婚して子どもができても、将来自分の子どもには介護はさせたくありません。本音は、母の介護もしたくありません。だから、母には今のうちからしっかり、足腰を鍛えさせるなど、健康面に気を配っておかなければと考えています」
2020年12月から21年1月にかけて、厚生労働省と文部科学省が初めて行った実態調査によると、公立の中学校1000校と全日制の高校350校を抽出し、合わせておよそ1万3000人の2年生からインターネットで回答を得た結果、中学生の17人に1人(約5.7%)、高校生の24人に1人(約4.1%)が「世話をしている家族がいる」と回答している。
さらに、「自分の時間が取れない」が20.1%、「宿題や勉強の時間が取れない」が16%、「睡眠が十分に取れない」と「友人と遊べない」がいずれも8.5%。「進路の変更を考えざるをえないか、進路を変更した」という生徒が4.1%、「学校に行きたくても行けない」と答えた生徒が1.6%いた。湖西さんも中学時代から祖母の介護をしていたが、前出の調査では、こうした中高生の“ヤングケアラー”で、「誰かに相談した経験がない」という生徒がともに6割を超えた。
「子どもたちの未来を奪っている」と言っても過言ではない状況に、一刻も早く国は対策を打たなければならないだろう。


「覚せい剤中毒より治療が困難」普通の人を薬物依存に陥らせる"あるクスリ"

2021-07-16 13:30:00 | 日記

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薬物依存患者の半数は、違法薬物ではなく処方薬の依存症を抱えている。精神科医の松本俊彦氏は「ベンゾジアゼピン受容体作動薬などの処方薬の依存症は治療がむずかしい。精神科医の気軽な処方が患者を増やしている」という――。
※本稿は、松本俊彦『誰がために医師はいる――クスリとヒトの現代論』(みすず書房)の一部を再編集したものです。
精神科医がやってしまいがちな「ドリフ外来」
以前、尊敬するベテラン心理士からこういわれた。
「精神科医は薬を出すから、いつまで経っても心理療法がうまくならないのよ」
彼女はいつも精神科医に手厳しいが、このコメントもその例に漏れなかった。私は、「ですよねえ……」と曖昧あいまいに濁すほかなかった。
たしかにその通りだったからだ。「では、お薬を調整しておきますね」「お薬を追加しておきましょう」――こういった言葉で、出口の見えない診察室でのやりとりを強制終了する。問題は何も解決していない。
医師として前向きな姿勢を失っていないことを患者に示しつつ、ただ時間稼ぎをしているだけだ。そんなやりとりをこれまで何百回、いや何千回も行ってきたことか。
かつて私は、わが国の精神科医療をこう評したことがある。曰く、「ドリフ外来」。つまり、「夜眠れてるか? 飯食べてるか? 歯磨いたか? じゃ、また来週……」といったやりとりで、次々に患者を診察室に呼び込み、追っ払う。そのありさまを、ドリフターズの『8時だョ! 全員集合』のエンディングのかけ声になぞらえたつもりだった。
これは批判であると同時に自虐でもあった。弁解を許してもらえば、何もすべての患者にそうしているわけではないのだ。
日に50人診察するとして、そのうちの何割を「ドリフ外来」的にサクッと捌さばけるかで、その日の診療で重症者にどれだけ時間とエネルギーを割けるかが決まってくる。だから、患者によって緩急つけながら自分の外来診療を進めていくのは、業務マネジメント上、やむを得ないことなのだ。
とはいえ、これは容易ではない。
つい口に出てしまう「お薬を調整しておきましょう」
医師にとってはその日の50分の1の相手だとしても、患者にとって主治医は一人だ。
しかも、2~4週間という期間待ちつづけ、期待を膨らませて診察にたどり着いている。それなのに、こちらが平均的な再診患者に割くことのできるのは5~10分だ。患者が抱えている問題の多くは未解決のまま先送りとなる。
そんなとき、今日のところは矛を収めてもらおう、いったん兵を引いてもらおうとして、つい口に出てしまう言葉が、「お薬を調整しておきましょう」なのだ。たとえるならばそれは、激しい連打に耐えかねたボクサーが反射的にしてしまうクリンチに似ている。
断言できることがある。おそらく私は薬をいっさい処方しない精神科医にはなれない。もちろん、できるだけ無駄な処方は避けるべきだと思っているし、そもそも、薬物依存症治療が専門である以上、患者に薬を出すよりも薬をやめさせることのほうが多い。
しかしそれでもやはり、まったく薬を使わないことはできないと感じているのだ。なぜか。
ここからはじめよう。処方薬の話だ。
“薬物依存”の半数は処方薬に対する依存が占めている
精神科医としてどんな患者が一番好きかと問われたら、私は迷うことなく「覚せい剤依存症」と答えるだろう。
決して犯罪行為を肯定するつもりはないが、法の一線を越えた彼らには、アルコールや処方薬、市販薬の依存症患者にはない独特の潔さ、すがすがしさがある。
およそ10年前、私は、「覚せい剤依存症?」と表情を曇らせる病院幹部の懸念をよそに、現在の所属施設で薬物依存症専門外来を開設した。その理由は、まさに「思う存分、大好きな覚せい剤依存症患者を診たい」との思いからだった。
しかし、実際に診療を始めると、いささか期待外れな事態に直面した。というのも、たしかに多くの覚せい剤依存症患者が受診してくれたものの、それは全体の半分にすぎなかったからだ。
残りの半分は、処方薬(その大半は、エチゾラムやフルニトラゼパム、トリアゾラム、ゾルピデムといった、ベンゾジアゼピン受容体作動薬として分類される睡眠薬や抗不安薬だ。ここでは略して「ベンゾ」と呼んでおきたい)の依存症患者だった。
当時、ベンゾ依存症患者は薬物依存症外来の新興勢力であり、「わが国伝統の乱用薬物」である覚せい剤の依存症患者と比べると、さまざまな点で違っていた。
たとえば、学歴が高く、犯罪歴を持つ者が少ないなど、一般の人と変わらない生活背景を持ち、何よりも、薬物依存症とは別に、うつ病や不安障害といった精神障害を併存する者がとても多かった。
もっとも注目すべき特徴は、依存形成の心理機制(*)だった。
「苦痛の緩和」を求めるベンゾ依存症患者
覚せい剤依存症患者の多くは、「刺激を求めて」「(友人や恋人に)誘われて」など、刺激ないしは快楽希求的な動機、あるいは、人との親密な関係を契機として乱用を始めていたのに対し、ベンゾ依存症患者は、「不眠や不安を軽減するために」「抑うつ気分を改善するために」といった意図から、単独で使いはじめているのが特徴だった。
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このことは二つの重要な事実を示唆していた。
一つは、ベンゾ依存症患者は決して「快感」を求めて薬物を乱用しているのではなく、あくまでも「苦痛の緩和」を求めて薬物を乱用している、ということだった。
これは、たとえ快感を引き起こさなくとも、苦痛緩和の作用さえあれば、人は依存症に罹患しうることを意味する。いや、快感ならば飽きるだろうが、苦痛緩和となると飽きるわけにはいかない。自分が自分でありつづけるためには手放せないものとなる。
もう一つは、この「苦痛の緩和」をしてくれる薬物を最初に提供した人物が、しばしば精神科医である、ということだった。事実、私の調査では、ベンゾ依存症患者の84パーセントは、併存する精神障害の治療を受けるなかで依存症を発症していることがわかっている。
これは悩ましい問題だった。というのも、医師のミッションはいうまでもなく患者の苦痛緩和にあるが、そのミッションに忠実であろうとする善意が患者を依存症に罹患させることを意味するからだ。
依存症に陥る機制はさておき、ベンゾ依存症患者の治療は実に手がかかる。覚せい剤依存症患者の少なくとも倍は手がかかるといってよいだろう。
理由は三つある。
自己判断で中断すれば重篤な離脱症状を起こすことも
第一に、併存する精神障害のせいで、いっさいの精神科治療薬をやめるという選択肢がとれないことだ。
通常、ベンゾを比較的依存性の低い別の薬剤(抗精神病薬や抗うつ薬)に切り替えて精神症状をコントロールすることを試みるが、副作用の問題からそれがむずかしいこともある。そうした場合、ベンゾを規定用量内まで減らしたうえで、医師の管理下で継続服用をさせるという選択肢をとらざるを得ない。
その治療目標の奇妙さは素人でもわかるだろう。たとえば、アルコール依存症患者に「焼酎はやめてビールだけにしなさい」と、そして、覚せい剤依存症患者に「覚せい剤は注射で使わないで、アブリ(加熱吸煙)で使うようにしなさい」と指示する治療は想像できるだろうか。
けれども、ベンゾではときとしてそれをやらないといけないのだ。
第二に、入院が必要ということだ。意外に思うかもしれないが、典型的な覚せい剤依存症の治療は、外来通院だけでこと足りる。
覚せい剤には離脱症状がほとんどないからだ(その分、なかなか「懲りない」という問題はあるが)。ところが、ベンゾは連用で耐性が生じやすく、乱用期間が長いケースでは、急な中断により重篤な離脱症状を呈しやすい。
12カ所の通院先を抱える「薬中心の生活」
実際、典型的なベンゾ依存症患者は、ベンゾの錠剤を、それこそ「FRISK」感覚で日に数十錠も口のなかに放り込む生活を送っている。もしもこの状態にある人が自己流で断薬すれば、かなりの確率でてんかん発作のように危険な離脱が出現するはずだ。
だから、減薬は入院してもらい、医学的管理下で行わなければならない。具体的には、これまで服用していたベンゾと同じ量を、もっと血中半減期の長い、「切れ味の鈍い」ベンゾで置き換え、しかもすべて散剤化して、小刻みかつ慎重に減量していくことになる。
そして最後に、ほかの医療機関との調整をしなければならないことだ。典型的なベンゾ依存症患者は、平均して12カ所の通院先を持っている。週3回異なる医療機関に受診し、その都度1カ月分の処方を受け、翌週はまた異なる医療機関3カ所だ。それをひと月に4セットくりかえす。それはそれで多忙な、文字通り「薬中心の生活」といえよう。
時間も手間もかかるベンゾ依存患者の治療
入院期間中に、そのような「売人」的医療機関と縁切りをしておくことはきわめて重要だ。入院中にせっかく減薬しても、退院後に再びそうした医療機関で処方を受けてしまえば、それこそ元も子もない。
そのような事情から、患者に入手元の医療機関名を教えてもらい、患者の許可を得て、「当該患者はベンゾ依存症で現在治療中です。今後は受診しても絶対にベンゾを処方しないでください」と、医療機関にお願いの手紙を出すのだ。
外来で処方できる規定範囲の量まで減薬ができたら、そこでようやく治療の場を入院から通院へと移すことができる。処方は依然として散剤のままだが、通常、乳糖粉末で薬袋を膨らませ、過量摂取しにくい工夫を施し、さらにゆっくり減薬していくことになる。
このような具合に、ベンゾ依存症の治療は細々と手がかかる。ちなみに、ベンゾ依存症治療を数多く手がける知人の依存症専門医は、こうした減薬治療のことを「ベンゾ掃除」と呼んでいた。その際、彼が見せたうんざりしたような表情はいまでも記憶のなかで鮮明だ。
ベンゾ依存症患者は、2000年以降、薬物依存症臨床の場で目立ちはじめたが、この世紀の変わり目の年は、精神医学にとってさまざまな意味で分岐点であったと思う。
「うつは心の風邪」が変えたもの
一つは、新しい抗うつ薬の登場だ。1999年に最初の選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)であるフルボキサミンが、そして続く2000年にはパロキセチンが国内上市された。従来の三環系抗うつ薬に比べて副作用が少なかったことから、精神科医はそれまでよりも気軽に抗うつ薬を処方できるようになった。
それから、すでに多くの識者が指摘している通り、製薬会社による、「うつは心の風邪」というキャッチコピーを用いた新薬プロモーションは、人々の精神科受診に対する抵抗感を緩和し、確実に精神科医療ユーザーの裾野を広げたことは想像に難くない。
新しい抗うつ薬とベンゾ問題とを関係づけるのは奇妙に感じられるかもしれないが、抗うつ薬とともにベンゾを処方するという精神科医療の古い慣習が無視できない影響を与えていたと思う。
ともあれ、こうした変化は、依存症外来におけるベンゾ依存症患者を増加させただけでなく、救命救急医療現場における過量服薬患者を増加させて、精神科医は救命救急医から顰蹙ひんしゅくを買うこととなった。
というのも、過量服薬患者のほぼ全例が精神科通院中だったからだ。実際、私は、ある救命救急医からこう吐き捨てるようにいわれたことがある。「私は精神科患者が嫌いだが、精神科医はもっと嫌いだ」
時代の変化に後れをとった精神医学の現場
精神科医は明らかに時代の変化に後れをとっていた。精神医学の中心的疾患は依然として統合失調症であり、それゆえに治療論はともすれば、「まずは薬物療法」だった。
そのような臨床現場では、精神科医の腕の見せどころは、病識を失い、被害妄想の影響で極端に猜疑さいぎ的になっている統合失調症患者に、決して強制ではなく、説得によって服薬に応じてもらう場面だった。
だから、駆け出しの精神科医は、郊外の精神科病院で統合失調症治療の修行をし、「薬を飲ませる技術」を磨くことに専心したわけだが、その熱意に比べると、薬物のやめ方には驚くほど無関心だった。
松本俊彦『誰がために医師はいる クスリとヒトの現代論』(みすず書房)
それはおそらく、統合失調症は慢性疾患であり、治療薬の服用は生涯継続されるべきという考え方を、多くの精神科医が無邪気に信じていたせいだろう。
そして世紀の変わり目が近づくころ、修行を終えた精神科医たちが、郊外の精神科病院を抜け出して、大挙して都市部駅チカにパラシュートで降り立ち、「メンタルクリニック」という店を開きはじめたのだ。
しかし不幸にも、すでに彼らの技術は患者の病態にマッチしなくなっていた。外来に押し寄せた患者は、統合失調症患者ではなく、これまで精神科医療にアクセスしてこなかった層だったからだ。
その多くは、仕事の問題、家族関係の問題、込み入った恋愛の悩みなど、薬だけでは解決できない問題を抱えていた。そこで医師が、自慢の「薬を飲ませる技術」だけを発揮したならば、どのような結果になるのか――それは推して知るべしというほかない。
松本 俊彦精神科医


 眞子さま“5カ月ぶり外出”の異変…報道陣に丁寧すぎる一礼

2021-07-16 11:00:00 | 日記

下記は女性自身オンラインからの借用(コピー)です

東京都八王子市にある武蔵陵墓地。秋篠宮家の長女・眞子さまはグレーの参拝服に身を包み、曽祖母である香淳皇后が眠る陵の前で深々と頭を下げ拝礼された。

6月16日、皇室を代表して武蔵陵墓地に参拝された眞子さま。外出されて皇居や秋篠宮邸以外で公的な行事に臨まれるのは、約5カ月ぶりだった。

「本来ならば香淳皇后の次男である常陸宮さまが参拝されるはずですが、車いすで生活されており、体調面で難しい状況です。そこで、ひ孫である眞子さまに白羽の矢が立ったといえます。皇族数が減少し、高齢化する中、皇室における眞子さまの存在感はいまだ非常に大きいのです」(皇室担当記者)

落ち着いた様子で拝礼を終えられた眞子さま。だが、ここからとあるハプニングが起きる。

関係者に一礼し、お車に乗り込もうとされる眞子さま。しかし、何かに気づいたようにわざわざお車の脇に出てこられ、記者やカメラマンらに深く一礼されたのだ。

「以前ならそのまま乗り込まれていたはずです。にもかかわらず、眞子さまはかなり深く腰を折って、報道陣にご挨拶をされたのです。眞子さまと小室さんの結婚については、好意的な報道はほとんど見られない中、“最敬礼”といっていいほど深々としたご挨拶にはどういった意味があるのでしょうか……」(前出・皇室担当記者)
■国民は猛反発でもご結婚はもう確定

4月に小室圭さんは金銭トラブルについての説明文書を発表した。しかし4万字を超える文量と自己弁護に終始したような内容に批判が噴出。国民からも二人の結婚を祝福する声は少なく、結婚が遠のいているようにも見えるが――。

実は専門家は、結婚は“確定”と断言しているのだ。元宮内庁職員で皇室ジャーナリストの山下晋司さんはこう語る。

「眞子内親王殿下は昨年11月に《結婚は、私たちにとって自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択です》とのお気持ちを表明されました。その意思表示に対し、秋篠宮殿下が結婚を認めると明言されましたので、結婚されること自体は確定したといえます。一般の結納にあたる『納采の儀』など、結婚に関する儀式は秋篠宮家の私的なことではありますが、それらの日程が決まれば、宮内庁は公式に発表することになります」

お二人の結婚は確定的で、しかも結婚の儀式も行われる可能性が高いというのだ。

「『納采の儀』などを行わずに結婚されると、その事実は記録に残り、皇室の汚点として、未来永劫消すことができません。そうならないために、通常のプロセスを踏んで結婚していただきたいと思うのが、宮内庁としては当然だと思います」(山下さん)

これほどまでに国民の反発が強まっていても、宮内庁は眞子さまと小室さんの結婚を粛々と進める方向だという。

眞子さまの堂々たる振舞い、そして報道陣に見せた晴れやかなご表情の裏には、勝利への確信があるということなのか――。

一方で、皇族数の減少により皇室の存続が危ぶまれる中、女性皇族に結婚後も皇室に残っていただきたいとの声もある。

イギリス王室の研究でも知られ、皇位継承問題に関する有識者会議のヒアリングにも呼ばれた、関東学院大学教授の君塚直隆さんは、皇族の数を増やすべきだと語る。

「21世紀の皇室は、これまでの体制を守っていくだけでは維持できません。すでにヨーロッパでは、王室が国民や世界に対して何ができるのかということが重要視されています。王族は国民との距離を縮めようと努力していて、自分たちの活動はSNSなどで積極的に発信しています。ヨーロッパの王室では、王族たちは数十から数百の団体の名誉職を務め、非常に多くの公務に携わっています。日本の皇室も、皇族の数を増やして公務を通じて国民との関係を強めていくことが不可欠だと考えています。

ただ、すべての女性皇族が宮家を作るべきだとは考えていません。国民の支持を得られない場合もあるからです」
■金銭トラブル交渉もいまだ進展なし

眞子さまはまさに、国民の支持が得られない状況を自ら作り出されているようにも見える。

結婚に向けた最大の障壁となっている小室家の金銭トラブル交渉について、眞子さまの“関与”が明らかになって波紋を呼んだ。小室さんはトラブル発覚から3年以上にわたり、元婚約者には解決金を渡さず話し合いを求め続けるという方針を貫いてきた。そこには「眞子さまの意向」が大きかったと、小室さんの文書発表後に皇嗣職大夫が説明したのだ。

さらに、宮内庁関係者は困った様子でこう話す。

「眞子さまはこれまで、週に3回博物館に出勤されていましたが、現在はほとんどテレワークに切り替わっています。ご公務でのお出ましもなく、月に1~2回、ご家族と一緒に新型コロナウイルスの専門家からリモートで説明を受けるくらいしか公的なご活動をされていません。眞子さまがいま何をされているのか、ごく一部の近い職員を除けば、宮内庁職員や宮内庁担当記者でもまったく知りようがない状況です」

あの一礼はやはり、国民との訣別だったのか――。もはや眞子さまの目には小室さんとの結婚生活しか映っていないのかもしれない。 


ただの物忘れ?「軽度認知障害」かも 4割が認知症に

2021-07-16 08:30:00 | 日記

下記は日経ヘルスアップオンラインからの借用(コピー)です  記事はテキストに変換していますから画像は出ません

日常生活に支障が出るほどではないが、同世代の平均に比べて物忘れが多い。そんな状態を「軽度認知障害(MCI)」と呼ぶ。認知症になる確率が4割を超すという報告もあるので侮れない。早期発見が大切だ。
タレントの名前や読んだ本の題名が思い出せない。こうした固有名詞の記憶が怪しくなるのは加齢とともに誰にでも起こりうることだ。ただ「昨夜の食事に何を食べたか」「先週誰に会ってどんな話をしたか」など自らの行動に関する内容、いわゆる「エピソード記憶」を忘れてしまうことが増えたら要注意。認知症の前段階かもしれない。
こうした加齢による物忘れと認知症の境界にある状態がMCI。認知症専門の和光病院(埼玉県和光市)の今井幸充院長は「日常生活に大きな支障はなく、認知機能の検査もほぼ正常範囲。しかし記憶力などが明らかに年齢の平均より劣っている状態と考えてほしい」と説明する。
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MCIでも食事やトイレ、入浴といった動作にほぼ問題はない。ただお金の計算や料理の段取りがうまくできなくなったり、自分の予定や相手との約束をよく忘れてしまったりする。同じ会話や質問を繰り返すこともある。
予兆があれば、病院で診察と検査を受けることになる。かかりつけ医に相談し、必要に応じて脳神経内科や脳神経外科、認知症専門医の「物忘れ外来」を紹介してもらう。記憶力や認知機能を調べるテスト、コンピューター断層撮影装置(CT)や磁気共鳴画像装置(MRI)での診断、血液検査などで判断する。
今井院長は「MCIの4割以上がアルツハイマー型認知症に移行する。何より早期発見が重要だ」と指摘する。アルツハイマー型認知症は現状では完治できない。ただMCIの段階で発見して対策をとれば、進行を遅らせることも可能になってきたという。
物忘れは年齢のせいだと軽く考え、病院での診断を敬遠する高齢者もいる。そこで「本人はもちろん、家族や周囲の人がMCIのサインに敏感になることが大切だ」と今井院長は強調する。
様々な身体的・精神的疾患がMCIや認知症につながることもある。笛吹中央病院(山梨県笛吹市)の新田清明医師(脳神経内科)は「代表的な疾患としては神経感染症、水頭症、慢性硬膜下血腫、代謝異常などが挙げられる。原因となる疾患を早期に診断できれば、治癒・回復できる場合がある」と話す。
進行を遅らせるためには生活習慣の改善も欠かせない。新田医師は「脳に刺激を与える意味でも仕事や趣味、地域活動など社会参加を続けてほしい」と助言する。外出したり、会話したりするのが大切だ。運動もウオーキングや水泳といった有酸素運動をすると、脳の血流が増える。
日々の食事でも炭水化物の過剰摂取を避け、野菜や青魚を中心にビタミン類やタンパク質をしっかり摂るよう呼びかける。よくかんで食事することが脳を活性化し、MCI予防にもつながるという。食後の歯磨きで口腔(こうくう)環境をきれいに保っておくほか、定期的な歯科受診も勧める。
脳に刺激を与えるトレーニングとしては楽器の演奏や簡単なゲーム、計算をする場合がある。医師による指導と並行し、日常生活・社会活動を続けるために抗認知症薬を少量処方することもある。
どんなに気を付けていたとしても必ず防げるとはいえないのが認知症。しかしMCIの段階で医療機関を受診して早いうちから対策にとりかかれば、進行を遅らせて元気に暮らせる期間が延びるかもしれない。ちょっとした物忘れも軽視せず、医師や周囲の人の力も借りながら将来への備えを始めるようにしたい。
(ライター 大谷 新)