人と人とが仲良く暮らしてゆく
幸せになる為の筋道..
「あなた自身の幸せが
皆の幸せになるんだよ。」
離婚直後、
人生のどん底、泥沼の真っ只中..
母のその言葉の意味が、
私には解らなかった。
けれど、
私自身がしっかりと自立☺しなければ、
幸せにはなれない。
それだけはわかっていた。
誰にでも過去はある。
その過去を悔やんでみても
何も始まらない。
それよりも、
これからどうしたいか?
どうなっていきたいか?
主体性☺を持って
〈ひとりよがりの自己満足ではなく〉
そう自分自身に課して..✨
自分も人も、
幸せになれる道を歩んでいくこと🌈
そんな気持ちでお弁当🍱を作っています‼
都内は4年ぶりの大雪。
テラス越しの景色がとても印象的。
4年前の大雪の日のことを思い出していた
あの時は今、生きてこうしている自分を
想像も出来ず、
ただ生きて行くのに必死だった。
女の嫉妬は怖いし、
時に他人の人生を狂わせる。
嫉妬には責任が伴わないからです。
そんなある日、
女性の活躍支援に対する意見と、
「今まで散々悩まされて
苦しんできた思うことを、
貴方の目線で発信して下さい。」
と、とあるベンチャー企業の方から、
そんなお話を頂いた。
嫉妬心から奪って、
都合が悪くなれば捨てるだけの愛は..
傍迷惑です。
嫉妬は自他の感情を翻弄するだけで
あまりにも無責任過ぎると思う。
そう言う女性を何人も見てきた。
そんな女性達に対して伝えたいこと..。
もっと
自分の感情に責任を持って欲しい。
責任を持てないような感情なら、
表に向けるのは止めて欲しい。
ジェラシーは...
自分自身の内側に向けていくべきもの。
更なる自己成長に繋がるような、
エネルギーに変えてください。
そして、
嫉妬心から壊したものへの責任は、
命懸けで償う努力をして欲しい。
HOW?
大人なのだから自分で考える。
何時からでも遅すぎる事はないと思います。
私の苦しみと悲しみは、
真っ白な雪が消すのを、
手伝ってくれました。
またひとつテーブルナプキンの畳み方を覚えた。
色んな事を経験しながら、その経験から学べばいい。
それは魂の貴重な財産になるのだから。
人生は一生勉強。一生青春。
嘘で固めたメッキはいつか色褪せて剥がれ落ちてしまうけど、
苦労して身に付いたものは本物。
人生の宝珠は、
試練と苦難を経てはじめて光を放つ
病む時は病めばいい
災難に遇う時は遇うが良い
これも天意
病には病の値打ち
災難には災難の値打ち
病の時は病の修行
災難の時は災難の学習
死にまさる苦難こそ
自己を育てる鞭であり
自己を育てる砥石
神は常に悩みの底に居給う
絶えず祈りつつ
希望をもって起ちあがろう
人生のどん底に居るとき、
いつも力をくれる言葉。
.
.
何度倒れても立ち上がれ!
そんな勇気に心から、ありがとう🍀
乗り越えた先に
待っていてくれる未来を信じて。(^^)
とても気になっていることがあったとしても、敢えて触れない方が良い事があり、年齢を重ねる毎に増えてくるような気がする。
不快な気分になる話しなら尚更の事。
誰にでも触れられたくないことはあるし、それを察するのがデリカシーなのだと思う。話したくなれば、何も聞かなかったとしても、自然と相手から話してくれる。黙っていた方が良い事もある。笑い飛ばせるくらいになれればいい。
友人は新しい彼が出来た事を、真っ先に私の彼に伝えたかったようで、自分の彼に私の彼を会わせていたのだ。そんな風に彼のことを信頼してくれているのは嬉しかったけれど、チョピリ辛かった。
でも、その時の辛さがとても素敵な事を、身体に叩き込んでくれました。仕事の仕方にも人間関係の築き方にもとても良い大きな影響を及ぼしました。
そのことについては、機会があったらまた、触れる事もあるかもしれません。😊
見ザル🙈聞かザル🙉言わザル🙊
知っていても知らん振り。それも時に優しさになる。
言葉は口に出してしまうと、収拾をつけるのに骨が折れる。誰にでも触れられたくないこと、敢えて触れない方が良いことがあり、言って失敗して、痛い思いをして、言わない方が良い事がある事を学んだけれど..
言葉は多いより少ない方がいいみたい(^^)
見ザル🙈聞かザル🙉言わザル🙊の精神で、落ち着いた穏やかな心で過ごしたい。
思いやりとは相手の立場に立って、考え行動すること。仕事も人間関係も然り。
フアッションもTPOに応じた思いやりと言う自己表現、社会性の現れだと思う。
お世話になっている会社の研修を兼ねた新年会に参加することが決り、その後、他企業のセミナーに特別に参加の計らいを頂いた。移動時間もギリギリなので、着替えをしている余裕はない。
手持のワードロープの中からコーディネート。ネックレスをもっとシンプルなものに変えれば良いと思ったので、オフィスカジュアルをイメージ。
肌の露出が少ないほど、格調の高いものと言われているけれど、その場に応じた着こなしと言うものは大切にしていきたい。同じ洋服でも、TPOに応じてコーディネートの仕方を変える。
小物の合わせ方でも随分とイメージは変えられる。居合わせるメンバーによって自分の立ち位置が変わるので、新調する時はそんなことも頭に入れておくと、買ったけど着ないと言う無駄遣いはしなくなる。それは失敗を重ねながら身に付いていくものだと思う。
フアッションは時と場合によっては人を傷つける凶器にもなってしまう。
20年以上も前のこと、入院中に当時お付き合いをしていた彼と女友達のひとりが連れ立ってお見舞いに来てくれた。が..然し、彼女は真っ赤なマニキュアにミニスカート、スケスケのブラウス..おまけにお見舞いの帰りに二人で飲みに行ったそうだ。彼女は私の彼のことを好きだと言っていたので、多少のジェラシーを感じていたのだと思う。
私はそんな二人の後ろ姿を見ていて不安になった。眠れぬ夜を過ごしたのは言う迄もない。彼も彼女もその時のことを正直に話してくれた。彼女とは今も良き友人として交流は続いている。
時と場所、居合わせるメンバー、シチュエーションも想定した人への思いやりの気持ちでフアッションも楽しみたいと思う。
そして所作やマナーは縁を決定的なものにしてしまうもの..と心得ておきたい。
音楽は、私にとってもうひとつのフアッション..(^^)