Nonsection Radical

撮影と本の空間

申し訳けなく早漏

2012年06月25日 | Weblog
動画をユーチューブにアップしていると、時々コメントをいただく。
「つまらない」というごもっともな意見もありがたく頂戴するし、中には以前住んでいた場所、以前勤めていた場所や人などが懐かしいというものもある。
ひとつの意図として、そういうとらえ方をしていただく事や、今後年月が経った時にその時点では存在しない映像をご覧いただく事がある。
だけど、そういう意図があるとしても、現在撮影をしていく事は、その場所にいる人にとっては決して愉快な事ではない場合もあろう。
それを重々承知しているので、大変申しわけない気持ちを持ちながら撮影をしている。
年月が経てば経つほど懐かしく思っていただける事は確実なのだと言い聞かせてお邪魔している。

ユーチューブなどには昔の映像がアップされていて、大変貴重なものだなと拝見するのだが、それらを撮影した人のほとんどは無名な市井の人々だ。
当時でも、そうした撮影が様々なさざ波を立てたであろう事は想像に難くない。
しかし、そのおかげでまだ生まれてもいない時代の映像が残っていたりするのだから、簡単に無駄な迷惑な行為とも言い切れないのではないか。
だから自分も、とは当然とても言えないので、ご迷惑を承知で失礼しますと歩き回っている。
街なかで写真や映像を撮影するというのは、その程度の行為であり、周りには迷惑なものである自覚がある。

そういう中で、喜んでいただけたコメントをいただくと、少しは”罪滅ぼし”にもなるかもとホッとする。

フィルムという”実体”がなくなってしまった将来は、個人で撮影した多くの映像がお蔵入りどころか、消去されてしまう事がほとんどになるので、過去の映像を見る事が少なくなってしまう気がする。
その良し悪しはわからないけど、それだとなにか惜しいような気がするのだ。
役に立たないかもしれないけど、役に立つ事もあるかもしれない。
それぐらいの気持ちでコツコツ撮りためている。




大阪市東淀川区下新庄4丁目8から
コメント
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