![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/ed/7b4829c1873e58d96c22c970a0ccd6f5.jpg)
7年前、狐野扶美子さんの料理に魅了され、フランス料理が学びたくて、フードコーディネーターになりたくて、、、
憧れのあの方に、いつか私の料理を食べて欲しくて、(笑) 料理家への志を持って上京しました。
調理師免許は持っていたものの、素人同然の私の夢をすべて引き受けてくれた企業との出逢い。
東京タワーが窓から見えるマンションに住まわせて貰い、和食、中華、洋食と全てのポジションを一年で廻らせて下さいました。
念願のパティシエの仕事、レシピ作成。
「いがちゃん、何処で仕事がしたい?。」とシェフ。
「銀座かな。」と私。
その一ヶ月後、、、
「いがちゃん、銀座の新店行ってくれる?
その前に創作中華の立ち上げ手伝って。」
ぐるなびシェフのサポート、楽しかった
高級ふぐ料亭のオープニングは、毎日がドラマチックで本当に楽しかった。私はキッキンの仕事をしながら、コーディネーターとしての勉強をさせて貰い、新しい料理も僅かながら作らせて頂いた。
部長に提出した、キャリアシートには、5年後、コーディネーターとして週末起業をしたいとの希望と、計画書を出させて頂いた。部長はいく先々で細やかに意見を聞いて下さった。
お店を移動するたび、他店の支配人、料理長、スタッフが打ち上げに集まってくれる、「皆、いがちゃんを認めているから、これだけの人が集まってくれるんだよ。何がしたいか、皆の前で言いなよ。」
が、私は言えなかった。
何かが違う。私はこんなことがしたかったのだろうか?と自問自答。
言わなかった。のだ。
あのときは皆ありがとうございました。
まだ、連絡できません。(笑)
創作料理は、日々の賄い作りから学んだ。今も続いている。
結局、あまりのハードな修業生活に体調を崩して一時帰郷。挫折感に苛まれながら、セラピストに転身し、ずっと住みたかった憧れの地、横浜に引っ越すことを決意した。
料理は諦めよう。と、その時は思ったのですが、、、(笑)
なのに、見果てぬ厄介なゆめ。?
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます