私の中国投資・出張・旅行日記

約30前に香港より当時広州への航空便が難しく、汽車にて中国本土広東省広州に入国し、光景にビックりしたのが始まりです。

街の花屋さん-162

2010-07-04 13:58:09 | 中国

街の道路脇花屋      当ブログNo.161に記載しました道路脇花屋さんの道路との位置が少し分かりにくいとのご指摘がありました。私公司からの希望にて6/25~7/3迄中国へ出張をしておりました。その間広東広州より広西壯族自冶区の鎮(村)迄片道7時間を要して行き、翌日広州に戻り東北瀋陽へ出張しておりました。その折広州市内の道路脇の花屋さんの道路との位置が分かりやすいであろう写真を写してきました。広西壯族自冶区の鎮(村)・瀋陽の発展状況写真は後日掲載したく思います。前回は花屋さんと並ぶ塗装終了の建物を紹介しましたが、今回は花屋さんの建物工事中の情景を写したものです。1枚は建物が道路より離れていく様子で1F道路下に商店があり、他の1枚は建物の間に小道がありその下方向にアパートが密集しております。前回の写真と合わせご覧下さい。      

http://www.justmystage.com/home/avail    吉匠苑の館

  

 


中国広州留学事情

2007-02-23 21:27:00 | 中国

広東外語外貿大学 広州市郊外にある大学で創立時は森林を重点的に学ぶ学校でしたそうですが、今は外国語を重点的に勉強する国立の有名大学です。校内は森林を勉強する学校の面影を残し大変広く、大きな木が立ち並び新しい校舎は大変瀟洒な感じがします。大学の教科の中に外国から中国語の勉強に来る生徒の為に開かれた中国語専門教室があります。この写真は、現在中国語の勉強をしている教室内の様子です。生徒は日本を始めロシア、韓国等からも多数勉強に通っています。又、大きな外人専用の寮も用意されています。留学を希望する人はコメント欄にご連絡下さい。    

http://www.obea.or.jp/ryugaku  ご覧下さい。


中国上海南京路

2007-02-21 20:37:14 | 中国

上海南京路 約7年前の南京西路(人民公園端付近)より東を向いて歩き東路に少し入り写した写真です。現在は入り口付近建物・風景等も大変変わっております。この通りは南京西路東端にあり、南京東路は歩行者専用道路になっており、現在は客車を連ねた小型乗り合い電車が走り、一部その南京東路は歩行者道路ではなく、古い南京路両側の面影を残し、平和ホテル付近(外灘)までは新しく開発を止め、昔の面影を残しているようです。外灘の黄浦河沿いには租界時代の在りし日の諸外国の建物が並び、夜間ライトアップされ異国情緒があります。その外灘、  河を隔て東には上海風景でよく映し出されるテレビタワーがあります。最近ではこの地域には沢山の外国人に混じり日本人旅行客が散策しておいます。    

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中国清朝故宮の一部-14

2007-02-14 22:49:54 | 中国

清朝故宮 清朝初代皇帝太祖ヌルハチ、2代皇帝太宗ホンタイジが築いた故宮。1637年の創建で、300以上の部屋を持つ70余りの建築物からなる壮大な建築群です。中央に政務を執った大内宮殿、東に式典を行なった大政殿、西は文そ閣となっている。故宮内には博物館があり宝物類が展示されております。冬季は東北地方瀋陽は大変寒く日中でも冷下の温度にて故宮見学は大変です。掲載写真撮影は冬の午前中東北地方の冬は大変です。    

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中国瀋陽の繁華街-13

2007-02-14 22:23:03 | 中国

中心商店街 遼寧省の省都にて東北地方最大の重工業都市で、古く戦国時代には既に東北の地方一体の中心地であったと言われております。その後清朝が一時此処を都と定めその際「盛京」と名づけられました。この地には清朝初期の(北京故宮の1/12)故宮があります。現在故宮は博物館として開放されています。その近くの繁華街を写した約6年前の夏季の写真です。現在はその重工業設備が時代遅れとなり、改革開放後非効率化等にて失業問題が深刻な地域です。     

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