私の中国投資・出張・旅行日記

約30前に香港より当時広州への航空便が難しく、汽車にて中国本土広東省広州に入国し、光景にビックりしたのが始まりです。

田舎のホテル事情-177

2010-10-10 16:45:32 | Weblog

田舎のホテル事情    当ブログNO.172に記載しました地方でのホテル事情。中国では過って外国人の宿泊は3つ星以上にのみ許していたようです。又、其れ以下のクラスで日本人は宿泊する事は苦痛でした。しかし、最近の中国は地方においても道路網の整備発展により都会との交流も進み、出かける事が多くなったようです。この様な地域より都会に出稼ぎに出る人も多く、帰省時に一時的に宿泊する町民も多くあるんだそうです。何故と問えばこの辺りの家は整備が色々遅れ、都会よりの帰省人も泊まりたくない事もあるんだそうです。日本とは違い地方とは大変格差があります。その一方で男女の交際も進み離婚も多く、共働きの国のため 三歩下がって影踏まず というような風潮はありません。それ故、中年男女の交際も多く住宅事情も踏まえ日本流ラブホテルの需要があるんだそうです。少し日本と違う点は部屋には厳重に管理されたパソコンが設置されていることです。若者はパソコンを使用する為にも泊まるそうです。この様なホテルは3つ星以下に位置する為、外国人はパスポートの提示もなく同伴の外国人の証明で現在は宿泊可能だそうです。因みにこの辺りには外国人が宿泊するようなホテルは無く、私の保証人は当ブログNo.165の写真に少し写っている人物です。当人はこの旅行後アフリカナイジェリアに赴任しました。写真に写る地域は宿泊したホテルより写した新興の地域で、この様なホテルが密集していました。他の一枚は部屋のバスルーム兼トイレ洗面所(手前)を戸口より写した写真で、一般的に床は3畳程度の部屋です。この様なホテルは地方のみではありません。    

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南北田舎料理-176

2010-10-07 10:35:28 | 中国料理
南北料理       当ブログNo.165等に記載しました籐県での料理は広東・北京・上海・瀋陽料理等に比べれば見るからに田舎料理です。しかし北の都会瀋陽では寒い地方の為か色あいが濃く一品の量が大変多いですし、又、味付けも濃いめです。中国人は食事をする前に今日は何を食べますかと問います(都会では)。日本的には和食ですか洋食ですか、其れとも中華料理等と問うようなものです。中国ではそのような意味ではなく何処の地方の料理を食べますかという意味のようです。その結果店を選択します。しかし、田舎ではそのような選択肢はないようです。写真の一枚は籐県での料理、魚・野菜・揚げ物等で、食欲を掻き立てるような色合いではありませんでした。この地方では夕食は17:00頃から始まるようで18:00頃で店内は満員でした。他の一枚は梧州の名物料理で鶏の一部を和紙で包み油で揚げた料理でしたが、油の濃い料理で私は食べませんでした。中国料理は日本とは違い鳥などは殆んど骨付きでしゃぶるように食べます。骨等を吐きだす事はわれわれには少し苦手です。他の一枚料理は瀋陽での前菜料理で真ん中にタレ周りにワカメ・きゅうり・玉ねぎ・麺がありタレに付けて食べます。この料理等は他の料理に比べれば少し都会的です。                      

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瀋陽地下街-175

2010-09-23 12:52:40 | 中国旅・旅行・出張

瀋陽中心地下街     写真は瀋陽地下街の店・入口の一部を写したものです。瀋陽は旧満州奉天で親日的な中国人も多く、多くの日本人が訪れる地域でもあり、北朝鮮人が逃げ込んだ日本領事館もあります。No.174にも記載しましたが近代化発展著しい都市です。街は大変美しくなり、もともと道幅も広く、中心街も昔に比べ著しく変化しました。この辺り冬でも雪はあまり降らないのですが、寒く最初に訪問した時は乾燥している為か入浴時足をお湯に入れたとき痛く驚きました。地下街も大変広く平日にも関わらず人で溢れています。地下街の一角に写真のような立ち食い寿司屋さんがあり、写真を写す折厨房の女性が顔を隠し、後ろを向いた時に写しました。その隣で通路のコーナーにある店が写真の美容・散髪屋さんです。一般的には通路と店の仕切りはありません。地下街にはあらゆる品種の店舗があります。この日は買い物でこの地域にある日本から進出の量販店にゆき、其の近くの地下街に下り写しました。季節は今夏でしたが、冬地上は寒いため地下は一段と混雑します。他の写真は路上の地下へのガラスのドームのような入口を写した写真です。         

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瀋陽市内の発展-174

2010-09-11 12:48:06 | 中国旅・旅行・出張

瀋陽市内の発展      和平区は中心部に近く、日本総領事館もあり瀋陽駅の南東に位置する地域で最近よく整備された地域です。少し南にはホテルシェラトン、マリオットホテル等が在ります。当ブログNo.84、85に記載しましたレストラン等は昔様式の店舗で最近の店舗(前回記載)は清潔で立派な店が多く出来ています。前回No.173記載しましたホテル前より北方向へ写し、その先に写真地下道があり、その地下道を通り抜けると日本の西部百貨店系の店があります。その周りのマンションには多くの駐在員等の日本人が住んでいます。ホテル前の道は青年大街路です。標識の三好街は南湖公園に近く高層住宅街で、五愛街は南塔公園の近くです。本渓は旧満州国の時代に日本人が発見した大鍾乳洞で、近くでは多くの日本人が石炭からおにぎりの様な(豆炭)をつくつていたと思われる跡が多く在るところです。現在では隧道が掘られ近くなっていますが、過去私も訪問しましたが、その時は汽車と自動車でした。昔は山越えで行った処で大変な所であったようです。瀋陽は訪問する度に大きく変化発展し、日本はどうしたのでしょうね。 

     

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瀋陽レストラン-173

2010-09-06 21:23:11 | 中国旅・旅行・出張

瀋陽レストラン      前回迄広西チワン族自冶区の田舎、籐県の事を何度も記載しました。写真による簡単な説明では、情景・地方の生活・娯楽等は日本的感覚では十分に表現が困難な面があると思われます。広西チワン族自冶区から広州に帰り翌日遼寧省瀋陽に行きました。瀋陽から当社中国からの第1号の研修生とし来日した元研修生が瀋陽を訪問する事を望んでいましたので、久しぶりに訪れました。この研修生は十数年前に帰国し色々商売をしていましたが、最近の中国の発展に沿い飲食店を開店していました。日本に滞在した経験を生かし西洋風なレストランを数人の従業員を使用しておりました。この元研修生は日本語の読み書きも可能で頭脳明晰な女性でした。店舗は最近瀋陽に出来た白金五星、和平区青年大街に建つ“瀋陽皇朝万鑫酒店”並んで建つ香港系“マリウッドホテル”の近くです。最近の中国の発展と合わせ店舗を持ち自動車も購入し、100平米以上のマンションも購入し成功しておりました。又、前回訪問した時彼女の友人が初めて開店した焼き肉屋に行きましたが、その店が大きくなり現在20数店舗を経営しておりました。その一つのしゃぶしゃぶ店舗に飲食に行きましたが、100数十人程度入店可能な大きな店舗でした。中国の発展を見る思いでした。

 “梧桐秋雨” 店舗所在地:和平区文安路10-2号     

電話番号:010(N.T.T)-86-13940516516(携帯)       

店   主:劉 萍(リュウ ピン)

ブログを見たと話せば、料理料金は安く、電話等をすれば都合がつけば案内等をしてくれます。

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地方娯楽事情-172

2010-08-29 12:22:14 | 中国旅・旅行・出張

地方娯楽事情      当ブログNo.165~171に記載しました広西省地方夜の娯楽事情に就いて、一般的に地方の観光地以外は似たようなものです。最近はこのような地方に於いても開発の波が押し寄せています。それに合わせ娯楽施設も進んでいます。一般的にはカラオケですが中国では早くからこの様な施設はありましたが、かっては外国人向けの店が多く中国人向けの店は全く少なかった。しかし、最近ではこの様な地方に於いても多く在りますが、日本とは違い当地のカラオケは女性がサービスをして、いかがわしいサービスもあり当局より“売毒婦”等のダメ看板があり特定のお客のみを入店させる店があるとの事でした。私たちはビールを飲みに行きましょうと誘われ、最近開店したデスコへ行きましたがビックリをしました。サッカーのワールドカップを開催されている時期でしたが広い店内会場には大きなスクリーンが2か所セットされ、中央のステージでは大音響で催しを行い、皆が歓声をあげ隣人の声も聴こえない程でした。お客はほとんどが中年で、私たち5人のお客に最初に缶ビール60缶程度セットし男女全員(私は飲めない)で飲み干し追加をしていました。私はビックリ仰天しました、地方にもこの様な風潮が及んでいるという事。このデスコで午前1時、そこを出て従来よりある屋台に案内され、そこでも飲食し賓館に帰宅した時は午前3時、明日は8時出発ですよと言われまたまたビックリでした。

デスコ(左)・屋台(右)の写真は暗くて不鮮明はご容赦下さい。賓館事情は又書く事にします。

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街内風景-2-171

2010-08-22 16:19:29 | 中国写真・風景撮影

籐県街内風景      ブロブNo.165~170に色々記載しましたが商店街の現在状況を写した一枚です。6Fの建物を写した写真1Fは店舗、上階部分はアパートのような居住部分です。この辺りの建物はこの様に古く、建て増しを重ねたような建物が多いです。耐震等は考えていない様な構造です。水害が多い為丘陵地に建てられた建物のが多く不安定な面が多く感じられます。地方では一般的にはこの様に耐震等を考えて無いような建物が多く、階数のわりに水の処理なども曖昧で、我々は住めないと思います。この商店街には昔の壁新聞のような設備が在り、聞くところによると新聞等により情報を得る人が少なく、この様な設備が多く在るとの事でした。商店街を歩いている時に見た社員の訓示状況ですが店内開店前等ではなく、日中に店外にて社員訓示をしていますがこの様な光景は地方に限らず良く見かける光景です。赤い制服を着用しているのが一般的な店員で白い制服を着用している人が上司でしよう。中国では制服により何階級にも分け明確に仕事を分けている店がほとんどです。            http://www.justmystage.com/home/avail  吉匠苑の館

  

 

  


籐県繁華街-1-170

2010-08-14 15:17:56 | Weblog

籐県繁華街      小雨上がりの繁華街の為、今日は歩行者も少ないとの事です。この地域には見るべき遺産物もなく観光客は少なく、勿論外国人は少ないそうです。その町の中で写した散髪屋、美容室、お粥屋等です。中国の地方では散髪は外の樹の下で行うとイメージがありますがここでは街内のため店舗でした。美容は一般的には美髪・美容と称しマッサージと髪を触る事が多いですがこの店は髪のみでした。写真のお粥屋さんのような店が多く在りました。当ブログNo.165に記載しました漢方薬のお茶屋さん(一種の薬屋さんだそうです)。お茶屋さん・お粥屋さんにて試飲試食したく思いましたが、外人には美味しくないと友人に止められました。一般的に路上店での物販やレストランと称する店以外での飲食を中国訪問当時より中国人友人に止められていましたが、現在はあまり心配する事が不必要かも知れません、しかし、現在でも少し躊躇します。地方でも衛生面は少し良くなっているようです。      

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広西省籐県繁華街-169

2010-08-12 11:31:16 | 中国旅・旅行・出張

広西省籐県繁華街      当ブログNo.165、166、167、168に記載しました籐県の繁華街です。この様な地域を二度と訪れる事が無いだろうと思い、小雨降る中を街の中心まで歩く事にしました。この時は楊貴妃の好物と言われる茘枝(ムクロジ科の常緑高木、日本ではライチと称する事があります)が多く並びこの時期が旬の果物です。茘枝は南部の地域により少し品種が違いますが日本へは海南島の品種が多く輸入されていると事です。写真の品種はうろこ状の皮におおわれた少し甘味のある品種です。八百屋さんに明示される値札は多分一㎏当りの値段と思われます。一般的には新鮮さを保つため枝を5㎝程度付け10本程度輪ゴムでしばり販売していることが多いです。この茘枝の大木を濛江鎮でみるため、又、ついでに籐県を見るためにこの地域を訪れたのも目的の一つでした。一枚の写真は茘枝を積み上げた八百屋さん、他の一枚の八百屋さんは一般的な販売店舗の様子、天秤棒を肩に乗せスイカ等の果物を売り歩く行商人のいでたちです。      

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籐県堤防-168

2010-08-03 11:35:33 | 中国写真・風景撮影

籐県堤防兼用構築物    当ブログNo.167、No.166の説明文にて分かりにくい部分があるという指摘を頂き追解説をします。この地域を流れる潯江は西江の少し上流で、この潯江は梧州市より西江の大河となり広州市を通過し南海に流れています。其の大河潯江支流に造られた堤防兼用構築物です。潯江は北の桂林地方からも流れ来ているそうです。写真一枚は堤防上より彼方の潯江と支流を写したものです。他の一枚は支流対岸を写した写真です。このような堤防構造は日本ではあまり見た事が無いので想像の域を出ているので理解し難いと思われる部分があります。対岸の堤防の向こうに建物が建つていますがその下の堤防の高さを見る事が出来ると思います。背面が写る人物は女性が梧州市在住にて広州より同乗し籐県にて降りバスにて梧州市に帰り、帰路梧州市にて同乗し広州に帰りました。男性は女性の従兄で籐県にて働き実家の濛江鎮に帰るのに同乗しました。この辺りは大量輸送機関がなくすべてバスにて数時間から数十時間をかけ移動します。       

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