張府内部施設-1
軍閥と張作霖-221 当ブログNo.188.189に一部記載しましたが、張府の基礎を築いた張作霖は中華民国初期の軍閥政治家で満州の統治者である張学良の父でした。張作霖は遼東半島出身で当初吉林省に渡り馬賊に投じ当時の東三省で馬賊の頭目となります。その後日露戦争が勃発し、ロシア側のスパイとして活動し捕まるが、その時陸軍参謀長・児玉源太郎の助言で助かり、今度は日本側のスパイとして活動した。その後、清朝に帰属し東三省を総括する地位に就く。その後黒竜江省・吉林省も含めた東三省全域を勢力圏に置き「満州王」と呼ばれ君臨するほどの威勢を誇った。その後も勢力を高め1926年には北京で大元帥に就任し中華民国の主権者を宣言する。しかし、その後時代は変化し北京のソ連大使館捜索などの事件を起こしたため、ソ連は張に圧力をかけた。一方蒋介石の国民革命軍が欧米の支持を得て対峙し張は孤立し敗北した。日本も張を積極的に支持せず、済南での国民革命軍との敗戦も重なりついに北京を脱出する。張作霖は自らの根拠地である奉天(瀋陽)に向かったが奉天近くの皇姞駅で列車爆破により死亡する。その後、張の支配地域は長男・張学良が継承した。府跡には日本人との関係・周恩来との対話等模型が展示されその他会議室等が見られます。又、瀋陽博物館入口写真も掲載します。瀋陽の故宮の宝物は蒋介石が台湾に持ち去ったと伝えられ博物館には多くは残っていないそうです。