Nonsection Radical

撮影と本の空間

服装はその人を表す

2012年11月16日 | Weblog
仕事帰りに作業服屋さんに行った。
防寒ズボンを買うためだ。
最近、裏地付きのズボンが一般に出回るようになったが、satoboは10年以上前から愛用している。
タイツやパッチを履くよりも動きやすいし暖かい。
ユニクロでも販売されているが、カーゴパンツが欲しかったので”本場”作業服屋さんへ行ったのだ。
この手のお店はいくら見ていても飽きない。
作業の機能に絞ってあるので効率的な服装なのだ。
まあ最近はかなりファッショナブルになって、それってどうよと思うものもあるし、satoboのように用途外の使用者に適応しないものもあるが、あれこれ手に取り眺めているのは楽しいものだ。
パッと見には他のオヤジ連中と変わらない服装をしているので、店員も客も特に気にしたりしないのも気が楽だ。
完全労務者姿になると、とても似合い、活動も楽なのだけど、やはりそこはそれ、写真やビデオを撮る人というスタイルをするのも撮影時には何かと効果的ではあるので、知的、恥的、痴的な格好を装うことにしている。
それによって撮影しているんだと認識してもらえるのだから、自分がどうのではなく、相手がイメージするスタイルに合わせるのは重要なことなのだ。
同様にサラリーマンは、ヨレヨレ紺色スーツに安物ビジネスバッグというスタイルでこそ、仕事が出来なさそうに認識してもらえるのだし、派手派手OLさんはダセェおやじは相手しませんと主張しているのだ。
そうやって服装で、嗜好、思考、志向を表現し、階層をも表すのだ。
だからミスマッチな服装は、人心を惑わし、世を欺き、治安を乱すことになる。
その点でいえば、satoboが作業服を着るのは、誠に理にかなった行ないなのであろう。





パッサージュなやまち5番街 京都市伏見区


大阪市生野区小路東5丁目1から
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