Nonsection Radical

撮影と本の空間

迷信以前に

2012年06月17日 | Weblog
酒井順子さんの本を読んでいたら、丙午(ひのえうま)生まれなので「ゆとり世代」だったと書いてあった。
1966年は前後と比較し極端に出生数が少なかったので、彼女はそう書いたのだ。
出産を避ける理由は、言わずと知れた「八百屋お七」である。
井原西鶴によって丙午とお七というまったく関係のないものが結びつけられたのだ。
同じようなものに、土用の丑の日があるね。
土曜日の丑三つ時に鰻を食べるというアレだ。(笑)
あるいは、土曜日は牛肉の日だ(笑)。
これも平賀源内が土用の丑の日と鰻という無関係なものを結びつけた結果だ。

これらは迷信や、あるいは都市伝説化している話だが、迷信を信じるか信じないかは、名神(高速道路)を使うか使わないかぐらいドーでもいい話だ。
ちょっと話題にしたいのは、あるものとべつのものを組み合わせて”キャッチフレーズ”を作っている事に気がついているか、という話だ。
お七が丙午生まれ”らしい”という事、あるいは丙午の年には火事が多いという”噂”など一部分を取り出して、強引にお七と結びつけてある意味を持たせるのは、ある意図があるはずだ。
さすがに今ではその意図を探るのは難しいだろうが、そういう話を結びつけたい”何か”が噂発生当時にはあったはずだ。
でなければ、たった一人のしでかした事で、末代にまで続くほどのひどい言われ方をするはずはないだろう。
当時の多くの人がそう思いたい理由が、丙午と”オンナ”とにあったはずなのだ。

同様に、たとえ平賀源内のコピーであったとしても、土用の丑の日と鰻とを結びつけて考えたい何かが当時の人にあったのだ。
でなければ、単に「本日、土用の丑の日」と鰻屋が掲げても、それまで喰わなかったものを急に喰いだすわけがないのだ。
当時の人は、土用と鰻という言葉で、何を連想したのだろうか?

現代においても丙午とオンナという言葉で、何かを連想するから産児制限するのだろうし、土用と鰻で何かを連想するのだろう。
何を連想して、行動を起こすのかを各自が胸を手で揉んで、ではなく、胸に手を当てて考えてみるべきだと思う。
というのも、現代においても、この何かと何かを組み合わせて意図的な結果を生み出したいというやり方が、商売や政治、社会で行なわれていて、それにまんまと乗せられて、モノを買わされたり、とんでもない事を考えたり、問題行動を起こしたりしているはずなのだから。

これらは、A+B=C と言ってるわけじゃない。
AとBだからC と言っているだけなのだ。
だから何でも組み合わせ出来る。
そして、どのような結論にも導く事が出来る。
そのへんをちょっと気にしてみてもイイのではないかな?




大阪市城東区蒲生4丁目21から
コメント
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