Nonsection Radical

撮影と本の空間

その程度という自覚から

2012年12月12日 | Weblog
NHKのラジオを聴いていると、現在政見放送を繰り返し放送している。
聴くともなしに聴いていると、相変わらず”景気回復”などという景気のイイ話をしている人が多い。
景気の回復したときというのは、いつのときを基準にして言うのかわからない。
バブルの時か?
バブル前の80年代前半は不景気だと言っていたときだし、リーマンショック以前だと企業の業績は良かったが、従業員である国民ほとんどはカネが回ってこないと嘆いていた。
そうやって消去法でいくと、やはりバブル時のことを基準に景気回復と言っているように思われる。
あんなものもう二度とないのよ。
二度あっても困るけどね。
バブルが弾けた時に、景気回復などせず、不景気と言われる”今”が普通の状態になるだろうと言ったのだが、10年経とうが20年経とうが、言った通り”不景気”のままだ。
この不景気こそが日常なのだ。
そこで、ありもしない好景気を望み続けるのか、今が快適になるように生きるのか、どちらを選ぶかという事になる。

優秀で勤勉なる日本人。
まあ、自ら言う事に本当の事はないのであるが(笑)、近年国内で起こる事柄を見て、はたして優秀で勤勉であると言うのであろうか。
それとも、テイタラクは自分以外の誰かで、政治家や官僚、公務員、社長だけがろくでなしで、自分は優秀だと思っているのだろうか?
まあ、自ら言う事に本当の事はないのであるが(笑)。
そういう心理の深層には、能ある鷹が爪を隠しているんだという思いがあると思う。
そういう思いが、状況の把握を難しくしているのではないか?
本気を出せば・・・って、本気などあると本気で思っているのか?

みんな結構イイカゲンで、そうやって成り立っているんだ。
監視が行き届かなくて自死を許してしまったり、天井が落ちたり、想定外の事が起こったりと、自覚というものはその程度のものであると”自覚”するべきではないのか。
そして、その自覚の上で対応を”ない頭”で考えるべきではないのか。
そうしないと、いつまでも「宝くじが当たったら・・・」という夢物語を見続ける事になる。

自らが何もしないで、「景気が回復してくれないと困りますなぁ」などと言っている者は、景気が回復しようと恩恵にはあずかれないのだ。
自分の周りを少しでも快適に暮らせるように各自が”何か”行動を起こしてこそ、環境は変化していくだから。
そういう観点で、行動を起こす元気を生み出してくれるような事を言う政治家候補が、政見放送で話しかけてくれたらなぁと無い物ねだりをするわけである。




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コメント
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