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週末に行く場所を決めていなかったので、朝になって地図を調べだした。
最初は紙の地図を見ていたのだけれど、ネットでの地図に変えて、京都に行こうかなぁと眺めていたのだけれど、いつの間にか平安京の事が気になってそちらの方面に。
平安京1200年の歴史というけれど、現在の京都に平安京の街並みの痕跡がそのままあるわけではない。
1200年前の街路は現在の道とは様子が異なっている。
昔の大路が現在の大通りであるとも限らない。
ではどのような違いがあるのかと、いろいろ見てみたが、最終的に以前にも紹介した「今昔マップ」で見てみる事に。
もちろん現在のような地図が作られたのは明治以降で、それまでの絵地図のようなものとは直接的に比べようはない。
だから明治期の地図との比較しか出来ないのだけど、平安京のメインストリートが現在の千本通で、明治期までに平安京の西半分は廃れてしまったようなのだ。
そうなんだぁと思いつつ、地図の細部を見ていくと、現在の地図と道も変わっていたり、集落の中心も別の場所だったりと面白い点に気がつく。
もちろん現在の建物がそのままずっとそこにあったわけでもなく、昔は別の建物だったりした。
どんどんと見る範囲が広がっていき、全国各地を比較する事に。
鉄道がまだなかった時代があり、国道もないとか、明治期の地図はまだ江戸時代を引きずったままの地域がある事がわかるし、年代別の地図を比較するとその場所の”発展”がわかる。
都市化とともに、墓所が消えていったり、神社仏閣も移転していたり、軍関係の施設が出来たりなくなったり、駅の名前が変わったり、線路位置が変更されたり。
知らない学校があって、それを調べると現在の有名校の旧名であったり、高級住宅地が元は農園であったり、貴族皇族の屋敷がなくなったり。
現在の地図から昔の事を想像するのは結構難しいものだ。
そういうのを見ていても全然飽きなくて、気がつけば一日が終わっていた。
やらなければならない事がいっぱいあるのになぁ。
須磨寺参道
兵庫県神戸市須磨区須磨寺町3,4丁目
撮影 2013年12月14日 土曜日 15時25分
黒江の街並み 2
和歌山県海南市黒江
撮影 2013年12月21日 土曜日 14時30分