私の中国投資・出張・旅行日記

約30前に香港より当時広州への航空便が難しく、汽車にて中国本土広東省広州に入国し、光景にビックりしたのが始まりです。

中国東北瀋陽家具市場-79

2008-10-30 20:53:23 | Weblog

瀋陽家具市場     瀋陽市内の家具市場内の洋家具コーナーの展示品です。一般的には日本人は如何様に中国人の生活様式を理解しているかは判りませんが、此の家具の様な西洋式の猫足の家具を居宅にて使用している光景は日本での映像にはあまり見られません。良く見られる映像は中国的な紫檀・黒檀類の家具が並べられている光景だと思います。中国の古い居住まいは故宮に見られるような入口に土間があり、少し上がった寝床用畳・板張りの場所がある家が多くあります。その様な家にはこの様な家具は合いませんが、最近の日本流に表現すればマンション等には合いますね。昔の高層アパートでも一般的には土足のまま生活するという居住習慣があります。最近はそのようなアパートでも下足を脱いで入るように生活をしていますが、日本式玄関のように区切り・段差がなく、何所で履物を脱ぐのか戸惑う事があります。少し長く中国を訪問し感ずることは仏教の国、儒教の国というイメージですが、狩猟民族的生活様式・志向を多く感じます。      

http://www.obea.or.jp/ryugaku

  


雨の広州駅前-78

2008-10-28 23:17:28 | Weblog

広州駅前雨の風景    ブログNo.76に掲載した同じ時期に写した広州駅前光景です。私が約20年前に香港から汽車にて降り立った駅です。香港の駅にて大変な混雑の中、出国手続きをして広州への汽車に乗車した事を思い出します。その車中には香港への商品の買い出しに来た買出し人の荷物で網棚は一杯でした。その当時、香港は未だ英国の租借地で広州への直便は無く、香港よりの飛行機の航空券取得も困難でした。その頃は、現在の白雲空港ではなく白雲山の麓にあった旧白雲空港です。旧白雲空港は戦前には日本軍が使用していた事もある軍空港で、その当時は中国軍の戦闘機等も駐機し離着陸時は一切の写真を写しては駄目という時代でした。現在はその土地より高速にて1時間程の地に移転し旧空港は空き地になってします。その広州駅に着き入国手続きをし、出迎えを待ちましたが時間が経ち我々のみが残りました。現在では考えられないような、当時入管の中に各ホテルの出迎え受付テーブル出張があり、それ故、初めての事で間違い出迎えの相手と会えず大変戸惑い、取敢えず駅の外に出て薄暗い駅前の大変な人混みに驚きながらほうほう体でホテルに辿り着きました。その駅前を単車が並んで走っている光景で、写真のような格好の雨具を付け走っている光景は私が降り立った日より約10年を経過しています。雨の日は一般的にこのような雨具を付け現在も単車・自転車に乗っています。        http://www.obea.or.jp/ryugaku

 


クリスマス風景-77

2008-10-26 00:02:11 | Weblog

クリスマスの飾り    少し前に写したチャイナレストラン前に飾られたクリスマスの飾りです。“歓迎 歓迎”の文字を表示しています。中国について一般的に宗教は仏教というイメージがありますが、多民族国家のため色々の宗教があるようです。キリスト教に関しましても日常接する人に信仰している人は無いように感じますが、クリスマスに関しましては過去の日本のように一種お祭りのように囃しているように思われます。過去日本でもクリスマスイヴともなれば繁華街は一杯の人出でした。若者は別とし近年は自宅でクリスマスを迎える人も多くなり、お祭りのような雰囲気は少なくなった様に思われます。中国ではかっての日本のようにクリスマスの催しが多く見られ、写真のような飾りが多くあります。その他、店頭には色々な飾りが中国的な赤を基調にした派手な色彩で飾られています。今年も秋が過ぎ直ぐにクリスマスの季節が来そうです。

    

http://www.obea.or.jp/ryugaku

 

 


広州道路事情-76

2008-10-23 20:54:29 | Weblog

広州10年前交通事情    当ブログNo.24、25では少し前の交通事情を記載しましたが、この写真は11年前の写真です。この写真路はNo.24で記載したHUANSHI RD.E(日本文字不明)と同一路で少し東に寄ってところです。此の頃は未だ自動車も少なく公司・有限公司等が所持する車が多かったです。我々が訪問する時は自動車・運転手・通訳者が空港まで出迎えてくれ、それに乗り帰国まで同乗してくれました。それ故、此の頃は未だセダン乗用車は少なく7~8人乗り背の高い車でした。現在はセダン乗用車が多いです。この道路は現在交通渋滞が激しく朝・夕方の時間帯は大変です。現在この路の下は地下鉄工事中、それ故、混雑も増します。現在はバス路線が大変多くなりバス増え、乗用車も多く単車・自転車は少なくなりました。この様なリヤカー付き自転車はメイン道路ではあまり見かけません。    

http://www.obea.or.jp/ryugaku

 

 


団地内道路対策-75

2008-10-21 18:25:28 | Weblog

団地内道路速度対策     この写真は1997年当時、広州から1.5時間ほど離れた住宅団地内道路走行対策の一種。ここは番禺(PANYU)区の団地内道路です。この当時はこの地域の団地建設最初の頃で現在は約15万の人口を擁し動物園・病院・その他大型施設を有する大団地です。この当時は高速道路はなく自動車にて長時間地道を走り、その途中に松下電器の工場前を通過し、又、道路脇には茘枝(季節には摘んで食する事が可能)の高木が立ち並ぶ道路を走りこの団地に辿りつきました。一般的には民間のこの様な団地(中国人呼称)は入り口には柵があり警備員が常駐します。この高級団地にはその当時角々にも警備員小屋がありました。団地内を自動車が高速で走らないようにこの様な障害物が設けられていたのにはその当時もビックリ・感心しました。当ブログNo.66番駐車場入り口に設けられた障害物は最近写したもので、古くから存在していたようです。この番禺(PANYU)区は広州の南に属し西隣は今よく問題になっている東莞(DONCGUAN)市です。現在この地域まで高速道路にて30分程度です。そして現在此の南1~2時間の地域に別荘と称する団地が出来ております。   

http://www.obea.or.jp/ryugaku