古代史研究家に、桂川光和さまがおられます。氏は系図を使って魏志倭人伝の卑弥呼に迫っておられ、説得力のある独自の論理と、見識を持っておられ、また数多くのサイトを立ち上げられて注目を集めています、立派な研究家です。
この方は、京都府宮津市の籠神社に伝わる国宝になっています『勘注系図』にて、「海部氏」「尾張氏」の系図から卑弥呼は第6代孝安天皇時代の宇那比媛(うなびひめ)であると導かれ、甥である建諸隅命(由碁理)の娘竹野媛が(臺与)として第9代開花天皇に嫁いでいる。とされています。現在は卑弥呼の墓と想われる墳墓を探し出され、発掘を計画なさっておられるようです。
わたくしの考えでは、この時代の出来事はすべて北部九州での出来事と為らねばなりません。
「尾張氏」「海部氏」「紀伊氏」は大分(豊後国)が本貫地であれば、籠神社の前身は大分に在ったことになり、卑弥呼は、わたしが今住んでいます大分県由布市湯布院町に棲んでいた事に為ります。由布院には宇奈岐日女神社(うなぎひめじんしゃ)があります。
文字に「那」と「奈」・「比」と「岐」の違いが在りますが私には同一人物と感じられます。
宇那比媛の甥である建諸隅命(由碁理)の子には、3人{日本得魂命(川上眞若)・竹野媛・川上麻須郎女}の子がいますが、由布院には川上の地域名(ゆふいん盆地の半分位の地域を占めています。)が残っています。
水垢離(みずごり)と謂う言葉がありますが、「由碁理」は温泉を使った湯垢離(ゆごり)とも感じ取れます。そして、竹野姫と開花天皇との間に儲けた子の名前が、彦湯産隅命(ひこゆさすみみこと)と命名していますのも偶然でしょうか。
わたくしは、竹野媛は、此処由布院から福岡県春日市に居た開花天皇へ嫁いだものと考えます。
おまけに、由布院の院は屯倉を指し、余社郡(多分、現在の宇佐郡の事だと想われます。)を分けて屯倉を造ったとする史誌に沿っています。
由布院の様な山の中の盆地に、何故か、豪族の古墳と想われる墳墓も在ります。
この墳墓は調査の必要を感じます。
九州には宇奈岐日女らしき神を祀る神社は由布院以外に見当たりません。おそらく近畿にも宇那比媛を祀る神社は殆ど無いものと想われます。何故ならば、宇那比媛(宇奈岐日女)の痕跡は近畿には無いと想われるからです。
『灯台下暗し。』とは。何と謂う驚き。何と謂う顚末でしょう。
桂川光和さま、全国の古代史ファンのみなさま、ゆふいん温泉においでて卑弥呼の時代を偲んでください。歓迎します。
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