私の中国投資・出張・旅行日記

約30前に香港より当時広州への航空便が難しく、汽車にて中国本土広東省広州に入国し、光景にビックりしたのが始まりです。

中国上海古民家田子坊

2017-01-01 17:13:19 | 中国旅・旅行・出張

中国旧市内古民家街-223-1 上海市内観光地区田子坊は南京路・淮海路の南に位置する建国中路にある古民家街の観光地です。 

  古くからある民家の観光向け商店街です。現在も居住としても使用されている家もありますが殆ど店舗として使われています。今回はその中で現代風と思われる喫茶店の内部・お客さん・メニュウー・近隣等の写真を掲載します。狭い道(通路)の両側に店舗が連なる地域ですが、この喫茶店は横道に入った地域にありました。居宅を改装した小さな店の店内はお客さんで満員でした。私は少し従来の建物より前に建てました部分の入口に近い席に座り、混雑路を歩るいてきたので、中国にしてはハイカラなメニュウーよりソーダ-水を注文しましたが、一口飲んで止めました。

しかし、田子坊は多くの外人・中国人の上海観光客が訪問し休日といえども通路は歩くのが困難な程の状況でした。             


張府内部施設-1

2015-06-05 21:46:02 | 中国旅・旅行・出張

張府内部施設-1

 

軍閥と張作霖-221   当ブログNo.188.189に一部記載しましたが、張府の基礎を築いた張作霖は中華民国初期の軍閥政治家で満州の統治者である張学良の父でした。張作霖は遼東半島出身で当初吉林省に渡り馬賊に投じ当時の東三省で馬賊の頭目となります。その後日露戦争が勃発し、ロシア側のスパイとして活動し捕まるが、その時陸軍参謀長・児玉源太郎の助言で助かり、今度は日本側のスパイとして活動した。その後、清朝に帰属し東三省を総括する地位に就く。その後黒竜江省・吉林省も含めた東三省全域を勢力圏に置き「満州王」と呼ばれ君臨するほどの威勢を誇った。その後も勢力を高め1926年には北京で大元帥に就任し中華民国の主権者を宣言する。しかし、その後時代は変化し北京のソ連大使館捜索などの事件を起こしたため、ソ連は張に圧力をかけた。一方蒋介石の国民革命軍が欧米の支持を得て対峙し張は孤立し敗北した。日本も張を積極的に支持せず、済南での国民革命軍との敗戦も重なりついに北京を脱出する。張作霖は自らの根拠地である奉天(瀋陽)に向かったが奉天近くの皇姞駅で列車爆破により死亡する。その後、張の支配地域は長男・張学良が継承した。府跡には日本人との関係・周恩来との対話等模型が展示されその他会議室等が見られます。又、瀋陽博物館入口写真も掲載します。瀋陽の故宮の宝物は蒋介石が台湾に持ち去ったと伝えられ博物館には多くは残っていないそうです。    

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寒山寺京杭大運河-219

2014-10-01 21:05:58 | 中国旅・旅行・出張

寒山寺京杭大運河-219

寒山寺五古-219    張家港より寒山寺の稿にて寒山寺のことを掲載した折に寒山寺へ「金一封を寄付」と記載しましてから、その時寒山寺より何か頂いたのを思い出し、探しましたところ淡路のセカンドハウスの押し入れより軸が見つかりました。すっかり忘れていました。早速写真を写し掲載することにしました。左端に寒山寺の朱印・蘇州寒山寺・その下に人物名がかかれております。文字はご覧のとうり「常楽永(和)康」と記載されています。寒山寺五古とは寒山寺(古寺)、楓橋・江村橋(古橋)、鉄鈴橋(古関)、楓橋古鎮(古鎮)、京杭大運河(古運河)を指すそうです。前回鉄鈴橋の手前で写した写真をけいさいしましたが関を抜け楓橋から運河を写した写真を掲載します。この京杭大運河は北京から浙江省までの長距離流れる運河で春秋戦国時代から隋が工事を進め中国物流の大動脈であり、蘇州からは杭州・揚州を経て洛陽へと通じているようです。 蘇州見学後同伴者と食事をしました。  

 

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広州アジア大会-218

2014-08-03 11:40:41 | 中国旅・旅行・出張

広州アジア大会

中国アジア大会夢の後-218    2010年に中国広州で開かれた夏季アジア大会の夢の後の開発。街は整備され大会の施設の多くは病院・役所・学校等に転用整備されています。選手宿泊施設の多くは住宅として売りに出されました。此の住宅は少し街から離れている割には数千万もしたようです。立地的には何も無かった処に会場が造られたために乗り入れの為の道路は大方整備されました。しかし、我が国風に言えば大量の輸送機関は無く、バスが乗り入れの手段です。少し遠く離れ高速鉄道が整備されています。1913~1934年まで、日本、フイリッピン、中国の3カ国で開かれていた競技会が起源のアジア大会は基本的にはオリンピック同様のスポーツが行われますが、軟式テニス・囲碁・中国象棋・ガバデイ・空手道等アジアの地域性を反映した競技が行われます。2014年には韓国で開かれるようです。    

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上海青浦区朱家角鎮-212

2013-07-07 10:14:44 | 中国旅・旅行・出張

上海朱家角鎮-212

上海朱家角鎮-212    上海近郷青浦区に位置する鎮です。当ブログ№.54、82にも一部記載しております。『運河-水門-喫茶館-市』の商業施設の相関関係の構図や鎮の中心的場所としての廟寺も現存しています。放生橋(現在は此の橋の下より幸運を願い金魚を放す、写真あり)近くには古い茶館があり、古代の商業の仕組みを観る事が出来ます。鎮内では鶏肉入りの饅頭が有名です。

この地に行く日本人も多いようでバスで行くかタクシーですが、私は上海市内でタクシーの運転手と交渉し往復半額にて決着しタクシーにて出かけました。水郷鎮の周荘鎮を遥かに凌いでいたと言われます。中国では都市の新聞調査では外国人が訪れる50の名所に入選したそうです。私も此の時は他省から上海を訪れた中国人の推奨でこの地を訪れました。今回はチャンネル写真にて掲載します。 

当ブログに記載した写真に対する文面は写真描写を中心に記載しました。私自身の気持・感想はあまり書く事がありませんでした。それは長く中国を訪問したことによる思想への統制を強く感じていた為です。思想に対する監督は大変なものです。一党独裁による当地には必要な要件なのでしょう。私の当地での経験で公安・警察の取り締まりの強硬さを目の当たりにした事が度々ありました。それ故、中国に友人を同伴する時に出発前に伝えた事は大勢の居る街中で体制批判をしない様に、当地は日本ではない『壁に耳あり障子に目あり』ですと伝え注意をして頂きました。今後は少し体制への感想、中国人の思想等をもう少し記載しても良いのではと考えます。       

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