Nonsection Radical

撮影と本の空間

仕様過剰

2012年11月09日 | Weblog
最近の製品って、”評論専門家”の評価と一般利用者のそれとは、必ずしも一致しているわけではないようだ。
専門家は、他の製品にある機能がこれにも欲しい、この機能も、あの機能も欲しい、あれと同じでないから評価が低いと、あれもこれもテンコ盛り製品を求めたるが、一般人はすべての機能を欲しているわけではない。
某リンゴ生産農家の小さなPadの画面密度が低いのが残念だとする声は多いが、それよりも小さいサイズだから選ぶという売れ方をしているし、パソコンでもあれもこれも出来る何でもありの製品が売れるわけでもない時代だ。
たくさんできることはあるけど、使いにくくて写りも良くもないデジカメとかもあるね。

結局売る側がユーザーニーズに合わせるという優柔不断さで多機能少利便性の商品を多品種少量販売するハメになっている。
しかし、そんなにいろいろな機能がある方が良い商品なのだろうか?
そのためにたくさんのボタンや操作が必要とされ、記憶の良い者だけが操作出来るという記憶偏重主義受験地獄の延長みたいな時代になっていないか。
そのくせ基本性能がおろそかになっていたりして、使える機能はたくさんあるが使えない機械、なんてことに。

メーカーに主義主張がないわけね。
顧客の要望にあわせて十徳ナイフを次々に作るが、どのツールも中途半端で使えない、決して抜群に切れるナイフを作ろうとはしないようなもの。
家族と荷物をたくさん積めて、それでいてスポーティな走りをするワンボックスカーを作ろうとするようなものばかり。
飛び抜けてひとつの性能が秀でているものを作る思想がないのだな。
その行き着く先は、値段だけの体力勝負の世界。
そんなメーカーに将来はないし、そんな利用者に可能性も生まれないだろうな。




中書島繁栄会 京都市伏見区


林寺商店街 大阪市生野区
コメント (2)
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