Nonsection Radical

撮影と本の空間

朗読は難しい

2012年06月26日 | Weblog
iPodで小説の朗読を時々聴いているんだけど、朗読するのは難しいものだと思った。
視覚障碍者などのためにボランティアで朗読をされている方々がiTunesにアップしているのだろう。
それ自体は大変ありがたい事で、ちょっとした移動時間に”名作”を聴くことが出来るのだから文句を言う筋合いもない。
だから、ただ感想を述べたい。

satoboは難聴気味でいつもキ~ンと耳鳴りがしているのだけれど、そういう耳で朗読を聴くと、聴き取れない朗読が多い。
様々な人が朗読しているのだけれど、ほとんど聴き取れない人もいる。
静かな部屋で両耳に密閉型のイヤホンをして他に作業もせずに集中して聴けば、なるほど聴き取る事も出来る。
しかしその条件が外れた状態では、何を言っているのかわからないのだ。
耳鳴りがすると言っても、ラジオなどで”プロ”がしゃべる声は聞き分けられる。
つまり、申しわけないけど、しゃべり方の問題なのだろう。
アナウンサーなどはしゃべり方を訓練するであろうし、日々批判にさらされているし、注意する同僚、上司もいるだろう。
その環境をボランティアの人に求めるのは酷というものだが、聴き取りづらいのは事実である。
話の間、滑舌、声のトーン、それに録音レベル。
それらがそろって聴きやすい話が出来ているのだと、あらためて感じた。
普段はなにげなく聴いている放送も、そういうものがキチンとしているからキチンと届くのだとわかる。
聴きづらい朗読というのは、それらのいくつかが欠けている事に気づく。
もちろん聴きやすいように努力されているのだろうけど、やはり”本職”とは力の差があるのは仕方ない。
文句を言っているわけではない。
感謝しつつ、感想を述べているのだ。
自分が誰かに、たとえば子どもに読み聞かせをした時に、滑らかに、わかりやすく読む事がどれほど難しいかは、実感出来る事だ。
だからこそ言うのだが、「朗読は難しいよなぁ」。




大阪市東淀川区下新庄4丁目
コメント
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