星と星のあいだにあるのは
まっすぐなくらやみではな
くて
ただ見えないだけでたくさ
んの星
まっくらやみのように見える
夜空は
無数の星で満ちている
からかわれているようなたよ
りない私たちの
人生は
風に吹かれる木の葉のようで
それは あの夜空からとても
遠い
けれどそれは確かにあの夜空
の中にあって
どこかからきっと
あの夜空などと呼ばれている
この人とよくぞ出会えた、
と
思うことが、まれにある。
そう思うからには、その人物
は自分にとって少なからず重
要なに人間(例えば、恋人とか、
恩人とか、特別な友人)なのだ
が、
それにもかかわらず、出会いと
は言えば、何とも頼りない数々
の偶然の上に起こっていること
に、いまさらながら気づく。
あの時、別の道を通っていたら。
家を出るのが五分おそかったら。
バスが一分早く来ていたら。
思えば人間の出会いとは、ぜんぶ
がぜんぶ、そんなことの積み重ね
でできている。そう考えると、な
にか心細くもあり、どこか空おそ
ろしくもあり、よく、考えると、
胸をしめつけられるように切なく
なったりもするのだ。
でも、人と人はそうやって出会う。
六十数億もの人間の中から、数え
きれないほどの奇蹟のような偶然
を乗り越えて、その人に出会って
しまうのだ。出会ってしまうだけ
ではない。その人は自分の人生の
中できわめて大切な役割を果たし
てくれるのである。
でも僕は、そうやって出会った
ふたりを「出会う運命にあった」
などと美化するつもりはない
出会うことはまったく偶然である。
問題は出会ったあとの関係のつく
りかただ。
新しい人と出会い、その都度、
その人との人間関係を、きちん
とていねいに育てる人を見て
いると、心から尊敬してしまう。
ある日、おじいさんが山に
柴刈りに、おばあさんが川
に洗濯に行きました。
と、川上から大きな桃がドン
ブラコ、ドンブラコ。
家に持ち帰っておじいさんと
二人で大きな刀でタテに切ろ
うとすると、なかなか切れな
い。
「どうしたんだろう」
力をふりしぼっても、刀はくい
込んだままびくともしない。
よく見てみると、なんと桃太郎
中で両手をあわせ、真剣白刃取
りをしていたのだった・・・・。
こんなオチのつく話が好きなん
ですが、もう一つ。
一人の罪人が、刑務所で
「お前に三つの部屋を用意して
ある。一つを選んでそこで罪の
償いをしろ」といわれ、部屋を
みた。
一番目は火あぶりの刑の部屋。
熱くてとてもたまらない。
二番目は水ぜめ。これでは息
もできないというので、ここ
もパス。
三番目の部屋を見ると、もの
すごいにおい。なんと、コエ
ダメになっていたが、ここに
は人が多数いた。
首から上がコエダメから出て
いるだけだが、みんなのんき
そうにタバコまで喫っている。
タバコ好きなその罪人は、慣れ
ればにおいなんてがまんできる
と思い、迷わず三番目の部屋を
選んだ。
さて、自分も首までコエダメに
つかってタバコに火をつけよう
とすると、見張り番が来て、
「さあ、休憩は終わり。
みんな沈んで、沈んで」―--。
最後はきれいに謎かけを、、、
“
祝言の杯とかけて
狐の年始ととく
心は、こんれいだ “
お後がよろしいようで。