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お仏壇にいつも添えている写真。
生前、祖母とふたりで、最後に
出掛けた時の写真。
祖母は、
第二次世界対戦前に19歳で上京して、
昼間は電話交換手の仕事をする傍ら、
宝塚への入団を夢見ていました。
然し、身長が僅か2�足らず、
夢に破れ、無くなる直前まで、
宝塚への夢物語を断ち切る事が
出来ず、私はいつも祖母のそんな姿を
垣間見て育ちました。
海軍中慰だった、祖父とは戦争前に
結婚して、
アメリカ軍に撃沈され、太平洋に放り出された祖父は、48時間海を泳いで渡り、
日本へと無事、帰還して、1女を授かったものの、
祖祖母の手によって、愛し合うふたりは、引き裂かれ、母は私生児としてこの世に生を受けました。
そんな悲運な人生の中、
祖母は愛する人への想いを片時も離さず、人の為に一生懸命に生きた昭和の女性でもありました。
実は...【12月25日は祖母の誕生日。
イエス!キリストの誕生日に、
生を受け、厳しかった実母の愛情で、
昭和元年、元旦に、
出生届を出してもらっていた、
祖母にとって、
その事実が大きく彼女の心を、終生、
支えてくれていました。】
この日も、祖祖母の写真を持って、ふたりで出掛け、祖母はかたとき母親への感謝を大切に貫いた人でもありました。
死ぬ間際まで、入院中も薄化粧を欠かす事のなかった祖母の心には、きっと、見果てぬ夢と、添い遂げることが許されなかった夫への想いで終時溢れていたのでした。
そんな亡き祖母の無念が、
私の人生を今も誘っているようです。
そんなロマンスは、これからどんな色彩を魅せてくるのか、、
痛みを感じながらも、
祖母への供養を私の志として、
また、今日も行く~☆*私であります。
ロマンスの続きは、またね♪
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