ラジオから流れてくるポップス曲ってみんな若者向きの歌なのね。
ナウなヤングが恋だのあおはるだのを歌うのはいつの時代も同じなわけ。
でもオッサンの心にはキュンって来ないんだよね。
それはオッサンの心が汚れてしまったこともあるんだけど、実はみんな知ってるんだよ歌詞の世界を。
オッサンにだってヤングな時代はあったわけで(ナウはなかったけど orz)恋だのあおはるなどに心を乱した時期もあったんだ(本当だから)。
で、その純真な心に寄り添ったのは、やっぱり当時のナウなポップスだったりしたんだ。
決して「勘太郎月夜歌」とか「湯の町エレジー」じゃないんだよ。
そういう時代を過ごしてきて、歌に占める歌詞の世界がある程度は堪能してきたんだけど、そこで歌詞の世界ってこういうものなんだっていうものができてしまったんだな。
だから同じような歌詞の内容を聞くと「ああ、知ってるその世界」ってスレてしまったんだ。
恋だのあおはるの歌詞ってだいたいいつも同じなわけで、そこにメロディーやリズムやビートが時代によって乗せられるんだけど、現実の恋だのあおはるが時代が変わってもそんなに変わらないように、歌の世界もそんなには変わらないんだよなぁ。
だから新たな歌を聞いても、「それなら俺にはこんな”持ち歌”があるし」って、同類の歌を持ってきてしまうんだよね。
そんな”持ち歌”を今のナウなヤングが知らないのと同様に、オッサンも今の歌を知らなくても生きていけるんだよ。
それは断絶じゃなくて、時代の差なんだと思うんだよ。
それにさ、今のナウなヤングは20年、30年先の自分のことなんか想像できないだろうけど、オッサンはすでに20年、30年、あるいはもっと先の自分のことを知ってしまったんだよ、すでに。
そんな先の人生において、若い時に熱中した歌がどんな位置を占めているかもわかっているんだ。
だから今の歌には興味は持てないけれど、それを否定するわけでもなく、今のヤングにあたたかい想いを持っているんだから、これでも。
立門前商栄会
埼玉県川越市松江町1,2丁目,連雀町
撮影 2016年3月31日 木曜日 14時05分
ナウなヤングが恋だのあおはるだのを歌うのはいつの時代も同じなわけ。
でもオッサンの心にはキュンって来ないんだよね。
それはオッサンの心が汚れてしまったこともあるんだけど、実はみんな知ってるんだよ歌詞の世界を。
オッサンにだってヤングな時代はあったわけで(ナウはなかったけど orz)恋だのあおはるなどに心を乱した時期もあったんだ(本当だから)。
で、その純真な心に寄り添ったのは、やっぱり当時のナウなポップスだったりしたんだ。
決して「勘太郎月夜歌」とか「湯の町エレジー」じゃないんだよ。
そういう時代を過ごしてきて、歌に占める歌詞の世界がある程度は堪能してきたんだけど、そこで歌詞の世界ってこういうものなんだっていうものができてしまったんだな。
だから同じような歌詞の内容を聞くと「ああ、知ってるその世界」ってスレてしまったんだ。
恋だのあおはるの歌詞ってだいたいいつも同じなわけで、そこにメロディーやリズムやビートが時代によって乗せられるんだけど、現実の恋だのあおはるが時代が変わってもそんなに変わらないように、歌の世界もそんなには変わらないんだよなぁ。
だから新たな歌を聞いても、「それなら俺にはこんな”持ち歌”があるし」って、同類の歌を持ってきてしまうんだよね。
そんな”持ち歌”を今のナウなヤングが知らないのと同様に、オッサンも今の歌を知らなくても生きていけるんだよ。
それは断絶じゃなくて、時代の差なんだと思うんだよ。
それにさ、今のナウなヤングは20年、30年先の自分のことなんか想像できないだろうけど、オッサンはすでに20年、30年、あるいはもっと先の自分のことを知ってしまったんだよ、すでに。
そんな先の人生において、若い時に熱中した歌がどんな位置を占めているかもわかっているんだ。
だから今の歌には興味は持てないけれど、それを否定するわけでもなく、今のヤングにあたたかい想いを持っているんだから、これでも。
立門前商栄会
埼玉県川越市松江町1,2丁目,連雀町
撮影 2016年3月31日 木曜日 14時05分