とうやのひとり言

佐藤とうや ブログ

水村山郭

2008年01月08日 | インポート

Img_0843  正月2日から5日間続いた、朝日新聞の特集記事「水村山郭」は読み応えのあるものだった。早瀬のように変わる経済変遷に、ついて行けない農山村の実態を余すことなくついている。定点は、真室川町周辺ではあるが山形県の多くが似たような地域であり、日本中、特別な地域を除いては原風景ともいえる。ここをどうするのか、日本政治の根幹に関わるものだとつくづく感じさせられた。
 60年代から始まった高度経済成長は、農村部から都市部へ労働力を吸い上げることに始まる。農機具の高度化は、多額の現金が必要となり需要と供給がマッチし、多額の現金収入の道として出稼ぎが盛んになった。集落の男性過疎がうまれ、大きな社会問題にもなった。そうこうしている内に、74年のオイルショックを境に経済が低迷。企業は、安い労働力を求め地方の工業団地へと移転をはじめ、家族とも離れず現金収入を得られる兼業農家へと傾斜していく。やがて、80年代半ばに円高不況による企業の海外流出と、公共事業の激減による農家の現金収入の道は、細ってくる。90年代には、食管制度も廃止され農家を支えた安定米価、安定兼業は崩れた。離農、離村、集落崩壊へと道は続く。
 農業の自立を名目に、今年から集落営農が導入された。減反も農家自らの判断という事になり、米余り米価の低落は目を覆うばかりとなり、さすがの政府も、傷口を絆創膏で貼りだした。展望は開けないままだ。机上プランの農政補助金に翻弄され、借金を積み上げた農業担い手は、途方にくれている。今、村を支えている高齢者の不安は、臨界点にたっしている。
 村を壊してはいけない。古い遺産は大事にしなくてはいけない。誰もが感じていることだ。それが、何故出来ないのか。市場主義経済の限界を見た思いの特集記事だった。

コメント
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