政党、政治課題での議論は政治家を個人的に攻撃することは区別すべきです。個々人の出身、家族のことを批判、攻撃することは政治議論として公平だとは言えません。政治家として法律に抵触するような行為、社会的常識に反しているような行為は、公的に問われるべきです。しかし、生まれや、身分、家族までさかのぼっての攻撃、評論は避けるべきです。
大阪維新の会は、その政治姿勢、公約が排外主義的、独善的、公務員攻撃、憲法改悪などは道理にそって、堂々とした政治論争を行うことで、選挙民は彼らの本質を理解し、見抜くことが出来ると思います。
また、大阪府行政、大阪市行政で行われている君が代斉唱、起立問題強要、思想調査などは憲法に抵触するような違法な行為です。このように事実に基づき、彼らの政治姿勢、対応を憲法、法律、社会的常識に基づき批判することは重要なことです。今後も大いに論争し、彼ら本質を明らかにすることは必要です。
<橋下氏につきまとう「政治と行政の分離」問題 維新の研究>
「市長自身が職員の政治活動を規制する条例をつくっておきながら、これは政治活動に当たらないのか」。大阪市のある職員は最近、こんな疑問が湧いてきたという。この職員は大阪府と大阪市が有識者らを集めて設置した「エネルギー戦略会議」の事務局にかかわる。「2030年の原発ゼロ」など国にエネルギー政策の転換を迫ろうとする同会議の議論が、橋下徹市長率いる日本維新の会の政策に活用されているように思えるからだ。
<維新の会、橋下市長への個人攻撃批判 北海道大学 山口二郎見解>
週刊朝日に掲載された佐野真一氏の橋下大阪市長に関するルポが話題を呼んでいる。私も読んでみた。橋下市長や大阪維新の会に対してインチキだという批判は私もかねがね繰り返してきた。それはあくまで彼らが唱える政策らしきものに対しての批判である。
政治家の批判という点で、佐野氏のルポは全く的外れである。橋下市長の家族や親族にどんな人物がいようが、またそれらの人が何をしようが、政治家としての橋下氏の評価には何の関係もない。橋下家のルーツを調べ上げることで、橋下政治の本質が説明できるのか。まして被差別との関係をあげつらうなど、言語道断である。
大阪維新の会の主張のいい加減さが見えてきて、ようやくこの政党に対する冷静な議論が始まろうとしたところに、この差別的ルポの出現である。今まで真面目に橋下政治と対決してきた者ほど、これに対しては怒っている。週刊朝日は、傾きかけた大阪維新の会を再び勢いづけるために、この記事を載せたのかと憶測したくなるくらいである。
およそ品格のない橋下市長を批判する場合でも、批判する側は一定の品格を保たなければ、批判が説得力を持たない。まともな政治論を吹き飛ばした点で、佐野氏と週刊朝日の罪はきわめて大きい。読売新聞の誤報事件以上に深刻なジャーナリズムの危機である。
追記
この件はネット上でいろいろな議論を呼んでいる。気分としては佐野氏の悪罵に共感したい人も大勢いるだろう。私もそうである。しかし、単に罵声を浴びせればよいというものではない。「週刊朝日」が連載を打ち切ったことで、この件についての勝負はついた。
ジャーナリズムの危機は極めて深刻である。
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大阪維新の会は、その政治姿勢、公約が排外主義的、独善的、公務員攻撃、憲法改悪などは道理にそって、堂々とした政治論争を行うことで、選挙民は彼らの本質を理解し、見抜くことが出来ると思います。
また、大阪府行政、大阪市行政で行われている君が代斉唱、起立問題強要、思想調査などは憲法に抵触するような違法な行為です。このように事実に基づき、彼らの政治姿勢、対応を憲法、法律、社会的常識に基づき批判することは重要なことです。今後も大いに論争し、彼ら本質を明らかにすることは必要です。
<橋下氏につきまとう「政治と行政の分離」問題 維新の研究>
「市長自身が職員の政治活動を規制する条例をつくっておきながら、これは政治活動に当たらないのか」。大阪市のある職員は最近、こんな疑問が湧いてきたという。この職員は大阪府と大阪市が有識者らを集めて設置した「エネルギー戦略会議」の事務局にかかわる。「2030年の原発ゼロ」など国にエネルギー政策の転換を迫ろうとする同会議の議論が、橋下徹市長率いる日本維新の会の政策に活用されているように思えるからだ。
<維新の会、橋下市長への個人攻撃批判 北海道大学 山口二郎見解>
週刊朝日に掲載された佐野真一氏の橋下大阪市長に関するルポが話題を呼んでいる。私も読んでみた。橋下市長や大阪維新の会に対してインチキだという批判は私もかねがね繰り返してきた。それはあくまで彼らが唱える政策らしきものに対しての批判である。
政治家の批判という点で、佐野氏のルポは全く的外れである。橋下市長の家族や親族にどんな人物がいようが、またそれらの人が何をしようが、政治家としての橋下氏の評価には何の関係もない。橋下家のルーツを調べ上げることで、橋下政治の本質が説明できるのか。まして被差別との関係をあげつらうなど、言語道断である。
大阪維新の会の主張のいい加減さが見えてきて、ようやくこの政党に対する冷静な議論が始まろうとしたところに、この差別的ルポの出現である。今まで真面目に橋下政治と対決してきた者ほど、これに対しては怒っている。週刊朝日は、傾きかけた大阪維新の会を再び勢いづけるために、この記事を載せたのかと憶測したくなるくらいである。
およそ品格のない橋下市長を批判する場合でも、批判する側は一定の品格を保たなければ、批判が説得力を持たない。まともな政治論を吹き飛ばした点で、佐野氏と週刊朝日の罪はきわめて大きい。読売新聞の誤報事件以上に深刻なジャーナリズムの危機である。
追記
この件はネット上でいろいろな議論を呼んでいる。気分としては佐野氏の悪罵に共感したい人も大勢いるだろう。私もそうである。しかし、単に罵声を浴びせればよいというものではない。「週刊朝日」が連載を打ち切ったことで、この件についての勝負はついた。
ジャーナリズムの危機は極めて深刻である。
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