先般、「知覧特攻平和会館」に立ち寄った。知覧は第二次世界大戦末期、沖縄戦の劣勢を挽回するため、全国から若年兵士を集め人類史上類のない特攻作戦が展開された所である。
過去に何度か訪問しているが、語り部の語りを聞いたのは初めてで、いつも、決死を覚悟して戦場に散った少年兵の遺書には涙が流れる。「国の存立が危うい」と感じて特攻任務を遂行したのか遺書で読み取るのは難しいが、再び戻る事のない戦闘機に爆弾を装着し、敵の艦船に体当たりをする命の尊さ、尊厳の重さを考えるには十分すぎる。
昭和20年3月に書かれた遺書がある。「僕はもう、母さんの顔をみられなくなるかも知れない。お母さん、良く顔を見せて下さい。しかし、僕は何にも「カタミ」を残したくないんです。十年も二十年も過ぎてから「カタミ」を見てお母さんを泣かせるからです。お母さん、僕が郡山を去る日、自分の家の上空を飛びます。それが僕の別れです。」
特攻作戦に殉じた戦死者1036人の約半分近くの439人が知覧基地から出撃していると言う。山形県でも10人が殉死している。