私の中国投資・出張・旅行日記

約30前に香港より当時広州への航空便が難しく、汽車にて中国本土広東省広州に入国し、光景にビックりしたのが始まりです。

周荘古鎮水郷①-91

2008-12-25 23:03:21 | 中国旅・旅行・出張

古鎮周荘水郷     江南水郷を代表する運河と橋の街、当ブログNO.54・82・85に記載しました朱家角の西に位置します。北部には、江西や蘇州、上海方面へ結ぶ水路もあり、街は古くから物資の集散拠点として栄えてきたそうです。元代の末期には、江南地方の大富豪の瀋祐・瀋万三親子が移り住み、街はより大変に栄えました。街の中の運河は”井“の字状に交差しその脇には古く明・清代に建てられた民家が連なります。400年以上前に架けられた多くの石橋が残り、水郷と商都としての面影が印象に残りました。周荘までの往復タクシー運賃を何時もの如く値切り当地到着し、降車した処で入口を写したものです。大変多くの観光客が見学に訪れ、テレビでも観光客誘致宣伝をよくやっている有名観光地です。      

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遼寧省大連203高地-90

2008-12-15 23:11:05 | 中国旅・旅行・出張

遼寧省大連203高地     この地は日露戦争最大の攻防の地として歴史に残しております。1894年に勃発した日清戦争に翌年日本は勝利し遼東半島を手にいれ、其れによりフランス・ドイツ・ロシア等の干渉により返還する事を予定しました。其処にロシアが触手を伸ばしこの地を租借地とし、遼東半島先端の旅順に要塞を築き遼東半島以北の支配権を巡って対立をしていました。1904年に戦争に突入しここは訪れた人は理解出来るでしょうが戦略的(大戦後長く立ち入り禁止地域でした)には大変重要な地点です。それ故に日本はこの高地を落とすために多くの人命を犠牲に占領したものです。この高地は最初標高206メートルあったそうですが砲撃により203メートルになり203高地とゆわれるようになったそうです。写真の背後にある記念碑は砲弾をかたどっています。又、人物の横に一部写(写真は3年前)るものは人力で下より二人で前後を担ぎ急な坂を運んでくれる駕籠です。私は幾度か訪れていますが、因みに一緒に写る友人は戦中の霊が多く漂うている故、早く山を下りようと急ぎ下山しました。      

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宝墨園③-89

2008-12-13 17:26:23 | Weblog

広州宝墨園③   当ブログ宝墨園①②では園の一部を紹介しましたが、その他色々な水郷の特色を生かしたタイル・煉瓦等の芸術品があります。大きなタイルを浮き彫りにした“清明上河図”“吐艶和鳴壁”等が代表的なものです。その他南沙区に連なる水郷を利した風景は華中の水郷地帯とは異なった風景です。写真は園の中で過去に石を切り出した跡を観光用に石段を設けた場所にて大変急勾配で疲れました。その他、園内には祀り殿やレストラン等があり一日を園内にて過ごすことが出来ます。宝墨園より南に下ると南沙区となり珠江河口に通じ此の辺りは最近別荘が売り出されています。      

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宝墨園②-88

2008-12-09 21:54:48 | Weblog

広州宝墨園②     当ブログNo.87の続きになります。当園は広州市内から南に珠江を渡り大きな中州の海珠区を通過し、又、珠江を渡りこの地にたどり着きます。この地域には広州市内の動物園よりも大変大きな動物園、その他森林公園・瀑布等自然風景の見所があります。其処よりなお南下すると宝墨園があります。敷地は約7万平方メートルありその敷地には多くの建物・園芸・山水・石橋等がありその配置には合理的で感嘆に値します。しかしこの園は50年程前の文化革命で多くを破壊され現在の建物は1995年より多くの歳月を掛け補修されたものです。宝墨園の創建は清朝末期、革命で多くを破壊され、文化革命後復元補修された建物等は清宮文化、嶺南文化、園芸文化等の南中国の水郷の特色を有しております。この写真は入口の少し高い所から奥に2002年に写したものです。     

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広州番禺区宝墨園①-87

2008-12-06 08:00:31 | Weblog

広州宝墨園①-87   当園は広州市番禺区の西に位置し仏山市に隣接する位置にあります。嘗ては市内より大変遠くに位置していましたが、現在は高速道路にて市内より1時間余りで行けます。この地域は10数年前より広州市内より離れ良い環境空気を求め移り住んだ人が多く住んでいます。この地域には多くの日本人も住み近くには日本の大企業の工場もあります。この地域の事に就いては当ブログNo.75にて掲載しております。当写真は宝墨園正門の大型石離牌坊と言われる日本流山門の様な入口門です。宝墨園は古くは清朝の末期に創建された広大な敷地を有する遺跡です。詳しくは次に掲載します。      

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