Nonsection Radical

撮影と本の空間

話を理解しない人達

2013年11月20日 | Weblog
先日ラジオを聴いていたら「ジェンダー(社会的性差というのか?)」の話が出ていて、聴取者の人達のコメントになんだかなぁと思ってしまった。
とかくジェンダーの話になると生物的性差と社会的性差をごちゃ混ぜにして語る事が多くなるのだけど、その事に配慮して番組では最初にその区別がある事、今回はジェンダーについて専門家と話をすると断りを入れていた。
簡単に要約すると、その専門家が言うには、男女の性差を理由にした社会活動を妨げる原因が少ない国ほど、どうやら社会が活発になっているようだという事で、オトコだからオンナだからという理由でその人のやりたい事を妨げるような事は社会の活発な活動には好ましくないという。
したければ男女関係なくしたい事をさせてあげましょうよ。その方が世の中が活発になるようですよ。という事だ。
特に近年の社会の閉塞状況、不況、停滞などは、どこの国でも問題になっているし、国の中でも地域の問題になってもいる。
さらに個人の問題にもなっている。
そういう事に対して効果的な”処方”のひとつとして取り上げるわけなのだが・・・
そんな事は聴いてはいない人が多いんだな。
聴いていても理解しようとしないんだな、自分の立場を考えて。
オトコにはオトコの役割りがあり、オンナにも同様に役割りがあるんだ。
と、そこを問題にしているのに、その問題自体を認めない。
じゃあ、あんたが社会を明るく活発に出来ているのか?と言われればきっと「そういう問題ではない」と言うのだろう。
専業主婦だけど、子供が小さいうちは家にお母さんがいないと”かわいそう”だから働きには出ない。
というコメントには、パーソナリティの男性が「ふざけんじゃねぇ」と怒っていたが、それはその文面に母親が働かなければならない家は子供にとってかわいそうな家で、愛情が足りなくなる、いうニュアンスが感じられたからだ。
だから両親が共働きであったそのパーソナリティの男性は真っ当な声を返したわけだ。
母親だけがなぜ一日中子供と接している事だけが”かわいそう”ではないのかは不明だが。
コメントした女性にはジョン・レノンの存在はないのだろう。
結局寄せられたコメントには、これまでの社会がそうやってきた、だからこれからも同様に「オトコはこれをしろ。オンナはこれをしろ」というまさしくジェンダーの固定を是とするものもあったのだから、何も話を理解していないという事なのだ。
その理由が、それを認めると自分の立場がなくなるという”危機感”から来るのではと思えるものも多くあった。
ジェンダー問題専門家が、これまでの事を否定するのではなく、選択の自由を与えて欲しい人には与えて欲しい、という問題なのだと言っているにもかかわらずだ。
うがった見方をすれば、否定する人は実はしたくもない役割りをイヤイヤしているのに、他の人が自由にする事は許せないという気持ちがあるのではと思えるがね。
結局番組はいつものように何の意味もなく終わってしまった。
話を理解した上で有用なコメントがあったらなぁと思ったのに残念。
あと、個人の性格の問題なのに、それは子持ちだから、とか、まさしくジェンダーに結びつけるコメントがあって笑えた。




大豊商店街 1
愛知県豊橋市駅前大通2,3丁目
撮影 2013年9月7日 土曜日 14時55分


まっちゃまち 2
大阪府大阪市中央区松屋町,松屋町住吉
撮影 2013年9月28日 土曜日 15時20分
コメント
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