なんて言ったら時代劇のことだけかと思うだろうか。
オッサンだから当然のごとく昔の映画や音楽や本を好むんだけど、今日小沢健二を聴いていて(笑)、この”内容”って現在の若者に伝わるんだろうかと思ってしまった。
小沢を聴きながら読んでいたのが安部公房で(笑)、さらに疑問は深くなるばかり。
自分が安部公房を読んでも、今じゃあ通用しないよなぁと思う話も結構あったりするのは、シーンが想像できないんだね。
音楽や映像、文章なんかで現代性のあるものって、その時点での現代性であって、時代が過ぎると現代性の空気というのが違ってきてしまうわけだな。
その当時の現代性を知っているのなら「思い出す」ということもできようが、全く肌に感覚がないものをどうやって受け入れるのか、結構問題が深いと思う。
カローラツーとか言われたってわかんないし、バラックって言われてもなぁ(笑)。
そうなると作品が出された当時の「現代性」を知らなければ、何がいいんだかわからないという事にもなるわけだ。
吉行淳之介や永井荷風の小説を読んでいても「実感」が伴わないのはそういう事だと思うし、小津安二郎の映画を懐かしい姿と思うのも当時とは絶対に違う感覚だし、小沢健二のチャラい歌声に今のナウなヤングが何を感じるかもわからないと言える。
”そういうもの”を今味わうという事には、そういう厄介なことがつきまとうんだろうけど、そうしないと本当の良さってわからないんだろうな。
もちろん「再発見」という形で楽しむという事もできるけど、ディスコでフィーバーしている姿を見ても、再発見どころか「何バカな事をしてたんダァ?」と思うのがせいぜいだろう。
でもその時代には確かにそうする事に意味を感じていたのだから、そこで簡単に乖離させるのではなく、現在へと続く時代の流れというものを知って欲しいと思うんだよねぇ。
でないと、いつも「なんであんなことしてたんだぁ?でなんで今こんな風になってんだぁ?」って答えが出ない気がする。
川越名店街 2
埼玉県川越市仲町,連雀町
撮影 2016年3月31日 木曜日 15時45分
オッサンだから当然のごとく昔の映画や音楽や本を好むんだけど、今日小沢健二を聴いていて(笑)、この”内容”って現在の若者に伝わるんだろうかと思ってしまった。
小沢を聴きながら読んでいたのが安部公房で(笑)、さらに疑問は深くなるばかり。
自分が安部公房を読んでも、今じゃあ通用しないよなぁと思う話も結構あったりするのは、シーンが想像できないんだね。
音楽や映像、文章なんかで現代性のあるものって、その時点での現代性であって、時代が過ぎると現代性の空気というのが違ってきてしまうわけだな。
その当時の現代性を知っているのなら「思い出す」ということもできようが、全く肌に感覚がないものをどうやって受け入れるのか、結構問題が深いと思う。
カローラツーとか言われたってわかんないし、バラックって言われてもなぁ(笑)。
そうなると作品が出された当時の「現代性」を知らなければ、何がいいんだかわからないという事にもなるわけだ。
吉行淳之介や永井荷風の小説を読んでいても「実感」が伴わないのはそういう事だと思うし、小津安二郎の映画を懐かしい姿と思うのも当時とは絶対に違う感覚だし、小沢健二のチャラい歌声に今のナウなヤングが何を感じるかもわからないと言える。
”そういうもの”を今味わうという事には、そういう厄介なことがつきまとうんだろうけど、そうしないと本当の良さってわからないんだろうな。
もちろん「再発見」という形で楽しむという事もできるけど、ディスコでフィーバーしている姿を見ても、再発見どころか「何バカな事をしてたんダァ?」と思うのがせいぜいだろう。
でもその時代には確かにそうする事に意味を感じていたのだから、そこで簡単に乖離させるのではなく、現在へと続く時代の流れというものを知って欲しいと思うんだよねぇ。
でないと、いつも「なんであんなことしてたんだぁ?でなんで今こんな風になってんだぁ?」って答えが出ない気がする。
川越名店街 2
埼玉県川越市仲町,連雀町
撮影 2016年3月31日 木曜日 15時45分